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第六章 昏迷する民人 1


 ダイが市庁舎の玄関広間にたどり着くと、難民が来ただけというにはやけに物々しい雰囲気が漂っていた。何でも、当の難民が暴れたらしい。詳しいことはイネカに聞いた方がいいと顔見知りの役人に近場の部屋を案内される。入り口近くにはイネカとジュノ、ファビアンとセイスまでが揃っていた。
 や、と、軽く手を挙げるファビアンに、ダイは歩み寄りながら尋ねる。
「ペルフィリアから難民の方が来たって聞いたんですが……おひとりだけですか?」
 ダイはファビアンの肩越しに室内を覗き見た。明り取りの窓が天井近くにあるだけの、やけに殺風景な小部屋である。その部屋の中央で屈強な兵士が三人がかりでひとりの男を抑え込んでいる。砂まみれの外套を身に着けた彼がおそらくペルフィリアからの難民だろう。が、むしろ侵入者や犯罪者としての扱われ方である。
「……彼が何を?」
「窃盗を働いたみたいなんだ。いや、彼がじゃなくて、彼の連れたちが、かな。市には少人数で申請して入ってきたんだけど、こっちに連絡が来て、聞き取りのための人を遣る間に……配給の携帯食と麺麭と招力石の屑を」
 ルグロワ市に入ってきた人数は五人。うち、ふたりが窃盗し、残りの三人の制止にも関わらず市の外へ逃走。ひとりが囮になって、残りふたりも市外へ脱出。
「で、最後のひとりが彼、ですか。……三人も兵を付けるって、かなり暴れたんですか?」
「うんにゃ。どっちかっていうと、見せしめ?」
 ジュノがダイの問いに答える。
「窃盗するとおっかない兵が数人がかりでぼこぼこにして尋問すっからなっていう……。人前で盗みはやってほしくなかったんだよなぁ。せっかくいい感じに秩序だってんのに、真似する奴が出てくるじゃん」
 盛大なため息を吐くジュノに、ダイは胸中で同意した。
(確かに)
 ルグロワ市民と保護されている流民が犯罪しない理由は意味がないからだ。簡単な労働で衣食住が賄える、というかたちを市が作ったから、盗みよりそちらのほうが楽だと認識されて落ち着いているにすぎない。
 犯罪の方が旨いと見なされたなら、市内の秩序はあっという間に崩壊してしまう。
「もーちょっと、色んな話を聞きたかったのに。手荒なことしたせいか、残念ながら黙りっぱなし」
「それなのにわたしたちを呼び出した理由は何ですか?」
 新しい情報が得られもしないのに、ダイたちのような他国の人間を尋問に同席させる理由はないはずだ。
「見覚え、ない?」
 イネカがダイに問う。首をかしげるダイへジュノがイネカの言葉を補足した。
「イネカがどっかで見たことある気がするんだと。多分、大陸会議で見たんだ。つーことは、どっかの要人か、その随行員ってことだ。あんたらも一回目の会議には来てたろ。あのにーさんの顔に覚えがねぇかと思って」
 ほれ、と、ジュノが室内を指さす。
 兵のひとりが男の面を上げさせた。
 ダイは息を呑んだ。
(マーク)
 ペルフィリア宰相ディトラウト・イェルニの近衛のひとり。
 砂にまみれ、髭も生えたせいか、ずいぶんと風貌が変わっている。ただダイがペルフィリアで半年、終日、顔を見ていた男だ。間違いない。
 ジュノが笑う。
「知ってる顔」
「……ペルフィリア宰相と、歩いている姿を、見たことがあります」
「……近衛かな。腕が立ったみたいだし」
 ダイの回答を受け、ジュノが顎に手を当てて呟く。
 男の身のこなしが素人ではなかったからこそ、三人も兵を付けたままらしい。
「どのような情報が欲しいんですか?」
「ペルフィリアからここまで来た経路とその辺りの現状。あとはあいつの仲間のこと」
「窃盗をして逃走した方々のことでしょうか?」
「そいつらも含めてだなぁ。……あのさ、市に入ったところで、あいつらは人数分の配給食を受け取ってんだ。それなのに、あいつらはさらに盗んだ。……多分、市の外にまだお仲間がいるな。探させてるけど……。このにーさんが宰相と仲良く歩いてたことがあるっていうなら、にーさんとお仲間の素性、逃げてきた経緯――本当に逃げて来たのか、っていう部分も含めて知りたいよな」
