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番外 未来語り


「ねーまだぁ?」
「もう少し待て」
「ダダンおそーい。お父様みたーい。ヒースは上手よ?」
(あの万能男と比べるんじゃねぇよ)
 ダダンはどうにか文句を呑み込んだ。いくら口が達者とはいえ、相手はまだ子どもである。
 せめてもの抗議に無言になって髪を編むことに集中する。ちまちまちまちま。子ども特有のやわらかく細い髪は、ダダンの大きな手からすぐ零れ落ちる。それを苦心してどうにかまとめ、組み紐で縛り、その上に幅広の透かし織りを蝶結びにする。
「終わったぞ」
 ダダンは宣言し、背後に両手をついて息を吐いた。どうということのない三つ編みをしただけなのに、戦地を駆け抜けるより疲れた気がする。
 マリアージュの長子、アンナ=マリーは今年六つになる。おしゃれが大好きな姫君だった。髪は赤みがかった金色で、両親ともに似ていないが、目は完璧にロディマスのものと同じだ。彼女はそのくりくりとした亜麻色の目で、小さな鏡を覗き込み、うーんと唸った。
 正直に告白する。ダダンの結った二本のおさげは上手くない。編み目はがたがただし、ちょうちょ結びの透かし織りはやや縦に歪んでいる。簡素な散策着を身につけていても一国の姫。衣装の上等さと髪型のつり合いが全く取れていない。ここに侍女がいたなら叱責されること間違いなしである。
 ところがいま王城裏手の丘には、ダダンとこの幼い姫君しかいない。マリアージュと近衛もいるにはいるが、少し離れた場所にいる。城から何かの報せを持ってきた文官に対応している最中なのだ。
 鏡による確認が終わったらしい。アンナは首から下げた鏡を丁寧に服の下に収めた。彼女が肌身離さない鏡は誕生祝いにダイとヒースから贈られた特注の品で、アンナの宝物らしい。ダダンに向き直った彼女は両腕を掲げて、ん、と、何かをして欲しい顔で唇を突き出す。
「……何度も言うが、して欲しいことは口に出せ。じゃないとやらねぇぞ」
「抱っこして」
 やれやれ、と、ダダンは姫君を左腕に抱いて立ち上がった。目線がぐんと上がったことに、きゃあ、と、彼女がはしゃぐ。
「暴れるな。落ちる」
「ダダンー」
「なんだ?」
「ありがと。三つ編み」
「あぁ」
 無邪気に笑って礼を言うだけ、母親よりかわいげがあるか。
 ダダンは右手で小さな姫君の上着を首元まで引き上げてやった。花季の終わりの風は少し冷たい。丘を渡って草木をしならせるそれに目を細め、薄い青の空の下に広がるデルリゲイリアの王都を見つめた。
 この都に家を持って、何年になるだろう。
 年に一度、この国でいう冬の初め、いわゆる《聖女の祝祭》前後に戻り、過ごすことが習慣になりつつある。新年が明けたら知己に顔を出しがてら西大陸内を見て回り、世界中を旅して過ごす。当然、アンナとは年に一度、というか一日、会えるかどうかなのだが、よく懐かれたものだな、と、ひしっとしがみ付いてくる子どもの体温に苦笑する。
 だがそんな平和な気分は、姫君の次のひと言で吹き飛んだ。
「……ダダンって、アンナのお父様なの?」
「だれだそんな馬鹿をお前に言ったヤツは」
 怒りから思わず声が低音になり、腕の中のアンナがひゅっと身をすくめる。
 ダダンは慌てて彼女の背を擦った。
「悪かった。怒っているんじゃない。……どうしてそんなことを思った? 教えてくれるか?」
「……コニーが言ってたの。だからお父様は、アンナに冷たくするんだって」
 コニーは彼女の異父妹の愛称だ。おもちゃの取り合いで喧嘩になって彼女から言われたらしい。
 ダダンはアンナの異母妹とは接触がない。父親と面識がないからだ。だから口さがないものがたまに妙な勘繰りをする。
 ダダンはきっぱりと断言した。
「お前の父親は俺じゃない。ロディマスだ。絶対に」
「……じゃあ、どうしてお父様は、アンナよりコニーをよく抱っこするの?」
「……それはお前がロディマスに理由を聞かないとわからないな」
「お父様、教えてくれる?」
「あぁ。抱きあげてもらいたいなら、ちゃんと言えよ。さっきみたいにな」
「うん……」
 アンナがダダンの首に縋る。ダダンはその小さな身体をぽんぽんと叩いてやった。
「なぁ、アンナ。お前は間違いなくロディマスとマリアージュの子だし、愛されている。大事にされている。冷たくされていると感じるならちゃんと言うんだ。こっそりとな」
「こっそり?」
「部屋に、マリアージュとアンナとロディマスだけのときだ」
 顔を上げたアンナが神妙な顔で頷く。ダダンはゆっくり歩きながら続けた。
