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第十章 契約する帰還者 1


「余裕はなくとも、玉座の条件をわたくしたちだけで決めることはなりません」
 ドンファンの女王が明言する。
「わたくしたちに許された権限は、ペルフィリアの件のみ。セレネスティ陛下とイェルニ宰相の処遇に関しては、アルマルディ大公からご許可をいただいております。ペルフィリアの分割についても、国境線を元に戻すなら承認されるでしょう。ですが、現時点で定める国主は、女王でなければなりません」
 今回の会議を開くにあたり、小スカナジアの聖女教会と、メイゼンブル宗家最後のひとりであるアルマルディ大公には、彼女たちと太い繋がりを持つ国々が、もちろん根回しを行った。聖女教会は大公をほぼ傀儡としているが、彼女に強く出られると逆らえない。聖女教会は聖女のため――もっといえば、聖女の直系の一族、《魔の公国》のために生まれた組織だからだ。
 《光の柱》を引き起こした聖女急進派に大公はずいぶんと立腹しており、急進派が流布したイェルニ兄妹の疑惑を確認し、会議側で処断してよいと承認を得ている。ペルフィリアの混乱が急進派に与するレジナルド・チェンバレンの謀略であったことは間違いがないので、その被害を抑えるためとするなら、大公の委任を受けた女王たちの連名で国境線を敷きなおし、新たな君主を推挙するまでなら可能である。
 だが、国主の条件には触れてはならない。大陸の国の王を定める教会法に反するし、何よりアルマルディは兄のアッシュバーンを玉座に着けたことで、国も親しい人々も健康な身体もすべて失ったのだ。男を玉座に着けると国が呪われる。それを誰よりも信じている存在がアルマルディ大公その人である。
「あの方の意に反することをこの場で討議してはなりません」
 大公ともっとも面識のあるドンファンの女王は、そのように断言した。
「いま王都にいるペルフィリア軍もわたくしたちが大公の代理だからこそ、国の行く末を委ねているのです。女王の在り方を討議したいのなら、時間が必要です」
 つい先ほど政教分離を提言したゼクストの主従が苦い顔をする。
 マリアージュは頭の中で札をひとつ伏せた。セレネスティが生きている確証があれば、性の別なく王を立てられるよう積極的に支援するが、彼の生死がわからず、ペルフィリアの沈静化を図れないのなら、この方向は急がなくてよい。
 宰相の人生を別のかたちで贖わなければ。
「ペルフィリアの分割には異論ありません」
 そう言ったのは、ファーリルの女王だった。
「わたくしたちの達成目標は結局のところ、暗黒時代到来の阻止です。そしてそれはペルフィリアの沈静化にかかっています」 
「ペルフィリア、落ち着かない。わたくしたち、終戦できない」
「とりあえず、クランはイネカが女王になって、ペルフィリアと終戦したい。二国に別れるならそのどっちともだ。仕掛けたのはこっちのレイナだから、勝手なことを言うようだけど、早くペルフィリアとの片を付けたい」
 イネカとジュノがクラン・ハイヴの意思を表明する。どうやらこの場で終戦協定の締結までもっていきたいというのが、彼女たちの本音らしい。同意に首肯してみせるドッペルガムの女王たちの希望は、クラン・ハイヴの安定化支援にあるのだろう。いくら魔の深い森に双方を隔てられていても、ドッペルガムの隣国はクラン・ハイヴだ。かの国が安定しなければドッペルガムも落ち着くことができない。
 他の為政者たちからの否もなく、ペルフィリアの国境線を元に戻すことが仮決定される。
 ただ、問題はどこから女王を引っ張ってくるかだ。
「わたくしたちの誰かが限定的にペルフィリアの領地も引き受ける、と、いうのは……?」
「クランは無理だ」
 と、ジュノがイネカに代わって言った。
「レイナがむちゃくちゃして、クランは全体的にまずい状態なんだ。イネカがいまから纏めようってところにほかの領土を抱え込んだら、共倒れになる」
 クラン・ハイヴはペルフィリアが荒れた一因でもある。責任は感じる。ただし、ペルフィリアを潰したくないなら、自分たちにこの領地を課してくれるな、と、ジュノはクラン・ハイヴの弱さを盾にした。
「領地を引き受ける、というのは、どういう部分を?」
