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第二章 女王の候補者 1


 久方ぶりに花街から出たダイは、女王選出の儀に沸き立つ人々の姿を馬車の中から目の当たりにして、少々面食らった。
「なんだか、すごい人ですね」
 ありえない、と、ダイは胸中で呻く。
 裏道を通っているというのに、馬車はいっかな、目的地にたどり着かない。いくら花街と貴族街の間に距離があるとはいっても、こちらは馬車だ。平時ならば時間をさほど置かず到着できるはずだというのに。
 信じられぬ数の人が、通りを埋めてしまうほどひしめいていた。


 デルリゲイリアは、西大陸北部に位置する国である。
 海と山脈に挟まれるようにしてある国土において平野部は狭く、その痩せた土地は資源に乏しい。しかし国民は美術、文芸、音楽、演劇を初めとする芸術面において造詣が深く、その芸や作り出した美術品を他国に売ることで外貨を得ていた。そのあり方ゆえに、この国は二つ名として、〈芸技の小国〉を名乗っている。
 芸術を披露する場を常に求める国の性質からか、デルリゲイリアは祭り好きの国としても有名だ。国の頂点の選出にわざわざ五人の候補を立てるという演出をするのも、その一端に他ならない。
 五人の候補者となった貴族の娘たちは、時に美しさを、時に知性を、時に身につけた芸を披露して自らを印象付ける。話術の場合もあるだろう。貴族達はそれらを通じて彼女らの中から好ましいと思った者を、女王として選び取るのだ。その期間は約半年。新しい女王は、審議期間の終わりにある〈聖女の祝祭〉に決定するのが古来よりの慣わし。
 女王選出の儀の間、人々は盛り上がる。通りには市が立ち、瓦版屋が号外を出して候補者達の進展を逐一市井に報告する。貴族間のお茶会は、一体どの女王候補が自分達に益をもたらすかの討論会となる。国外の民もその熱狂を見物しに、一山越えて押し寄せてくるのだ。
 通りの群集は、その結果であった。


「目抜き通りはこんなものではありません。馬車が本当に動かない」
 ダイの呟きに、ヒースが応じる。
「歩いていった方がよくないですか?」
「人に流されて逆行するに終わるだけですよ」
 そんなものですか、とダイは呻いた。確かに自分のような小柄な人間は、流されて道などわからなくなってしまうだけかもしれない。
 ダイの会話に応じながらも、ヒースは変わらず書類に目を通している。一体どれほどの書類を持ち込んでいるのだろう。彼は筆記具で書類に何かを書き入れては、傍らに置かれている箱の中にそれを放り込んでいった。もうずっとそんな調子だ。
「お仕事、大変そうですね」
 思わず、同情の声を掛けずにはいられない。
 ヒースは驚いたように面を上げ、書類を繰る手を止めた。
「時間はいくらあっても足りないぐらいです。馬車の中は邪魔が少なくて、意外に集中できるのですよ」
「そうなんですか?」
「屋敷は慌しく、部屋に人が頻繁に出入りしますから」
「人、多いんですか?」
「いいえ。そんなに多くはないですね。ですから貴方も顔をすぐに覚えることができるでしょう」
 彼は書類を軽く揃え、脇に押しやった。まだ目を通していないものが脇に積み上げられているというのに、次を手に取る気配もない。筆記具を懐に収める彼に、ダイは尋ねた。
「お仕事、もういいんですか?」
「えぇ。少し休憩です」
 軽く目元を揉み解し、彼は言う。
「それに貴方に、あまり、これからのことを話していませんでしたしね」
 すみません、と謝罪してくる彼に、ダイはふるふると顔を横に振った。
「さて、何から話しましょうか」
 そのように問われ軽く黙考したダイは、とりあえず前もって知らされていた事項の確認の為に口を開いた。
「……これから私は、ミズウィーリのお屋敷に住むんですよね?」
「そうです。おそらく今回女王候補を挙げている五家の中では、一番規模の小さな屋敷ですね」
「門の向こうにあるんですよね?」
 貴族と市井の住まいを分ける、門の向こうに。
 もちろん、とヒースは肯定を示した。
「屋敷自体は城の傍にあり、周囲を広い庭が取り囲む静かな場所にあります。が、屋敷の中は慌しい。少ない人数で仕事を回していますから」
「だから、リヴォート様もそんな風にお忙しそうなんですか?」
「そうですね。仕事が山積して困ります」
 肯定した男は顎に手を当て、僅かに思案してから言った。
「……あぁそれと、ヒースでかまいませんよ。敬称はいりません」
