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終章 決意する人々 1


 ペルフィリア王城が静けさを取り戻して半月も経てからゼノがマーレンから帰城した。
 彼は執務机に着くディトラウトの前で踵を打ち鳴らし仰々しく敬礼する。
「ただいま戻りました! 宰相閣下」
 能天気とすら思える明るい声が恨めしく、ディトラウトは黙したまま目線だけを上げた。ゼノが苦笑する。
「……なぁんか色々大変だったみたいだね。帰ってこられなくてごめん」
「仕方がない」
 ディトラウトは筆記具を置いて息を吐いた。ゼノの不在は理由あってのことだ。責められない。
「陛下には仔細を奏上しましたか?」
「いいや、まだ。……陛下、また体調思わしくないの? サガンのじっちゃんから面会ならぬ拝謁謝絶を食らいましたけど」
「色々ありましたから。怒りが体調を左右している部分もありそうですが」
 マリアージュたちが帰国した直後は手が付けられなかった。憤死するのではと案じたくなるほどだったのだ。
 それでも主君がマリアージュたちの追撃を命じなかったその訳は、ドッペルガムの高官が巻き添えになることを危惧したためだ。どうしてドッペルガムがしゃしゃり出てきたのか――ファビアンとダイの関係を橋渡しした男は、使節団の案内人だったというダダンだろう。かの国の外務官とあの情報屋が城下で食を共にしていたことまでは明らかとなっていた。かねてからの知人だったのかもしれない。
 もっともファビアンたちの存在は単なる偶然に違いない。デルリゲイリアと友好関係を結んでいるなら、ドッペルガムはもっと早く口出ししていたはずだ。
「話は聞いたよ。デルリゲイリアの皆様もなかなかやるねぇ」
 長椅子にどかりと腰を落としてゼノはマリアージュたちを賞賛した。
「俺たちの手から逃げ出しただけじゃない。これで俺たちはやっこさんに手を出すときはもっと慎重に方法を考えなければならなくなったわけだ」
「しばらくは放置することになりそうですよ。我が家で動き回る鼠の駆逐にまず専念することになりましたのでね」
 ダダンに城内潜入の手引きをした男は、探していた獲物であったと報告があり、それがますますセレネスティを激昂させた。間抜けにもほどがある、と。
 ディトラウトは椅子の背に重心を預けてゼノを見た。
「では、陛下の代わりに伺いましょうか。マーレンでの、ことの顛末を」