 ロディマスが曖昧な定義の線引きにかかる。
「ペルフィリアを東西に分割して、二国が引き受けるということですか。責任の範囲は? 自国と同じ統治をせよ、ということでしょうか。それとも、仮の女王として名を貸すだけ? 条件如何によって、負担が全く変わりますが」
「ペルフィリアの中央から西部……つまり、元のペルフィリア領は、仮の女王を置くだけで、政治の面は問題ないかと」
 ゼクストの宰相が意見を述べた。
 ペルフィリアにはゼノ・ファランクスを中心に、有力貴族の男子が残っていた。宰相のディトラウトも、意識不明だが生きている。中央から西に掛けての領地を治める貴族たちも、教会が発した王位詐称疑惑に、セレネスティたちから距離を取ったとはいえ、王都から逃された官吏たちの受け入れはしていたようだ。統治の指示さえ出されれば、思ったより速やかに復興に向かえる、というのが、この三日間、様々な資料や聞き取りで調査をして出た結論だった。
「とはいえ、金銭的な援助も必要になるかとは存じますが……」
「具体的にはどの程度の?」
「ペルフィリアの歳費から……概算で、おそらく、一年で、ゼクストの歳費ほどの」
 国土面積だけで述べれば、ゼクストはデルリゲイリアの半分、いまのペルフィリアの四分の一もない。それでも、一国を運営するほどの莫大な金がかかる。
 他国で折半しても、仮の女王となる国の負担が最も多くなる。《光の柱》でどの国も疲弊して、むしろ自分たちの方が支援を欲しいぐらいである。加えてもし東部まで支援するとなれば――……。
 会議室の空気が重くなり、ドンファンの女王が話を進めた。
「……東部の方はどうなの?」
「代官を置いて治めさせるだけでは、土着の領主に競り負けるでしょう。こちらは女王の直接統治が必須となります」
「可能なら、小スカナジアから貴族筋の女子を出していただくのがよろしいでしょう」
「その理由は?」
「我々はザーリハの主力団体に、似た提案をしたことがございます。しかし物別れに終わりました。国を侵略したいだけなのではないかと。すでに一度、侵略を受け、ペルフィリアに併合されていて、なおかつ、土着領主が力を残しているなら、我々の誰が女子を出しても、ザーリハと似た受け取られ方をする可能性があります」
「……小スカナジアにそのようなことを要請しても、すぐに話は通らないわ。女子を出したがらないでしょうし……」
 再び議論が煮詰まろうかというときだった。
 考え込んでいた素振りを見せていたサイアリーズが、唐突に口を開いた。
「ゼムナム国内にひとつ、あてがあります」
「カレスティア宰相、ウェスプ宰相は小スカナジアの女子と言ったのよ」
「もちろんです、フォルトゥーナ陛下。……わたくしの申し上げるゼムナムの宛はもちろん、メイゼンブル筋の女子です」
「……アバスカル卿の姪の方?」
 マリアージュが控えめに尋ねると、サイアリーズは破顔した。
「ご明察です。さすがでいらっしゃいますね、マリアージュ女王陛下」
(……最初から、ソレが狙いだったのね)
 サイアリーズは伯父ヘラルド・アバスカルと誰を女王に立てるかで対立していた。ヘラルド自身は聖女教会急進派に属し、小スカナジアで死んだが、彼が玉座を与えたがっていた彼の姪は、《光の柱》を経てなお健在だということである。
 彼女はメイゼンブル上位貴族の生き残りだと聞いている。現在のゼムナムの女王である、アクセリナを年齢や血の薄さから認めない対立派の旗印だ。それを遠方に女王として封じてしまおうとは、サイアリーズらしい豪胆な考えである。
 ゼムナムとペルフィリアは大陸内で最も距離が空いていて、侵攻もされにくい。その姪が敵になっても影響が少なく、味方になれば遠方に拠点を置くことができる。
「彼女は《魔の公国》の崩壊時、伯父のヘラルドを訪ねてゼムナムに滞在していたため、難を逃れたメイゼンブル宗家の傍系です。伯父の一家を頼って長らく我が国においでですが、籍自体はいまだ、メイゼンブル――つまり、小スカナジアに」
「……その方を、女王にできるのですか?」
「問題ございません」
 アクセリナは沈黙しているし、サイアリーズの口ぶりから、もうアバスカル卿の姪の身柄を確保し、根回しもすべて終わっているという感触だ。
 元々、あてがあるのに、サイアリーズはその存在をすぐには告げなかった。
