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第八章 墜落する競争者 4


「いやぁ、悪かったな」
 砂色の髪をばりばりと掻きむしりながら、ダダンが謝罪する。ミゲルの店に罠を仕掛けた張本人が彼だった。
「まさか味方が引っかかるなんて思わなくってよ」
「ミゲルのお客さん来たらどうするつもりだったんですか!? 無関係な人殺してましたよ!」
「いやまぁ……すまん」
 申し訳なさそうに面を伏せるダダンを、ダイは睨み据えた。八つ当たりも入っているとは、自覚している。
「ダイ、もうそこの辺りで勘弁してやって」
 ヒースの腕に包帯を手際よく巻きながら、ロウエンが口を挟んだ。
「こんな時間に来る客なんていないと思ったんだ。来そうな客には、雲隠れする前に挨拶していくってミゲルも言っていたからね」
 身を守るためには仕方がなかった。ロウエンにそう弁解されては、これ以上何も言えない。
 ダイは下唇を噛み締めて、ダダンから視線を外した。
 しばらく別行動をとっていたロウエンは、先日からカイトたちと合流していたらしい。共に帰国する為の前準備として、必要なものを揃えにミゲルの店を訪れていた彼らが襲撃を受けたのは、今朝方のことだったという。
 どうにかその場を逃げ果せ、ミゲルとカイトを安全な場所に移動させたロウエンは、護衛としてダダンを伴い、状況を把握しに戻ってきていたのだ。ダイが引っかかり、ヒースを傷つけた罠は、ロウエンたちが用事を済ますまでの防衛線として張られたものだった。
「迷惑をかけるね」
 包帯の端を結んで、ロウエンが呻いた。
「でもそれも終わる。僕らはすぐに国を出て行く。本当はもう少し……いたかったんだけどね」
 ヒースの手当てを終えたロウエンは医療道具を手早く鞄に詰めて立ち上がり、ダイに微笑んだ。
「ここでお別れだよ、ダイ」
 感慨に、一瞬言葉が詰まる。
 知り合って五年ほど。ロウエンは医者として以上にダイの身体をよく気に掛けてくれただけでなく、子供と侮らず対等な人として自分を扱ってくれた男だった。望めば会えないわけではないだろうが、難しい。ロウエンの行く先は想像も付かぬほど遠い、海を隔てた向こうの土地だ。
 今生の、別れとなる。
 しかしそれを嘆く前に、一つ確認しておかなければならなかった。
「……アリシュエル様は、連れて行くんですね?」
 是が、返ってくるのかと思っていた。
 連れて行くことになったと、強く笑う友人の姿を予想していた。
 だがロウエンはダイの予想を裏切って、寂しそうに微笑んだ。
「いいや、連れて行かない」
 決然として、彼は言う。
「……君のおかげで、あれから話をすることができてね。やっぱり、一緒にはなれない。そういうことで話はついた。……僕達は別れたんだよ、ダイ」
 信じられない。
 苦渋の色を滲ませるロウエンを、ダイは呆然となりながら見つめ返した。
 ダイの脳裏を、アリシュエルの姿が過ぎる。ロウエンが本当に愛しくて愛しくてならないという姿だった。その彼女が、彼との別離を受け入れるとは到底思えない。
 追いすがるアリシュエルを拒むロウエンの姿もまた、想像できなかった。紡がれる言葉の端々から、彼もアリシュエルと共にあることを心の底から強く望んでいるのだと汲み取れたからだ。
 だというのに、彼らは別れて生きることを、既に選び取ったのだという。
「ならば彼女は……どこへ行ったんですか?」
 包帯の巻かれた手を擦りながら、ヒースが呻く。顎をしゃくり、ダダンが首をかしげた。
「どこ行った……って、まさか、いなくなったのか?」
「そのまさかです」
 ダイはダダンに首肯し、ロウエンに向き直る。
「ロウエン、アリシュエル様がいなくなられたって、お母様が探しに来られたんです」
 医者の男の表情が、俄かに強張った。
「……それはいつの話?」
「今朝の話です」
 ロウエンの問いに答えたのはヒースだ。
「正確には明け方ですか。方々探し回っても見つからないので、ご当主は彼女が全てを捨て、貴方と駆け落ちしたと考えているようです。おまけに裏切り者は無用とばかりに、アリシュエル嬢を見つけたらすぐ殺すよう家臣に命じている」
「なっ……!?」
 愕然とするロウエンの横で、表情を険しくしたダダンが腕を組んで唸る。