「でも」
「かまいません」
「……どうしてですか?」
 理由もなく呼び捨てにすることなど出来ない。彼は屋敷に以前から仕える従僕で、自分は新しく雇われる身だ。花街の裏方で、新参として入った者が上司ともなる先達に横柄な口を利くことを、突如許されるのと似たようなものである。
 ダイの抵抗の理由に思い当たったのかヒースは苦笑し、そうですね、と手を組んだ。
「マリアージュ様が女王となった暁に、共に城に上がる予定となっているのは私と貴方だけだ。これから長い付き合いとなるのに、敬称は不要でしょう」
「ミズウィーリ家の、他の皆さんは?」
「上がりません。その慣習についてはまた帰ってからご説明しますよ。少々複雑なのでね」
 ふぅん、と説明に納得しつつも、まだ抵抗感は拭えない。
 その問題はひとまず置いておくことにして、ダイは次の質問を切り出した。
「私がお仕えするマリアージュ様って、どんな方なんですか?」
 マリアージュ専属の化粧師になる話をヒースに持ちかけられた日から、ダイはなるべく彼女の噂に耳を澄ますように心がけた。花街に客として訪れる貴族たちの中では、女王選出の儀は常に話題となっている。マリアージュのことも、噂に上っているはずだった。
 しかしそうして知ったのは他の候補者達に比べ、マリアージュについて出回っている話があまりにも少ないという事実である。仕方なくダイは、情報収集を諦めたのだ。
 それでも、気にならぬはずがない。
 ヒースがなんとしてでも女王まで押し上げてみせると宣言し。
 そして、これから自分が仕えることになる相手。
 マリアージュ・ミズウィーリとは、一体どんな娘なのか。
「そうですね……少々我侭をおっしゃいますが、可愛らしい方ですよ」
 後は会えばわかりますと、ヒースは言う。追求の手を早々に断ち切られて、ダイは面食らった。馬車に、沈黙が降りる。
「……他には?」
 小首を傾げるヒースへの質問を、ダイは慌てて探した。
「えぇっと……マリアージュ様の、お年は」
「御年十七です。貴方より二つ年上ですね」
「あぁ、そうでしたね……」
「候補の方々は皆それぐらいです。一番若いのはカースン家のメリア嬢で、十四です。一番の有力候補といわれているガートルード家のアリシュエル嬢も、マリアージュ様と同じ十七ですね」
「皆さんお若いんですね」
 思わず漏れたダイの呟きに、ヒースが噴出す。
「貴方が言えたことじゃないでしょう」
「……そうでした」
 自分の年齢は十五。花街では年上に囲まれすぎて、年をつい忘れがちになる。
「そういえば、リヴォ……ヒースは、お幾つなんですか?」
 見るからに有能そうだが、男の外見は若い。どう見積もっても、二十半ばには届かないだろう。
「二十二です」
 案の定、ヒースはそのように答えてきた。
「ですから、私も屋敷の中では若年です。貴方と立場はそう変わりません。……そういうこともあって、敬称は必要ないのですよ」
 ダイが言い辛そうに名を呼んだことを、彼は見透かしたのだろう。胸中を看破されたことに気恥ずかしさを覚えて、ダイはごまかしのように視線を外へと向けた。
 窓から雲ひとつない晴天が覗く。
 沈黙を埋めるように、ヒースが言った。
「いい天気ですね」
「そうですね」
「だから余計に人が多いのでしょう」
 続いていくやりとりのぎこちなさに詰まる息を、吐き出すようにしてダイは呟いた。
「本当に、お祭り騒ぎなんですね……」
 露天商たちの喧騒が、馬車の窓にはめ込まれた玻璃を通してさえ明確に耳に届く。風に翻る織物の、鮮やかな色彩が目に痛い。それらの色合いを引き立てる雲ひとつない蒼穹は、眩しすぎるほどである。
 そういえばもうずいぶん長い間、太陽の下に出ていなかったのだと、ダイはふと気が付いた。
 流れ往く景色を眺めながら他愛ない世間話を続けることしばし、馬車がようやく通りを抜けて貴族と市井の区画を分ける検問に入った。審査の為に馬車は一時、歩みを止める。
 待ったのはそう長くない間だった。
 馬車の御者と検問兵のやり取りが終わり、前方を封鎖していた柵が両側に向かって開け放たれる。馬車は再び動き始め、じれったくなるような緩慢さで門をくぐった。
 果たして、その先に広がっていたのは、高い塀が道の両脇にそそり立つ、迷路のように入り組んだ空間だった。
 つい先ほど通り過ぎた街の賑わいが嘘のように、通りは静まり返っている。その道に沿って伸びる塀。その縁の所々から、高い尖塔が天に向かって突き出ている。屋根はすべて朱塗りだ。その色が景観を統一感あるもの足らしめている。
