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番外 功罪の等分 1


 それは日差し麗らかなとある日のこと。
「ねぇ、ダイ」
 ダイの女王は命令した。
「あんた、結婚なさい」
「結婚していますけど!?」
 思わずダイは反論した。自分たちの周囲を取り巻く女官たちも神妙な顔で同意に頷く。仕事が立て込んだ日の翌日。眠いのはわかるが、朝じたく中に何を言いだすのか。ダイは化粧を施す手を止めて、主君を凝視した。
 仕事上の呼称をダイ。本名ディアナ・セトラには、もう一年以上も前から夫がいる。相手は使用人の身分でマリアージュを女王に推し上げたと名高いミズウィーリ家元当主代行。現在は隣国ペルフィリアの復興支援を担う部門の長、ヒース・リヴォートである。
 ちょうど報告に訪れていた彼は、彫刻のように整った顔をきらきらした笑みに輝かせ、冷気すら感じる声でマリアージュに言った。
「まさか、妻に追加で夫を取れという意味でしょうか」
「この子のお守りなんてあんたしかできないわよ! どうしてそういう発想になるの!?」
「お疲れのあまり錯乱されたのかと存じまして」
「この部屋からそんなに叩き出されたいなら叩き出してあげるけど?」
「妻の仕事を見る貴重な機会なのでやめていただけますか」
「おふたりとも、その辺りでやめてください。話が進みません」
 ダイはふたりの会話を中断させた。主人と夫はダイより付き合いが長い分、兄妹みたいに遠慮なく言い合って、ときどき際限がなくなってしまうので困ったものである。
 ところで朝のこの時間、男性はよほどでなければ立ち入らないはずなのに、ヒースは堂々と出入りしている。ダイの化粧を見ていけば、と、マリアージュが自ら招いてしまったのが発端である。よいのだろうか。ヒースは一応いつも許可を取ってから入室するので、よいのだろう。多分。
「それで、マリアージュ様。結婚しろってどういう意味ですか?」
「結婚式よ。結婚式」
「あー、まだお忘れでなかったんですか……」
 数か月前、マリアージュはロディマスと結婚し、華燭の典を開いた。国内の貴族はもちろん、主だった国々から多くの来賓を招いた盛大な式典である。
 式典は大盛況のうちに終わった。職人たちに仕事を多く発注できたし、観光客由来の外貨も稼げた。式典に付随していた会議も滞りなく終了した。
 だが、とても、とても忙しかったし、マリアージュいわく、面倒くさかった。
 特に主役であったマリアージュはその多忙さをずっと嘆いていた。たしなめるダイへ事あるごとに、あんたも結婚式を開いてみればわかる、と、言ってはいたが。
 冷や汗が背を伝い落ちる感触を覚えつつ、ダイはマリアージュに問いかける。
「……真面目に式を開けって言っています?」
 今日の言い方は命令だった。いつものような、ぼやきではなかった。
 マリアージュがため息を吐いて答える。
「冗談で命令しないわよ。……別に大々的にしろとは言ってないわ。身近な人間を集めて、城の中庭で司祭の説法を聞いて。食事でも出す? 費用はわたしが持つわよ」
「本気ですか!?」
「というか、面倒なのがまだ湧いているでしょ。あんたたちの結婚はホンモノなのか疑っているの」
「あぁー……」
 ヒースと結婚していてさえ、ダイを妻にと望む者は多い。何せマリアージュの腹心なのに後ろ盾がないという、女王に取り入りたい輩にとって、とても美味しい位置なのである。総数は減れども釣り書きはまだ届いており、マリアージュはそれにうんざりしているらしかった。
「ダイの結婚を祝いたいっていう意見も方々から出ているし。そういうのを片付けたいの」
「なるほど。納得です」
「納得していいところなのですか……?」
 護衛のブレンダが突っ込みを入れてくるが、ダイはよしとした。素直にダイの結婚を祝いたい、と言えるような人なら、マリアージュはもっと楽な人生を送っているはずだ。