「それでこの急襲か……」
「あなた方の件がこちらの不利益になりそうなのでね」
 続くヒースの声音はひどく淡白だった。ロウエンたちが置かれた状況に対し、同情の片鱗も見られない。
「早くアリシュエル嬢を保護したい」
 ヒースは言った。
「ロウエン、心当たりがあるのなら全て話してください。……貴方とて、実の父親の手に掛かって死ぬ彼女の姿を見たくはないでしょう?」
「ヒース!」
 あまりに酷い言い方だ。ダイは思わず非難の声を上げた。しかしヒースは意に介した様子もなく、ダイを見向きもしない。無表情のまま、彼はロウエンの回答を待っていた。
「……心当たりは、一つだけある」
 嘆息交じりに呻いたロウエンが、憔悴の色を見せて背後を振り返る。
 城の、方角だ。
「城の裏手にある山の上に、この街を展望できる丘がある」
 壁の向こうを見透かすように目を細め、ロウエンは言った。
「僕らが、よく会っていた場所だ」
「城の裏手なんですか?」
 ダイは反射的に尋ねていた。意外だったのだ。ロウエンの縁故を頼れる門のこちら側で、てっきり彼とアリシュエルは逢瀬を重ねていたのだろうと思っていた。
「城っていうのは、貴族の区画を抜けなければならないようでいて、実は城門を出て外壁をぐるりと回れば辿り着くんだよ。遠回りになるけれど、馬を走らせれば時間的には大差ない。ガートルード家の屋敷にも近いし、人目は少ない。街中で落ち合うより都合のいい場所だった」
「……盲点でしたね」
 ロウエンの解説に、ヒースが感嘆する。そして彼は椅子の背から上着を取り上げると、袖に腕を通し始めた。
「行ってみる価値はありそうです」
「今からか?」
「えぇ」
 ダダンの問いに、ヒースは襟元を正しながら頷いた。
「ご当主と私たち、どちらが早く彼女を保護できるかが勝負です。ロウエン、道案内してくれますね?」
「もちろん。行かないはずがないだろう?」
 即座に承諾するロウエンに対して、ヒースは満足げに頷いてみせる。
 次に彼はダイへと向き直った。
「ダイ、貴女は一度ミズウィーリ家に戻って仔細をマリアージュ様に報告してください」
「……私一人で、ですか?」
「えぇ」
「でもヒース、怪我してるのに」
 説明下手な自分より、彼こそが屋敷に戻って報告したほうがいい。そうし一刻も早く、彼に休んでもらいたかった。
「大丈夫だと言ったでしょう」
 ダイの反論に、ヒースが不快そうに眉をひそめる。
「たいした怪我ではありません」
「彼の言ってることは本当だよ」
 強がりではないかと疑念を抱くダイに、ロウエンがヒースの主張を保証した。
「怪我自体は大したものじゃない」
「……でも、やっぱり片手じゃ不自由ですよ。人は多いほうが」
「ダイ」
 有無を言わさぬ静謐な声音が、言葉に被さる。
 ヒースから向けられる冷えた目に、ダイは身震いした。感情の篭らぬ蒼の瞳。そこには合理性を求める冷徹さがある。
「貴女をここに連れてきたのは、私の知らぬ貴女の知人だけがいた場合を考えてです。貴女がいなければ話が通じないこともあるでしょうからね。ですがもう、貴女は用済みだ」
「ヒー……」
「ダイ」
 繰り返される呼びかけが、関係の線引きを要求する。喉元まで出掛かった名前を、ダイは静かに嚥下した。
「自分の身を自分で守れないものは邪魔です」
 ヒースの声は鼓膜を凍てつかせるほどに冷えている。
「帰りなさい」
 その響きは、研磨された鋼よりも鋭利に胸の奥深くを抉った。
 言葉を失い、目を閉じる。
 暗闇を見つめたのは、一瞬だ。
 ダイはヒースを見つめ返して微笑んだ。
「はい、わかりました。……リヴォート様」
 小さく頷いたヒースは、即座、ダイに背を向ける。
「ダダン、といいましたっけ?」
「お、おう?」
 何故か呆けた様子で立ち尽くしていたダダンは、ヒースの呼びかけに対して曖昧に応じた。
「申し訳ありませんが、ダイを護衛していってくれませんか?」
「……そりゃぁかまわねぇが、お前らはどうすんだ?」
「貴方、私たちのことをどこまでロウエンから?」
「女王候補だっつう女の家の、当主代行に、化粧師だろ?」
 ダダンは横のロウエンに、申し訳なさそうな視線を投げた。
「……あらかた聞いたよ」
「そうですか。なら話は早い」