 なだらかに傾斜する道が導く先には、白が際立つ石積みの城。
「こんな近くから初めてみました……」
 窓に張り付き、ダイは食い入るように城を見つめた。
 女王を戴く大陸柄、西大陸においてはどの国の城も女性的な線を描く優美な造りだ。しかしデルリゲイリアの城の輪郭はそれらにも増して、芸技を冠する国のそれにふさわしく、一つの美術品のようである。
 ふと忍び笑いが馬車の中に響き、ダイはヒースに向き直った。彼は口元に手を当ててこちらを見ている。その蒼い瞳は微笑に細められていた。
「……なんですか?」
「いえ。失礼。貴方にも、子供らしいところが、おありなのだと思って」
 そんな風に窓にずっと張り付いて、目を輝かせて城を見るなど。
「子供じゃないです」
 ダイは眉をひそめ、居住まいを正した。花街では無論、若年として扱われることは多々あるが、十五は成人として扱われるに足る年齢だ。
「失礼」
 ヒースは謝罪を口にしたが、その声は笑いに震えていた。
「城はまだ遠いですよ。外観しかわからない」
「外観だけでも、綺麗です」
 むっとしながら、反論する。
「近いうち、中に入ることもあるでしょう」
 笑いを含んだ彼の声音に釈然としないものを覚えながら、ダイは尋ねた。
「マリアージュ様たち候補者の方々は、あちらにお住まいではないんですね」
 我ながら、とてもふてくされた声である。
「えぇ、そうですね」
 一方でヒースはますますおかしそうに表情を緩め、ダイの問いに丁寧な回答を提示した。
「候補者はあくまで候補者ですから。マリアージュ様も、今私達が向かっているミズウィーリのお屋敷にお住まいですよ。女王に無事選出されれば、転居ということになります。今王城には執政のための文官、警護のための武官、最低限の人員のみが残され、部屋の大部分は閉められている状態ですね」
「そうなんですか……」
「何か気にかかることでも?」
 ヒースが顔を覗きこんでくる。ダイは僅かに身を引きながら、否定に首を振った。
「いいえ。ただエイレーネ女王陛下がお亡くなりになられた後、王子様方は城を出たのだと聞きましたが、本当にすぐだったんだなと思いまして」
 デルリゲイリアの前女王エイレーネには計三人の子供が居た。王子二人、王女一人。しかし継嗣であった姫君はエイレーネが崩御する半年ほど前に病死している。王子達は健在だが、王位を継ぐわけではない。このデルリゲイリアにおいて――否、西大陸に存在する国家において、王位は女が継ぐと決まっていた。
 女王に後継として女が生まれなかった、もしくは何らかの事情で王女が死去した場合の後継選びの方策は、国によって異なる。親族を後継に据えることもあれば、養子をとる場合もある。
 デルリゲイリアにおいてとられる処置が、『女王選出の儀』だ。
 残った王子達の処遇は、市井まで公表されていない。しかし彼らが離宮に移ったのだということだけは、ダイも耳にしていた。
「あんまりにも早かったから、女王候補の方々が代わりにお住まいになられるのかと思っていたんです」
 何せ女王の盛大な葬儀が執り行われてすぐ、喪も明けぬうちから王子たちは城を出たのだ。次代を担う候補たちの為かと、ダイはずっと思っていた。
「違うんですね」
「……城は女王の為だけのものですから」
 ヒースの視線が、つい、と、王城へ向かう。
 美しく、孤独に聳(そび)え立つ、女王のための財産。
 前女王の、遺品。
 しかし男であるという理由だけで、女王の子はそれを手にすることができないのだ。
「どうして、そんなにすぐ出なくてはいけないんでしょう」
 彼の視線の向かう先を見つめながら、ダイはぽつりと呟いた。
「……王にならないんですから、もう少し長居させてあげてもいいと思うのに」
 せめて、母の思い出を悼む間ぐらいは。
 刹那、厳しい声が馬車の中に響いた。
「ダイ、あまりそのようなことは口にしないように」
 ヒースから飛んできた叱責に、ダイは思わず硬直する。慌てて、彼と目を合わせた。
 つい先ほどまで緩んでいた彼の目元が、鋭く細められている。その顔から窺える表情はひどく冷ややかだ。まるで別人のような面持ちに、ダイは音を立てて唾を嚥下した。
 やや置いて、ヒースが神妙な声音で口を開く。
「人の情という面では、貴方の言う意味もわかります。しかしそのようなことをこれからは口にしてはならない」
「……どうしてですか?」
「王子が王となれない理由を知っていますか?」