「……あんたたちがどーしてもしたくないっていうなら別にしなくてもいいわよ。でも、するならいまのうちにして。あと半年もすればまた、わたしの次の結婚でそれどころじゃなくなるし」
「そうですねぇ……」
 マリアージュに化粧を施し終え、ダイはヒースと視線を合わせた。
『どうします?』
『どちらでもかまいません』
 と、目で意思疎通を図る。
 正直なところ、式を開く、という考えはとうの昔になくなっていた。自分たちふたりは非常に難しい状況から、屁理屈をこねて結婚に漕ぎつけている。夫婦として平和に暮らせるだけでありがたいのだ。ダイの後見人であるアスマや親しい友人には個別に近況を伝えているし、いまさら、という感がぬぐえない。
 黙考していたヒースがマリアージュに問いかける。
「わたしたちの場合、王城の奥で式をする必要があります。特別通行証の発行など、準備でマリアージュ様にご協力を願うことが多々あるでしょう。そちらはよろしいのですか?」
「あぁ……うん……まぁ、そうね……」
 ちょっと、いやかなり、面倒くさいな、と、思ったらしい。マリアージュは言い出しっぺということもあって、仕方ないという顔で首肯した。
(どうするかなぁ)
 仕事量、体調、あらゆることを加味して考える。マリアージュが述べた目的からも、単なる内輪、ではなく、政治的な関係者も呼ぶ必要がある。マリアージュがわざわざそれを言及したのだから、ロディマスの意向も少し入っているはずだ。
「わたくし、ダイの花嫁姿を見てみたいです」
 ダイが考え込んでいると、マリアージュ付の女官が声を上げた。
「ちかごろはダイが着飾る機会が減ってしまいましたし。とても残念に思っておりました」
「わかりますわ、その気持ち」
 彼女と共に作業していた別の女官も同意する。マリアージュがその雑談を咎めなかったので、主の意を得たり、とばかりに女官たちは騒ぎ始めた。
「陛下ではなかなかお召しになれない型の衣装をぜひ着ていただきたいですわよねぇ」
「男装は男装でよいのですけれど、やはりねぇ」
「もったいないですわよね。……リヴォート様も、やはり奥様の花嫁姿をご覧になりたいと思われますわよね?」
「え? え、えぇ……」
 急に女官から話を振られたヒースはぎこちなく頷いたのち、そうですね、と、改めて微笑んだ。
「彼女がどのように着飾っていても、わたしとしては楽しいものですが、それが特別なものだと思えば、なおさら、見てみたいですね」
「じゃあ、します」
 ダイは控えめに答えた。
 多少でも楽しめるとヒースが言うのなら話は別である。
 それに小規模であっても式を開き、自分たちが「ごく普通に結婚した」ことを世論に知らしめることは確かに悪くないと思えたし、夫と新しい思い出が増えるというのもよい気がした。
 わぁっ、と、女官たちが喜色を浮かべる。
「ならロディにそう言っておくから。そのうち打ち合わせの予定が入ると思っておいて」
 身支度を終えたマリアージュが気だるそうに告げ、その場は一時、解散となった。
 こうしてダイは主人がぼやいていた、「式めんどくさい」の意味を、のちに痛感することになるのである。


 マリアージュの支度やら会議やら軽食会やらを終えて、ダイが執務室に戻ったときにはすでに昼を回っていた。
 別行動をとっていた秘書のアレッタが、ダイに書類の束を差し出してくる。
「こちらを宰相閣下から預かっております」
 結婚式関係の書類らしい。結婚式を開く候補地がいくつかと、その手配の期日。王城側から出せる人員や結婚手続き関連がつらつら書き連ねてある。
 ちなみに王城の勤め人同士で結婚することは珍しくないし、城内で式を挙げることも多々あるので、それを取り仕切る部署がある。そこに申請すれば規模に応じて礼拝堂や人を貸してもらえる。儀典部からの資料もきちんと添えてあった。
