餌付け(女王の化粧師)


「疲れましたね。お茶にでもしますか」
「はい」
 仕事の打ち合わせの手を止めて、ヒースが立ち上がる。そのまま外に出て行ってしまうヒースを、ダイは眺めた。お茶にするといいながら、何故彼は部屋を出て行ってしまったのだろう。
 しばらくして戻ってきたヒースに、ダイは尋ねた。
「お茶を淹れるぐらい、しますけれど」
「え? あぁ、ですが、丁度お茶の時間でしたからね」
「お茶の時間?」
「えぇ。……貴族でなくとも、お茶の時間はあると聞きましたが」
「それって、ただお茶を飲むのとどう違うんですか?」
 わざわざ「時間」と定義しているぐらいなのだから、何かしら意味があるのだろう。首を傾げたダイに、ヒースが唸る。
「どう……説明しましょう。昼と夜の食事の間は、かなり時間が空いているでしょう」
「空いてますね」
「その間に、お茶と、何かお菓子を摘むんです」
「あぁ、それなら聞いたことが」
「……これは、貴族だけの習慣だった?」
「うーん多分違うと思います。私が暮らしていたのは花街ですから」
 夜と昼が逆転しているし、食事は二回が基本。三食目は、寝る前に、寝つきをよくするために消化の良いものを口に入れるのみ。
 そういったことを説明すると、ヒースは興味深そうに相槌を打った。
「そうですか。結構違うものですね」
「ですね」
「じゃぁ、あまり菓子類とかは口にしない?」
「芸妓の子たちは、体力を保つために口にしたりしますけど。お客さんがお土産に持ってきてくださったりしますし。私はあまり」
 食事自体も、小食だ。ヒースは呆れ顔だ。
「そんなだから細いんですよ。もう少ししっかり食べなさい」
「ど、努力します」
 間もなくして、紅茶と瀟洒な細工の施された陶器の器が届けられる。柔らかい茜色の、香り芳しい紅茶を茶器に注いだ侍女が退室するのを見送った後、ヒースが器の蓋を開ける。
 入っていたのは、狐色の焼き菓子と、宝石のような砂糖菓子。こげ茶色のなにか。
 全部、見たことがない。いや、みたことはあるのかもしれないが、食べたことがない。
「どうぞ」
 ヒースに促され、ダイは当惑する。どれから食べればいいのだ。
「どれでもいいですよ。お好きなのを」
「どれが美味しいですか?」
「さぁ……私もあまり食べるたちではないですし。……これは?」
 ヒースが差し出してきたのは、茶色のかたまり。
(なんだろうこれ)
 眉間に皺を寄せ、指で摘んだ塊を見る。
「早く食べないと溶けますよ」
「溶けるんですか?」
「えぇ。あぁほらさっそく」
 指摘されたとおり、指にとろりと茶色が付いている。ダイは慌てて塊を口の中に放り込んだ。
 刹那、舌先に広がるなんともいえぬ、甘い味。
「……」
 芸妓たちが、太るのにやめられないと叫びながら、菓子を口にする気分が今判った気がした。
「こっちは?」
 ヒースが差し出していったものを、順番にもむもむと口にする。幸せな気分に目元を緩ませていると、ヒースが頬杖をつき、明後日の方向を向きながら呟いた。
「……なんか、餌付けしてる気分になってきた」
「え?」
「いえ。なんでもないです」
 そしらぬ顔で紅茶を口に運ぶヒースを眺め、ダイはそっと次の菓子に手を伸ばしたのだった。



 その後、ヒースの執務机の引き出しの一角に、菓子箱が置かれるようになった理由を知るものは、当人以外誰もいない。