「結論から言う」
 ダダンの低音はそれほどの声量でなくともよく響く。
「マーレンの元領主、エドモント・チェンバレンを襲ったのは賊じゃない。他でもないセレネスティたち。そして俺たちを襲ったのは……エドモント側の残党だろう」
 一同の咽喉を鳴らす音が静寂を揺らし、ダイは注意深く周囲の様子を窺った。
 ペルフィリアから追ってくるものもなく、無事にデルリゲイリアに帰還して五日目。マリアージュとロディマス、アッセ、ダイ、そしてダダンの五人は、数ある会議室の一室に集まっていた。マリアージュがダダンに依頼していたマーレンでの調査の報告を聞くためである。
 暖色の絨毯に刻印される光はきれいな窓のかたちをしていて、日差しに温まった玻璃の彼方では雲がゆったり空を横切っている。気温は寒すぎず、暖かすぎず。うたたねしたくなるような、気持ちのいい昼下がりだ。
 そんな外の陽気に反して、室内の空気は重かった。
「俺たちが遭遇した件とチェンバレン候の館が焼け落ちた件には繋がりがあると踏んで、俺はまず後者を調べることにした。その際、俺はふたつの仮説を立てた。一、単なる賊による襲撃。二、反女王派による襲撃。……この反女王派っていうのは、セレネスティが併合した二国の残党だな。それぞれの国の王族は根絶やしにされているが、その信奉者が密かに生き残って復讐を企てていたとしても不思議じゃぁない。俺はまず一番目を却下した。マーレンの防備は堅牢だ。まず侵入するのに頭を使う」
 それはマリアージュもマーレンで指摘していた点である。
「チェンバレン邸自体も無防備じゃない。金品目当てに襲うにはあまりにも危険がすぎる」
 よって、ダダンは一番目の予想を却下とした。
「そこで二番目の仮説だ。俺は以前、チェンバレン邸の火事にディトラウトが巻き込まれたと聞いていた。宰相を暗殺するために賊に扮し、チェンバレン邸を襲ったっていうなら頷ける話だ。ただし俺たちが遭遇した件との繋がりは薄くなる」
 ディトラウトが去った後の廃墟に危険を冒して戻ってくる可能性は低い。するとダイたちを襲撃した者はまったく別口の人間ということになる。
「ところがだ。よくよく話を聞くと、使用人のひとりが助けを求めて町人の家に転がりこんだのは、ディトラウトが到着する前のことだったんだ」
 つまり。
 暗殺者はお粗末にもディトラウト不在の館を夜襲したということだ。
「そもそもディトラウトがマーレンに来たこと自体、かなり唐突なことだったらしい。そんな情報を得られる立場にあった敵が、標的不在の館を襲うっつう失態を演じるとは思えん。そこで俺はもうひとつ仮説を立てた。ディトラウト自身が兵を率い、エドモント・チェンバレンを急襲したらと考えたんだ。そうすると……全てのつじつまが合う」
 水で口を湿らせたダダンが、斜向かいのダイをひたりと見る。
「ダイ、たとえば敵に前触れなく攻撃されて逃げなきゃならんとき、相手に見られたくないようなものがあるとしたら……それを持ちだせないような状況なら、お前、どうする?」
「えぇ? えーっと……」
 唐突な問いに困惑しながら、ダイは必死に頭を絞った。
 どうしても持ち出せない。だが相手の手に渡ることだけは避けたいとしたら。
「出来る限り処分するんじゃないでしょうか。書類なら燃やしたりして……あ」
 マーレンの領主の館は“焼け落ちた”のだ。
 すなわち、火を放ったのは――……。
「ディトラウトたちが館を燃やす可能性もなくはない」
 と、ダダンは言った。
「だがそうすると、新しい領主を据えるのが遅れて、マーレンの情勢が不安定になる。避けたい事態のはずだ。襲われた領主の方が何かの隠滅を図って屋敷を爆破、あるいは自決した。ゼノ・ファランクスを含む中央の奴らが残っていたのは焼け跡に何か残されていないか調べるため。実際、俺がマーレンにいた三日間、館には絶えずゼノの部下がうろうろしていた。……そして俺たちを襲ったのは全てきちんと葬られているか確認しにきた輩――そう考えれば、一切の筋が通る」
「……だとしたら」
 マリアージュが小首を捻る。
「どうして領主はディトラウトに襲われたっていうの?」
「反女王派だからだろう」
 ダダンは断定を避けた。
 しかし声音はそれに近い響きを持っていた。
「君の仮説を採用するとなると……領主が隠滅したのは仲間の一覧とか、そういうものってことか」
「だろうな」
 ダダンがロディマスに同意する。
「この推測で重要なのは、セレネスティは身内に反女王派を抱えているっつう点だ。つまりペルフィリアは見かけほど内情穏やかじゃぁないっつうことになる」
「だからこそ……周囲の侵略を急いでいるんだろうか」
 呟いたロディマスへ視線が一斉に集まった。
「国内の平定にじっくり取り掛かっていたら大陸の覇者の座なんていつ手に入るかわからない。内部から食い破られる方が早いか、それとも自分が全ての頂点に立つ方が……セレネスティは競争しているのかもしれない」
「これからもペルフィリアの動向は注意してみておいた方がいいだろうな。セレネスティがこの国を手に入れたがっているってはっきりしたんだ。また何らかの手でこの国を切り崩しにきっと来る」
 ダダンは水を一息に飲み干して、空になった高杯を音高く置いた。
 さて、と彼は嗤う。
「報告は以上だ。約束の報酬を貰おう」