 ぱらぱらと書類を捲り――最後に添付された用紙に、ダイはひくっと口の端を引きつらせる。
 それはロディマスが提案する式の参列者の一覧だった。
「あの、なんか、思ったより、多いんですが……」
「これでもダイと直に面識のある方々に絞ったと伺っています」
 彼らはマリアージュいわく、「ダイが結婚していることに納得できない人々」である。式をしていないことで、やはりヒースに問題があるのでは、と、難癖をつけてくる面倒な輩ということだ。それがざっと数えて百は優に超える。
 地方の高官。王城と取引のある有力な商人。貴族の次男三男坊。などなど。やや面倒な出自で跳ねのけるにも時間がかかる。ロディマスは非の打ちどころのない結婚式をダイにしてもらって、ちょっとばかり時間稼ぎがしたい、という意向らしい。それはわかるが、三桁は多すぎないか。
「優先順位が付いておりますので、すべて招待する必要はないとのことですが……」
「うう、この辺りは夫と相談して宰相閣下に返答いたします」
「かしこまりました。あと、こちらは衣装部からです」
 と、アレッタが淡々と差し出してきた紙束は、ロディマスのものと引けを取らない厚みがある。
「今度は何ですか?」
「花嫁衣装の案だそうです」
「これ全部ですか!?」
 全部だった。
 思わず叫んだダイにアレッタが解説する。
「ダイが結婚すると決まったときから、発注をいまかいまかと待ちながら、衣装部で書き溜めていたと伺いました」
「え、ちょっと待ってください……。ということはわたしの衣装を一から仕立てるとかそういう?」
「当たり前ではありませんか。一介の文官ならともかく、あなたは女王の唯一、《国章持ち》ですよ」
「……デスヨネー」
「女王陛下の御前で行われる式に、平民の流儀は通じません」
 ダイの知る限り、平民で花嫁衣装を一から仕立てることは稀である。
「予算も組まれて宰相閣下が承認なさっておりますので、そのおつもりで」
 アレッタがすっとダイに示した予算の概算は、目玉が転がり落ちそうな金額だった。マリアージュほど、とは言わないが、上級貴族の婚礼につぎ込まれる費用に近いものがある。
 マリアージュ発案だし、ロディマスが絡んでいるから、国から補助があるだろうとは予想していたが――正直、額の桁が想像以上に多い。
 それに見合うだけの式をせよ、という圧力を感じる。
 政治的な厄介ごとを片付けながら、ちょっと夫と思い出ができればいいな、と思っただけなのに。
「なんだか大ごとになっている」
「ご自身の結婚式を、どうしてひっそりと終えられると思ったんですか?」
 アレッタが呆れた声でダイに指摘した。
 まったくもって、彼女の言う通りだった。


「……と、いうことなんですけど」
 夜、ダイ――ディアナは仕事を終えて帰宅し、アレッタとの遣り取りをしょもしょも夫に報告した。
 食卓の対面に着くヒースが苦笑して、ロディマスからの招待客候補の名簿を取り上げる。
「問題ありませんよ。参列者はわたしの方で整理し、あなたにまた確認します」
「お手数をお掛けします……」
「見たところ、半分なら確実に減らせるでしょう。あなたは自分が招待したい人の一覧を出してください。門の向こうの方々も含めて」
「わかりました。……ヒースは誰を招待しますか?」
「ウィルたちぐらいでしょうか。だいたい、呼べる人は限られていますし、その大半はあなたの客と被っている。とにかく、本当に招待してしまうかは別として、候補者をまず出しましょう」
 マリアージュはもちろん、ミズウィーリ家の使用人、仕事場の関係者。貴族の友人知人。商人たち。他国の人――たとえば、ヒースのことを知っている人間を呼ぶべきか否かはマリアージュたちに相談するとして。
 儀典部にも早期にふたりで顔を出し、段取りの詳細を確認せねばならない。
