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第八章 討議する執政者 5


「次はわたくしですね。このままで失礼いたします」
 サイアリーズが卓の上で手を組み替えて微笑む。さりげない動きが傍に立てかけられた杖の存在を意識させた。
「皆さまがおっしゃった問題はゼムナムにおいても重なる部分がございます。たとえば、国境付近の治安の悪化。術式の狂いも」
 サイアリーズは北に有する穀倉地帯を例に用いた。北方からの賊の侵入。農機具の術式の狂い。そういった理由で穀物の生産高に大きな減退が見られるという。
「しかし数ある問題の中で、わたくしは人材の流出を挙げたく存じます。高い教養のある者から順に、他大陸へと流れていってしまう。とりわけ、教育、医術や魔術の心得がある者が。……ペルフィリアとは逆の現象ですね」
 サイアリーズがディトラウトを見る。彼はちいさく頷いた。
「カレスティア宰相、ひとつよろしいか。イェルニ宰相も。無補給船の整備は、この一、二年ではないはず。なにゆえ今頃になって、そのように人材の出入りが激しくなったと思われる? やはり大陸の治安だろうか?」
 質問はゼクストの宰相からである。
 サイアリーズは彼女に向き直った。
「まずは運賃の問題でしょう。無補給船のそれは高額ですから、一般の市民が資金を用意するには時間がかかる。ちょうど運行数が増えて値下がりし、貯蓄と合致した頃合いが今、なのかと。あとは他大陸の情勢も絡んでいますね。東は水の帝国(ブルークリッカァ)を中心に栄えているし、南では砂の帝国(アハカーフ)が女帝に代替わりして、かなり動きやすくなったと聞いています。……西は状況が悪くなる一方だ。聡い者ほど見切りを付ける」
「北は主な亡命先だったフレスコ地方の状況がよくないようです。特に、学術都市(ラセアナ)。有能であるか、継続的な寄進ができる者以外は放逐されたとも聞きます。戻ってきた者たちはつまりそういうことです」
 推測を述べているように聞こえて、幾人か調査した上の回答とわかる。
 ゼクストの宰相は納得に頷いた。
「よくわかりました。感謝いたします」
「ほかにご質問は? ……ないようですね。私からは――……以上です」
 何かを言いかけたかに見えたサイアリーズはあっさりと話を打ち切った。
 次は、デルリゲイリア。
 ロディマスが密かに吐息し、面を上げて微笑を浮かべる。
 そして神経の張りつめた挙動で立ち上がった。
「デルリゲイリアにも問題が多々ありますが、とりわけ申し上げたいものは流民問題です」
 取り上げた資料の革表紙をさらりと撫でてロディマスは言った。
「現在この問題が、我が国をもっとも脅かしている、と述べてよいでしょう。この数年間、徐々に増えていた流民ですが、昨年ザーリハがたおれてからその数は尋常ではなく、国境付近の村が住民に廃棄されるほどです」
「兵は置いておいででないのかね?」
ドンファンの宰相が声を上げる。皆の視線が集まって、彼は苦笑を浮かべた。
「失礼。……それほどまでの被害に、兵は動かなかったのか、と思いましてね」
「もちろん、動きました。各地の商工組合が自警団を組織し、直轄の兵と連携してことにあたっています。しかし……我が国は工芸の国です。農民よりも技術者が多い。軽率に村を廃棄する要因のひとつとなっております」
 農民は土地に定着する。村の移動は田畑を手放すことに直結する。
 一方の技術者たちは状況が異なる。
 彼らは材料と制作に用いる道具さえ揃えば、土地を選ばない。仕事に集中できる環境を求めて移動できるのだ。
 人が消えると村落は瞬く間に朽ちていく。
 移動した者たちはその先で、元の住民たちと軋轢を生む。人口の急激な増加は食糧の不足と住環境の悪化を招く。
 一部を流民に荒らされるだけより、さらに深刻な事態が進行している。
 現在のデルリゲイリアは国境付近から腐食しているに等しい。
 ロディマスが説明する声を傍らに、マリアージュはそっと瞼を伏せる。
(早く……どうにかしなければならない)
 点々と跳んだ錆が国に穴を開け、何もかも崩しきってしまう前に。
 ロディマスが説明を終える。着席しても彼は息を詰めたままだ。
 その脚をマリアージュは踵で軽く蹴った。
 ロディマスが驚いた顔でマリアージュを見る。
 マリアージュが一瞥すると、彼は微苦笑して息を吐いた。
 ロディマスの後はゼクストとファーリルが続き、最後にドンファンが話を締めた。
