ふくわらい(女王の化粧師)


「ふくわーいーをしてみたいわ」
 新年早々何を言い出すのかと思えば、意味が分からない。
「陛下、ふくわーいーとはなんでしょうか?」
 横に控えて尋ねたロディマスにマリアージュが無言で紙束を突き出す。
「えぇっと……アリガ、さまからのお手紙で?」
「そこの一番下に書いてあったの」
 マリアージュの髪を結っていたダイは首を伸ばしてロディマスの開く紙束を覗いた。
「……マリア様、これふくわーいーじゃなくて、ふくわらいって読むんですよ」
「うっさいわね発音なんてどうだっていいじゃない!」
「わっ、首動かさないでくださいよ! もー」
 マリアージュが急に首を後ろに倒したせいで、せっかく結っていた部分がぐっしゃりとなってしまった。ダイは嘆息しながらもさもさしたその箇所を解きほぐした。
「陛下、ふくわらい、とはどういったことでしょうか?」
 話が進まない様子を見てとったらしい。アッセが問いかける。
「顔の輪郭だけを描いた紙の上に、目だとか、口だとか、顔の部分を散らして、目隠ししたひとがそれを並べるんですって。きちんとひとの顔になっていると勝ち」
「もしくは、一番変な顔を作ったひとが勝者みたいだねぇ……」
 手紙を丁寧に畳み、マリアージュに返却しながら、ロディマスが補足した。
「これをするの? 陛下が?」
 目隠しして? と首を傾げる宰相に、マリアージュは苛立たしげだ。
「私は審判よ。あんたたちがするの。当たり前じゃない」
「……それはしてみたいっていわなあああああマリア様、顔うごかさないでくださいって!」
「あんたは新年の抱負に余計なことを言わないって書き加えなさい」
「はひはーひゅひゃまはわはひのほほひっはらはひへふははい(マリアージュ様は私の頬引っ張らないでください)……」
 頭を上向きにしないまま背後に立つダイの頬をもてあそぶという高度な技をこの人は身に着けているし。
 まったくこのひとは。弄ばれて赤くなった頬を膨らませて、ダイは手早くマリアージュの髪を纏めた。彼女に仕え始めて早数年。髪結いもずいぶんと上達したと思う。
「ふくわらいをされるのはいいですけど、道具がないですよ、マリア様」
 残念ですね、と櫛やら植物油やらを片づけるダイを、マリアージュは、小馬鹿にした目で見上げる。
「あんたにはアリガの手紙見せたでしょ。何読んでたのよ。書いてあったでしょ? 輪郭を描いた紙にって」
 鏡を覗き込んだ彼女はにっこりと笑った。
「あんたが作るのよ」
 その笑みは髪型に対する満足のしるしではなく、明らかにあくどい何かを企てているときのそれだった。



「……大丈夫か? ダイ」
 不憫そうにアッセが手元を覗き込んでくる。
 ダイは思わず紙に散らばる円卓の上に突っ伏した。
「手がしびれてきました……」
 女王主催のふくわらい大会は、いつの間にか側近たちだけにとどまらず、城全体を挙げてのものになってしまった。
 煌々と魔術の明かりが灯されてそこここは笑いで満たされている。近日なかった明るい雰囲気に皆、酔いしれているが、そうでないのはその『ふくわらい道具』を作りださなければならなくなった絵心のある者たちだった。
 城中から掻き集められたおもてを使って雑記に使われる用紙に次々と顔の輪郭部と目や口、鼻を書いていく。手先の器用なものは必死にそれらを切り離しては賑わう談話室に運んでいく。
「そこの紙で終わりだ。頑張ったな」
「ありがとうございます……」
 労ってくるアッセに微笑み返す。まだ何か言いたいことがあるのか。口を開きかけた彼は部下に呼ばれて部屋を出て行ってしまう。ダイは溜息を吐いて部屋を見回した。紙片の散らばる女官部屋は死屍累々としている。顔のない顔が、顔のない顔が、と呻いている倒れた文官に苦笑して、ダイは最後の紙に向き合った。
 削った黒檀の先を、その白い紙面に走らせる。
 日頃、化粧師であるダイが絵を描くことは単なる趣味としてでしかない。非番の日に窓から見えた風景を描きとめる程度で、そうしていることを知る者も少ない。ダイが手慰みに絵を描くと、マリアージュは誰に聞いたのだろう。
 それを知っていた者は――……。
「ダイ」
「うわっ!」
 背後から呼びかけられたダイは、叫びながら反射的に紙を握り潰していた。
「あ、アッセ? どうしました?」
「いや、そろそろ……失敗したのか?」
「えっ、あっ、そうですね」
 ダイは握りこんだままのくしゃくしゃの紙を一瞥して笑った。
「えっと……どうかしたんですか? アッセ」
 いぶかしげな顔をしていたアッセは、ぐるりと視線を泳がせたあとに微笑んだ。
「いや……そう。陛下がお呼びだ」
「私にもふくわらいをさせようっていうんですかねー」
「かもしれない」
「ちょっと先出ていてください。机の上を片づけますから」
 アッセを部屋から追い出して、卓の上の紙片をざざっと片づける。
 あとはまた戻ってきてからきれいにすればよいだろう。
 最後にダイは卓の上に残る一枚の紙を手に取った。ぐしゃりと潰して玉にしたそれを、手を押し付けて丁寧に伸ばす。散った黒檀の滓が擦れて灰色になった紙面には、男の横顔が描かれている。
 ここにはいない、おとこの。
 柔らかに微笑むその輪郭を覚えていることに笑えてしまう。
 不思議と胸は痛まなかった。
 ダイはそれを丁寧に畳んで懐にしまい直した。
 倒れている同僚たちに声を掛けていきながら出口へ向かう。
 部屋の外は陽気な笑いと光に満ちていた。