「……不吉を、招くから?」
 強いていうならば。
 滅びを。
 ――西大陸においては、男を国主に据えると、国が滅ぶという謂(いわ)れがある。
 それは古い古い謂れだ。理由も知れない。しかしたまさか慣習を破り、玉座に男を据え置いた国は、例外なく滅んでいた。呪いと同じだ。この世界には、呪いを抱える国があるという。その呪いに抵触すると、人が死んだり、国が傾いたりするのだと。
 西大陸は、いわば大陸そのものが呪われているようなものなのだ。
 ダイの回答に満足そうに頷いたヒースは、膝の上に手を組み置いて言葉を続けた。
「女王崩御の後、王子を長く城に留まらせないのは、権力に興味を持たせないためです。城では、他の大陸の情勢が耳に入りますから。私たち仕える側にしてみれば、よそはよそ、西大陸は西大陸と区切れますが、当事者である王子たちはそうもいかない」
 他の大陸においては、男が王位に就くものだと相場が決まっているのに、何故自分たちは王になれないのかと疑問を持つだろう。それは国の混乱の元となる。
「特にここ十数年において、男の王族というものに貴族は過敏になっています」
「どうしてですか?」
「メイゼンブルが滅びたからです」
 ヒースの即答に、ダイはあぁ、と納得した。
 魔の公国メイゼンブル。二つ名を、〈聖女の紅国〉。
 ダイが生まれた直後に滅びたその国は、一度王朝の交代があったとはいえ、長きに渡ってこの大陸を支配していた大国だった。世界で一番古い歴史を持つとされる帝国は東大陸に存在するらしいが、その国に次いで長い歴史を有し、魔術師を多く抱え、魔術の研究に力を尽くしていた学術国家がメイゼンブルだ。公都は魔術によって常春に保たれ、年中絶えることなく花が咲き乱れていたという。その権勢は他の国に追随を許さず、領土は大陸の大半を占めていた。
 治世も安定し、何も憂うことなどないかに思えた大国は、大陸の慣習に挑戦するように初めて男を国主に据えた。
 そして滅びた。
 何の前触れもなく。
 たった一夜で。
 傾国の美貌を有する魔女が公主を篭絡し国を滅ぼしたのだと、吟遊詩人は詠う。が、何よりも重要なのは存在疑わしい魔女ではない。国主に男が据えられ、その代で、国が滅び去ってしまったのだという事実だ。
「あの大国ですら、滅んでしまった。その事実は各国の中枢にいる者達を戦慄させました。今回、王子達が故エイレーネ女王陛下の喪も明けぬうちに城から出されたのは、そういった経緯があるからです。……市井よりも、貴族はそういった物事に過敏です。先ほどのような王子に情をかけるような発言をすれば、女王制を、ひいては国の安寧を揺るがす意図ありと見做されかねません」
「そんなふうに思われるんですか?」
 さっきの何気ない一言で、そこまで思われてしまうのか。驚きで二の句が継げぬダイに、ヒースは言った。
「私は決して、貴方を脅しているわけではないのですよ、ダイ」
 先ほどよりも幾分か柔らかい声音で、彼は諭してくる。
「いいですか? これから貴方は女王候補に仕えることとなる。最終的には、女王に仕えることになるのだということを念頭においてください。女王の敵となるような発言は控えること。誰が聞き耳を立てているかわからないのが、こちら側です」
 先ほど馬車が通過した、市井と貴族を分ける門。
 その、『こちら側』。
「ダイ、これからこういったことも含めて、貴方には色々勉強していただかなくてはなりません」
「……はい」
「最低限の礼儀作法はもちろんのこと、女王選出の儀に関する細かい規則、マリアージュ様のこなされる予定の把握。それらが成す意味」
 貴族に、仕えることについての、心得。
 貴族社会で、生きるということ。
 今まで、ダイとは全く無縁であったたくさんの事柄。
「貴方にとって厳しいことだというのはわかっている。育ちや考え方が全く違うのですから」
 だからこそ、出来る限りは手助けはすると、男は言う。
「……頑張ります」
 膝の上の私物を強く抱えながら、ダイはヒースを見返して宣誓する。その声は、頼りないほどに掠れていた。
「期待していますよ」
 彼はようやっと厳しい表情を崩し、柔らかい声音でダイを鼓舞した。ダイは彼に微笑み返し、再び外を見つめながら、果たして自分は彼が望む役割をきちんと果たしていけるのだろうかと、急に不安に駆られたのだった。


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