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EX.1 黒のワンピース




 黒のワンピースを買った。

 体に添った、絹に似た光沢ある生地。スカートは膝丈のマーメイドライン。サイドは斜めに切れ込みが入っていて黒のレースが微かに覗く。
 生まれて初めて買う、黒の私服。それもあまりに大人過ぎるデザインだった。
 普段のわたしを知るひとたちなら誰もがびっくりしてしまうほど、明らかに不似合いなその服を衝動買いしたのには理由がある。

「妹さんですか?」

 店員さんはきっと悪気なかった。彼女ですよと即答した暁人さんに、青い顔を向けていた。
 でも店員さんの感想は正しい。仕事帰りの暁人さんはスーツ姿。大学帰りのわたしはカジュアルな私服。ちぐはぐなふたりだったと思う。
 いくらおしゃれをしていても、きちんとした、できる男のひと、そのものの彼の隣を歩くには、わたしはあまりに子供っぽすぎた。
 暁人さんに相応しい、大人の女性になりたかった。
 可愛がられるだけの、女のこじゃなくて。暁人さんに、恥をかかせるような、こどもじゃなくて、大人の。

 翌日、幼なじみに付き合ってでかけたブティックで見つけたワンピース。それに相応しいパンプスも。フォーマル過ぎない、甘さある、きれいな二品にクレジットを切った。
「買ったはいいけど、私には可愛いすぎるの。だからあげる!」
 幼なじみから譲り受けた、ほぼ新品の白のファーコートも以前なら大人すぎて見向きもしなかった。
 自室で何度身につけても、やっぱりわたしはちんちくりんのまま。ワンピースと靴、ファーコートはそのままクローゼットの奥で冬を越すかに思われた。

「木曜の夜、空いてる?」

 少し早いけど、クリスマスのディナーに行こうと彼が言った。聖夜は彼は仕事でわたしにかまっていられない。その代わりに。
 仕事を定時あがりにさせてもらうから、と彼は言った。都内で待ち合わせようと。
 わかりました、と返事して通話を切り、わたしはクローゼットをあける。ワンピースを取り出し体に当てた。それで似合うようになるわけではないのだけれど。
 ため息しかでない。なんでわたしは、こどもなの。膝を抱えてわたしはじっと、カーペットの上に広げたワンピースを睨んでいた。


 約束の夜。クリスマスイルミネーション映える、ホテル前。現れた暁人さんは、驚きに目を見開き、ぎこちなく微笑んだ。
「御免ね、待たせて」
 わたしたちは手を取り合って、席抑えたレストランへと向かう。冬の外気に晒された手は冷えて、わたしは指の震えを隠すように彼の手に縋っていた。
 暁人さんは何も言わない。いつもと装い改めたわたしに、戸惑いに似た目を向ける。やっぱり、にあわなかったかな。自嘲の溜息がおちる。
 そのときだった。
「緊張するね」
 ふたりきりのエレベーターの中で、暁人さんが零した。
「緊張?」
 聞き返したわたしに彼は笑って頷く。
「女の子って怖いな」
 苦笑した暁人さんは不意をついて、わたしの唇に口づけた。
「急にきれいになるから」
 エレベーター内の壁に張られた鏡に、わたしの唇を味わう暁人さんの影が映る。照明が落とすやわらかな黄金色の明かりが、彼の瞳に射している。
 顔に宿る熱と、口づけの甘さに眩むわたしに、きれいだ、という彼の声と、到着を告げるベルが、重なって響いた。
 わたしの指をうやうやしくとり、彼は足を踏み出す。同時に空いた方の手の親指で唇に付いたルージュを拭い、舌先がおいしそうにその紅を舐めとった。


 たどり着いた店先で、案内の紳士がにこやかに微笑む。
「すてきなお連れのかたですね。うらやましい」
「ありがとうございます。でも……渡しませんよ」
 暁人さんはひそやかに笑った。
「誰にも」
 ねぇ? と同意を求める彼にわたしは頷く。

 えぇ。あなたがもとめてくれるかぎり、えいえんに、あなただけの。



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