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第四章 侵攻する聖女 2


 クラン・ハイヴへ出立する前、アルヴィナを随行員に組み込むか否かで議論となった。ダイの安全を担保するなら同行してもらったほうがよい。しかし「犠牲を払ってでも新たな聖女を生み出す」という方針の除き、聖女教会の出方が何もわからない以上、彼女を守りとして国に残しておきたかった。彼女の魔術は強力な盾となる。
 そんなこんなで一同で頭を痛めていたのだが。
「あ、わたしはこっちに残りまぁす」
 と、唸る周囲を他所に、アルヴィナはあっさり結論を出してしまった。
「やっぱり、《上塗り》し続けるのはしんどいものですか?」
 聖女教会は特使の受け入れに関していくつか条件を出している。うちひとつがルグロワ市への魔術師の立ち入り禁止だ。旅に同行は出来るが、連れていけてもルグロワの手前の町までである。もしもアルヴィナを連れていくなら、《上塗り》を用いて市へ潜入してもらうことになる。
 ダイの問いにアルヴィナはそんなことないよと笑った。
「《上塗り》なんて、昔はいつもしていることだったしねぇ」
「いつもしてたんですか? ……《上塗り》を?」
「《上塗り》は戦時中、鎧だったの。昔は皆、魔力でたいていのことを視て判別できるものだったから、他人に魔力の流れだとか、魔術発動の癖だとかを見破られないようにするためのね」
 内在魔力は個人で異なる。以前、アルヴィナがダイの性別を見破ったように、様々な情報を内包している。
 人の動きにも魔力が作用している。それらが敵に把握されれば、死に直結する。
 そういった諸々を隠蔽する術が《上塗り》なのだ。
「へぇ……」
「それはともかく。おねーさん、こっちに残っておいた方がいいと思うんだなぁ。勘だけど。だから残るね。ダイだって、帰るべき国の守りが堅牢のほうがいいでしょ?」
「確かに」
「まぁ、好きにすればいいんじゃないの?」
 マリアージュはあっさり許可を出した。
「あんたがわたしたちの側に立ってくれているだけでありがたいってもんだし」
「……うふふっ。陛下ったらよくわかっていらっしゃるぅ! わたし、マリアのそういう弁えているところ、とってもいいと思うわ」
「あーそー」
 アルヴィナに抱き着かれてもマリアージュはされるがままだ。この古き魔術師にはさすがの女王も逆らえないらしい。
 その遠い目をした女王を解放し、アルヴィナがダイに向き直る。
「と、いうことでわたしはこっちに残るけど、ダイのことも心配だからねぇ。できることはやっておくわ。……まずは、預かっていたものを返すね?」
「何かわたし、アルヴィーに預けていましたっけ?」
 ダイの問いに笑みを返し、アルヴィナが取り出したものは、布で厳重に包まれた剣だった。
 鍔に施された、夜色の宝玉を噛む獣の意匠。
 それはタルターザの砦で襲われた際にダイが手にしていた剣だ。そして砦まわりの森を彷徨ったときに失われたものである。
「その顔。やっぱり、ダイだったね」
「どうして、それを」
「《獣の剣(エスメラルダ)》」
 アルヴィナが名を口にする。
 それが人のものではなく、剣の銘だとは後で気づいた。
「タルターザでわたしが回収したわ。主神が作り出したという、いわくつきの古い剣なの」
 アルヴィナが布越しに剣の輪郭を撫でる。
「歴代の魔女の守り手と共にあり、その時代の魔女の終焉を見守ってきた……。ダイたちにもわかりやすく言うなら、聖女の騎士であったアーノルド・トアンの愛剣で、あの男がシンシアを殺したときの剣、ってところかな」
 明かされた何気ない事実にダイは目を剥いた。だがアルヴィナは剣の謂れについて追及させるつもりはないようだった。剣を見つめながら話を進めていく。
「これはちょっと特殊な剣でね。持ち手を選ぶのね。封印布越しでなければ、わたしも触ることすらできない。マリアも試しに触ってみる?」
 アルヴィナに誘われ、マリアージュが剣へ躊躇いがちに手を伸ばす。刹那、彼女の手は剣の輪郭に沈んだ。あたかも、水に手を浸したかのように。
 マリアージュが裏返った声を上げる。
「ちょっ、な、なにこれ!?」
「まぁ、こんな感じです。ということで、はい、ダイ」