「……わたしが話をさせてもらうことはできますか?」
「ダイ」
 咎めの声が護衛たちから飛ぶ。ダイは笑顔で彼らを制して、ジュノたちに向き直った。
 ジュノと目で会話したイネカがダイに問う。
「あなたが話す。進展、ある?」
「わかりません。クラン以外の方が話しかければ、また違った反応があるかと思っただけです」
「あぁ……」
 ダイの指摘にジュノが唸った。
「戦争ふっかけた側だもんな、俺ら」
「お願いできる?」
 イネカの依頼にダイは微笑んだ。
「ありがとうございます。あと、できればファビアンさんにも同席をいただきたいのですが。……わたしの身分の証明に」
「かまわないよ。むしろ僕らが話そうか?」
「わたしで反応が得られなければ交代ということで」
「了解」
 それからマークが正直に告白した場合、彼と彼の仲間の対処について、ダイは二国の代表たちと簡単に打ち合わせた。各自の文官にも仮の書面を起こしてもらい、署名を一筆してから護衛を連れて会議室に入る。
 男が面を上げる。
 ダイの顔を見た彼から息を呑んだ気配がした――やはり、マークだ。彼の双子の兄弟などではないらしい。
 ダイはブレンダに囁いた。
「ブレンダ、彼がわたしを害さない限り、動かないでください」
「……害する意思を感じたら即刻あなたを引きはがします」
「いいでしょう」
 ダイを容易く失神させる方法を、マークはよく知っている。考えたくないが、小柄なダイを人質にとって逃げ出す可能性もあり得た。
(……彼自身の素性。それから、連れている人たちのこと。ここまで来た経緯。最後に、ペルフィリアまでの情報、ってところですかね……)
 ダイは胸中で質問の優先順位を付けた。本心としては三番目あたりから聞き出したいが、まずは彼に自身の立場を表明させなければ。
 マークの眼前に跪いて彼と視線を合わせる。
「初めまして、ダイと申します」
 間近に顔を覗き込まれて困惑する彼に、ダイは努めて柔らかな声で、平易な言葉を選びつつ語り掛ける。
「デルリゲイリアで働く役人のひとりです。女王陛下の命令で、一時的にこのルグロワ市に派遣されています。こちらはここの南の隣国ドッペルガムから来ているお役人、ファビアン・バルニエ様」
 ダイの背後にクレアを伴って立つファビアンが目礼する。
「クラン・ハイヴの方々から安全だと言われても、ペルフィリア人だというあなたは信じづらいかと思いまして。わたしからお話させていただくことになりました」
 と、前置きをした上で彼と彼の仲間の身の安全を三か国の名の下に保証することを約束する。盗みを働いた当人に関しては処罰を受けてもらうが、人道に則ったものであることまで宣誓し、急ぎ作ってもらった書面もマークに提示した。
「つまり、あなた方を助けたいわけなのですが、誰なのかわからない人たちへむやみに助けの手を伸べられません。……ただ、お話の前にここまでしたのも理由があります。あなたを大陸会議で見かけたという方が、ここにいます」
 ダイと目を合わせないようにしていたマークが視線をそろりと上げる。
「あなたをしかるべき地位の方とお見受けしますが――まず、あなたのお名前は?」
 ここで彼にとぼけられたらそこで終わりである。
(答えてほしい)
 自分はすでにこの男の信頼を裏切った。
 だから信じないかもしれない。仕方がない。
 手を挙げれば容易く触れられる距離はダイのせめてもの誠意だ。
 マークがダイを見つめ、ふっと笑った。
「わたしは――……」


「――明朝、ルグロワ市を出立します」
 マークを交えた情報交換と、イネカたちとの打ち合わせを終えて、宿舎に戻って即座にダイは宣言した。
「市中にいる人たちは戻りましたか。各所の責任者には半刻後までにはわたしの部屋に集まるよう通達を。隣の町へだれか早馬をお願いします」
 生きがけにファビアンたちと合流した町には連絡員を残している。彼らには急いでこちらへ来てもらわなければならない。