「ロディマスにもマリアージュにも立場がある。お前にも。だから厳しくされることもある。それでも理由があるはずだ。きちんと尋ねるんだ。もしも教えてもらえないときは、ダイかヒースに聞くんだな。最悪、俺からも聞いてやる」
「アッセ叔父さまはだめ?」
「アッセのことは、俺にはわからん」
 アッセが掛け値なしにアンナの味方か、自分には判別がつかない。アッセ・テディウスは人を陥れるような人間ではないが、先代女王の次男だ。立場がある。
 ダダンの述べた言葉をアンナがすべて理解しているとは思わない。平民なら親を見習って働き始める六つだし、アンナは教育を受けたかしこい姫だが、子どもは子どもだ。
 大人に抱きしめてもらいたがる子どもなのだ。
「アンナ、ロディマスは――父親は好きか?」
「好き」
「じゃあ、ロディマスにそう言ってやれ」
 彼女の周囲はアンナの意を汲んで動いてしまうから、ロディマスも父恋しい自分の心中を無言のうちに理解するはずだとアンナは思っている。それが間違いだとだけは伝わってくれればいい。
 ちいさな姫の全身に力がこもる。
「ありがと。ダダンだいすき」


 文官をようやく追い払い、マリアージュはダダンと娘の下に戻った。
 彼によく懐いている(本当になぜここまで懐いているのかわからないのだが)娘は、草原に敷いた敷物の上で胡坐をかくダダンに、しがみ付いて眠っていた。
 マリアージュは目を丸くして素直な感想を口にする。
「親子みたいね」
「そういう冗談、マジやめろ」
 ダダンが真剣に嫌そうな顔をした。かなり深刻そうな声である。マリアージュは眉をひそめた。
「何かあったの?」
「コンスタンス姫に俺が父親なんじゃないかって言われたらしいぞ」
「コニーに?」
「大人か、遊び相手のガキの親が、家で言ってるのかもしれん」
「……一応、大人の側には注意していたけど、子どもの会話にまでは気を払ってなかったわね」
 コンスタンスは二番目の夫との娘で、付き合いのある貴族や侍女はもちろん、直接には接触しない下働きにも監視をつけている。ただ娘たちの遊び相手は彼女たちと同年齢だ。そこまで厳しく見ていなかった。
「後で手配するわ。……まったく、少し平和になったらこれだから」
 《聖教騒乱》と記録された一連の事件が終わり、国内が落ち着くに従って、貴族たちは互いの足を引っ張り始めた。マリアージュがきれいに娘を三人産んだので、だれを次代の女王に推すかで派閥がわかれているのだ。
「それから、アンナがロディマスから好かれてないんじゃないかって悩んでたぞ」
「誰がどうみても娘馬鹿よ?」
「それは大人の感想で、伝わってないんだろ」
「あんなに構われているのにね」
 マリアージュは父親から顧みられなかった。彼はマリアージュが子どもの頃には留守がちで、屋敷にいるようになったときにはヒースを常に伴い、彼女自身との会話はほとんどなかったという。それと比べれば、ロディマスの娘への溺愛ぶりは明らかだと、マリアージュは言いたいのだ。
 ダダンが眠る娘の頭を撫でる。
「妹姫との差が気になるみたいだ」
「あぁ……。ロディはあっちに気を遣っているから」
「ちゃんと話し合え。アンナにも言った。子どもだからって適当なこと言うなよ」
「そうするわ……はぁ。子どもを育てるって大変ね」
「本当にな」
「あんたのとこは、いつ連れて来てくれるの?」
 ダダンの隣に腰を下ろしてマリアージュは尋ねた。
 昨年、帰ってきたときだ。孤児を引き取った、と、彼から聞いた。
 詳しくは聞かなかったが、昔の女の子どもらしい。十歳かそこらの少年で、助手として仕事を教え込みながら、共に旅しているという。
 今年、会わせてもらえるのかと思っていたのに、ペルフィリアのベベル・オスマンに預けてきたようだ。
「あいつの分別が付いたらな。まだ早い」
「わたしたちのことも話してないんでしょ?」
「あぁ」
 西に連れてくるかすら迷ったという。ダダンの知己が多いからだ。同じく知り合いの多い東に寄って、様子を見てから西には連れてきた。ドッペルガムやゼムナムの知り合いに合わせるかは検討中だそうだ。
「用心深いわね。信用してないの?」
「信用はしてなけりゃ、さっさと放り出してる。それとこれとが別なだけだ。あいつには何か圧力がかかった時に、往なせるだけの力がまだないからな。変に利用されても困る」
 ベベルは商工協会の人間でも、どちらかと言えばマリアージュの側だ。微妙な事情をよく理解している。だから預けることにしたのだろう。
「いい奴なんだけどな。素直で。呑み込みも早いし、よく学ぶ。何より、変な野心がない」
「そう。腕は立つの?」
「ガキだったころの俺に比べて腕力が少し物足りん気がするが、まぁ人種差だな。身体ができて来ればってところだ。その代わり、目端がよく利く」
「気に入ってるじゃない」
「じゃなきゃ引き取ってまで仕込まねぇよ」
