back//next//index

1.

200X年 初春。

 街の喧騒から離れて突然この家に足を踏み込むと、まぁいつものことやけど、妙な気分になる。
 街のほぼど真ん中に場違いのように鎮座まします、純和風建築のこの屋敷は、いつも俺の神経をぴんと張り詰めさせる。馬鹿でっかいコンサートホールで大観衆に囲まれているときよりめちゃ緊張してまう。原因は、あきらかなんやけど。
 たとえば、や。
 俺のはす向かいと斜め後ろに一人ずつ、スーツ着たおっさんが立っとることとか。
 部屋には俺とそのおっさんら含めて、合計四人しかおらへんのに、ばりばり人の気配がするところとか(多分そこらへんに隠れとんやで)。
 二条城の大政奉還よろしく、でーんと広い板張りの和室、その一段高くなった畳の上に、脇息にもたれかかって、和服姿のばぁちゃんが、俺の差し出したもんじっと眺めて何もいわんこととか。
 俺の周りはびりびりしとんのに、障子が開け放された向こうに見える、整えられた日本庭園やら、そこに響く獅子脅しの音やら鶯の鳴きやらがやっけにのどかで。
 それが不気味で。
 ばぁちゃん、つまり蓮子さんが、顔をあげる。
 止まっていた時間が動いた。蓮子さんの微笑が、時間をゆるりととかす。
「はい確かに」
「……か、確認せんでもえぇんか?」
「今更確認なんてしませんよ。貴方が終わりというのだから、終わりなのでしょう……羽崎」
 そういって軽く挙げられた蓮子さんの手は、びっくりするぐらい白くて綺麗や。最近の若いねーちゃんら以上に。ホンマ。
 蓮子さんの合図に従って、傍に控えていたとっぽい感じのおっさんが動いた。常にぼーっと白昼夢みているような感じが漂うおっさんやけど、動きはそれを裏切って俊敏。無駄がない。
 羽崎のおっさんは俺のほうに歩み寄ってきて、俺の目の前の風呂敷袋を取り上げた。
 蓮子さんが、微笑む。
「よくがんばりましたね、流さん」

 人生を、川に喩える奴がよぉけおる。
 誰が最初に言ったんかしらんけど、うまいこといいよるわ。そう思う。
 はたから見たら川の流れなんて全然変わらへんように見えるけど
 きっと小さな一つにさえそれは反応して、うんと下流でうねりが変わってたりするんかもしれん。
 柳は、俺にとってその小さな小石みたいな奴。
 小石ちゃうな。俺という河のほとりで葉っぱ揺らしとる、“柳”や。
 俺の河のほとりに生えて、その枝先で河の流れをちょちょいと変えてしまう。
 時に水が澱まないように、浮かぶ葉先で流れるべき場所を指し示している。
 瀬田柳は、そんな女やった。

その河のほとりに彼女が

がちゃ
 勢いよく車の扉を開けると、俺は素早く助手席に身体を滑り込ませた。
 運転席に腰をおろしとんのはマネージャーの葛西ちゃん。栗色のふわふわの髪と、とろんとした瞳。そしてとてつもない童顔。運転席に彼女がすわっとることがものごっつう珍妙に見える。ほやほや〜とした雰囲気をまとう、どうみても高校生程度にしか見えへん彼女は、これでも俺らの敏腕マネージャー。最初J&Mから紹介されたとき、冗談やろ思うたけど。大体始めて会ったときからして、俺は高校生のアルバイトか思うた。
 年齢は不詳。でも俺らのデビュー当時から、相手してもらっとうし。考えるん怖いわ。
 その葛西ちゃんが、にこっと微笑んでエンジンをかける。
「お疲れ様〜。終わったの?」
「うん。終わった」
 屋敷の土塀に車をくっつけるようにして、葛西ちゃんは待っとった。普段は俺一人やけど、今日はこのあと仕事入っとぉししゃぁない。だけど目立つんやって、この赤のキューブ。せめてもう一方のやつにしてくれりゃえぇのに。
「長かったねぇ」
 車を発進させながら葛西ちゃんがいう。
「もう十年以上だもん」
「そやなぁ」
 俺はゆっくりと窓の向こうで流れる、土塀に囲まれて見える日本家屋の屋根を見送った。
 年にたった二回や。盆と正月。仕事が入っているときはともかく、その時期の前後に一回ずつ、顔見世を要求した。
 そのときに、金を支払うんを要求した。
 それが、条件やった。
 俺は口元に微苦笑を浮かべていった。
「だけど、早いもんやな」
 十年以上。
 時の流れなんて、ホンマ、早いもんや。

