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第六章 再演する狂信者 3


 カースンは上級貴族十三家のうち中の上に位置する家だ。
 位を昇りたくともガートルードを筆頭とした女王の縁戚の家に上を塞がれ動けない。しかしメイゼンブル公家の姫を繰り返し招き、メイゼンブルとデルリゲイリアの関係性維持に尽力してきた自負のある家。メリアはその家の次女として生まれ、すぐに長女となった。年の離れた姉はメリアが赤子のころに遠くへ嫁ぎ、すぐにまぼろばの地へ旅立った、らしい。
 メリアは姉について多くを知らない。姉の婚姻についての記録はどこにもなく、訃報も人からの伝聞だったのだという、使用人たちの囁きを聞き覚えるのみだ。
 メリアにとって姉は重要ではなかった。自分を取り巻くもののほうが大切だった。
 メリアは色とりどりの花と宝石と絹と菓子に包まれて育った。メリアは両親が大好きだった。特に父が好きだった。父の言う通りに行動すると、たくさんの褒め言葉と花と宝石と絹と菓子が与えられた。使用人、カースン家ゆかりの貴族たち。だれもがメリアを褒めそやしたし、メリアは父の期待に応える可憐な少女だった。ガートルードのアリシュエルも愛らしさにおいてはメリアに叶わない。貴族の子女たちのなかで、メリアはひとつの輪の中心だった。
 メリアは幸運な少女だった。女王候補として選ばれたときも、主神がメリアを国主とするために、家の位の勝る娘たちをまぼろばの地へ招いたのだという父の言葉を信じていた。女王選において父の言うとおりに振る舞えば、さらなる賞賛が待つ女王の座に着けると、メリアは疑っていなかった。
 風向きが変わったのはいつからだったのか。
 メリアが歯牙にもかけていなかった女王候補、マリアージュ・ミズウィーリがちらちら視界の隅を過ぎり始めた。いつしかメリアが中心の輪の中で、マリアージュの化粧とやらについて囁かれるようになった。決定的だったのはアリシュエルが姿を消したあと。
 マリアージュ・ミズウィーリがデルリゲイリアの女王になった。
 メリアは女王選に負けた。
 そのことについてメリアの胸の奥をざらりとしたものが掠めたことは確かだ。しかし大きな問題としては捉えていなかった。これまで通りたくさんの褒め言葉と花と宝石と絹と菓子に包まれると思っていたから。
 けれどもそうではなかった。
 父の関心は妹に移り、使用人たちは不安そうな顔でメリアを見た。メリアは変化を求められた。父を初めとした家の皆や、メリアに優しかった友人たちが何を求めていたのか察せよと言われた。次第にだれの目にも失望が宿り初め、メリアに気を払うのは母ひとりとなった。
 そして昨年の社交季。
 領地に残ったメリアはある日、屋敷の庭先で誘拐された。
(わからない)
 なぜ自分が領地から遠く離れた町の片隅に捕らわれねばならなかったのか。
(わからない)
 なぜ自分が侍女もなく、ひどく臭う汚らしい男女に囲まれて、国まで旅をしなければならなかったのか。
(わからない。わからない)
 なぜ見窄らしい姿をしたマリアージュと、鳥の餌のようなものを食べて過ごさねばならないのか。
 自分と同様に拐かされたクリステル、シルヴィアナ。彼女たちとマリアージュの話の意味も。ベツレイム家当主がマリアージュに向けていた言葉の中身も。
 ただ――……。
 ひとつだけ、わかったことがある。
 父はメリアを捨てたのだということだった。


 デルリゲイリア王城の中枢は混乱の最中にあった。
 マリアージュを更迭したところまでは、一部を除いた概ねどの官も得意顔だった。先代女王エイレーネとミズウィーリ家先代当主フランツの確執は古株ならだれもが知る処だったし、女王に平然と楯突くかの男を忌々しく思うものは多かった。その男の娘があのマリアージュだ。彼女を女王として選ぶとは貴族連中は見る目がない。それが共通の認識だった。
『我々のすることなすことに口を出してばかり――まったく、あのミズウィーリ卿の娘であるというのも頷ける』
『口を出しているのではない。あなたがたが何をなさろうとしているのか、陛下はお知りになろうとしているだけではないのか』
『殿下はおやさしい。あれはただ我々を信用なさっていないだけでしょう』
『――父親からいったい何を吹き込まれていることか……』
(……彼女は何も知らなかった)
