人質(双獣の王国)


「こいつらを殺されたくなければ大人しくしな」
 下卑た笑いと冷や汗を浮かべて、男はそういった。男と、彼の仲間と思しき者達が子供や娘を抱え、短剣を突きつけている。
「……一体何のまね?」
 守られるために後方に下がっていたはずのソレイユが、サランの横に並んだ。
「ソレイユ」
「サランは黙ってて」
 前方は危険だ。下がっていろと声をかけようとしたサランを、ソレイユが睨み饐えてくる。その一瞥に、サランは口を閉ざすことにした。いざとなれば肩を震わせながらそれでも並び立とうとするソレイユを抱えて逃げるつもりだった。そしてそれは、タラックとアッミドも同じ心つもりのようだった。彼らと視線を交わして算段を確認しあい、前方に視線を戻す。男の携える短剣に脅えて、娘と子供達は発狂せんばかりの様子だった。
 人質となっているのは宿屋を切り盛りしていた娘と、その小さな弟達だ。ソレイユが珍しく娘らしい年相応の顔を見せて、笑い合っていたもの達だった。ソレイユの媚態には皺が刻まれ、不快感を顕にしていた。
「こいつらとお前らがそれなりに親しくしてたっつぅのは承知のことだ。こいつら殺されたくなければ、大人しくしてな」
きひひと笑い声を上げて、男達が短剣を握る手に力を込めた。人質の娘達が、懇願の色をソレイユに注ぐ。男達は、それなりに腕のある野党のようだが、自分達にとってみれば話にもならないほど弱い。だからこそ、質が悪かった。近場の宿から人質を引きずり出してくるほどに。
 やはり、ソレイユを抱えて逃げるべきか。駱駝を失ったことは大きいが、商隊にでも紛れ込めば次の町への移動は問題ない。
「馬鹿じゃないのあなた達」
 そんなサランの算段を脳裏から消し飛ばしたのは、ソレイユの冷笑だった。
「サラン、タラック、アッミド」
 名を呼ばれて、背後の二人が息を飲む気配がサランに届いた。
「こいつらをぶちのめしなさい」
『な……!!』
 驚愕したのは、野党の男達だけではない。最初に悲痛に叫んだのは、人質となっている娘だった。
「な、なんてこというのよ! そんなことしたら私達真っ先に!!!」
「そ、そうだ」
 人質となっている娘の叫びで我に返った男達が、短剣をさらに娘に押し当てた。ひっという、しゃくりあげたような呻きが漏れ、一筋だけ、赤い線が娘の細い首ににじむ。他の男達に捕らえられている子供達が、声をあげて泣き出した。子供達の泣き声に、遠巻きに集まった野次馬達の身体がびくりと震える。
「こいつらどうなってもいいのかこの下衆め!」
「自分が喧嘩に勝てないからって人質取ってる下衆にいわれたくはないわね」
 憤然と、自分達の主は言いはなった。予想外のソレイユの言動に、呆気に取られたのはこちらも同じである。彼女の言葉の真意を探るべく視線を寄せたこちらに、ソレイユは微笑んだ。
「だって私達のものに手を出したのよ。人のものに手を出すんだから、当然ぶちのめされる覚悟はできてるんでしょ。野党って」
「だからお前人の話きいてんのか! 人質がどうなっても……!」
「馬鹿ね」
 ソレイユは腕を組んだまま、嘲りの眼差しを逆上せんばかりの男に向けた。愚かな、と雄弁に物語る彼女の微笑は、優しくすらあった。
「人質っていうものは、本当に命に代えても惜しくない相手に突き出してこそ有効性が認められるものなのよ。通りすがりのちょっと親しく言葉交わしただけの人間の為に命を売りなさいって? 馬鹿じゃないの? そんな風に人質突きつけられて大人しく命差し出すのは、よほどの死にたがりか、責任感溢れる大ばか者ね」
「……馬鹿馬鹿と」
「ちょっと考えればわかることじゃない。ちゃんと頭働かせなさい。虚け者」
 冷ややかに笑うソレイユに逆上した男は、人質に取っていた娘を突き飛ばして激昂した。
「さっきからこの小娘がぁぁああぁぁぁぁあぁ!!!!」
「きゃぁ!」
 人質に向けていた刃を振りかざし、ソレイユに飛び掛ってくる。明らかに、冷静さに欠く行動だった。
 ソレイユに飛び掛ることは、サランの縄張りに飛び込んでくることだというのに。
 微動だにしないソレイユの前に躍り出て、刀を構え抜刀する。ぎ、という金属音と供に男の短剣を受けながら、サランは拳に力を込めた。無防備な男の腹に、それをそのまま叩き込む。
