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第五章 奔る諜報者 1


 ペルフィリアの王都に着いて翌日の早朝、王城の門番からもたらされた回答に、ダダンの一日の予定は出だしから狂わされた。
「面会不可?」
 マリアージュ・ミズウィーリ・デルリゲイリアに。
 ダダンは眉をひそめて追求した。
「理由をお聞かせ願いたい。お渡しした証書は女王陛下と宰相閣下、お二方直筆のものだ。真偽のほどは照会していただければすぐにわかる」
 ダダンとてすんなりとマリアージュたちに取り次いでもらえると思っていたわけではない。一国の主人の知人に到底見えない自覚はある。身奇麗にしたところでたかが知れている。
 だからこそペルフィリア王城でマリアージュたちとの面会が叶うよう、彼女たち自身に一筆したためてもらっているというのに。
 正門横の通用口。そこに穿たれた小窓から覗く番兵の顔が歪んで億劫さを表した。
「照会など無用だ。去れ!」
「正式な書状だぞ! 確かめぐらいはしろ!」
「貴様こそ口調を改めろ。浮浪者の身なりで一策を講じようとは小賢しい」
 ダダンの非難を唾棄した兵は、小窓の縁に手を掛ける。
「お……おい! だったらさっきの書状はかえ」
 そして台詞を皆まで聞くことなく窓を木枠に叩きつけた。
 沈黙だけを返す扉を見つめ、ダダンは唖然と立ち尽くした。しばしのちに忘我から戻り、じわじわこみ上げてきた苛立ちを込めて、城門の扉を力の限り蹴りつける。
(くっそ……)
 ダダンは毒づきながら道を引き返し、走り出していた馬車に飛び乗った。ゆっくりとした速度で進むそれは、市街と王城を結ぶ二頭立ての乗合馬車だ。幌のない簡素な荷台には縁に添った座席が設けられている。その一角にどかりと腰を落とし、ダダンは憤然と鼻を鳴らした。
(さって、どうするかなぁ……)
 マリアージュから仕事の前金は受け取っている。ここで去ったとしても懐が痛むわけではない。しかし依頼を途中で放り投げることは寝覚め悪いし、マーレンでの調査が骨折り損になることも惜しかった。
 だが証書を失った今となっては依頼を達成したくとも、マリアージュたちとの繋がりを示すものは何もない。マーレンまで引き返してゼノに仲立ちを頼むにしても時間がかかりすぎる。往復する間に使節団が予定を終えて帰国しかねない。
 ダダンは虚脱感に襲われて、荷台の縁にぐったりと背を預けた。座席全体が視界に入る。王城の公開日には込み合うらしいものの、今日の客の数は少ないと見えて、かなりの席が空いている。
「今日はえらく空いているね」
 斜向かいに座る中年の婦人がダダンと同じ感想を呟いた。彼女の隣に腰掛ける、夫らしき男が同意に頷く。
「あまり城には近づかんほうがいいとアシモフの奴が言った通りだった。やけにぴりぴりしているなぁ」
「何事もないといいけどね。アリソンは大丈夫かねぇ……」
 夫婦は表情をくもらせたまま会話を続けた。漏れ聞こえるその断片から推察するに、彼らの娘が侍女として王城で働いているらしい。今日は彼女と会うために王城まで足を運んだもののダダンと同様に断られたという。どうやら一昨日から多くのものたちが城内で働く知人との面会を門番によって阻まれているようだった。
 城の剣呑な空気をいぶかしむ夫婦の言葉の切れ端に耳をそばだてながらダダンは顎をしゃくった。上半身を捻って王城を振り返る。
 優美さを残しながらもその直線的な造りは堅牢な要塞を思わせる。
 やがて馬車は市街へ入り、大聖堂の前で停まった。王城前とはうってかわって、広場には人通り溢れている。夫婦たちに続いて馬車を降り、ダダンはつま先を雑踏の中に向けた。


 二日目の朝、セレネスティとの会談は迎賓館と本館を繋ぐ渡り廊下の上で取り行われた。
 その通路の中央にて距離をおいて対峙する。デルリゲイリア側からはマリアージュ、ロディマス、アッセの三名。ペルフィリア側からはセレネスティ、梟、ヘルムートのみが現れた。宰相たるディトラウトは不在だった。
「私たちの要求は簡単よ」
