BACK/TOP/NEXT

第二章 稀なる歓待者 2


 美酒と料理に舌鼓を打つ着飾った老若男女たちにダイは声を張り上げる。
「さぁ、お集まりの皆さま、お待たせいたしました!」
 彼らは歓談をいっとき止めると、椅子に座らされたひとりの少女と、その傍らに立つダイを注視した。
「髪は金。肌は小麦色。瞳はうつくしい、扁桃色」
 ダイが容姿を讃えると、少女はちいさく身を震わせる。その髪を指で梳きながら、ダイは宣言した。
「此度はこの可愛らしい方を、妖艶な美女にしてご覧にいれましょう」
 外遊の先々で座興として行う化粧は、新たに加わったダイの仕事である。ペルフィリアのときと同じだ。衆目の中で先方が指定した人物の顔を望まれたように作り変える。小醜女や老女、少年を、美しく化粧せよということも珍しくない。が、今回はごく普通の愛らしい顔立ちをした少女が、ダイから化粧をされる役目を負っていた。
 ダイは少女の髪を邪魔にならぬよう軽く結って、その胸元に粉除けの布を広げた。続いて卓の上に並べられた色粉を、乳液を、道具を確認する。少女の頬に触れて滑らかさを確かめ、作りたい肌の質感を目指して乳液を塗布する。
 その間も、観客たちに飽きが来ぬよう話し続ける。
「一般的に妖艶さを連想させる色は紫です。紫といえばクランの夕焼けの色ですね。荒野の夕焼けがあんな見事な紫に染まるとは知りませんでした……。厳しい土地柄だからでしょうか。いきなり何を言っているんだと思うかもしれませんが、まぁ聞いてください。わたくしの国にもこちらのように何もない土地があります。白い大地が延々と続く白砂の荒野ですが、夕焼けの色はもっと赤いんですよ……」
 見世物になることに対し、抵抗がないわけではない。
 女の素顔は近親の者たち以外からは隠されるべきだ。閨の暗闇のなかで垣間見るものであるべきなのだ。それを衆目にさらすことには忌避感があった。
 そもそも顔師とは裏方である。ペルフィリアの件はマリアージュたちの命が懸っていたという事情があるからこその例外であって、自分がこのようなかたちで仕事をしていると花街の古馴染みの職人たちが知れば、その道に悖(もと)るとダイに雷を落とすだろう。
 それに、だ。
 女性からは好評を得ることが多かったものの、化粧に縁遠い男性たちの反応はいまひとつ薄かった。正面から女王の側近が化粧の真似事を、と皮肉る輩も少なくない。
 それでも、するしかない。
 一介の化粧師が国章を背負っているのだ。
 罵られようと、嘲笑われようと、たとえ最善でなかったとしても。
 いま、できることを、するしかない。
 色板を引き寄せて少女の目元に注す色を決める。青に決める。宝玉のような青。
「この青色、実際にクランで産出される宝玉を削って作られているんです。美しいですよね。ルグロワの名産とお伺い致しましたけれど……あぁそうなんですか? 聖女の? だからあちこちで見かけるんですか」
 その色を切れ長に目尻へ入れる。少女の黒く長い睫が際立ち扇のようだ。眉の形を整え、次。少女の頤を指ですくい上げ、唇に蜜蝋を注す。
 少女は、笑った。
 恐ろしくも、うるわしい、傾国の魔女のように。


 出番を終えたダイが化粧道具と共に控えの間として用意された隣室へ戻るとアルヴィナとユマがいた。
「お化粧終わったのね、ダイ。お疲れさま」
「お疲れさまぁ」
 ふたりから向けられた笑顔に緊張を解いてダイは微笑んだ。
「アルヴィーもユマもお疲れさまです」
 ふたりとも、この旅には前回に引き続いての参加だ。
 アルヴィナは表向き道具類に刻まれた術式の調整役。実際の役割は護衛として。彼女の魔術は有事の際の切り札として、頼りにされている。幸いなことにいまだ彼女に頼るような事態は起こっていないが。
