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2.

  それ以来その女のことを忘れられんかった、なんてロマンティックさを俺に求めるんは間違うとる。
 実際綺麗さっぱり忘れとった。変な女。その程度にしかおもっとらんかった。
思うとらんかったのに、一目見てその女や判ったゆうことは、確かにどこかで気にかけとったんかもしれへん。
「いい加減にして!しつこんやあんたたち!」
 その女は、ちっさい身体を命いっぱい広げて、気分悪そうに腰を折っとる女の前に立っとった。
 冬のけだるい午後や。空はくすんだ灰色をしていて、今でも雨が降ってきそうな按配やった。えらく寒いから、もしかしたら雪になるかもしれへん。前日は明け方まで仲間たちとバイク乗り回してたわむろっとった俺は、欠伸をかみ殺しながらぶらぶら煙草を求めて街を歩いとった。
 そのとき路地裏から響いてきたんが、その女の声やった。
「うっせぇなぁこのくそガキ。マワしてまうでお前!」
「ぎゃははは」
 ついでに、品のないっつたらあれやけど、まぁ馬鹿そうなやつらの声も聴こえた。 その仲間なんやなぁ俺も。傍から見たら俺もきっとあないな感じにみえとんやろなぁ。
 二人のヤンキーとそのガキの応酬から判断するに、どうやらなんつか、あの女が庇っとるおばはんの金が目的らしい。確かに品がよくて、金もってそうなおばはんやけど、だからいうてこんな真昼間から堂々とカツアゲしてどないすんねん。しかもあんなガキとおばはん相手に。
「おいお前ら」
 実はカツアゲしにかかっとうアホ面二人組みには、俺も見覚えがあった。同じ神崎さんの隊に、最近ちょくちょく出入りしとるやつやった。まだ話したことはなかったが、相手も俺のことを覚えとったらしい。俺みて顔色かえよった。
「あ、あっと……増島さん」
「お前ら女二人になにきばっとんや。金ほしいんやったらリーマンの爺ぼこしてくりゃええやろ」
「いや、ですけど、このババア俺らに金払うゆうたのに払わへんかったから」
「違うやんか!」
 俺らの会話にあのガキが声を張り上げる。
「この人あんたらがタクシーよんでくれたらお礼するいうたのに!あんたらまだなんもしてへんやん前払いやいうて!さっさとどっかいって!あたしが呼んでくるわ!」
 俺ははーっとため息をついて空を仰ぐと、二人組みを睨み付けた。なるべくドスの聞いた低い声で命令する。
「お前ら、どっかいけ」
「え、ですが」
「どっかいけいうたんが聴こえんかったんか。こんな昼間っからあほなことしくさりおって、神崎さんの顔に泥ぬるつもりかゆうとんや」
 だったら夜はええんかいう突っ込みはなしにしといてや。俺らやって好きでトラブルに首突っ込むほどアホとちゃうで。俺らの好きなバイクと酒と煙草。それでポリに難癖付けられるんは税金みたいなもんや俺らもおもっとるが、昼間は人目も多いし、下手に通行人ぼこして警察沙汰になるんは、なんつうか面倒や。情けないリーマンのじじいやら、けばいだけのくそばばぁはいなくなってまえとか思って、殴ってもまぁ胸痛まへんけど、こんなガキといかにも具合悪そうな女から金巻き上げて、なんとなく胸糞わるうならへんか?金はどないに汚れとっても金やけど。巻き上げたあと女の顔がちらつくんとちゃうかとか思う俺は、まだ甘いんやろか。
 俺はため息をついて、もう一度繰り返した。
「いけや」
 二人組みがちらちら振り返りながら本通りへと紛れていく。その背中が見えなくなったところで、俺はその女どもを省みた。
ガキは、びく、と身体をすくませた。中学生ぐらいや思った俺は、多分間違ってない。ふわふわした黒髪を三つ編みにして両肩にたらして、生意気そうな目をした女やった。発育はとことん悪い。がりがりで、身に付けとるセーターとデニムのジャンパースカートがガキくささを引き立てとる。やけど身長は結構あった。顔立ちは悪くない。なかなか可愛い顔をしとる。睨みつけているせいで、台無しやけど。
「よびにいかんでええんか?」
「……は?」
「タクシー。おばはん具合悪そうやんか。呼びにいくんやろ」
女は怪訝そうに眉を寄せて、躊躇いながら聞いてくる。
「……あんた、この人に何かしよういうんちゃうん?」
「……してもえぇけど、それよりも助けて金もろたほうが楽やんか」
 タクシー呼びにいく程度で礼がもらえるんやったら、人殴るよりは後腐れがない。たとえ相手が、俺のことこわがっとったとしてもや。そうやろ?