 マリアージュはセレネスティたちに告げた。
「預けている馬車と馬、そして私の側近を、傷ひとつない形で返すこと。そして私たちが無事に帰国できるように取り計らうこと。その二点よ」
「それを捕虜の命と交換か」
「そう。安いものでしょう? それとも貴女にとって、たかだか数十人の臣下の命など、国取りの前にはささいな犠牲かしら」
 セレネスティは反応を見せない。今はその端正な顔から、表情が欠落している。人形めいた美貌を眺めながら、マリアージュは余裕の笑みをつくろう。その一方で、手には冷たい汗がにじんでいた。
 セレネスティが兵の命を惜しまねばこの取引は成立しない。人質を得ているとはいえ敵の懐にいる分、マリアージュの方が圧倒的に不利なのだ。
 長い沈黙を挟んだのち、セレネスティはマリアージュを見据えた。
「今すぐは返答できないな」
「なぜ?」
 マリアージュは尋ねた。
「貴女のひと声に皆は従うでしょうに、相談の必要などあるのかしら?」
「あまりのんびりなされないほうがよろしいでしょう」
 ロディマスが会話に口を挟む。
「兵の数が当初のままだという保証はありません」
「彼らを処刑していくつもり? できるものならやってみればいい」
 ペルフィリアの女王は薄く嗤った。
「君たちにその覚悟があるというのなら賞賛するよ。話は以上だ。……そうだな。明日の朝に返事をしよう」
 そして彼女は冷笑を深める。
「それではまた、お会いしましょう?」
 ヘルムートが先駆けて歩き、セレネスティもまた踵を返す。その頭部から背までを覆う絹綾ものがひるがえり、裾に縫い付けられた金銀の飾りが揺れて光をはじいた。
 悠然とした足取りで戻る彼女の後ろに梟が続く。
 本館の中へと戻っていく三人を見つめながら、マリアージュは傍らのロディマスに問いかけた。
「こちらの条件を呑むと思う?」
「わからない」
 彼はゆるりと頭を振った。
「こちらが捕虜としている兵たちは、一気に失うには惜しい数だ。だからこそ返答を保留にしたんだろう。どうでもよいのなら、この席で僕らの命を奪うこともできたはずだ」
 兵力を投じれば力付くでマリアージュたちをねじ伏せることは可能だった。セレネスティはそうせずに案件を持ち帰ったのだ。
「私たちも戻りましょう、陛下」
 アッセが穏やかに促した。
「いつまでもこの場に残っていては敵の的になります」
 マリアージュは頷いた。衣装の裾を絡げてセレネスティたちに背を向ける。そうして素早く歩き出した。
 帰国の支度に戦闘への備え。するべきことは山とある。敵の返答をぼんやりと待つわけにはいかないのだ。


 色鮮やかな果物。凝った仕掛けの民芸品。滅びた国々を偲ばせる骨董品。盛栄を極める国々の特産品。
 到着したばかりの船舶から降ろした異国からの品々を露天商たちがいち早く店先に並べている。
 店主たちの喧伝する声、通りを行き交う女たちの笑い、子どものたちの足音。
 人々の喧騒響く街は活気にあふれている。
 まぶしいものを見たかのように眩んだ目をしばたかせてダダンは歩みを再開した。大聖堂前の広場を横切り、目抜き通りをしばらく下る。途中で細道に逸れて、さらに左に折れた。
 どの国の王都も路地裏まで来れば大差ない。ペルフィリアも例外ではない。高い位置に渡された縄に下着が吊るされ、木箱や酒樽が無造作に積まれている。吐瀉物や犬猫の汚物を丁寧に避けつつ、歩くことしばし、ダダンは突き当たりで立ち止まった。
 右手に壁と同化しかけた木扉がある。錆の浮いたその取っ手を捻る。蝶番がやたら耳障りな音を響かせた。
 まず目に入ったものは、まるまった人の背中だ。彼は来訪者を気にも留めず、椅子に腰を下ろしたまま、黙々と作業を継続している。
 うずたかく積まれた紙の内容を、冊子に転記しているらしい。
 筆記具の先が引っ掛かり、彼はようやっと手を止めた。
「入る前にひと声掛けろ」
 扉を閉じるダダンに声が掛かる。ダダンは振り返った。男が億劫そうに椅子から腰を上げていた。