 瞑想から浮上してロディマスは胸中でつぶやいた。
(彼女は玉座に誠実だった)
 マリアージュは女王になりたくなかったのだと言った。生きるためにその座を選んだのだと。
 それは生きるためならば国をだれかに売ることもありうるとロディマスに思わせた。
 最後の最後でロディマスは彼女を見誤った。
 マリアージュは女王となった日からその責から逃げたことなどなかった。ロディマスはそれを再認し、官たちは思い知ったのだ。
 マリアージュが玉座から降りて以降、女王の決済を待って積みあがる政務。国外からは大陸会議の決定を遂行せよと絶えず圧力がかかり、その一方、国内は流民による混乱が止まらない。命令するものがいないため、どの問題から取り掛かるべきかが定まらない。
 マリアージュに代わって玉座に、と、貴族が推す娘は呑気なものだった。貴族のどの娘よりも美しく華やかに――贅を凝らした衣装と装飾品を求めてばかりいる。女官たちの数にもこだわった。有能なものを大勢、このかりそめの国主のご機嫌とりに拘束されている。
 マリアージュが姿を晦ましたことで、リリスが女王として承認されていないことを幸運ととらえるべきか。
 そうして半年が過ぎて、王城はさらに混沌としている。
「わたくしたちの不在が真実、詮なきことだというのなら、リリス・カースンが女王候補になったことも理解しえます。新たな女王として祝福もしましょう」
 クリステルの声が大広間の天井に響き渡る。
「ですが、リリス・カースンは混沌へ遣わされた聖女ではありません。カースン家は罪を犯しました。わたくしたちを拐かし、遠くへ連れ去り、この地の土を踏めないように鳥かごに捕らえた……許されることではございません!」
 クリステルの目は怒りに燃えていた。思わず身を引きたくなる迫力があった。
 クリステルは女王候補の中でもその美貌で知れた娘だった。凛とした佇まいは、一輪咲きの薔薇とも朝露に濡れた百合とも喩えられた。
 女王選に敗れたのちも、それは変わらなかった。マリアージュが失態を犯したときは、己が女王になることもあるのだからと笑う余裕もあった。
 その彼女が憤怒をむき出しにしてリリスを糾弾する。
「わたくしはカースン家を糾弾いたします。我が国を混乱に陥れた国賊であると。そして主張いたします。女王候補が戻ったいま、真に正しき女王を選ぶため、〈女王選出の儀〉――女王選を行うべきであると!」
 大広間には役者が集っている。
 かりそめの女王候補リリス・カースン。カースン家を初めとした、貴族の各家の当主。城に務める要職の官たち。騎士たち。
 正式な女王候補、クリステル・ホイスルウィズム。最後に、聖女教会からの遣い、レジナルド・エイブルチェイマー。
 クリステルの主張にその多くがざわめいた。
「ロディマスさま」
 下っ足らずな甘い声が横からロディマスを呼ぶ。
 傍らの椅子に腰かける彼女は、長いまつげに彩られた目を不思議そうに瞬かせた。
「クリステル様ったら錯乱しておられるわ……。お戻りになって早々、急にみなを集めてほしいと要請をだされるから、ご当主に着任された挨拶かと思いましたのに」
(そんなはずがないじゃないか)
 ロディマスは笑い出したくなった。
 クリステルが集めるように指定した人員をロディマスは上座から見渡した。
 入れ替わりは多少ある。けれどもほぼ懐かしい顔ぶればかりだ。
 彼らはいずれも三年前の女王選、その最終日、聖女の祝祭の日、女王候補の投票のために集まった者たちだった。
「カースン家は国賊などではございません」
 群衆の前に躍り出て、クリステルにひとりの男が反論した。
 印象の薄い男だ。薄すぎる、といったほうがいいかもしれない。廊下で何度もすれ違っていたとしても覚えていない。
 彼がレジナルドだ。
「カースンの皆さまほど、国に奉仕している存在はございません。カースン家は過去、多くの血を聖女と分け合われました。その回数は抜きんでている。カースンの皆さまのご奉仕は、あぁ、われらが聖女もずっとご覧でしょう」
 彼は両腕を天井に向けて広げた。あたかも主神に裁定を仰ぐかのようだった。
「祝福あれ。幸いあれ。教会はカースン家を支持いたします。それはこの国に安らぎをもたらすでしょう……!」
 レジナルドの発言にも一理ある。
 デルリゲイリアにおいて聖女教会の力はそう強くない。だが聖女を絶対視する他国にとっては別だ。