 ユマは女王に随行することを快諾した稀有なひとりだ。ペルフィリアの事件を経験して肝が据わったのか、今回の旅でも方々で冷たくあしらわれながら落ち込まず、何くれとなく気を配って働いてくれている。ルグロワでも迎賓館代わりに割り当てられた区画を早々と歩き回り、先方の官たちに人脈を築いていた。友人ながら、たくましいことこの上ない。
 壁際の戸棚の前で屈んでいたアルヴィナが、閉じた書類挟みを小脇に抱えて立ち上がり、化粧鞄を円卓の脇に置くダイを振り返った。
「ダイ、お化粧上手くいった?」
「はい。きれいに仕上がりました」
「じゃあ、お客さまたちの反応は?」
 歩み寄ってくるアルヴィナにダイは微苦笑を浮かべて応じた。
「上々です」
「あら、よかったねぇ!」
「ルグロワ市長の力です」
『すごい、すごいわ!!』
 ダイの化粧が終わるやいなや、レイナは感嘆に声を張り上げた。晩餐会の会場は一気に盛り上がり、化粧の最中に眉をひそめていた男たちでさえもダイの仕事を褒め称えた。ダイは予想だにせぬ反応に気圧されて、逃げるようにこちらへ引き上げてきたのだ。
「あれ、才能なんですかねぇ。市長が足を運べばそれだけで華やかになるっていうか。白熱するっていうか……」
 何に対してもころころ笑って場を明るくし、大仰な身振り手振りで話を膨らませていく。ときには目線や沈黙を駆使し、相手の反応を操作してもいる。周囲はレイナを無視できない。たとえ彼女が市長でなかったとしても同様だろう。
「なっかなかやり手ねぇ、市長さんは」
「ですね。マリアージュ様はすっかり振り回されちゃってますよ。……まぁ、ちょっと元気出てきたみたいですけれど」
 晩餐会開始当初からレイナにがっちりと捕獲されて、売られていく仔牛の如き悲壮さを見せていたマリアージュだが、ルグロワの歓待の雰囲気にほだされてきたらしい。ダイが会場を抜ける寸前に確認した主君はレイナの側近らしい初老の男と歓談していた。先日までの無気力さを思えばずいぶんと活気がある。
「そかそか。よかったね」
「はい。そういえば、アルヴィーは……」
 アルヴィナの脇に挟まれた書類挟みをダイは一瞥した。茶のなめし革に銀の文字で刻印が施されている。アルヴィナ当人にしか開けない術式の掛かった書類挟みだ。彼女はその中に収められた書類に、ダイがこの部屋の扉を開けたとき、熱心に何かしがを書き込んでいた。
「何か、調べものですか?」
 アルヴィナがあっさりと首肯する。
「うん、そうよ。……あとは、ダイに用事」
「わたしに?」
「うん。はいこれ。お待たせいたしました」
 腰の革帯に通したちいさな鞄から、アルヴィナが白い包みを取り出す。
「お薬でーす!」
 アルヴィナの手のひらにちょこんと載った包みを、ダイは、あぁ、と半眼で見つめた。
 ダイが養母と会うときにも服用した酔い止めだ。アルヴィナが魔術を応用して調合してくれているもの。社交の場だと酒を勧められるたびに断っていては相手の心象を害しかねない。ダイは薬に頼って酌に応じていた。
 その包みをありがたく受け取り、ダイはアルヴィナに頭を下げた。
「いつもすみません。ありがとうございます」
「いえいえ。でも何度もいうけど、飲みすぎないでね」
「わかってます」
 アルヴィナ印の薬は即効性があるものの頻繁に服用すれば心身に悪影響を及ぼすらしい。一日につき一粒。連日は口にしないこと。その二点を厳命されている。
「そのお薬、すぐに飲む? お茶よりもお水の方がいい?」
 円卓の上の茶道具から埃よけの布を取り払う手を止めてユマが尋ねてくる。そうですね、とダイは頷いた。
「マリアージュ様が癇癪起こされる前に戻らなければいけないですし……、と」
