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番外 同じ月を見ている


「あぁ、雲が晴れたな」
 ラルトは夜空を見上げながら独りごちた。中秋。あわただしい行事もひと段落したということで、皆で離宮に集まって月を肴に酒を飲もうという話になったのだ。庭先に出された円卓の上には、すでに一揃いの酒。酒を飲まぬものたちのために、果実水や茶も用意されている。
 ただ、夕刻になって厚く雲が出ていたので心配していた。雨になれば離宮の中に席を設けるだけだが、せっかくの機会だ。晴れてほしかった。
「あぁ、綺麗な満月だねぇ」
 縁側から外に出てきたジンが、同じく空を見上げて目を細めた。
「いい感じに晴れたじゃん」
「わたしのてるてるぼうずのおかげね、おとうさま」
 ジンの傍らを過ぎて飛びついてきた娘が、きらきらと目を輝かせて言う。ラルトはその小さな身体を抱き上げて、そうだな、と頷いた。
「かあさまと作ったかいがあったな」
「うん」
「ラルト」
 噂をすれば、ティアレの声だ。娘の頭越しに見えた女の影に、ラルトは応じた。
「なんだ?」
「手伝っていただいていいですか? 運びきれなくて」
 ティアレは菓子の載った盆を提げ持っている。昼過ぎに公務が終わってから、台所に篭って彼女が友人達と焼いていた菓子だ。
「いいぞ」
「ジンも! こっちきて手伝って」
 ティアレの横から口先を尖らせて顔をみせたのはシファカ。彼女の手にも、ティアレが持つものと違った種類の菓子の載った盆がある。
「まったく、油売ってないでさぁ、少しはジンもエイやイルバさんを見習いなよ」
「手伝う手伝う手伝うって。その盆、お持ちしましょうか?」
「これは私が運ぶから。さっさと部屋に残りをとりにいく!」
「はいはい」
「ラルトもですよ」
「わかってるって」
 妻達にせかされるこちらに、部屋で子守をしていたヒノトが、同情めいた微笑を浮かべた。
「尻に敷かれておるなぁ」
 そういう彼女こそ、夫を尻に敷いている女傑である。医者として城の外で働き始めてしばらくはあまり城に顔を見せなかったが、仕事を休んでいる近頃は、よくこちらにいるようになった。今日もティアレとシファカに付き合って、昼から菓子作りに勤しんでいたようだ。
「わるいねぇ。子守頼んで」
「仕方あるまい。物を運ぶなあぶないと、うるさいやつがおるからの」
「当然でしょう」
 赤子眠る揺り篭を揺すりながら呻くヒノトに、酒の肴らしい肉の燻製や乾酪を並べた皿を持って現れたエイが、渋面になりながら口を挟んだ。
「再三いうようですが、お願いですから大人しくしててくださいよ」
「今は大人しくしておるじゃろうが」
「というか、出来ないからしてるんでしょう! まったく。悪戯した患者追いかけて、三階の窓から飛び降りたとかアリガさんから聞いたときどれだけ肝を冷やしたか」
「三階ではなく二階じゃが」
「いっしょです!」
「というか忘れろ。何ヶ月前のことじゃ」
「忘れたのなら教えて差し上げます。四ヶ月前のことです」
 そんなことがあったのかと、ラルトは話を聞きながら呆れた。道理でエイがその頃合から、異常に過保護になるわけだ。
「臨月のときぐらい、大人しくしていただかなくては困ります」
 はぁ、と嘆息する部下に、ラルトは笑った。自分もティアレのときには、彼女の身体が弱いこともあって相当肝を冷やしたが、彼は別の意味で心配の種が尽きぬようだ。
「お前らみててあきねぇなぁ」
 げらげらと大きな笑い声を上げて、盆を持ったイルバが部屋に姿を現した。その隣には、取り皿や杯を載せた台車を押したシノがいる。
「もう手伝う必要はありませんよ、陛下」
 閣下が運ばれる分で最後です、とシノは言った。結局、台車を持ち出してきたらしい。
「ラルトー。卓の上、ちょっと酒どけて。これおきたい」
「判った」