 マリアージュを追い出した貴族たちは皮肉にも、諸外国との関係性の構築を理解し始めている。マリアージュ不在のデルリゲイリアに対して他国のあたりは辛いからだ。加えて、マリアージュが進めてきた流民政策がとん挫して、各領地の穀倉や工房街が急速に荒れ、大陸中が穏やかならざる状況にあることを目の当たりにしたためだった。
 諸外国と連携をとるためには、彼らに重んじられる必要がある。
 聖女教会の支持はその一助となる。
「おだまりなさい、教会の犬」
 クリステルが扇を口元に当てて冷ややかに言った。
「わたくしはこの国の貴族に話しかけています。そう。とりわけカースン卿、あなたに」
 衆目がリリスとその隣に立つカースン家当主に注がれる。
 かつ、と、クリステルが一歩踏み出す。
 リリスを挟んで逆隣りにいたロディマスは彼女たちの顔色を伺うべく身を引いた。
 カースン家の当主は若い男だった。若すぎるといっていい。リリスと並ぶと親子というより兄妹のようだった。
「――証拠はおありですかな」
 カースン家当主はクリステルへ静かな声音で尋ねた。
「わたしとて、娘を誘拐されている身です。わたしが娘をどこかへ追いやらんとしたとでも? その理由は? 確証のないことを口になさるものではない」
「父が自供いたしました」
 クリステルは己の胸に手を当てて述べた。
「まずはわたくしが恥じ入るべきでしたね。……この度の女王候補の失踪はカースン家のみで画策したものではございませんでした。女王候補を持つ家の当主が共謀した、その結果です」
 彼女の告白に観衆が再びざわめいた。
「父はわたくしに言いました。わたくしのためであったと。マリアージュの次はお前が女王となるべきだと。そのために力を尽くしただけだと……ふっ……あははははははははっ!」
 狂人のように高らかに笑って、クリステルは叫んだ。
「冗談ではありませんわ! 父たちの愚かさのおかげで、わたくしは――わたくしたちはみな、どれほどの苦渋を舐めたか! この半年! どこともしれない鳥かごに収められた! 見も知らぬ男たちに値踏みされ! 醜い女たちに監視され……笑わずにはいわれない! あぁ、あれほどまでに父が愚かだなんてわたくしは存じませんでした!」
「……そうしてホイスルウィズム卿を責め立てましたか。脅迫された自供に証拠能力はございませんし、共謀だとは、それこそ彼の妄言ではありませ」
「ホイスルウィズム卿はこのわたくしです」
 クリステルはカースン家当主の発言に被せて告げた。
 火花散るような怒りに満ちた声音に、聞いているほうが背筋凍るようだった。
「また、あなたが最初の旗を振ったことはベツレイム卿も自白いたしました」
「それこそわたしたちを陥れようとする妄言では?」
「かもしれません。ですが、証拠などという些末なことはどうでもよいのです」
「……は?」
「ロディマス・テディウス閣下」
 クリステルがロディマスに向き直る。衣装の裾を摘まみ上げ、優美に一礼する彼女は正気に見えた。
 ロディマスは穏やかに尋ねる。
「何でしょう、ホイスルウィズム卿」
「わたくしの申し出は誤りでしょうか。女王は女王選を通じて定めるものではないのでしょうか?」
「至極まっとうなご意見ですね」
 リリスが驚いた顔でロディマスを見上げる。
 ロディマスは彼女を一瞥しながらクリステルの問いに答えた。
「女王を女王選で決するのは、この国の習わし。……王が不在のいま、女王選を今一度というあなたのご意見は正しい」
「行えますか?」
「えぇ、ですが、十月十日を掛けて社交する必要はないでしょう」
 そのような余裕はない。
 デルリゲイリアにはいますぐにでも必要だ。
 国の行く先を示して号令をかける女王が。
「ここで決めましょう。聖女の祝祭の日のように。女王候補の皆様の意思を図って、貴族投票を行うのです」
「ロディマス様!」
 リリスが立ち上がってロディマスに縋る。
「突然、何をおっしゃるのですか。わたくしが女王です!」
「いいえ、あなたはまだ女王ではありません」
「あなたがわたくしを認めてくださらないからでしょう!」
「わたしはマリアージュ・ミズウィーリ・デルリゲイリアの死をもって、あなたの即位を認めると申しましたが、あの方の遺体はあがっていない。したがって認められません」
 それがロディマスのささやかな抵抗だった。
 そしてマリアージュが逃げ回り、時間を稼ぐに従って、ロディマスの意見を支持するものは増えていった。