剃りあげた頭に鮮やかな緑の布地を巻き付けた老年の男だ。よく陽に焼けた肌を生成りの上下で包んでいる。顔の半分は刃物の傷で覆われ、険しい容貌をさらに威圧的なものにしていた。
 その傷を撫でさすり、男が首を捻る。
「戻ってくるのが早いんじゃねぇのか? お前、大陸をひと巡りしてくるっつってただろう」
「事情が変わったんだよ、ベベル」
 男――ベベルが、片眉を上げる。
「碌な事情じゃねぇな。仕事か?」
「そうだ。調べてほしいことがある」
「上へ上がっていろ。すぐ行く」
 彼は気だるげに手を振って、ダダンを部屋の隅へと追いやった。
 書付を整え始めるその背をしばらく眺めたあと、ダダンは部屋の出口たる戸布を押し上げた。その向こうには薄暗い廊下と階段が並ぶ。
 家主の指示通り、後者を選んだ。
 住居空間へと続く階段の踏み板は古く、ダダンの体重を受けて悲鳴のように軋む。ダダンは万が一踏み抜いたときのために、注意深く手すりを探りながら登っていった。
 反響する、人々の喧騒。それはたまさか食器の触れ合う音を含んでいる。一階には食堂が、そして壁を隔てた向こうには客室があるのだ。
 ダダンの知己ベベル・オスマンは、一階部分を食堂兼酒場とした、ありふれた形の安宿を営んでいる。とはいえそれは表向きにすぎない。〈境なき国〉とも称される商工協会の西大陸支部。その北部の長としての姿が、真の彼である。
 ベベルは宿を経営する傍ら、西大陸に新しく到着した会員たちの指南や仕事の斡旋、西大陸の外へ出る者たちの支援などを行い、荒くれ者の多い商人たちの纏め役も務めている。そして広い人脈よりもたらされる情報を、限られた相手にのみ売買していた。ダダンはその数少ない顧客のひとりだった。
 情報のやり取りに用いられる部屋は三階の奥にある。一見すると納屋のような空間だ。しかし扉には目立たぬよう塗料と同じ色で盗聴を防ぐ術式が刻まれ、室内にも〈消音〉の術式が視認できぬ箇所に刻まれている。
 ダダンは長机に荷を置き、代わりに燐寸を取り上げて、低い天井からつり下がるランタンに火を入れた。小窓を開けて換気を行う。漂っていた埃が一気に外へと吸い出されていく。
「窓を閉めろ」
 都の景色を高所から堪能する間もなく、背後からベベルの声が掛かった。
 ダダンが窓を閉じて鍵を掛け終わったとき、ベベルは既に席に着いて茶を注いでいた。
「で、何が欲しいんだ?」
「ペルフィリア王城内外のここ数日の動き」
 単刀直入な問いにダダンは即答した。
「詳細であれば詳細であるほどいい」
 急くようなダダンの口調に思うところあったのだろう。
 ベベルは軽く眉をひそめ――ダダンの表情を探り、間を置いてから話し始めた。
「王城は今、客人を迎えている。デルリゲイリアからの使節団だ」
 彼はダダンの前に椀を置きながら、一昨日からだ、と言い添えた。
「半年ほど前に即位した女王を含め、人員は約三十名。歓迎の晩餐会が迎賓館で開かれている。翌朝、その女王とうちとこの陛下が街へ視察に出ているな。港、水門、大聖堂あたりを見ているはずだ。真昼を一刻回ってから城に戻っている。その間、とりたてて騒ぎがあったようなことは俺の耳に入ってないな。より詳しい名簿や順路は必要か?」
「いや、その辺りはいい。……で、その後は?」
「わからん」
 ベベルは灰皿を引き寄せながら葉巻をくわえた。机上に放置されていた小箱を開けて燐寸を引き抜く。そして彼はゆっくりと葉巻の先に火を入れた。
「初日に大量の食糧を運び入れて以降、業者は登城を許可されていない。城には術式刻まれた保存庫がまだ残っているつうが、それを利用するにしてもかなりの量。優に五日分はあったそうだ。そいつらだけでなく、外部の人間は全て遮断されている。同様に内部の人間も外出を制限されているようだな。俺の耳に今の城内の様子は入ってきていない」
「そうなったと最初に確認が取れたのはいつだ?」
「一昨日の朝。お隣からの客人が到着する前だな。賓客を招いているとき、警備を強化することはよくある。ただまぁ今回はやけに神経質だと思いはしたが……」
 ベベルは煙を吐き、身を乗り出した。
「お前のその様子だと、何かあるんだな?」