 部屋の扉を叩く音にダイは言葉を中断した。アルヴィナとユマも同時に顔を上げて扉を見る。ほどなくして扉の間から覗いた顔はアッセのものだった。
「ダイ、陛下が探されていた。休憩はもういいか?」
「噂をすればですよ……。いま行きます、が、薬だけ飲ませてください。……ユマ、すみませんが」
「わかってる。はい、お水」
 ダイはユマから高杯を受け取って薬を水で喉に流し込んだ。化粧道具を軽く点検したかったが、仕方ない。ユマが続けて差し出した刷子で上着の表面を軽く刷く。立てかけられた姿見を横目で見つつ、襟元を整え、髪の乱れがないかを確認する。
「じゃあ、いってきます」
「はぁい。がんばって」
「あ、ダイ、ちょっと待って」
「はい?」
 立ち止まって振り返ったダイの横を呼び止めた当人であるはずのユマが通り過ぎる。彼女はアッセの前で足を止めると腰に手を当てた。
「アッセ様。ロディマス様のお嫌いな食べ物は?」
「……菫の砂糖漬け?」
「ダイ、安心していいわ。このアッセ様は本物だから」
 真剣な顔で厳かに告げるユマにアッセが苦笑いを隠せずにいる。ダイの横ではアルヴィナが堪えきれぬ様子で笑いに肩を震わせていた。
 ダイもちいさく吹き出しながら、そうですね、とユマに同意した。
 ユマとアルヴィナに手を振って廊下に出る。扉を閉じるアッセに、お待たせいたしました、と声を掛ければ、彼は重々しく頷き、ダイを先導して歩き出した。
「……ユマはペルフィリアでのことをまだ気にかけているのか」
 アッセの呟きは問いかけというよりも独り言のようだった。ダイは肯定に軽く顎を引いた。
「気にしなくてもいいって、言ってるんですけれどね」
 ペルフィリアでダイはユマに魔術で扮した青年に連れ去られ拘束された。それは決して彼女の落ち度ではない。だがある種の後悔をユマは抱き続けているようだった。
「彼女の気持ちはわからないでもない。自分も気が緩みそうになると、あのときのことを思い出す」
 ダイはアッセの斜め後ろを付いて歩きながら彼を眺めた。品格と精悍さを共に宿す横顔がいまは渋く歪んでいる。
「……わたしも、気を引き締めないといけないですね」
 ルグロワでは歓待を受けている。だがペルフィリアにおいても初めは同様だったのだ。警戒を怠らないに越したことはない。
 ところがアッセはゆるやかに首を横に振った。
「ダイはそのままでいい。……いや、無防備でいられるのは困るが。ダイは陛下のことに集中していてくれ。陛下を支えることは、ダイにしかできないのだから」
「……そうですね」
 晩餐会の執り行われている広間の前まで来ていた。
 きらびやかに盛装した男女が、まるで花びらが零れるように、開かれた扉から出入りしている。ダイはいったん立ち止まってひと呼吸を置いた。こういった場に出る機会は増えたけれども、慣れない。自分はやはり裏方の人間だと思う。
 緊張に唇を引き結ぶダイを振り返ってアッセが微笑んだ。
「ダイは私が守ろう」
「ありがとうございます、アッセ」
 ダイは会場の中央にマリアージュを認めた。
 ルグロワの人々にひとり囲まれて、扇で口元を覆って優雅に笑う主君を。
 ダイはアッセを仰いで告げた。
「でも、アッセもマリアージュ様を守ることに集中してくださいね」
 マリアージュが小間使いではなくアッセを迎えとして寄越した理由は、おそらくユマと同様の懸念をマリアージュも抱いていたからだろう。アッセもペルフィリアの件が脳裏を過ぎったからダイの下へ来た。
 しかし自分たちが真に守るべきは、女王だ。
 ダイが歩き始めると人々が二手に分かれて道を空けた。その気配にマリアージュは気が付いたようだ。彼女は面を上げてダイを目に収める。
 と、同時にその傍らのレイナもまたダイを見た。
 その彼女が、夜会服の裾を絡げて、駆けてくる。