「お礼してくれるんやろ、おばはん」
「……えぇ」
 ガキの後ろのおばはんは、しっかりと微笑んだ。だけどホンマに具合わるそうやった。俺はすこし考えて、そのおばはんを背に負ぶった。
 慌てたんは、ガキのほうや。
「な、なにすんのあんた!」
「うっさいわ呼びにいくんよりこっちのほうが早そうやろ。ほらいくで」
「お方さま!」
 お方様?
 割り込んできた男の声に、俺とガキは目を見合わせた。えらい珍しい呼び方や。しかも古臭い。
 路地裏の入り口を見やると、スーツを着込んだとっぽい感じの兄ちゃんがたっとった。
「お方さま!一体どこに行かれたのかと思ったら……お前、お方様に何を」
「落ち着きなさいな羽崎。……この人は私をタクシー乗り場まで運んでくれようとしただけですよ」
 羽崎、と呼ばれた兄ちゃんは糸目を困惑にさらに細め、俺の背からおばはんを受け取った。
「北見!こっちだ!」
 おばはんを受け取りながら、兄ちゃんが叫ぶ。続いて現れたのは、俺が目を見張るほどごっつい兄ちゃんやった。レスラーのような体格に、真四角の顔。薄い唇を引き結んで、仁王立ちされたらこちらがかなわん。
 ヤンキー二人にもひるまへんかった女が、目を丸めて立ちすくんでいた。
「突然お出かけになられると、皆がうろたえますお方様」
 北見、と呼ばれた兄ちゃんは、ずん、と響くようなバリトンでそういった。抑揚のない、淡々とした声音やった。
「ごめんなさい。……北見、そのお二人にお礼をお渡しして。お世話になったの」
 北見の兄ちゃんは眉をひそめ、俺らを観察した。やけどもそれは一瞬のことで、胸ポケットに手を伸ばし、黒皮の財布から一万円札を四枚枚抜き取って、俺らに二枚ずつ手渡した。
 その金額に、俺らのほうが仰天してまう。
「あ、あああたし、こんなのもらえへん!」
 二枚の一万円札を握り締めて、女が叫んだ。俺はもらっとけるものはもらっとくけど、礼やいうて二万円ぽいっと出す人間はまぁマトモとちゃう。
 羽崎の兄ちゃんの背中で、おばはんが笑った。
「いいのよ。本当に助かったのです。ありがとう。もしよろしければお名前をお聞かせいただける?」
 女はうつむくと、震える声で名前をつむいだ。
「……柳、です。瀬田柳……」
「そちらのお兄さんは?」
「……流や。増嶋」
「そう。柳さんに、流さん。いい名前ね。……私は蓮子といいます。また縁があったらお会いしましょうね?」
 具合が悪そうなことなど微塵も感じさせない穏やかな声音で、おばはんはそう言うた。
 兄ちゃんたち二人組みが軽く頭を下げて、そのまま素早く立ち去っていく。俺と女――柳は、しばらく並んで呆然としていたが、突然鳴り響いた車のクラクションに、柳のほうが一足早く、我に返った。
「……帰るわ。あたし」
「……お?おお」
 柳はすたすた歩き始めた。握り締められた二枚の一万円札を素早くスカートのポケットに突っ込んで。
 最後に、柳がくるりと振り返る。
「ありがとうね。あんた見かけによらずええ人やねぇ流」
「……て、め、くそガキ。気安く人の名前呼び捨てにすんなや」
 柳はにっこり笑って、走り去っていった。あの、土手のところで見かけたときと同じように、逃げるような速さで。
 痩せた背中が、大通りの人ごみにまぎれて消えていくのを、俺は黙って見送った。

「どうしたんやコレ」
「なんでもない」
 夜のいつものたまり場。廃ビル横の駐車場で、俺は基道と、可愛がってる後輩数人、そしてあの二人を呼びつけて、酒をおごった。無論あの金で。
「結局、金ハグったんっすね」