 予想される作業の多さに、ディアナは冷や汗をかき始めた。
「すみません、ヒース……。わたしが安請け合いしたばっかりに」
「謝る必要は何もありませんが……面倒ですか?」
「そんなはずありませんよ。でも、大変なんだなって……」
 ロディマスとの華燭の典を前に、マリアージュが日々ぼやいていた気持ちがいまになってわかる。
 マリアージュは国を挙げての式典だったから、ディアナより大変さ増し増しだったに違いない。
「わたしは別に苦ではないけれど」
 ヒースが書類の角を机で揃えながら言う。
「あなたが辛いなら、撤回してもかまわないのでは? いまなら間に合うと思いますが」
「それはヤです。するっていったらします。わたしだって苦じゃありません」
 ディアナは断固と主張した。
「……式を挙げるの、考えていなかったわけじゃないんです。でも、ゼノさんたちを呼べるわけじゃないし……」
 ディトラウト時代の友人知人はもちろん、彼の故郷の友人たちも、情報保持の観点から招待は難しい。彼が招くことのできる人間は、いま働いている部署の部下たちやミズウィーリの人々に限られる。
 それが自分としても、とても寂しかったのだ。
「ディアナ」
 夫に呼ばれて、ディアナは顔を上げる。
 彼はやさしい顔をして、おいで、と自分を手招いた。
 誘われるまま席を立ち、空けられた彼の膝の上に腰を下ろす。
 ヒースは膝からずり落ちないように、こちらの身体をゆるく抱きこんだ。
「あなたの顔の広さは、この数年、あなたが絶えず努力してきた結果だ。わたしからすれば、ほんの数人でも、親しい人間がいるということの方が幸運なんですよ」
「わかっています。わかっていますけど……。逆の立場だったらヒースはどう思います?」
「あなたと同じことを思うでしょうね」
「ほらぁ」
「まぁ、させてくれるというのなら、させてもらいましょう。既婚のあなたに釣り書きを送るような輩は、二度と愚かなことを考えられない立場にして差し上げます」
 いい笑顔の夫に、あ、これはわりと怒っているな、と、ディアナは思った。憐れ、彼に敵認定されたものたちよ。権力に取り入るどころではない。下手をすると彼の根回しによって、国から追放されるかもしれない。
 『半分なら確実に減らせる』と、ヒースは言った。つまるところ、そういう感じである。合掌。
(結婚式。結婚式かぁ)
 ヒースの肩口にぽふりと頬を預け、ディアナは胸中で独りごちた。
(そういうことを、するようになるとは思わなかったな)
 幼いころは一生を男で通すことも考えていたし、こんな風に誰かを好きになるとも思っていなかったし、その相手が相手だったから、夫婦になれる可能性は限りなく低くて。
 けれどもいまこうやって、一緒にいる。
 ペルフィリアをふたりきりで旅した、あのうたかたの夢は、現実となってこれからも続くのだ。
「ヒース」
 ふふ、と笑って、ディアナは夫となった男へ呼びかける。
「またふたりでする初めてのことが増えますね」
「確かに」
 ディアナの髪を梳き下ろし、ヒースが肯定する。
「今回の件、大変かもしれませんが、大丈夫。ふたりでするんだ。どうとでもなりますよ」
 うん、と、頷いて、夫の体温を感じる。
「そういえば――……」
 と、ヒースが呟いた。
「そういう式典の準備の一切をとことん面倒くさがっていたマリアージュ様は、宰相との関係は大丈夫なんですか?」
「あー……マリアージュ様は、丸投げ……じゃなかった。任せるところは任せるって感じの人ですから」
 自身の結婚式を張り切って差配していた、当時のロディマスの姿を思い返し、ディアナはヒースに答えた。
「あのふたりはあれでうまくいっているみたいなので……大丈夫ですよ。たぶん」
 夫婦にも、色々な形があるということである。


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