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番外 神をも殺す剣 前


(うぅ。困った)
 ヤヨイは宮城の中庭の隅で、身体を縮ませながら胸中で呻いた。
(どうしようどうしよう。おっきい騒ぎにするつもりはなかったのに)
 自分のすぐ頭上で、警備の武官達が自分を探して足音を立てている。本当に、どうしてこんなことに。
 一般の参内客として紛れ込もうとしたのに、手元にあるに荷物を取り上げられそうになったために、裏口から忍び込もうとした。そもそも、それがいけなかった。
 この宮城には結界が張ってある。参内客や商人はその結界をすり抜けるための目的に合わせた手形を貰って宮城に入るのだ。
 一度城の中に入ってさえしまえば、どうにでもなると思っていた自分が甘かった。
 結界をすり抜ける術に、時間が掛かりすぎてしまったのである。それを優秀な警備に目撃され、追い回されて、今に至る。
(時間がかかるの、当然よね。だってこの結界、将軍が昔張ったものなんだもの)
 この宮城を修復したのは将軍だ。その際に、結界も張りなおしたといっていた。それをすっかり失念していた自分に呆れ返る。
(どうしよう。今からまた帰る? でもそうしたら時間がなくなってしまうし……)
 皇后の命に関ってくる。本当は、もっと早く訪れたかったのに、将軍が許可を出さなかったのだ。
 しぶしぶ将軍が許可を出したのは、今ヤヨイの手元にある“これ”のおかげだった。
(だいたい将軍がいけないんだわ。お手を少しでも貸してくれれば、こんなことにはならなかったのに。将軍ならすぐにここに入り込めてしまうのに。ずるいずるい)
 当の将軍は、現在どこか旅に出てしまっていて、連絡が取れない。次に戻ってくるのは、早ければ数ヶ月。長ければ数年だ。少し前に交わした約束を律儀に守って、出発前には立ち寄ってくれるようになったのはいいが、それでも帰りがいつになるかまで、教えてくれるわけではない。
(うぅーおなかいたくなってきた……)
「なぁ」
「は、はい!」
 耳元ではじけた声に、ヤヨイは思わず返事をし、蒼白になった。とうとう、警備に見つかってしまったのだ。
 しかしヤヨイの傍らにいたのは武官ではなかった。文官や女官とも、少し様子が異なっている。身につけているものはそれなりに上質の袍。淡い緑と浅黄の袷だ。銀色の髪を結い上げた、緑の目をした女である。
(あれ、この人、王族のひと?)
 濃い緑の目は、南大陸の王族に見られる目だったはずだ。何故、こんなところにいるのだろう。あちらからの客人だろうか。
「大丈夫か? 具合が悪いのか? 顔が青いが」
「え。あ、の、だいじょうぶです」
 緊張から腹が痛くなっていたが、他人に声を掛けられたことで大分気がまぎれた。
「どうした? 何をこんなところで蹲っている? 今人を呼んでくるから」
「ああぁあぁぁ、あの、待ってください!!! 大丈夫大丈夫大丈夫ですから!!」
 ヤヨイの叫びに、女が瞠目して動きを止める。その緑の眼が、不審そうに細められた。
「……何やつじゃ」
「あ、え、っと、すみません。私、ヤヨイといいます!」
 王族ならば、そのつながりで皇后とも面識があるだろう。下手に女官や文官に取り次ぎを頼むよりも、確実そうだ。
 女の手にすがりながら、ヤヨイは叫ぶ。
「お願いします! ティアレ様に……皇后陛下に、会わせてください!!」


 迎賓館の一室に足を踏み入れると、長椅子に腰掛けていた少女が直立して一礼した。黒髪に空色の瞳。大人びたものの、あどけなさを引きずる少女の面差しは年数を経ても記憶に克明に刻まれている。
「ヤヨイ」
「お久しぶりですティアレ様」