「姿を消された以上、マリアージュ嬢を現女王と扱うことは致しません。したがって玉座は空位です。そしていまここには女王候補がおいでになる」
 ロディマスはリリスの手を外した。
「……貴族の総意として女王に選出されたお方にわたしは宰相として従います。先代女王エイレーネの息子としてね」
 リリスは愕然とし、その父はロディマスを睨んだ。ロディマスは彼らににこりと笑った。そのまま貴族たちに語り掛ける。
「諸君もどうだろうか。わたしの意見に賛同するものは拍手を」
 ぱん、と、最初に手を打ち鳴らした男はアッセだった。
 広間の入口を守る彼のそれが呼び水となって会場は拍手で満ちた。
「意義を唱えます」
 その発言は観衆たちのなかから出た。
 ロディマスが面を向けると、声の主が進みでるところだった。
 ロディマスは眉をひそめた。あまり見たくない顔だったからだ。
 バイラム・ガートルードである。
「どの点に? ガートルード卿」
「ホイスルウィズム卿は証拠もなき罪でカースン卿を糾弾し、皆の印象を操作された……。このままではリリス様がおかわいそうではありませんか」
「あなたはカースン卿が女王候補の誘拐に関わっていないことを支持されるんだね」
「さようです。なぜなら関わっておられないからです」
「……まるで真実を知っているかのような言い方ですね」
「存じておりますから」
 バイラムはそう言ってクリステルの隣に並んだ。
 さすがの彼女も目を剥いて身を引く。
 バイラムは嗤って宣言した。
「あぁ、主よ。ここに告白いたしましょうぞ! 女王候補の方々の退場を願ったのはカースン卿ではない。……この、わたしであると!」
 広間が静まり返る。
 ロディマスはバイラムに問うた。
「あなたが女王候補たちをかどわかしたと?」
「さよう。……だが、これは断じて国賊の行いではない。わたしは救済を行ったのだ!」
「……救済?」
「そうとも! 知っているかね、ロディ。いま、聖女の正しき血統は希少なものとなっている。世界の安寧のためには聖女の血を残さなければならない。この国は協力を求められていた。レジナルド殿はそのために来られた!」
 皆が一斉にレジナルドを見る。ロディマスもそれに倣った。衆目に晒された男は薄く笑っていた。
「わたしは女王候補の方々と面談いたしました」
 レジナルドは言った。
「どなたが一番、女王に相応しいか。その結果がリリス・カースン様です。女王とならないのであれば、聖女の血はしかるべきところに残されなければ。聖女の保全を、図らなければ」
「……つまり、あなたと叔父上が女王候補の方々を陥れたとみなしてよいのかな?」
「陥れたのではありません。間引いたのです」
 レジナルドが口を三日月のかたちに吊り上げた。
「面談の結果、女王候補の方々はいずれもこの国の頂点に相応しくない。聖女を軽んじるものたちばかりだった。それはよろしくありません。だから間引き、別の相応しい場所に植える心づもりであったのです。あぁ、なぜ戻ってこられたのですか。あなたは聖女の血統を増やすという大切な責務がありましたのに」
 クリステルが青ざめた顔で己の腕を抱き、バイラムやレジナルドから距離を取った。
 レジナルドがさらに笑って宣う。
「カースン家は清らかですとも。リリス様は女王に相応しい。教会はそのように支持する。教会は保証する。リリス女王に跪くあなたがたこそ、聖女の高貴な血族(きぞく)である!」
 聖女シンシアの正当なる血筋であること。
 その血が濃ければ濃いほどよい。だから繰り返しメイゼンブル本家の血を入れた家が上級貴族と呼ばれる。
 教会に聖女の血を否定されれば貴族ではいられない。
「……なるほどね」
 その声は囁きほどの声量だった。
 それでも不思議とよく通った。
 まず王城の官たちが反応した。息を詰め、目を皿のようにして、声の主を探し始めた。
「そうやって、貴族の正当性を餌にして、取り入っていったのね」
 こつ、と、靴音が鳴る。
 こつ、こつ、と、調子よく靴音を鳴らす当人は、クリステルの侍女の装いをしていた。
 彼女はバイラムを押しのけてクリステルの隣に立った。
 その姿を認めて、ロディマスは息を吐く。
「マリアージュ……」
 彼女はロディマスを見た。
 どうやら、微笑んだようだ。


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