 他に誰もいないと確証を経て、アバスカル卿の姪をペルフィリアの東部に押し込むつもりだったに違いない。
 名案でしょう、と、言わんばかりにサイアリーズが微笑む。
「聖女教会急進派とセレネスティ陛下らの誅殺を謀った蝙蝠を処罰した上で、安全と思われる土着の貴族を王配にすれば、東部はひとまず落ち着くのではないでしょうか。……彼らはずっと、セレネスティ陛下に統治されてきたのです」
 彼らは主権を求めて戦ってはいなかった。
 今回の騒動に関わった輩も、セレネスティが男子なのだ、という教会の主張があり、義憤に復讐心を掻き立てられたものが多いはずだ。
「つまり、正当な血筋の頭を与えれば満足する。そういうことでしょう?」
「統治の初めは観察の官吏も合同で置くのはいかがでしょう」
「賛成いたします。複数か国の監視の目があれば、下手な動きはできないでしょう」
 ドンファンの宰相が述べ、ファーリルの女王が後押しする。
 ロディマスが資料をマリアージュに回す素振りで短い書きつけを見せる。
『鈴蘭、狼は予想通り』
 鈴蘭はドンファン。狼はファーリルだ。
 マリアージュたちは集めた情報から各国の狙いを推測していたが、会議中の発言から間違いないだろうとロディマスは判じたらしい。
 二国はペルフィリアの東部に自国から人を派遣したがっている。
 彼らの狙いは、おそらく、魔術に依らない技術の職人と東部で行われていた実験結果だ。
(……魔術師を《光の柱》で失ったのは本当なのね)
 ドンファンとファーリルは、メイゼンブルで学んだ魔術師を多く抱えていた国である。小スカナジアと繋がりを残す官吏が多く、聖女教会への探りや根回しもこの二国が多くを担っていた。
 逆を言えば、聖女教会急進派と繋がりのある有力者が多くいた、ということである。
 マリアージュはドンファンとファーリルを訪れたことはないが、国の維持にいまだ多くの魔術を使っていると聞く。
 《光の柱》で急進派に属していた魔術師が多く消えたなら――それを補填する技術を早急に確保しなければならない。
 マリアージュは了承の徴に資料の端を指で叩き、ロディマスの方へ押し返した。
(……これで、すべての国の目的の目星がおおよそついたかしら)
 ゼムナムは国内の厄介払いを。
 クラン・ハイヴは早期の終戦と国内の立て直しを。
 ドッペルガムはその後押しによる国の安寧を。
 ドンファンとファーリルは魔術師に代わる技術者を。
 ゼクストは王位条件変更の可能性を通じた、近隣の情勢安定を。
 そして出来得るかぎり、出費は少なく、嫌な部分は他の国に押し付けたい。
「……もう一度、確認したいのですが」
 マリアージュは手を組んで首をかしげた。
「東部の女王はゼムナムの推挙された方でよろしいでしょうが、中央から西を同じ方に治めさせてはならないのですね? 内乱になる可能性が高いから」
「おっしゃる通りです」
「では、元のペルフィリアの領地は、どなたが?」
 女王たちの視線がひととき泳ぐ。
 マリアージュから目を逸らさなかった者は三人。サイアリーズ、イネカ・リア=エル、フォルトゥーナ。
 皆、訪れるにも苦労する領地をむやみに手に入れたくないのだ。無補給船の港があるだけの、もしかすると本当に「男が治めて、呪われていた」かもしれない、ただ広いばかりの領土ならなおさらだ。
(――いいでしょう)
 なら、お前たちがいらない部分を、わたしが貰っていきましょう。
「わかりました」
 マリアージュは厳かに宣言する。
「東部を除くペルフィリアの領土を、わたくしが預かります」
 執政者たちは安堵と疑心、そしていくばくかの遠慮が綯い交ぜになった目でマリアージュを見た。
 ドンファンの女王が躊躇いがちに問いかける。
「それは……デルリゲイリアがペルフィリアを併合する、ということでしょうか?」
「表面的にはそうなりますが、ペルフィリアの名は消しません。あくまで一時的なもので、国主のめどが立ち次第、切り離します。そうですね、ファリーヌ女王がおっしゃっていたように、長くても、三年以内」
「三年……なぜ、三年?」
「それだけあれば、王位継承の条件を討議することが可能なのでしょう? ね、ファリーヌ様」
 フォルトゥーナの問いに答えながら、マリアージュはドンファンの女王に同意を求めた。