「ダイさまぁああああああぁあっ!!」
「うっ、わ」
 がばっ、と抱きついてきたレイナにダイは危うく押し倒されるところだった。彼女の肩越しに疲れた様子で眉間に扇を当てるマリアージュが見える。
「ル、ルグロワ市長」
「やだやだダイ様、レイナって呼んで。堅苦しい呼び方、レイナ、好きじゃないの」
「あーっと、じゃあレイナ様。私も呼び捨てにしてください。あと、放してくださいませんか……」
 私の許可なくなに抱き付かれているのというマリアージュの目が怖くもあるので。
 ダイが肩を強く押し返すと、レイナはあっさりと離れた。ざぁんねん、と呟いたのち、ぱっと光さすような笑顔を顔に広げる。
「ねぇ、ダイ。さっきのお化粧、本当に素晴らしかった……レイナ、感動してしまいました!」
 レイナの頬は興奮からかほの赤く上気していた。すごいすごい、と子どものように繰りかえす彼女のはしゃぎように、単なる世辞以上のものを感じる。ダイは面映ゆさを覚えながら彼女に謝辞を述べた。
「あ、ありがとうございます……」
「いいえ。本当に素晴らしかったの。正直に申し上げますとね、侍女の子たちがするお化粧といったい何が違うのかしらって、半信半疑でしたの……」
 レイナが申し訳なさそうに告白した。彼女がダイの化粧相手に無難な少女を割り当てた理由も、晩餐会が盛り下がる可能性を削ぐ為だったのだろう。
「でも、全く違いましたわ。侍女の子たちがするより、うんとうんと素敵だった! あんな風にみるみる変わって、きれいになっていくだなんて。今日の子も一生の想い出になるでしょう。それに、ダイがしてくださるお話も、とっても面白かったですし……。〈国章持ち〉でいらっしゃるのに、あんな風にお化粧をすることができるなんて、すごいわ!」
「そうではありませんのよ、レイナ様」
 興奮気味に感想を語るレイナにマリアージュが穏やかな声音で口を挟む。
「ダイはもともと化粧を専門とする職人です。私の側近ながら化粧を嗜むのではありません。私は、化粧師を、〈国章持ち〉にしたのです」
 レイナが目を皿のように丸くして長いまつ毛を瞬かせる。
「……お化粧をする人に、国章をあげたの……?」
 レイナのような反応は珍しくない。〈国章持ち〉。その上着に国章を賜る女王の側近中の側近。国主が任命する特別な官位。ダイは自分の他に二人の〈国章持ち〉を知っている。ペルフィリアの王兄にして宰相、ディトラウト・イェルニ。ドッペルガムの筆頭外務官、ファビアン・バルニエ。彼らと比べられればダイの職務はどうしてもその格を下に見られる。
 国内ですら陰で囁かれるのだ。化粧しか能のない者にどうして国章を与えたのかと。国外の者ならなおさらそう思うだろう。
 しかしながらレイナは、そうなのね、と、呟いただけだった。
「レイナはマリアージュ様のお気持ちわかるな。あんな風にお化粧をしてもらえるのなら、一日をとっても気分よく始められそうですもの。レイナはマリアージュ様が羨ましいわ」
 うっとり目を細めて羨望を口にするレイナを、マリアージュがぽかんと口を開けて見つめた。ダイも脱力した。
 あっけらかんとしたレイナに、拍子抜けしてしまったのだ。
「そうだわ!」
 レイナが名案を思い付いたとばかりに手を胸の前で鳴らした。
「ねぇ、マリアージュ様。ダイをレイナに少し貸してくださらないかしら?」
「は? ……ダイを?」
「はい!」
 レイナが両手に拳を作って肯定に全身を震わせる。
「一度レイナもダイにお化粧されてみたいのです。レイナの侍女の子たちにとっても、きっときっと、勉強になります……!」
 そのままレイナはマリアージュの両手をしっかと握って瞳を熱っぽく潤ませる。
「お願い、マリアージュ様」


BACK/TOP/NEXT