 東部と山脈で隔てられるこの三カ国は、他の五か国に比べて静穏であるという。
 ただ、何もないわけではない。
 最も北方にあるゼクストは、デルリゲイリアと同じく、流民に関する問題を挙げた。中部に位置するファーリルは、大陸に張られた商隊路の治安が低下していることを問題視している。
「程度は違いますが、皆さまの挙げられた問題を、ドンファンにも見ることができます」
 最後にドンファンの宰相が述べた。
「しかし我が国が懸念している点は、子どもの魔術素養についてです」
 ドンファンは混乱期を早く抜けただけあって、集まった国々の中では出生率の高い国である。メイゼンブルで学んだ経験のある政務官や研究員も多く残っている。
 彼らが統計を取ることで、ひとつ明らかにしたのだ。
 貴族の新たな子どもたちの多くが、時を読み取ることができないと。
「内在魔力値の低下は以前から叫ばれてきたことです。魔術素養を持つ子もずいぶんと減りました。しかしここにきて、八割がたの子どもが、時を読めんのです。方角も。これは異常なことです」
 魔術を扱う前提条件である時と方角の判読ができない。
 つまり今後、魔術師の増加を望めないということだ。
「聖女教会の一部の者たちは、アッシュバーン王が男の身でありながら、玉座を望んだからに違いないと騒いでおります」
 女王とは、女がなるもの。
 次代を生めぬ男性が国主となってはならない。そのように、神が定めた。
 聖女の生きた時代の混迷は、その神の定めに幾人もの男子が逆らったことが始まりであると言われる。
 聖女シンシアとその大隊が大陸を平定したのちも、神の怒りは収まらなかった。彼女たちがメイゼンブルの前身たる大国スカーレットに落ち着いてまもなく、大陸には病が蔓延したという。戦と同等、あるいはそれ以上に深刻なものであったという。
 大陸を席巻した病を払うべく、聖女はその身を差し出さねばならなかった。
 人身を贄として要求する古代魔術に。
 魔の公国建国史終幕。
 劇や絵画の主題としてたびたび描かれる、『聖女の死を嘆く騎士』の一節のことだ。

 紅き国を打ち立てし聖女は、子らの安らぎを魔に願いて、その御身をまぼろばの地へと預け給う。
 天は世の楽を極めし緑の園。地は苦難にて魔を縛する獄の如し。
 主よ。
 獄より解放されし我らが愛しき聖女に、永劫たる安寧を。

 そうして神は聖女を懐に招いてようやっと怒りを収めたのだと、教会の聖典には記されている。
 ドンファンの宰相が話を続ける。
「アッシュバーン王の罪をすすぎ、改めて聖女の信仰を確かにする必要がある。神をお慰めし、この世を平らかにするために、と、教会側の一部は引かぬのです」
「聖女教会急進派ですね」
 サイアリーズが指摘した。
「ゼムナムでも見られます。元メイゼンブル貴族が主体のようですが」
「本当に、呪いなのかしら」
 ファーリルの女王が己の腕を抱いて不安そうに呟く。
「子どもたちから魔の才が失われていくことが?」
「そういった議論はいますべきことではありませんよ、リュミエラ女王」
 ファーリルの女王を穏やかに諭して、セレネスティが隣の宰相を一瞥した。
 ディトラウトが女王の求めに応じて解説する。
「魔術素養を持つ者の減少は世界的に見られる事象です。北、東、南、いずれの地域でも時を計れない者が大半を占めています。それがこの西にも起こったからといって、原因をメイゼンブル崩壊と直結させることは早計かと」
「ひとつ……よろしいかしら? イェルニ宰相」
 発言したマリアージュに皆の視線が集まる。
 ディトラウトは微笑んだ。
「もちろんです、陛下」
「術式調整の問題に、ペルフィリアは魔術に頼らない技術を導入して対処しておいでですけれど、ベルンメク宰相の言われる魔術素養者減少の件を、ペルフィリアは元々ご存知だったということかしら?」
「しかと計測してはおりませんが、肌実感としてはございました。その上で他大陸の状況を鑑み、魔術に頼らぬ方策を採ったほうが、確実と判断したまでです」
「具体的にはどのような方策を?」
「陛下」
 ロディマスが傍らからマリアージュを諌める。マリアージュは動じなかった。ディトラウトを真っ直ぐに見た。
 ディトラウトが面白がるように口の端を上げる。
「より土壌や気候に合致した品種の選定。農耕の技術の教育……新しい農機具の使用方法も含めてです。指導方法を込みで学ばせるため、幾人かは北と東に留学させています。ほかには水路の引き直し、田畑の配置換えは中央の主導で。農機具の製造は、各地の商人たちを通じてその下部組織の工房に依頼しています。……もう少し、詳細を説明いたしましょうか?」