 ダダンは茶で満たされたままの椀に視線を落とした。溜息と共に呟く。
「……さっき、城へ行った。デルリゲイリアの女王に取り次いでもらえるよう頼んだが突き帰された。証書を持っていたにもかかわらず」
「証書?」
「デルリゲイリアの女王と宰相、二人直筆の証明書。俺は縁あってペルフィリアまでの道中、一行の案内役を請け負っていた。途中で一時的に別れたが……書状はそれを証明するものだった。俺を登城させるよう、それが無理なら、城外のどこかで女王と謁見できるように、取り計らってほしいと請願するものでもあった。結果は門前払い。照会することもなかった。……可能性としては二つ。後から一名合流することを使節団側が告げ忘れたか、ペルフィリア側がそのことを知りながら敢えて無視したか、だ」
「そしてお前は後者だと考えている。もしそうならば理由が知りたい。そしてそのために、俺のところへ来た」
「そういうことだ」
 自分で下手に探りを入れるより、ベベルを頼ったほうが手っ取り早い。
 ベベルは短い間隔で幾度か紫煙を吐きだした。低く唸り、灰皿の縁を煙草で叩く。
 彼は余分な灰を落とし切った後も、しばらく同じ動作を続けていた。
 その手を止めて、ベベルが切り出す。
「この間もペルフィリアの宰相について嗅ぎ回っていたな。俺もずいぶんと骨を折った」
 ディトラウト・イェルニを調べるときも、ダダンはベベルに協力を依頼していた。
「ダダン、お前、どんな厄介に首突っ込んでやがる?」
「別に」
 厄介ではない。
 そう口に仕掛けたところでダダンは言いよどんだ。
 そこまで厄介なことではない、はずだ。
 昔、ベベルと共に、かかわったことほどには、まだ――……。
 沈黙するダダンにベベルは嘆息する。
「金はあるのか?」
「ある」
 ダダンは懐から袋を取り出し、中身を机上にぶちまけた。マリアージュから前金として受け取っていた金貨の一部だ。それらがランタンの明かりを受け、艶やかな黄金色に煌めく。
 硬貨の一枚をためつすがめつ眺めたベベルは呆れ顔でダダンを見た。
「いい金だ。……本当に女王から依頼を受けていたんだな」
「冗談であんたんとこにはこねぇよ」
「……一刻待て。話を集めて来てやる」
 ダダンは了承に頷いた。
 ベベルが金貨をかき集めて袋に詰める。立ち上がり、部屋を後にする――かに見えた。
 茶に口を付けていたダダンを、ベベルはふいに振り返る。
「なんだ? 金がたらねぇのか?」
 いや、と彼は頭を振った。
「俺が話を集めている間、外に出ていてもいいが、なんなら二階で待っていろ」
「二階で? 何かあんのか?」
 ベベルは答えない。
「……おい、ベベル」
 制止も聞かずに彼は退室してしまう。
 ダダンは首を捻りながらも勧めに従うことにした。荷を担ぎ、空の茶碗と茶瓶を手に、部屋を出る。
 二階はベベルたちの居住区だ。寝室や台所、居間が並ぶ。
 その、皆がくつろぐための部屋から、明かりが漏れている。
 躊躇いがちに開けた扉に手を掛けたままダダンは眉をひそめた。男がいた。その先客は食卓に着いて悠々と茶を啜っている。丸縁めがねをかけた優男。茶の縮れ毛と同色の丸い目が、印象を柔和に見せている。年は二十歳前後だろう。
 その横顔には、どこか見覚えがある。
 彼はダダンの訪いにようやっと気づいたらしい。面を上げてダダンを見つめ――大きな目をさらに見開いた。
「もしかして……ダダン?」
「……お前は……」
 ダダンもようやっと閃いた。
「ファービィか?」
「ファビアンです!」
 男が即座に切り返す。彼は口先を尖らせて、ダダンに不満を訴えた。
「その呼び方やめてくださいよ。もう子供じゃないんですから」
 むくれたその顔に幼い頃の面影が重なる。
 古い記憶がどっとダダンに押し寄せてくる。
 突然の再会に呆然とするダダンに、ファビアンは嬉しそうに微笑んだ。
「七年ぶりかな――……! お久しぶりです、ダダン」


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