 ヒースは好都合だと話を進める。
「私たちはミズウィーリ家の馬車で行きます。迂闊に手は出せないでしょう。いくら巧妙に隠しても、刺客の出自というものはわかるものです。……同じ貴族同士で争えば、泥沼になることを彼らも知らぬはずがない」
 妙に含み在る言い方だ。傍で話を聞きながら、ダイは眉をひそめた。ヒースにしては考えが甘すぎないか。ミズウィーリ家の馬車に乗っていたからといって、安全が確保されるとは限らぬだろうに。
 しかしダダンは妙に納得した様子で大きく頷いた。
「……あぁ……そうか。なるほどな」
 ヒースが、苦い笑いに喉を鳴らす。
「知っていましたか」
「まぁなぁ。……わかった。お前らは安全だな。引き受けるわ」
 灰色の頭をかき回し、ダダンは嘆息を零した。
「ロウエン」
「……わかった。案内する」
 ヒースの呼びかけに応じて椅子から立ち上がり、ロウエンが上着を腕に引っ掛け踵を返した。
「行こう。行動は、早いほうがいい」


 ミゲルの店を出て一路、共に大通りへと抜ける。近くの広場に、ミズウィーリ家の馬車を待たせていた。
 広場に到着するやいなや手早くもう一台を手配したヒースは、報告が終わった後は屋敷で待機していろと命じ、ダイを馬車の中に押し込んだ。異論を述べる暇もない。気がつけばダダンと共に窓に張り付き、過ぎ行く景色を眺める自分がいた。
 路肩に停められた馬車に乗り込むヒースは、振り返りもしない。
「ダイ」
 ダダンはいつの間にか席に戻っていた。彼は腕を組んで重心を壁に預け、神妙な表情を浮かべている。
「お前、よかったのか?」
 内容の見えぬ問いに、ダイは尋ね返した。
「……何がですか?」
「……ロウエンたちに付いていかなくて」
 灰色の目に滲む気遣い。
 ダイは苦笑した。
「だってしかたないですよ。足手まといなのは間違いないんですし、マリアージュ様への報告も大事なことです」
 冷静にみればヒースの判断は至極正しいものだった。ダイは無力だ。この子供同然の非力な身ではアリシュエル捜索の手助けにはならないだろう。むやみにヒースたちについていくよりむしろマリアージュに状況を報告し、一刻も早く屋敷の誰かを応援に行かせたほうがよい。
「そうか」
 どこか釈然としない様子でダダンは頷く。
「悪かったな」
 僅かな沈黙を挟んで、彼は言った。
「は? 何がですか?」
 唐突な謝罪に、ダイは首を傾げる。
「……お前、女だったんだなって、思ってよ」
「え? ……あぁ、そのことですか」
「いや、てっきり男かと思ってたから。……悪かったな」
「いえ、大丈夫です」
 ダダンの殊勝な態度に驚きながら、ダイは微笑んだ。
「気にしないでください。色々都合いいので、自分でわざとこういう格好してるところがあるんです」
 ミズウィーリ家の使用人たちの自分に対する接し方を観察した結果、やはり男のように扱われていたほうが楽だとダイは気がついたのだ。たとえば、屋敷の男衆たちは少年と思っているからこそ気兼ねなくダイに声を掛けていた。侍女たちも異性として見るからこそ、化粧師として特別扱いされるダイを過度に嫉妬してこなかった。ミズウィーリ家では性別を隠しているわけではないので、自分を女と知るものも徐々に増えてきたが、やはり少年のなりをしていると、皆、ダイの性別を忘れるらしい。以前のままの形で接してくれる。そのほうが、ありがたい。
 考えを廻らせていたダイは、どこでダダンは自分が女だと気がついたのだろうとふと思った。
「ロウエンから聞いたんですか? 私の性別のこと」
「あ? いや。そりゃお前、見てたらわかるだろ」
「でも前はわからなかったんですよね?」
「……あぁ、まぁ、なぁ。でも、今日はわかった」
「はぁ」
 前回会ったときにはダイが女だと気づく素振りすら見られなかったというのに、何故今回ならわかるのだろう。自分の性別の話は、一切出てきていないはずだ。
「なんでロウエンから聞いたって思ったんだ?」
「私の仕事のこととかをダダンに話していたみたいだったから、そのときに一緒に性別のことも話したのかなって、思ったんです」
 ヒースと自分の素性について、ダダンはロウエンから聞き及んでいたようだった。だから併せて説明したのかと思ってしまっていたのだ。
「仕事のこと?」