 そういって笑う彼女は、もう六年も前、自分がハルマ・トルマの暴動に巻き込まれて囚われていたときに、世話を焼いてくれた魔術師の少女に他ならなかった。
「本当に知り合いだったのじゃな」
 そういって嘆息するのは、部屋の一角で様子を見守っていたヒノトである。たまたま仕事で宮城を訪れていた彼女が、ヤヨイと出会い、ティアレに取り次いだのだ。どうやら少女は不審者と見做されて、警備に追われていたらしい。見つけた人間がヒノトでなければ、そのままティアレと再会することは難しかっただろう。
「本当に、久しぶりです……ヤヨイ、元気そうで」
「はい。お会いできて嬉しく思いますティアレ様」
 ヤヨイははにかみ笑いを浮かべ、再びティアレに礼をとる。呆然と立ち尽くすティアレに着席を促したのは、ヒノトだった。
「ティアレ。早く椅子にすわらんか」
 言外に身体に障ると主張する、友人の忠告に、ティアレは苦笑して従う。長椅子に身体を預けると、ヒノトがすかさずひざ掛けをティアレの身体の上に広げ、彼女自身もまた空いている椅子に腰を下ろした。
 その間に、女官が茶の準備を整える。沈黙していたヤヨイが口を開いたのは、その女官が退室し、三人だけ部屋に取り残されてからだった。
「突然の訪問に応じてくださって、ありがとうございます」
 背筋を正し、緊張した面持ちで少女はそう切り出した。
「いいえ。私も、ずっと会いたいと思っていました。ヤヨイ、私の解呪を行ってくださったのは、貴女だったのでしょう?」
 娼婦のときに与えられ続けていた呪薬。一度は生死の境を彷徨った自分は、結局何者かがかけた術によって薬の呪縛から解放された。
 その術をかけた魔術師は、当時ティアレの世話を請け負っていたヤヨイだったのではないかと、ずっと思っていた。
 ヤヨイは肩をすくめて笑うだけでティアレの言葉を肯定しない。しかしその、安堵にも似た柔らかい微笑が、すべての答えのようにティアレには思えた。
「ティアレ様、今日私がこちらに参りましたのは他でもありません。ティアレ様のお体についてのことです」
「私の?」
「はい。噂で、お体の様子が思わしくないと耳にいたしました故」
「ちょっとまて」
 ヤヨイの言葉に反応を示したのは、それまで黙って会話に耳を傾けていたヒノトだった。
「どこでそのような噂を耳にした? 皇后陛下は健やかであらせられるのに、誰がそのような不敬な噂を」
 ヒノトがそのように言うのも無理はない。
 確かに、ティアレはここのところ身体の不調を訴えることが多くなった。懐妊のときの状況と似てはいるが、原因はそれではない。
 発熱し、時に嘔吐を覚え、床に伏せることが多くなった。何かしらの病を得たのかとも思ったが、そういうわけでもないようだ。時に全く抗えぬ睡魔がティアレを支配し、かと思えば、時に眠れぬ夜が続く。
 だがそれを、公にはしていない。知るのはティアレに近しい奥の離宮の人間や、執務室に集う皇帝を筆頭にした四人の男達、御殿医の数名、そして彼らの副官や妻たちのみである。
 それが何故、噂になど。
「え!? あ、えっと!」
 ヤヨイは明らかに慌てた様子で百面相を繰り返していた。その狼狽振りに、ヒノトが厳しい眼差しを向けている。
「ヤヨイ」
 ティアレは思い当たった回答を、確認の意を込めてそっと口にした。
「もしかしたら、ラヴィがそのように?」
「ラヴィ?」
 訪ね返してきたのはヤヨイではない。ヒノトである。ティアレは彼女のむき出しの敵意を抑えるよう、牽制するつもりで、柔らかく微笑んで見せた。
「牢屋で会ったあの男ですよ。覚えていますか? ヒノト」
「……あぁ」
 ダッシリナで自分達を捕らえた男。ラヴィ・アリアス。世界の傍観者と名乗った男。
 ヒノトは思い出したのか、渋面になって口を噤んだ。
「そうです」