 ダイの指示を受けて、隣を歩いていたアレッタが踵を返す。宿舎の中が俄かに慌ただしくなっていく。
 部屋で留守居をしていたヤヨイが、おかえりなさいませ、と頭を下げて続けざまに告げた。
「アルヴィナ様から使い魔が参りました」
「いいですね。アルヴィーは何て言っていましたか?」
「軍をペルフィリアの国境まで浸透。制圧したとのことです。逆に南部の空白地帯は流民の混成兵が撤退したので推奨しないとのことでした。東国境領まで来てくだされば、安全を担保できると。移動に関しては急がせて欲しいと仰せでした」
《光の柱》のせいで上空の魔がかなり荒れている。先日の急激な気温の低下もそれが理由にあるようだ。豪雪、大雨、逆に妙な日照りになる可能性がある。移動できる状況にあるうちに行動を起こしてもらいたいとのことだった。
「アルヴィーに使い魔で返信してもらっていいですか。ペルフィリアの状況を把握したため、明朝、ルグロワ市を出立、大陸会議戻りと同じ道を使います。ペルフィリアの状況の件は、後で整理してお伝えします。準備をお願いしても?」
「かしこまりました」
 《使い魔》は核の種類や刻んだ術式、注いだ魔力量で伝えられる情報量に大きな差が出る。アルヴィナとヤヨイが使役するそれの扱う情報量は大きなものだけれど、ペルフィリアの内情を使い魔に載せるなら多少の調整が必要のはずだ。
 砂除けの外套を脱いでヤヨイに渡す。着替えの手伝いは不要だと彼女に告げて、指を折りながら出立前に挨拶すべき人をダイが数えていると、壁際に控えていたユベールが躊躇いがちに口を開いた。
「あの……本当にペルフィリア経由で戻るんですか?」
「そうですよ」
 ダイは筆記具を机から引っ張り出しつつ頷いた。
 今後の関係を構築するに当たって挨拶しておいた方がよい重要な人物を思いつく限り書き出しながら、ユベールへの回答を補足する。
「マークさんがおっしゃっていたでしょう。《光の柱》の後、タルターザ近郊に浸透していたクラン・ハイヴ軍は消滅。ペルフィリア軍はヘルムート将軍の下、王都へ引き上げ。ちょうど、アルヴィーからペルフィリア近接領の制圧は終わったと来ましたし。天候が変わりそうなら、なおさら急いで抜けたいです」
「それで……河を下るの?」
 タルターザ、つまり、ペルフィリアと隣接するエスメル領へは船で向かう。イネカから船を一隻、借りる手続きはすでに済ませた。
 ランディにダイは首肯した。
「そうです。早いですし……。何せペルフィリアの流民が安全を保障してくれた道です」
 ダイの求めに従って身分を明かしたマークは、ペルフィリア宰相の命に従い、二十名余りの王城勤めの官とその家族を連れて、東南の国境近郊へ逃げ込む予定だった。ところがペルフィリアに併合された元他国のその領地は王城関係者を拒絶。マークを含めた騎士数名は西へ転身。追い立てられるようにしてタルターザ領域に至り、そこで《光の柱》を見た。
 タルターザは(正確にはそこからやや離れた平原だが)ペルフィリアとクラン・ハイヴが戦端を開いた場所にして、最大の戦闘領域だった。それが、クラン・ハイヴ側に属する仕官級の兵士が軒並み消えて混乱したことで、タルターザ戦線は崩壊。ペルフィリアも内部に兵が引き上げたことから、逆にクラン・ハイヴへ抜けて流民に混じった方が安全だと見て、そのままエスメル領へ。
 エスメル領にはルグロワ河の支流が流れていた。ダイが河に転落し、農村へ流れ着いたきっかけともなったあの支流だ。マークたちは真水を求めてその川沿いを登っていき、たどり着いた場所がルグロワ市だった。
 マークを含む健常なものがまず様子を見て、と、市内に入ったまではよいが、思いがけず平穏な様子を見て、若手が苛立ち紛れに盗みを働いた、までが、マークが捕らわれることになった顛末らしい。
「あっちが嘘を吐いているとか、可能性はない?」
「ペルフィリアやエスメル領の状況について? ありますが、いまここで嘘を吐いても彼らに利益がありません。自分たちの保護者を不愉快にさせることはこれ以上ないでしょう。むしろ、窃盗を働いた仲間を殺されないように用心しなければならないぐらいですから」