「えっ」
 アルヴィナから剣をぽんと投げ渡される。剣は何事もなくダイの腕の中に納まった。上質の革と思しき鞘の滑らかな質感。重量はその中身が剣だと思うにはあまりに軽い。
「ほら、ダイはちゃんと持てた」
「え、な、なんで。いや、待ってください。あの。わたし、剣って使ったことないんですが……」
 護身用の短剣ですらまともに持ったことがない。
 ダイの訴えにアルヴィナは軽やかに笑う。
「大丈夫。それは持っているだけで持ち主を守ってくれるから。一晩も経てばダイが持ちやすい大きさになってくれるだろうし。ちょっとばかり大きなお守りだと思ってくれれば」
「……コレ、大きさが変わるんですか? いや、それでも、ずっとわたしが持っているわけにいかないと思うんですけど……。さっきの様子だと、他の人に預けることもできないんですよね?」
「鞄の中に入れておくか、身に付ければいいだけだと思うけど……。まぁ、不安だよね。そんなこともあろうかと、ちょおっと、借りておきました」
「何をです?」
「腕のよい子をね」
 三人で雑談に興じていた部屋の扉が、まるで計ったように叩かれる。
 番をしていた騎士が扉越しにマリアージュへ問う。
「恐れ入ります、陛下。新しく着任した女官が挨拶にまかり越してございますが……」
「入れてちょうだい」
 番兵に許可を出したマリアージュは、頬杖を突いて呆れた顔でアルヴィナを見た。
「はぁ、そういうことね」
「すみません陛下。どういうことでしょう……?」
「新しく入った子の挨拶をここで受けろって、アルヴィナが言ったの」
 通例、新たに任官された者は謁見の間でまとめて女王に挨拶を行う。そうでなくとも、マリアージュと近く顔を合わせての挨拶はよほどでなければない。
 それを覆せと、アルヴィナがマリアージュに指示した、とは――どういうことだ。
 ダイの疑問にマリアージュが投げやりに答える。
「いまからくる子は、アルヴィナの紹介なのよ」
「失礼いたします」
 室内に響いた声は若い娘のものだった。
 事実、彼女はダイとそう年の変わらない娘だった。いや、もっと若いかもしれない。
(……ロウエン?)
 彼女のその幼げな面差しは、ダイが昔に失った、友人に似ていた。いや、似ていない。彼女にはきっと、ロウエンのものと同じ、東方人の血が流れているのだ。だから、面影がある。
 黒髪に、空色の瞳。ディトラウトの――ヒースの瞳の蒼に似ているようで、異なっている。よくよく見ると彼女の双眸には、雲のような銀色が瞬いているのだ。
(魔力の色)
 白い雲が花弁のように踊る、花季の澄んだ空をそのまま転写したような、とても美しい瞳を持つ、利発そうな娘だった。
 髪に挿した銀のかんざしを揺らし、彼女は微笑んで一礼した。
「この度、新たに官位を戴きました、ヤヨイと申します。どうぞ、よろしくお願い申し上げます」


「……で、着任早々、いきなり旅に付き合ってもらってすみません。……何か、不都合はありませんか?」
 荷解きがひと通り終わり、会議室代わりに借りた広めの一室でファビアンたちを待ちながら、ダイはヤヨイに問いかけた。
 室内を巡り歩いて、備え付けの調度品を調べ、茶の支度に勤しんでいたヤヨイが、ダイを振り返って笑顔で首を横に振る。
「問題ありません。皆さまによくして頂いています。作法に疎いので、むしろセトラ様にご不快な思いをさせていないか心配なのですけれど」
「いえ、その辺はまったく問題ないです。と、いうか、わたしは侍女の人がいるような生まれではなかったので。間違いがあっても、わたしの方が気づけないですね」
「何か不快なことがありましたら、ご遠慮なくお教えくださいね。……どうぞ」
 ヤヨイがダイの前に茶を差し入れる。茶器を満たす液の色は金色で、香りはクラン・ハイヴの暑気を拭うのにふさわしくすっきりとしている。味も申し分なく、ダイはひと口飲んで、ヤヨイに笑いかけた。
「おいしいです。侍女として充分な働きだと思いますよ」
「お口にあってうれしいです。あぁ、それと……《消音》の魔術の設置は終わりましたから」
 どうぞ気を楽にしてくださいね、と、ヤヨイは微笑んだ。
 ヤヨイは魔術師である。