 と、にやけた笑いの二人組みが耳打ちしてくる。阿呆そんなんとちゃうわと胸中で呻きながら、曖昧に笑みだけ返しておいた。俺が人助けしたなんていうたら、横の基道が何いうかわからへんし。喧嘩に負ける気はせんけど、うざったい。
 なんであの金をさっさと使うことしたんかいうたら、忘れたかったからに他ならへん。
 あの、「いい人やね」いうて、無邪気に笑いよった女の顔。
 俺は、いいひとなんかとちゃうし。
 何故だかはわからん。だけど俺は。
 あそこであったことの名残を、全部どっかへやってしまいたかったんや。

 一ヶ月たつ頃には、俺も記憶が薄れはじめとった。なのに、二度あることは三度あると誰がいうたんかしらんけど、まさしく俺は運命にもてあそばれるがごとく、三度目の出会いを果たしてもうた訳や。
「流!」
 ばしん、と背を叩かれて俺は振り返った。振り返らんでも、その声の主が誰だかはわかってまう。
 俺の頭半個分下に女の顔がある。ふわふわ三つ編みは相変わらず。幼い顔をにま、と笑みにゆがめてその女は俺の背後につっ立っとった。
 俺はきょろりと周囲を見回して、見知った顔がまったくないことを確認した。こんなところを仲間にでも見つかったら、何言われるかわからへん。
「……人の名前勝手に呼び捨てにするな、言わへんかったか柳」
ところがや、この女こともあろうにきょとんと目を丸めて。
「驚いたわ〜。あたしの名前覚えとったんやなぁ」
 なんて言いおった。
 俺はがっくり肩を落とした。どうしたの?と覗き込んでくる幼い顔に、俺は低く呻いてやる。
「……お前俺が覚えとらんかったらどないするつもりやったんや?」
「えーどうもせぇへんよ。すいません人違いでしたいうて謝るだけやもん」
「おんどれ、俺がどんな人種かわかっとらんやろ」
「ヤンキー?」
「……わかっとるやんか」
 俺やからええけど、下手したらそのままボコされる。柳は華奢な身体しとった。一回殴られるだけで、血反吐はいて気絶するやろう。
 だがこの女、能天気ににこにこ笑っとるだけや。一般常識かねそなえとる人間やったらまず、そんなふうに笑ったりはせえへんやろ。逃げていくんが普通や。
 俺は眉を潜めて、柳に問うた。
「……お前、俺怖ぁないんか?」
「怖い?ううん別に。ええ人やっていうのわかっとるし」
「俺は別にええひとちゃうで」
「人助けしたやんか」
「あれはなんつか」
 成り行きで。
 別に人助けがすきなんとちゃうし、したかったわけでもない。女二人非力なもんを相手に威張ったところで力の証明になんかならへん。なのにソレをしとるあの二人が、無性に気に食わんかった。ただそれだけや。
 俺は言葉を濁して、そのまま柳を無視することに決めた。元のラックを眺め、一本一本カセットテープを品定めしていく。
 ここは町の一角にあるレコード屋やった。だんだんレコードは姿を消すようになって、今はラックの大半を、カセットテープが占めとった。CDとかいうやつもちらちら姿を見せ始めよるけど、デッキをもっとらへん俺には手が出せへん。
「へぇ」
 俺の手元を覗き込んだ柳が、感心したように呻いた。
「ギター好きなん?」
「……まぁな」
 クラシック、エレキ。どちらも俺はいける口や。今はもうほとんど、弾くことはないけど。
 だけど時々こうやって、テープの物色なんかしとる。音楽はバイクとはまた別に、俺をどこか遠くへと連れ出してくれる便利なもんやった。
 かちゃかちゃとテープを出し入れしていると、横で俺の手元の観察に飽きたらしい柳が同じようにテープの物色を始める。俺がちょろっと動けばこいつも動いて。場所を完全に移動してもぴったりくっついてきて。
 俺は元の場所に戻り、テープを全てラックに戻して、柳の頭を勢いよくわしづかみにした。