「かはっ……!」
「頭ぁぁあぁ!」
 男が悶絶したのと同時、躍り出てきたのは別の人質を抱えていた男達だった。それぞれ重荷となる子供達を投げ捨て、円月刀を抜いてくる。同時に、ソレイユを庇うサランの両脇を影が通りぬけていった。タラックとアッミドだ。それぞれの獲物を手に、男達を一撃の下に沈めていく。
「ぎゃぁぁ!!!」
 決着は一瞬で付いた。
「ごぁ……!」
 男達は激痛からか意識を失い、砂の上に崩れ落ちる。風に男達の外套が翻り、ばたばたという音を響かせた。野次馬からは漣のようなざわめき。だが、自分達に近づいてくるもの達は誰一人としていなかった。
 獲物を鞘に収める金属の触れ合う音を合図として、動いたのはソレイユだった。彼女は外套の裾を払い、何気ない風を装って、悶絶した男達の懐を探り、財布と思しき皮袋を抜き出した。
「ソレイユ?」
「駱駝代よ。私達の駱駝の代金を、頂戴しているだけ。罰はあたらないでしょ」
 彼女は皮袋の中身を確かめると、懐に収めた。
「いきましょう皆。新しい駱駝を買って、次の町に移動するの。早くこの町を出ないと……」
 彼女の言葉にサランは頷いた。タラックとアッミドも彼女に続いて歩き始める。だがその進行を阻んだのは、背後からの娘の呻きだった。
「最低……!」
 ソレイユが振り返る。人質だった娘達を。それに倣い、サランも背後を省みた。
 娘は、すすり泣く弟達を守るように抱き寄せて、地面に座り込んでいた。血の気を失うほどに下唇を噛み締め、涙とそれに伴ってこびり付いた砂で顔を汚し。人懐こい笑顔でソレイユの表情をほぐしていた折と対極の表情で、娘はソレイユに向かって吐き捨てた。
「最低……! 私達が居たのに……!! 自分の恨みさえ晴らすことが出来れば、他人の命なんてどうだっていいわけ!? 最低……あんた達、こいつらと同等よ! なんて最低なのっ!!!」
 喉をすりつぶすようにして搾り出される娘の叫びに、ソレイユは穏やかな眼差しを向けて小首を傾げた。
「じゃぁ貴方は、私が生きながらえるために死ねといわれたら、死ねるの?」
「はぁ!? 問題を摩り替えないでよ!!」
「同じことよ」
 ソレイユは娘に向き直り、言葉を続ける。
「あの場で武器を捨てて、あいつらに投降していたら、私達は確実に奴らになぶり殺しにされるのは目に見えてた。私は当然死にたくないし、何より私は、貴方よりもこの三人に死んで欲しくはない」
 ソレイユは、自分達の命を預かっている。彼女を生かすために、文字通り、自分達は命を懸けているのだ。サランは決して命を安易に投げ出すつもりはなかったし、それはタラックやアッミドも同様だろう。しかしソレイユは、己の身の安全が、自分達の命を保障するものだと知って、そういっているのだろう。
 だがそんな事情を、無論少し言葉を交わしただけの宿屋の娘が知るはずもない。
「だからって……!」
「言ったでしょう? 貴方は私の為に死ねるの? 私が逆に人質になって、貴方を殺すとまではいかなくても、強姦されろ、もしくは金品を渡せといわれたら? 貴方は逃げるでしょう? ……その弟達の、命を優先するでしょう? それと、同じよ」
 娘が主張するのは誰もが正義と掲げる論理だ。一方、ソレイユが娘に突きつけているのはどうしようもない現実だった。人は、最後は己の命が可愛い。そういう生き物だから。時に、自らの血を分けた親兄弟でさえ、そうやって見捨てていくのだから。
「……出て行って。この町から出て行って!」
「言われなくても」
 ソレイユはそう吐き捨てて再び踵を返した。華奢な肩は早足で遠ざかっていく。サランは黙してその後に続きながら、タラックが娘の傍によって囁いた言葉を聞いた。
「なぁお嬢さん。うちのお姫さんの言い方は確かに過激だが、命あった今、あの子をそんなに責めんといてほしいな」
 娘は答えない。子供達のすすり泣きを押し込めるように、弟達を抱いているのだろう。
 嘆息交じりにタラックは言った。
「あの子の叫びが、あんたらは無関係だから解放してやれ、としか、俺の耳に聞こえなかったのは、身内への甘さからだろうかね、お嬢さん」