 一瞬ダダンは怪訝そうに眉をひそめ――しかしすぐに納得にか手を叩く。
「あぁ、お前らが化粧師と代行だっていう話か。ロウエンも俺に直接説明してくれたわけじゃねぇよ。こんなことに巻き込んでくれたんだ。状況説明はやつの義務だろ?」
 違うか? と同意を求められ、ダイは頷いた。
「そうですね」
 ダダンは微笑み、ダイを器用に避けながら足を組んだ。その膝に頬杖をついて、彼は言葉を続ける。
「まぁ、ガートルード家のお姫様についてと、ミズウィーリ家で働いてるっつう友人の話、それを知ったきっかけの話は聞いたんだ。あとは今日の話を聞いてりゃ、お前が友人の化粧師で、くっついてきた男のほうが件の当主代行だっつうのはすぐにわかったさ」
「なるほど」
「ったぁく、なぁんで俺はこういうことに巻き込まれるかなぁ……。カイトの御守でたくさんだ、って思ってたのによ」
 頭をがりがりと掻き回して状況を嘆くダダンに、ダイは苦笑して尋ねた。
「カイトには、どういう伝手で雇われたんですか? カイトは貴族なのに」
 護衛を兼ねて案内人として雇われていると、ダダンは言った。明らかに旅慣れた様子のこの男は、定住先を持たないのだろう。そんな男が、どういう経緯を辿れば貴族であるカイトに雇われるのか、ダイには不思議だった。仮にデルリゲイリアの貴族が遠い国へ旅しようとするならば、ダダンのような流れ者ではなく、それなりに身分ある商人あたりを雇うだろう。
「デルリゲイリアじゃ貴族とそれ以外はしっかり線引きされてるが、カイトたちの故郷はそうじゃねぇんだ」
 ダダンが目を細めて答える。
「今の皇帝の気風だろうな。階級制度も差別もあるが、実力を重視するんで、望みに適うなら貴族様だろうがこじきだろうが付き合いを持つっていうところがある。丁度あんたんとこの、お姫様みたいにな」
 ダイは花街出身だ。しかし化粧の腕を見込まれてマリアージュ付きとなった。実力が身分を凌駕する。デルリゲイリアでは非常に稀有だが、ロウエンの故郷においては異なるらしい。
「……実は、俺の本職は情報屋でな。西大陸の情報を豊富に持ってるつうことで、共通の顔見知りを介してあいつの家の依頼を受けた。長子ロウエンがいるという西大陸の国、デルリゲイリアがどんな国だか教えてくれっていう依頼だ」
「デルリゲイリアが、どんな国か……?」
 鸚鵡返しに呟いたダイに、ロウエンが、要するに、と解説する。
「兄が安全に暮らしていける国かどうか、そういう点を知りたかったわけだな。けど状況が状況だ。カイトたちはロウエンを呼び戻すことに決めた。カイトが言うように、あっちの国が完璧に落ち着いたっていうことも理由の一つだが、本音はごたごたする土地から奴を引き離したかったっていうところだろう」
 つまりロウエンの家族は、女王が崩御したばかりで安定を欠く国に彼を置いておきたくなかったということなのだろう。
「最初はガキじゃあるめぇしほっとけよって思ったけど。……まぁ、こうなると、迎えにきてよかったんだろうな」
 おそらく、カイトが迎えに来なければ、ロウエンはいつまでもアリシュエルの為に国に残っていただろう。
 たとえその道が、彼に幸福をもたらすものでなくとも。
「アリシュエルっつう姫さん、早く見つかるといいよな」
 ぽつりと落とされたダダンの言葉に、ダイは同意した。
「……ですね」
 彼女は、一体どこへと消えたのだろう。
 ロウエンが予想した通りの場所に、いればよいのだが。
 会話が途切れ、ダイは目を閉じた。
 アリシュエルを想って彼女を手放すことを決めたロウエン。彼に対して、アリシュエルは何を思ったのだろう。彼女はきっと、二人で歩む未来を信じて疑っていなかった。
 この騒動は、二人に何をもたらすのだろう。そのように友人たちのことを案じながらも、どこか片隅で、ヒースのことを考えずにいられなかった。
 ダダンの罠に掛かった後、あの腕は確かに労わりでもって温かくダイを包んでいた。しかしそれから四半刻も経たぬうちに、徹底的な拒絶を示す。そのことに対する困惑。悲哀。
 嘆息を、零す。
 どこか気もそぞろな自分に罪悪感を覚え、ダイは自嘲にそっと笑ったのだった。


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