 紹介状はアルヴィナのものと同じ。北大陸最北部を領土とする《氷の帝国》女王サリサリサから。アルヴィナ曰く、魔術の腕はこの世界で五指に入るらしい――紹介された当人は、真っ赤な顔でそんなことありませんと全力否定していたが。
 魔術師だとルグロワ市への入場を拒まれるため、彼女は女官として採用された。そのまま護衛も兼ねてダイの専属を務めている。
「ありがとうございます。助かりました」
「いいえ。大した事ではありませんもの」
 盗聴防止となる《消音》の魔術は決して容易い術ではない。一室に手抜かりなく施すとなれば、ふたりの術者が取り掛かっても半日はかかる。
(それを、お茶を淹れる片手間に、四半刻足らずでしてしまいますか……)
 なるほど。アルヴィナが推薦するだけある。
 また、彼女は《獣の剣》の管理人でもある。ダイ以外で剣に触れられる唯一の人間がヤヨイだ。剣はアルヴィナの予言通り短剣程度にまで小ぶりになり、いまは化粧鞄の底に収まっている。必要なときは彼女に扱いを尋ねればよいとアルヴィナから聞いていた。
(そんな物騒なものがいる有事に、ならないのが一番いいんですけれどね……)
 ヤヨイは北大陸の出身だという。西は初めてのようだ。
 叶うならもっと穏やかで楽しいことに満ちた旅路に付き添わせてあげたかった。
 ――彼との、旅のような。
「ダイ」
 扉番をしていたユベールの呼びかけにダイは我に返った。扉口の傍に佇む彼が案じる色でダイを見る。
「疲れが出た? 大丈夫かい? ……ドッペルガムのご一行が来たけれど」
「すみません、大丈夫です」
 ダイは立ち上がって笑みを取り繕った。
「どうぞ、開けてください」
 出迎えのために前に出ながらユベールへ告げる。
 彼が扉を開くと、挨拶に手を挙げるファビアンの姿が見えた。


「僕らの役割と、君たちのすべきこと、そのすり合わせをしておきたいな」
 と、ファビアンがまず提案した。
「会議では充分に話し合いが持てたとは言えないし」
 大陸会議で用いる魔術具はいつでも気軽に使用できるものではない。満月の日でなければならず、したがってたった一日しか使用できない。
 時間制限の兼ね合いから、聖女の再誕を食い止めるために共同して動くという、ざっくりとした流れ以外は何も決まっていないのだ。
 ダイはファビアンに頷いて、改めて決定事項を羅列する。
「ルグロワ市に行って、ジュノさんをあちらへ引き渡す。ドッペルガムの方々が、ジュノさんの追跡をする。聖女を生み出す魔術装置を無効化する。わたしたちはその時間稼ぎをする。……追跡ってどうするんですか?」
「当人の魔力の痕跡を追う……。あとでジュノ氏に面会させてもらってもいい? うちの魔術師に魔力を登録させたいんだ」
「かまいませんが、わたしと、わたしたちの術者も立ち会います。彼らにその登録方法を説明してもらっても?」
「もちろんだ。ジュノ氏も交えて、充分に説明するつもりだよ」
「……ありがとうございます」
 ダイは微笑んで礼を述べた。ジュノ当人も説明するのであれば、少なくとも彼に負担がかかるようなものではないのだろう。
「じゃあ次は無効化の話だね……。ダイは魔術装置っていうものについて、どこまでわかってる?」
「定義でいいですか? いくつもの術式を掛け合わせて作られる大がかりな術だと聞きました」
 アルヴィナいわく、魔術はひとつの術式でひとつの効果を成す。術式の中にどれだけ緻密な情報と指示を書き込もうと、そうして上がるものは効率性や出力が主であって、効果の中身は単純なものが多いのだという。
 大がかりな魔術、と、されるものは、主に二種類ある。
 ひとつは複数の人数でひとつの術式を強化して行うもの。
 もうひとつは、術式自体を組み合わせ、発現する術自体を複雑化、かつ、強力にするもの。
 とりわけ後者を魔術装置と呼ぶ。
 ファビアンが首肯する。
「僕もセイスからそう聞いた。……魔術装置はたくさんの術式を組み合わせる必要性から、人が調節しなくてよい部分の術式を、なるべく魔術文字を使ってその場に刻み込んでおくみたいなんだ。……魔術文字はどこにでも刻めるものじゃない。耐久力が必要で……。聖女は要するに、セイスみたいな、とんでもない魔術師ってことだよね? そんな魔術師を生み出す複雑な術に耐えきる力場なんて限られている」