 ダイはランディに答えながら、紙に書き留めた要人の名前に番号を振って優先順位を決めた。あとでこれをアレッタに渡して差配してもらえばよい。
「もらった情報が現状にそぐわなくなる前に移動したい」
「……無法地帯を抜けるつもりはなかったのですか?」
 ユベールが半信半疑といった顔で問いかける。
「ルグロワ河を下る船、前から考えて……リア=エル議長に伝えていたのではないですか。そうでなくてはさすがに今日明日で船の準備は整わないでしょう」
「さっき、話しかけたことですけれど」
 ダイは筆記具を握っている次いでに任命書を幾枚か書きつけて、ユベールに微笑んだ。
「わたしは元よりルグロワを出た後、ペルフィリアへ向かう予定でした。なんですけれど、使節の皆とここで別れてしまうと、アッセに約束した、皆を国許に帰す約束を果たせたのかわかりません」
 ダイが単独で抜けた場合、使節の護衛を割くことになる。だからエスメル領からペルフィリアへ入り、デルリゲイリア国境の東へ抜けられる時期を図っていたのだ。マークがもたらした情報はまさしくダイが求めていたものだった。
 アルヴィナからはデルリゲイリアがペルフィリア国境を浸透、つまり、領域侵犯している、と、連絡が来た。上手くエスメル領からペルフィリアに入り、東に折れればデルリゲイリアの軍と合流できるだろう。使節の皆は彼らに王都まで連れて帰ってもらい、ダイはそのままペルフィリア王都へ向かう。
「ということで、おふたりはこちらをどうぞ」
 ダイはユベールとランディに任命書を差し出した。
 互いに顔を見合わせたふたりは、顔をしかめてそれを受け取る。
「……わたしに付いてきてくださいますか? いやであれば拒否してもらっても構いません」
 ユベールとランディ、それからブレンダの三名がダイの護衛。アレッタは報告書の山を持ち帰らなければならないため、ヤヨイは護衛の補助として使節に付けて国へ帰す。《使い魔》は決まった言語数の範囲で遣り取りするだけなら、ダイの側に魔術師は要らない。かつて、ヒース・リヴォートがそうやって本国と連絡を取っていたように。
 ダイから任命書を受け取り、ランディがため息を吐く。
「さっき誓ったばっかりで、ついて行かないって言ったらそれこそ恥じゃね?」
「ここで帰ったら妻に離婚をさっそく突きつけられるかと」
 ユベールも苦笑しながら任命書を丸め持った。
 大きな危険の伴う旅の供を命じられたわりには明るい様子のふたりにダイは首をかしげる。
「……何だか、機嫌がよくなりましたね?」
 マークと話したときあたりから、ふたりとも、というかブレンダも含めて、妙に険しい顔をしていたのだ。
「別に機嫌が悪かったんじゃないから」
「じゃあ何だったんです?」
 ダイの問いにランディが呆れた顔をする。
「ダイ。自分がさぁ、男に触られるとぶっ倒れるの、ほんとにわかってる? どんな奴かわからないのにさ、気安く近づいたりするなって話よ。他の国の官の目が合ったから言わなかったけどさ、ブレンダの姐さん、あとで説教ってめちゃくちゃキレてたから、覚悟しときなよ」
「あー……」
 それは怒られるな。と、ダイは天井を仰いだ。
「ダイの迂闊も久々ですね。ペルフィリアから戻って、なくなったように見えたのですが。……相手の求めがあっても、素直に手を出さないでください」
「気を付けます……」
 ダイはユベールへ素直に謝罪した。
(でも)
 ダイは胸中で弁解した。
(――応じたかったんです)
 いつかの謝罪の代わりに。


 マークとの話が終わった直後。退室するダイにマークが控えめに声をかけた。
『お手を、頂戴してもよろしいでしょうか』
 庇うように前へ出たブレンダをダイは手で制した。
 マークの下へ一歩だけ進み出て片手を差し出す。
 彼はその場に跪き、ダイの手をゆっくりと取り上げ、額に押し当てた。
『――あなたのしてくださった、様々な心配り。感謝いたします』
 ――シンシアさま、と。