 観念したように、肩を落としてヤヨイは頷いた。
「将軍が、知らせてくださいました」
「……ヤヨイ」
「詳しいことは説明できません。ただこんな風にまたティアレ様とお会いする許可をいただけたのは、今回、ティアレ様にお願いしたいことが一つあったためです」
「お願いしたいこと?」
「はい」
 小さく頷いた彼女は、傍らにおいていた包みを取り出した。一抱えもある細長い包みだ。白い布で包まれているそれを掲げて、彼女は微笑む。
「後でこちらに触れていただきたい」
「その包みの中は?」
「今はお見せできません」
「中身を見せずに触れというのか? おんしは」
 ティアレを目の前で連れ去った得体の知れない男に、彼女は明らかな悪感情を抱いている。そのラヴィの身内だと悟って、ティアレの牽制むなしく、ヒノトの言葉には更に険が宿り始めていた。
「そんな頼みを承諾できるはずもなかろう」
「無茶なお願いであることはわかっています」
 そんなヒノトの言葉に、ヤヨイは真剣な面持ちで同意を示す。
「けれどこれはティアレ様を傷つけるものではありません。ただ、これに触れてもらうだけでいいのです」
「しかしな」
「やりましょう」
 これ以上、問答していれば、ヒノトがヤヨイに食ってかかるとも限らない。不穏な気配を気取ったティアレは、ヒノトの反論にかぶせて、ヤヨイの依頼を承諾した。
「ティアレ?」
「いいんですヒノト。大丈夫です。ヤヨイの言葉を、私は信頼します」
「しかし何かあったときどうするつもりじゃ?」
「大丈夫です」
 昔、ヤヨイを信頼しきれずに彼女を突き放した。結果、自分には解呪のための苦しみが待っていた。あの時、まだ年端も行かぬ魔術師の少女の言葉を信じていたら、あれほどまでに自分が苦しむこともなかったであろうし、何よりも――この少女に負担をかけずにすんだに違いない。解呪の術は複雑であればあるほど、術者に負担をかけるのだと聞いている。それが、この世界から解呪士の数が削り取られていった要因の一つでもあるのだ。
 ティアレが見せるヤヨイへの信頼に、納得のいかない面持ちながらも、ヒノトはしぶしぶと引き下がった。腕を組んで口を噤んでしまう彼女に、ティアレは苦笑する。後で事情を説明せねばならないだろう。
「ありがとうございます」
 ほっと胸をなでおろしながら、魔術師の少女は微笑んだ。その屈託のなさからは、何かをたくらんでいるような様子なぞ、微塵も拾い上げることはできなかった。
「それで、今からそれに触れればよいのですか?」
「いえ。その前に、私ティアレ様に一つ覚えていただきたいことがありまして」
「覚える、こと?」
「はい」
 少女は頷き、そして懐から小さな布袋を取り出した。何か、衣装の端切れで作られたと思しき袋だ。ヤヨイはその中身を、卓の上にひっくり返した。
 ばらばらと散らばる、小さな、緑みを帯びた石の破片。
「これは?」
「招力石です」
 ヤヨイの回答に、ティアレはヒノトと顔を見合わせ、息を呑んだ。そんな馬鹿な、と思ったのだ。卓の上に散らばった破片は、確かに招力石の屑に似ていなくもなかったが、それにしては透明度がなさ過ぎる。招力石の色は込められた術式によって異なるが、どれももっと透明度は高い。だというのに、今ティアレたちの目の前に散らばる破片は、どうみても石のそれにしか思えぬほど、色が濁っていた。
「ティアレ様。今から私がティアレ様にお教えするのは、これら使い古しの招力石に、力を込める方法」
 卓の上に手をつき、僅かに身を乗り出して、ヤヨイは言った。
「そしてこの方法が、ティアレ様のお体を健やかにする方法ともなるでしょう」


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