「ととさま! ととさま! ぼくはこぶ!」
「あぁこれは重いからだめ。かあさまの手伝いしてきて」
 ジンの足元で飛び跳ねる子供が、大きく頷いてシファカのほうへ駆けて行く。ラルトは肩をすくめて、女達の集まる卓のほうへ歩き出した。ジンの指示のもと、卓の上を片付ける。最後にシノとイルバが見事な連携でもって、皿と杯を並べ置いていった。
「ヒノト! 準備できましたよ!」
「うんわかった」
「あ、ごめんヒノト。子守任せちゃって」
「よいよ。そっとな。今起きた」
「騒がしかったんだね」
 むずがる赤子を、ヒノトがシファカに抱き渡す。傍に寄り添ったジンに、シファカが笑いかけた。
「ジンがあやす?」
「あのね。俺が抱いたら絶対泣くって」
「そろそろ慣れようよ。今日はいい子してるし大丈夫」
「いーや無理。絶対無理」
 ジンは本当に赤子に嫌われる。なにせ長男も物心付くまで、ジンが抱き上げると火をつけたように泣き出していた始末だ。あまりに毎回泣くので、彼はもう赤子を抱くことに関してさじを投げている。
「絶対、ジンの抱き方が悪いんだと思うんだけどなぁ」
「教えられたとおりにやっても泣くんだって!」
「あ、叫ばないでよ!」
 案の定、ジンの声に反応して、びえびえとなき始める赤子に、夫婦は慌て始めた。子供達が、その鳴き声に反応して駆け寄っていく。
「お前子供平気なのか?」
「んーどうでしょう。わかりませんね。イルバさんは娘さんのとき、いかがだったんですか?」
「最初はおっかなびっくりだったけど、結構すぐなれたな」
 子供って面白いぜーと笑うイルバの話に、エイは丁寧に一つ一つ相槌を打っている。
「なぁラルト、面白いよな」
「そうだな」
 話を振られ、ラルトは彼らに歩み寄った。話に混じっている自分の傍で、ティアレとヒノトが今日の菓子のできばえについて会話している。
「上手くやけたな。よかった。どれが棗餡だったっけ?」
「こちらの花模様のほうが棗ですよ」
「あぁじゃぁこっちのつる草模様がくるみか」
「はい。あ、こっちの色つきは白餡です」
「これが桜餡じゃったな。皆の口に合えばよいが」
「さぁ皆さま、飲み物は各自選んでくださいませ!」
 ぱんぱん、と手を打ち鳴らして、シノが音頭をとる。今日は女官はシノ以外に呼んでいないから、皆手酌だ。
「イルバは皆に酒を勧めすぎないように!」
「あのなぁジン、俺だってそれぐらいの分別はあらぁな」
「シノ、すまんがその茶、とってくれんか?」
「はいどうぞ。シファカ様はいかがなさいますか?」
「あ、私林檎の果実水もらうよ」
「シファカさんはお酒のめませんものね」
「のめるんだけどなぁ。ジンが五月蝿いんだよね」
「陛下、どうぞ」
「あぁありがとう」
 エイに注がれた酒を見つめる。そこには、金色の丸が映りこんでいる。
 それを認めた彼が、空を仰ぎ見た。
「見事ですね」
「あぁ。本当にな」
「綺麗な月じゃのう」
「こっちの月ってすごく綺麗な金色だよね」
「色が違うのですか? シファカ様」
「うん。荒野は結構赤いんだ」
「そういえばそうだったね懐かしい」
「あぁ、ディスラも色が少し違いますね」
「そうなのか? 知らなかった」
「青いんですよ。少し」
「リファルナもそういえば少し違いますよね、ヒノト」
「うん。銀色っぽく見えるよな」
「不思議だよなぁ。バヌアっつか、諸島連国は色はかわんねぇんだが、なんかでっかくみえるんだよな」
「そういえば、ポリーア島でもそうでしたわね」
「不思議だな、同じ月なのに」
 そして皆、その同じ月を見ているだろうに。
 ラルトは微笑んだ。
 酒に満たされた杯を、軽く空に掲げる。
「それじゃぁ乾杯しよう」

 今。
 同じ年、同じ日、同じ夜。
 同じ場所で。
 同じ月を、見ていることに。


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