彼が帰ってきた(女王の化粧師)


 故国に帰ってきてひと月強。政務に忙殺されるディトラウトのもとへ、皆はなぜかうきうきとした顔で集まった。
「病名を公表しとらんが、なんというか、お主はさして病弱に見えんな」
 書類を裁くディトラウトを眺めながら、ヘルムート・サガンが顎をしゃくる。
「ちなみに病名は何にする予定だったんです?」
「おぉ。恋の病だ」
「……」
「黙るな、ディータ。冗談だ」
「黙りたくもなります」
「だがなぁ、老いさき短い身だ。お主がおなごに首ったけになる姿も一度は見て見たいものだ。はっはっは」
「……」
「だからな? ディータ、何故黙る?」
「……」
「そんなとても面倒くさそうな顔をするな。心配しておるのだから。閨に引き入れたい女子はおらんのか?」
「……」
「……今考えたな!? 考えたな!?」
「主よ、聖女よ。今すぐ私の前から私の仕事を邪魔するこのくっそジジイをどこかへ追いやってください、とは思いました」
「……ディータ、冷たい」
「私、仕事したいんですが。サガン老、暇なんですか?」
 ち、と舌打ちする老爺に、ディトラウトは盛大に溜息を吐いた。


「せっかく帰ってきたのにディータが冷たい」
 ディトラウトの執務室からセレネスティの執務室へと戻るなりサガンが呻く。兄の警備の相談に同席していたゼノが、サガンに力いっぱい同意した。
「あ、わかる! 俺にも冷たいんだよなぁ!」
「忙しいだけだと思う。というか二人も仕事しろ。遊ぶな。殴るよ?」
『あそんでません』
 声を揃える臣下ふたりにセレネスティは歯噛みした。遊んでいるではないか。自分だって兄のもとへ遊びに――いや、今後の相談に向かいたい。積もる話は山とある。
 セレネスティは苛立ちを込めて傍に立つ梟に命じた。
「梟。ヤッていいよ?」
「陛下……」
「すみません俺ディータのとこ行ってきます!」
「待て、まだ話は終わってないだろ、ゼノ」



 執務室にはとっかえひっかえ人が現れる。
 梟が珍しく単独でディトラウトの執務室を訪ねてきた。
「――関連の書類です」
「わかった。そちらへおいておいてくれ」
「はい」
「……」
「……」
「……どうした?」
「サガン老もファランクス卿も、閣下がお戻りで喜んでいるだけだと存じます」
「その気持ちはわかる。ありがたい。でも鬱陶しい」
「お顔にそのように記されております」
「……そうか」
「ついでいいますと、書類を持ってミズウィーリ家の書斎に帰り、あそこで仕事を片づけたいとも」
「……え?」
「有能な老人が補佐についていたようですね。部屋も静かそうでしたし。使用人たちが距離を置いている分、集中できそうだな、という気がしたまでです」
「……笑えない冗談だ」
 あながち冗談でないところが。
 梟は表情を動かさず淡々ともうひとつ指摘する。
「でもあそこですと、気分転換もおできになるでしょう」
「気分転換?」
「はい。餌付けが閣下の気分転換になりうるとは、私も今まで存じあげませんでした」
 ディトラウトは思わず席を立った。
「梟」
「失礼いたします」
 部屋から早々に逃げた梟に歯噛みし、ディトラウトは戻ってきてから置くようになった菓子入れから、砂糖菓子を摘まみ上げて口に放り込んだ。