 彼女は先ほど、国主の条件を変えるための期間に「三年」という具体的な数字を出した。それは何も適当に口にしたわけではない。
 商工協会(ダダン)の筋で調べてもらったが、小スカナジアの大公アルマルディの命は長くないという。高密度の魔力を浴びて、魔を受け付けない身体になった彼女は、初回の大陸会議でも挨拶のみですぐに奥へ引き払った。
 きっとドンファン側で掴んでいる、アルマルディの寿命が三年で、彼女が不在になれば、真実、《魔の公国》が終わる。
 《魔の公国》を中心とするべく定めた、女王が王位を継承するべきという条件を、教会はどうあがいても変えなければならない。
 そのときを狙えば王位の男子相続などの議論も可能、ということだ。
「……マリアージュ様は王位継承条件の変更を推進していらっしゃるのですね?」
「ロヴィーサ女王とウェスプ宰相に賛同いたしました通り、えぇ、そうです。変わらなければならないと思っています。たとえ、わたくしが玉座から退くことになっても」
 マリアージュは自嘲に嗤った。
「わたくしは国をよりよくするために女王として選ばれましたが、無力を感じることの方が多い。わたくしより優秀で国をよく導ける可能性を潰す必要はございません。なにより――……」
 マリアージュは目を伏せ、ため息まじりに告げた。
「聖女の血脈を尊ぶあまり、人の尊厳が踏みにじられ、戦が起こり、人々の繋がりが引き裂かれるさまを見るのは、もうたくさんです。皆さまも、そう思うでしょう?」
 ここに集まる執政者たちは、マリアージュの問いかけに顔をしかめたとき、誰の死を思い浮かべたのだろう。
「……マリアージュ様のお気持ちには賛同いたします」
 フォルトゥーナが静かに宣った。
「ですが、マリアージュ様は本当に、王位の条件を変えることが叶うとお思いですか?」
「初回、政教分離に賛同されていたあなたがそこまで反対されるとは思いませんでしたね」
「反対しているわけではありません、マリアージュ陛下。わたくしも叶うなら、国をよく導けるものならだれでも王になる資格を持てればと思っている。ただの村娘に過ぎなかった過去を持つわたくしにはなおのこと」
 彼女は胸に手を当てて言い募る。
「ですが、古き伝統に、信仰に、爪を立てるというのは容易ではありません。ここにいる執政者たちの意思がひとつになるだけでは足らない。末端の官、民のひとりひとりに、この時代を変えるのだという意志を浸透させてこそ……。それを、わかっておいでなのですか!?」
「わかっています」
 マリアージュは決然と答えた。
「何かを変えることを望むとき、そこにはまた新たな戦いが生まれるかもしれないということは」
 この大陸は北東南のそれらとは異なり、《魔の公国》、ひいては聖女の名の下に束ねられてきたからこそ、長く、永く、安泰であった。
「ですが、ここで覚悟を持たなければ、結局は治めるべき者を持たぬ土地が増え、《西の獣》は荒れるでしょう。わたくしたちの国もそれに呑まれる。そうなる前に道を敷く、いまが、その試しのときだと思うのです」
「――皆さまも、マリアージュ陛下と同じ覚悟を持ち、賛同なさっているのですか?」
 フォルトゥーナが全員に問いかける。
 執政者たちは無言で、しかし確かに重々しく首肯した。
 フォルトゥーナが淡く笑う。
「――失礼しました。わたくしからもうマリアージュ様に異論はございません。続けてください」
「わたくしからひとつよろしいでしょうか、マリアージュ女王陛下」
 サイアリーズが挙手をして発言を求める。
「先も申し上げましたが、聖女教会に王位の条件を変えさせるのは難解でしょう。たとえそうせざるを得ないとわかっていても、彼らは折れない。……三年以内に、彼らを説得する策が陛下におありなのですか?」
 マリアージュはペルフィリアを背負うと言った。
 デルリゲイリアがそうすることを狙ってはいただろうが、マリアージュがあまりに簡単に引き受けたから、サリアリーズは逆に不安になっているらしい。
「もちろんです」
 マリアージュはにこりと笑って答えた。
「まず手始めに、わたくしは、ディトラウト・イェルニを殺そうと思います」


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