 かそけき囁きだった。
 気のせいだったかもしれない。そう思えるほど。
 だが、触れたように見せかけて、実際はほとんど接触していない騎士の手は、変わらず温かかった。
『ご多幸を』
 ダイは彼の手を一度だけ握りしめて、離れた。


マークはこれからイネカの下、ペルフィリア女王がいかに優れた為政者であり、罪なき存在かを陳情するためルグロワ市に残る。彼の同行者も事前に宣誓した通り、手厚く保護されるはずである。
 ダイたちは慌ただしく準備を終え、朝霧の濃い明朝に船で出発した。
 まぁ、多少の予定外はあるにはあった。
「まーそんなわけで、僕もダイについて行くね」
「どういうわけですか、ファビアンさん」
 出航直前に乗り込んできたファビアンとその一行にダイは唖然とした目を向けた。
「ダイたちだけじゃ大陸会議の特使を名乗るに不十分だろうって、陛下からの命令なんだよ」
「ドッペルガムの使節の皆さんはいいんですか?」
「そっちはセイスが明日にも連れて帰るよ」
 ダイがペルフィリアへ向かう旨はファビアンにも少し前に伝えていたから、セイスが《使い魔》で国許に報告していたとのことだった。話を聞いたフォルトゥーナが、他国に乗り込んで正式な口上を述べるなら、その類の専門官であるファビアンがいた方がよいだろうと判断したらしい。
「君は文官を連れていかないんだろう? その辺り、僕が補佐するから」
「……お願いします」
 ダイはため息を吐いてファビアンを受け入れた。正直、助かるところではある。彼の指摘通り、ダイは文官をペルフィリアへ連れて行かない。身の危険があまりに多いし、護衛が不足しているということもある。
「ご安心ください、ダイ様。ファービィ様はそれなりに死線をくぐっていますので。ダイ様のお手を煩わせることはないかと。えぇ、多分」
「クレア。多分ってナニ?」
 同行してきたクレアは主人の指摘をきれいに無視する。彼女の後ろでは壮年の騎士の男が笑いを堪えていた。グリモア、と、言ったか。前にも紹介を受けた彼とクレア、そして三頭の馬がファビアンの同行者だった。
 船旅は順調だった。馬車で行けば五日はかかる旅程をたった一日半でこなし、ダイたちはエスメル領に足を踏み入れた。鳥や獣や虫がそこここに見られる荒野を船から降ろした馬車で抜け、薄ら雪の積もるタルターザを抜ける。
 魔の狂う森も、あの砦も、いまは人影なく、静まり返っていた。
 ダイたちは慎重に進み、森を抜けた先でペルフィリア国境を警邏する、デルリゲイリアの先兵と合流した。
「何かあったら、すぐにご連絡ください」
 ヤヨイはダイと離れることに最後まで懐疑的だった。心配そうな顔でダイに《使い魔》――小鳥を預ける。
「王城に戻りましたら、セトラ様を目印に鳥を飛ばしますから」
「わかりました。ヤヨイさんもアレッタも、皆をよろしくお願いいたします」
「どうか、ご無事で」
 ヤヨイたちを見送って、ペルフィリアの東へ向かう。
 そうして半日。
 小さな村にダイは立ち寄った。いや、元、村だろうか。火矢にでも打たれたのか、あちこちが焼け落ちて見る影もない。
「……ダイ、どうしてここに?」
「無事な井戸があったら、水を補給したくてですね」
 ファビアンにダイはきょときょとと周囲を見回しながら答えた。
「あと、ここで待ち合わせしている人がいまして……いましたね」
 崩れ落ちた家屋の影から男が諸手を挙げて現れる。
 彼はやや呆れた顔でダイに言った。
「オイ、いくら人の気配がないからって、斥候ぐらい出せ。も少し警戒して来いよ」
「ダダン!?」
 ファビアンがぎょっと目を剥く。
 ダダンも、おぉ、と、破顔した。
「お前も来たのか」
「え、えぇ、何でダダンが?」
「道案内に決まってんだろ」
 狼狽するファビアンにあっさり答えて、ダダンがダイに向き直る。
「さぁて、ダイ、行くか。……安心しろ。俺が責任もって、安全な道で馬鹿んところまで連れて行ってやるからよ」


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