 そのうちひとつがルグロワ河の源流だ。かつてレイナに連れられて、ダイたちも訪れた妖精光の景勝地。広い滝つぼに溢れていた魔力の光の群れは、その昔、何かしがの大きな術が行われ、その場所が大魔術に耐えた証でもある。
 ただ、そこが聖女を新たに生み出す場だと確定したわけではない。
「……ルグロワ河がその場所ではない可能性はどれぐらいだと、ドッペルガムの方では見ていますか?」
「……百分の一、ぐらいかなぁ。教会が動かしている人の流れもそうだし、レイナがルグロワ市から動いていないっていうこと、彼女の母親が術者の責任者の片割れだったこと、何より……力場がね、彼らの中で自由になる土地は、ルグロワにしかない」
「……ファビアンさんたちは、候補となるほかの土地を、把握しているんですか?」
「うん。……ダイは三宝って知ってる?」
「三宝? いえ……」
「聖女教会が伝えている、この大陸の覇者となるために必要な要素。メイゼンブルが崩壊した後、その後継の座を求めようとした権力者が気にしていた、聖句の一種なんだ」
 ――覇権を欲しくば、三つを揃えよ。
 ひとつ、まぼろばをあおぎて眠る獣を。
 ひとつ、魔を伴いて震える森を。
 ひとつ、神の系譜を生み出す形代を。
 獣は尾を押さえよ。森は銀の柱で刺し貫け。形代には王冠を載せ、されどほかの獣を弑してはならぬ。
 さすれば赤きその土地に、女神の祝福舞い降りん。
 ファビアンが変わった節回しで諳んじる。
 ダイは首をかしげた。
「……予言?」
「まぁ、そうだよね。そんな風に聞こえる。これは、新しく聖女を生み出す方法。特に一部、大陸の力場のことを指しているって見られている。……森と、尾の部分だ」
「森と尾……もしかして、ドッペルガムと、ゼムナムのことですか?」
 《獣》は古い言葉で大陸を指す。それは内海を囲む四つの大地が、獣をかたどっていることに由来する。大陸会議でも用いられていた言い回し、《西の獣》とはすなわち、西大陸のことである。
 地図を見れば、最南端であるゼムナムは尾と呼べる。そしてドッペルガムの土地は古い森で占められている。
 立ち入る者たちを惑わす、魔の森――《深淵の翠》。
「教会が行おうとしている魔術はぱっとできるものじゃない。資材搬入やらなんやらを考えると、人の行き来ができやすいところのはずなんだけど、ドッペルガムは僕らが教会の介入を阻んでいたし、ゼムナムはカレスティア宰相が目を光らせているよね。勝手な動きは出来ない。小スカナジアも力場としては有名だけれど、あそこではもう大きな魔術は行われない。……少しの魔力で死に至る、有力者たちが多いから」
 メイゼンブル大公アルマルディがその筆頭である。
「そのほかにもいくつかある力場はどこも、赴くのに難しいところばかりだ。……もちろん、そういった場所を選ぶ可能性はある。だから、確実ではない。でも、僕らはルグロワ河の源流が、聖女を新たに生み出す場所として、もっとも適当だと考えている」
「わたしたちも同様です。特にあそこは……妖精光が多いですし」
 妖精光は魔力を活性化させる。通常の魔術を行使した場合、調整を過てば暴発する。だが逆を言えば、莫大な魔力が必要な魔術には、非常に適した土地なのだ。
「詳しくはいえない。でもドッペルガムはルグロワ河の源流にあると思しき、魔術装置の場所をよりしっかりと確定させて、無力化させるために人員を配置している。ただ、彼らが動くためには、僕らがここに残っていないとやりにくい」
「そのための、時間稼ぎですね」
 現在、ルグロワは新たな流民を排除している。ルグロワ市の領域に、「見慣れない異邦人」がいてもおかしくはない状況を維持することがダイたちの務めだ。
「現地でのお互いの連絡は密に行きたいんだ。連絡員と、伝達方法を決めておいていい?」
「もちろんです」
 ダイは笑顔で請け合い、ただ、と、表情を改める。
「その前にほかに話し合っておきたいことがあるんです」
「かまわないけれど、どんなこと?」
 ファビアンの問いかけに、ダイは二本の指を立てて見せた。それを一本ずつ折りながら述べる。
「情報収集と……わたしたちが、聖女を生む儀式に、立ち会った場合の行動についてです」


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