 俺の名前は増島流。J&M所属のロックバンドグループMARIAのギターを担当しとる。最近はバンド活動だけじゃなくて、バラエティー番組の司会やらなんやらが多い気もするわ。週に一回のレギュラー番組と、コンサート、そして時々舞台、ドラマ、映画。それなりに、忙しい日々を送っとる。
 十年以上前。
 俺はまだ、特攻隊なんていうもんに入ってて、学校もろくにいかんと一日中バイク乗り回しとった。あの頃は、芸能人になってテレビに出るなんつうもんはどっか別の世界の人間がやるもんやと思っとった。
 だってそうやろ?悪のレッテル張られた俺が、今は日本国民に夢を見させる仕事しとるなんて、普通考えられんって。
 あるときを境に、俺の世界は大きく変わった。
 退屈で平凡で死にそうな世界から。
 生きるということを噛み締めて生きる世界に。

1988年 冬

つまらんつまらんつまらん。
 毎日が窮屈。毎日が退屈。毎日が怠惰。
 同じことの、繰り返し。
 特攻隊に入ったきっかけはなんやったんかなぁ。多分些細なことやったに違いない。バイクにあこがれたんも確かやし、仲のいい先輩に誘われたことも事実や。
 やけどそれ以上に、このつまらん日常から、少しは抜け出せるか思ったんかもしれへん。
 でも結局、たいした刺激を俺に与えてはくれへんかった。
 馬鹿みたいにバイクにのめりこんだんは、いつもと違うあのスピード感に酔うことができるから。
 進んで人から後ろ指さされる族に入ったんは、喧嘩したって大して回りに騒がれへんからや。俺だって最初はこんなんちゃうかった。
 ただちょっとばかり、喧嘩っ早いだけで。
 まぁ下の奴らの面倒みるのは嫌いちゃうかったから、いつの間にかよおけ後輩ができとったりしてな。それなりに、楽しんどったんかもしれへん。
 だけど何かが空っぽで。
 じわじわと何かが腐り落ちていく感覚を、常に味おうとった。

「う、流おい」
「あん?」
 いつものたまり場で煙草をすいながら、俺は我に返った。隣でダチがきょとんと目を丸めとる。特に何を考えていたというわけとはちゃう。何も、考えとらんかった。
 最近、特にこうなる。スピードに酔っている瞬間、仲間たちと笑っている瞬間、喧嘩に明け暮れている瞬間に。
 世界がうんと遠くなるんや。音も、色も、全部がふっと消えてなくなって、俺だけが取り残されてしもうたように思える。
 俺を呼んだのは、モトミチ。飯田基道。俺とおんなじ頃にこの隊に入ってきたダチで、付き合いは長いほうやな。丁寧に反りこみの入った頭、釣りあがった目、着込んだ特攻服。精一杯突っ張ってはいるけどどうしても幼い感じがぬけきらへん。体格は俺よりも一回り大きいけど。
「しっかりせぇよ。今神崎さんが話してくれとんのにお前」
 基道が咎めるように言う。俺は面を上げて輪の中心に腰掛けている神崎さんを見た。
 神崎さんは俺らの隊のリーダー。長い間この隊をまとめている人やったんやけど、違う県に行くとかで隊を抜けることになった。ぼうっとしとったけど、話をまったく聞いとらんかったわけとはちゃう。だけど罰が悪かった。この人は、俺をとても可愛がってくれとるひとやから。
 面をあげると、神崎さんのからかうような笑みが目に入る。
「なんや流。俺の話そないにつまらんかったか」
「いえ!そんなことないっすよ。ただ単に寝不足やっただけです」
「なんや女でもひっかけとったんかいなお前」
「無理ですって神崎さん。女みたいな顔しとるしこいつ〜」
 神崎さんの皮肉に、基道が突っ込みを入れる。はじける笑い。俺はへらりと笑って横の基道を軽く小突いた。
「すんません神崎さん。俺やっぱ寝に戻りますわ。ほんま、やけに眠うてしゃぁないんです」
「大丈夫かぁ?へんな薬やっとんとちゃうやろな?」
「ちゃいますよ〜」
 俺は笑って立ち上がり、背後のバイクのエンジンをかけた。どん、という低い音と振動。燃料が食いつぶされていく音が、鼓膜を激しく奮わせる。
「神崎さん、こんどいつ来とってんですか?」
「さぁな。やけどまた来るし。これが最後とはちゃう」
 神崎さんは膝に腕を乗せて、袖を通さないまま特攻服を肩に引っ掛けて俺を見上げとる。大勢隊のやつはいるけど、この人だけは貫禄が違うた。
 なんやけど少し、この人は寂しそうに笑うな、と俺はいっつも思う。
「そんじゃ、すんません神崎さん。先、失礼します」
「気にすんな。居眠り運転して事故んなよ」
 じゃぁな、またな。仲間たちが神崎さんについで口を開く。俺はひらひら手を振って、バイクにまたがった。