「うぎゃっ!いーいーたーいーたたたたた」
「おーのーれーはー!なんなんや用事がないんやったらどっかいけ!」
 叫びながら俺は、柳の髪をかき回す。柳はやめてーと悲鳴を上げた。俺の手を振り払い、涙目でぐしゃぐしゃになった髪を撫で付けながら叫んでくる。
「いたいわど阿呆!乙女になにすんねんあんた!」
「ど、あほっ……この、何が乙女や乙女がうぎゃっとかいう叫び声あげるか!」
「そんな下品な叫びあげてないー!」
「あげた!」
「おいお前何をしている!」
 割り込んできた声は巡回しているポリ公や。青少年教育とかいうて、平日の昼間をぶらついている俺らみたいなんを取り締まるやつやった。俺は慌てて柳の手を引いてレコードショップをとびだしとった。背後で怒鳴り声がするけど、そんなん気にする俺とちゃうし。
「ちょ、おね……り、りゅう!お願いや!とまって!」
「は?」
 どれぐらい走ったやろ。煙草のせいで体力のうなったなとか思いながらもまだ走とった俺は、か細い声を聞いて振り返る。そこには、あの世へ行ってまうぐらい息を切らしとる柳がおった。
 立ち止まって、目を見開いて俺は尋ねた。
「……なんでお前まで付いてくるん?」
「な、流があたしの手ぇひいとったからやろ自覚ないんかいなアホ!」
おぉ?
 驚いたんは俺のほうやった。確かに……なんかしらへんけど俺の手には柳のちっこい手が握られとる。ぱっと手を放し、その空いた手をそのまま頭にやって俺は弁解を試みる。
「……いや、だって……ほら、あれや。お前に加害者や、言われて騒がれるん、面倒やとおもて」
「なんであたしが流のこと加害者やいわなあかんのよ。なんもしてへんやん」
 そりゃ髪の毛ぐしゃぐしゃにしおったけど、と柳は付け加えながら髪の毛を梳く。変な女やわ。俺のこと、ごく普通の人間と同じように扱いよる。
 ぶつぶついう幼い顔をみる俺の脳裏に、ふと、疑問が浮かんだ。
「そういやお前、学校どないしてんや」
 一応高校に席は置いとるけど、まともに出席してない俺がいえるこっちゃない。でも今は思いっきり昼間や。しかも平日。半日でもないはずやし。
「中学生がほろほろサボってええとおもっとるんかいな」
 俺も中学まではまじめに行っとった。一応。自慢にもならへんけど。
 髪の毛を結うとった柳は、突然顔を紅潮させて俺のほうに向き直った。
「中学生!あたし中学生とちゃうで!」
「はぁ?じゃぁ小学生いうんか?」
「めっちゃ失礼やわあんた……あたしこれでも十七なんやで義務教育なんてとうに終わってるわ!」
「……げ、俺と同じ年……」
 俺は今年で十八になる。ということは、柳は俺と同じ学年か、一つ下ということや。俺は腕を組んでまじまじと、改めて柳を頭のてっぺんから、つま先まで観察した。
 その視線にたじろぎながら、柳が呻く。
「……な、なんやの?」
「お前やっぱり嘘ついとんのとちゃう?だって17でこんな幼児体系ありえ……いだっだだっつ」
 柳は口元を引き結ぶと、俺の脚を力いっぱい踏んづけよった。しかも体重をかけてぐりぐりぐりとさらに足に力を込めよる。俺は柳の肩をひっつかむと、力いっぱい引き剥がした。
「いだだだっやーめーいおんどれ!」
「うっさいあんたが先に失礼なことをいうてきたんやろ!正真正銘の十七やもん。高校にはいっとらへんけど」
 語尾の勢いを少し弱めて主張する柳に、俺はきょとんと目を丸めて訊きかえした。
「……は?じゃぁお前なにしとるん?」
柳は肩をすくめ、さらりと言った。
「働いとるにきまっとうやろ」



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