 開いた扉からさわやかな空気が陰鬱な部屋に吹き込む。
 これから執務室に向かうマリアージュやロディマス、そしてアッセと別れ、ダイはダダンを追いかけた。彼が会議室を辞してから既に四半刻が過ぎている。当然ながらその姿は廊下のどこにも見当たらず、ダイは絨毯の上を走らなければならなかった。
 女王たちが予定より早く帰国し、理由を聞いた城内は騒然となった。残留していた者たちの間では、国境に派兵すべきだ、いや使者を改めて派遣して大国の歓心を得るべきだと、紛糾した。ペルフィリアに赴いていた者たちは体調不良を訴え、大勢が看病のために走り回ることとなった。
 そんな蜂の巣をつついたようだった城内も、五日も経てば落ち着きを見せ始める。
 ペルフィリアの件には箝口令が敷かれた。関係者は留守中に山積した仕事を抱えて東奔西走している。
 日常を、取り戻しつつあった。
 日々の業務に勤しむ皆の傍を駆け抜けたダイは、探し求めていた存在を発見して足を止めた。
「ダダン!」
 渡り廊下の欄干から身を乗り出してダイは階下の男に叫んだ。正門の方角へ廊下を往く彼の外套姿は、そのまま王都を後にすると予想させた。
「そこで待っててください!」
 ダイがようやっと追いついたとき、ダダンは元の場所から動かずにいた。彼は息を切らすダイに微苦笑を漏らす。
「もらったもんは返せねぇぞ」
「報酬を返してもらおうだなんて誰も言ってません!」
 ダイは思わず叫んだ。呼吸をどうにか整えて、ダダンに問いかける。
「どうしてあんないい方したんですか? ……全部、お金が目的だった、みたいな」
 ダダンはマーレンで行った調査にダイたちの救出に一役買った分を上乗せして報酬を請求した。それは当然の権利だ。しかし言い方が問題だった。結果としてロディマスとアッセの不興をかなり買った。せっかく彼らもダダンを認め始めていたというのに。
「守銭奴だったら悪いのか」
 ダダンが揶揄に嗤う。
「そういう言い方、好きじゃないです」
 ダイは憤然となりながら唸った。
「ペルフィリアの王城に忍び込むことも、マリアージュ様を助けるために、してくれたことも、お金だけのためにできるようなことじゃないです。死んでしまう可能性のほうがうんと高いし、生き延びても命を突け狙われる。割に合いません」
「合うんだよ。俺には死なない自信があった。上手くいけばしめたもんだ。ペルフィリアにはほとぼり冷めるまで近寄らなけりゃいいだけだ」
「ダダン!」
 ダイは震える下唇を噛みしめた。ダダンがマリアージュを本当に案じてくれていたことはファビアンから聞いて知っている。ダダンがしたことのすべてがどれほど危険だったかも。彼がファビアンの制止を振り切ってそうしてくれたことも。
 涙をこらえるダイの頭を分厚い手がぽんぽんと叩く。
「あーあー泣くな。マリアに報酬返せって言われるだろ」
 ダイが見上げた先でダダンは苦笑していた。歩き始めた彼は付いてくるよう顎で促す。
 ダイは鼻をすすってダダンの後に続いた。
「俺はな、ダイ」
 諭すような穏やかな声でダダンは話を切り出した。
「流れ者だ。薄汚い仕事もそれなりにする荒れ暮れ者だ。そういうのをマリアージュが重用していくようになると困るだろ? 俺個人を気に入ってくれるのは、嬉しいけどな」
 他国の情勢を調べる者はきちんと身内で育てておくに限る。ダダンを例にとって安易に外野に依頼するようになれば、官たちの間から不満が出てマリアージュを危機に陥れるだろう。他国の間者が入り込む温床にもなりかねない。
 アッセ自身もダダンに指摘していたらしい。しかし彼は今回の事件を経て、ダダンを見直してしまった。
「流れ者は所詮、報酬次第で敵にもなる。……そんな風に思っておくべきだ。俺ごときの存在を重く見るべきじゃねぇんだよ」
 前庭に出ると薔薇の芳香が馥郁としていた。風が汗ばむ陽気に爽やかさを与えている。陽光が視界に溢れ、ダイは目を細めた。前を歩くダダンの背が滲んでいた。
「ダダンって顔に似合わず、結構お人よしですよね」
「オイ、一言余計だぞ。……お前らになんかあったら、アリガんとこにもう寄れなくなるからな。あいつが居ついた国、飯がなかなか美味いんだ」
 下手な弁解だった。
 城下直通の乗合馬車が停まる正門まで、ダイはダダンを見送ることにした。ダダンはこれからミゲルの下へ挨拶に寄り、今日明日にはドッペルガムへと出立するらしい。
「ファビアンさんたちによろしくお伝えください。……国からの親書にお礼を添えるつもりではあるんですけど」
「あんま詳しいこと書くなよ。一緒に飯食えて楽しかったですぐらいに留めとけ」
「それぐらいはわかってます!」
 むきになって主張するダイをダダンは大口開けて笑った。
「それと……マリアージュ様から、伝言があります」
 ダイは気を取り直して呻いた。ダダンが不可解そうに瞬く。
「……女王陛下から?」
 ダイは首肯して微笑んだ。
「“またこっちに来たら、ミゲルを訪ねなさい。上等の酒をあんたの好きなだけ、振る舞わせるわ”」
 ダイの友人を通じて連絡を寄越せ、と言う意味だ。
 ダダンの目が僅かに見開かれる。
「ダダンのこと、マリアージュ様はわかっていますよ。ちゃんと」
 会議室でロディマスを憤慨させたダダンの発言の数々にマリアージュは何も言わなかった。ダダンの要求した報酬を支払うよう一筆したためただけだ。
 マリアージュはロディマスたちの意見に添うそっけない態度をダダンに対して貫いた。だがダダンの態度に困惑するダイに伝言を託け、後を追うよう命じたのも他ならぬ彼女だった。
 ダダンが照れ臭そうに視線を外し、東の空を仰いで目を眇める。
 そして囁きを落とした。
「あいつは、お前のことも、わかってる」
 ダイはダダンを見上げた。逆光に翳る彼の横顔はダイの目に険しく映った。
 しかし次にダイを見下ろしたとき、彼はいたわりに満ちたやさしい笑みを、その顔いっぱいに浮かべていた。
「あいつに恥じることがないなら、包み隠さず話しておけよ、ダイ」


 ――……ダダンが置き土産とした忠告の意味は、わかっていた。
 皆と引き離されているあいだ、ダイの身に何があったのか。簡単には説明している。
 けれどディトラウトと話した内容までは誰にも打ち明けていない。


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