 眠いというんはまぁ嘘とちゃう。ここのところごっつう眠かった。だけど俺は、転がり込んでいる友達の家には向かわず、町からバイクを飛ばして、郊外に出かけた。理由は簡単。ぎらぎらまぶしいネオンが、うっとおしかったんや。
 奈良はひとことで言うてまえば田舎や。観光名所として夜でもにぎやかな場所はあるけど、そんなんちょっと外へでれば寺院だの畑だの山だのばっかが並んどる。俺は河の土手にバイクを止めて、橋桁のほうへと下った。草は滑った。根元だけほんの少し緑を残して、葉先は茶色い。空気が冷たく、肌を刺すようやった。 奈良は山んなか。いくら太平洋側やゆうても、真冬は寒い。
 草の上が濡れとらへんことを確認して、俺は腰を下ろした。特攻服は脱いで、代わりにジャケットを着た。こんなことしたら、基道のやつは五月蝿ぁにいうけど、どうせここには俺一人やし。
 本当は、あんまり派手なことは好きとちゃう。みんなで集まってしゃべるんも、バイク乗り回すんも嫌いとちゃうけど、ぱっぱぱっぱ五月蝿ぁに騒ぎ立てるんは、俺は実は飽きとった。基道がかっこいいいうもん全部が、俺には真っ白に見えてしまう。それでも隊に入っとったんは、一度悪の烙印押されたやつにはどこも他に行くところない思とったからやった。どこいっても白い目で見られる。親父もおかんも俺のこと腫れ物にでも触るように扱って、それが嫌で俺は飛び出した。もうとっくの昔に縁は切れとる。学費だけは、振り込まれとったけど。
 でもその学校へいっても一緒やった。
 あそこしか、俺が行くところがなかったんや。
 やけど。
 何もかもが、退屈やった。何もかもが、つまらへんかった。
 俺は煙草を口に咥え、ライターを取り出した。オイルがなくなっているんか、なかなか火がつかへん。いらいらした。そして苛立ちに任せるまま、そのライターを河に投げ入れる。
ぽちゃん
 そんな音とともに撥ねた水の傍で、人影が揺らめいた。
俺は目を細めた。俺んとこからその人影んとこまで、ちょっと距離があって、しかも夜で真っ暗なもんやから、その姿を確認するには、よく目を凝らさなあかんかった。
 時々橋の上を通る車の明かりが、ぼんやりと輪郭を映し出す。
 女や。
 つか、ガキの。いやつか俺もガキなんやけど。中学生ぐらいの女が、このめちゃ寒い中裸足で、ぼうっと立って、水面を見つめとる。車のヘッドライトのおこぼれに、一瞬だけ照らされた横顔が、氷みたいに冷たい印象を与えとった。
こないに距離があるのに、なんでか俺には、その目の虚ろさが手に取るようにわかってもうた。
 まるで、自殺志願者のような、虚無の目。
「おい」
 思わず俺は立ち上がって、声をかけていた。
 女はくるりと俺のほうを向いた。目があう。女は身体を一瞬震わせた。傍らにおいてあったらしい靴を履いて、逃げるように走り去ってしまう。
「お、おいまてや!」
 だけど女は聞く耳持たない。その逃げ方といったらまさしく脱兎のごとく。
 俺はその逃げ足の速さにあっけに取られて、しばらくその場から動くことが出来へんかった。



back//next//index