 ダダンは所属する商工協会でも実績のある人間で、行く先々で若手の教育を頼まれることもあるという。彼自身もそうやって仕事を覚えたから、依頼は引き受けるが、助手や弟子になりたいという者は断っていた。件の子どもがダダンの唯一の弟子にあたる。成り行きで引き取ることになった、と、聞いたときは驚いたが、師弟関係が上手くいっているようでなによりだ。
 彼がひとりでないことに安堵する。
 家族はまだ見つかっていないようだから。
「預けているってことは、今年はどうするの? いつも通り、年末までいる?」
「それも考えている。一度はあっちに顔を出して、問題がなければ、こっちに帰ってくるつもりだ」
「その子、ペルフィリアで何してるの?」
「ベベルの手伝いと、商工協会の仕事だな。協会はガキでも引き受けられる仕事を色々出してるし、個人でこなしていけば実績がちゃんとつく。俺がいると色んな融通が利くが、ひとりで受けるとそうじゃないこととかな、学べることが色々ある。課題も残してあるし、やる事には事欠かんさ」
「なるほどね。……あぁそうそう。早めに出るなら、東沿岸を見て来てくれない?」
 この大陸の東沿岸はメイゼンブルから距離が近い分、その崩壊の余波を真っ先に受けた地域である。地図の空白が長く目立っていたが、小さな国がいくつか立ち上がっている。
 数年前、聖女教会の王位継承法の改定が行われ、女王の条件を満たす女子が国内にいない一代に限り、聖女に最も血の近い直系男子を王に立てることが可能となった。その結果だ。
「こちらからも人を遣って様子を見ているけど、あんたから見てどうかも知りたい」
「俺もそれは見ておきたいな。……本当は西海岸を回るつもりだったんだが。国がいくつか、がたついたんだろ?」
 西は大陸会議にも参加したドンファンらの国々が連なる。その周辺の国が王位継承で揉めたのだ。男にも王位がもたらされ得るという可能性に、姉姫を誅殺しようとした王子が出たのである。
 マリアージュは嘆息した。
「なに。他の大陸でもう噂になってるの?」
「いや。アリガの伝手でな。詳しい話を聞けた」
「どういう伝手よ……あの子は元気?」
「あぁ。手紙を預かってる」
 ダダンが身じろぎしかけ、手紙を出すためにはアンナを引きはがさなければならないと気づいたらしい。マリアージュは笑ってアンナを引き取ることにした。
「アンナ、母様の方に来なさい」
「うーや」
「やじゃないの」
「う」
 アンナは眠たげに目をこすると、再びダダンにしがみ付いて寝てしまった。
 こめかみを押さえて彼に告げる。
「手紙は後でもらうわ……。何でこの子、あんたにそんなに懐いてるの」
「知るかよ」
「重くない?」
「お前よりは軽いな」
 マリアージュは思わずダダンの脇腹を殴った。子供を庇って彼はまともに拳を食らった。横倒しになった衝撃で起き上がった娘をマリアージュはすかさず引き寄せる。
「んん……おかあさま?」
「寝てていいわよ。……そういえば、さっきから気になってたけど、なぁに、この三つ編み。あんたがしたの?」
「そうだよ……」
「へたくそ」
「ガキの女の髪なんか触ったことねぇんだよ」
「アンナの中で流行なの。もう長いから、来年も頼まれるかもしれないわ。練習した方がいいんじゃない?」
「安易に娘の髪を触らせるな」
 娘からの髪結いのおねだりを、ダダンは最初、断ったらしい。アンナはしてほしいと言ってきかなかった。最終的に泣かれかけたので、しぶしぶ要望に従ったのだという。
 そのくだりを聞いて、何となくアンナがダダンに懐いている理由の一端を見た気がした。
 ダダンはアンナにとってわがままな子どもでいられる場所なのだ。マリアージュがマリアージュでいられるような。
 ふむ、と、マリアージュは自分のおくれ髪をくるくる指に巻き付けた。
「……わたしの髪で練習する?」
「そうじゃねぇよ!」
「ちょっと、怒鳴らないでよ」
 娘が起きるではないか。
 マリアージュは渋面になった。ダダンが立てた膝に頬杖をし、深く長いため息を吐く。
「もういい。アリガの近況から話すぞ」
「何でそんな投げやりなのよ」
「ロディマスのやつマジ大変だなって同情してんだ」
「はぁ?」
 首を捻るマリアージュを無視してダダンは遠い異国で暮らす友人の様子を話し出す。
 訪ねたことのない異国の街並み、懐かしい娘の笑い声が脳裏に浮かぶ。
 マリアージュは娘の頭を撫で、男の話に耳を傾けることにした。
 時間は有限だ。
 いまは玉座に縛られるマリアージュが年に一度、男の存在を通して、自由に外を旅できる貴重なひとときなのだから。


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