「いえ、結構です。よく理解いたしました。……さぞ多くの技術者が必要なのでしょうね」
 マリアージュの感想にディトラウトは黙礼のみを返した。
 各国の問題が出揃ったところで会議は一区切りとなった。
 空になった真鍮製の杯に水が注ぎ直される。果物の砂糖漬けなどの軽い菓子が瀟洒な小皿に盛られて配られた。残って静かに休む者もいれば、手水か、散歩か、相談か、何かしらの理由で離席する者もいる。
 ロディマスが《消音》の招力石を手にマリアージュにささやく。
「陛下、先ほどはどうして?」
 ディトラウトに余計な問いをしたのか。
 マリアージュは、茶菓を手に、別に、と、答えた。
「気にかかることがあったから尋ねただけ」
 昨年の表敬訪問時、セレネスティはデルリゲイリアの職人をペルフィリアへ移すよう要求した。手先の器用な職人たちに、武器の類の増産でもさせるのかと思っていた。しかしそればかりでもなかったらしい。
 再び皆が席に着き、休憩が終了する。
「少し、確認いたしましょう」
 ドンファンの女王はそのように前置きして、各国の述べた問題を順番に列挙していった。
「全体的な治安の悪化。それに伴う生産力の低下。人材の流出入……。有能な人材は外へ。無能な者が内へ。それから、流民の増加、術式調整の不足、魔術師の……魔術素養のある子どもの減少、聖女急進派」
「細かなものも含めればもっとございます。……そのせいで税の回収率もはかばかしくない」
 治めにくくもなるはずです、と、ゼクストの女王がため息を吐いた。
「陛下、解決策を討議する前に、関係性を整理いたしましょう。……たとえば、人材の流出は治安の悪化、ひいて申し上げるなら、各地の政情の悪化によるものです。と、このように」
 ゼクスト宰相の提案に、全員が同意して頷いた。
「術式調整の件はあきらかに、魔術師の不足が原因ですわね。……ただでさえ少ない魔術師が、他大陸に流れつつあるというのは痛いわ。どうにか引き留められないもの? ボルス」
「王宮魔術師として確保することは可能ですが、限界があります」
「ベルンメク宰相のおっしゃる通り、術式調整を末端まで行き渡らせるほどの魔術師を抱えきれはしないでしょう。低位の魔術師を抱えるなら、契約体系などを見直さねばなりませんし、単発でしか雇用できないのであれば、やはり西から出ることを選択しましょうな。……乗船させぬよう、何らかの手段を講じるなら話は別ですが」
「それは魔術師狩りを行うということかな? アルトゼ宰相。ドッペルガムはなかなか過激だね」
「そこまで物騒なことは申しておりませんよ、セレネスティ陛下。メイゼンブルの過去にそういった事例があったことを思い出したまでです」
「術式の長期保全は研究させていますが、ペルフィリアのように術式に依らない方法を導入したほうが、ことは早そうね……」
「ロヴィーサ陛下、そう簡単には参りません」
 サイアリーズがゼクストの女王に釘を刺す。
「導入には本格的な工事や教育を含め、莫大な費用が必要となります。……そうでしょう? イェルニ宰相」
「否定はいたしません」
 ディトラウトの返答に周囲からため息が漏れた。
 サイアリーズの口ぶりから、ゼムナムもペルフィリアと同様のことを試みたことはあるようだ。それでも断念したか、導入を図ってはいるが遅々としているか。いずれかだろう。
 とりわけどの国も税収が落ちている昨今、新規事業においそれとは取り組めない。国庫との相談が必要だ。
「術式調整の件は一度、保留にしましょう」
 ドンファンの女王が片手を挙げて次の問題を立言する。
「治安の悪化と流民についてはどうでしょうか?」
「大本の問題は立て続けに国が自壊して、無法地帯となっていることでしょうけれども」
 浮浪民の流出元となっている地域は大陸北栄沿岸部。領土としても旨味は少ない地域で、誰も手を伸ばそうとはしていない。彼の地はクラン・ハイヴやデルリゲイリアを挟んだ飛び地に当たるせいか、ペルフィリアも静観している。
「こういったことはどうしようもなかろう。それとも侵略者となるかね?」
「事前は難しくとも、事後には対策がとれることもあるかと存じますよ、エスメル市長」
 グラハムをたしなめたロディマスに視線が集まる。
 彼はにこりと笑って話を続けた。
「皆様に提案がございます。……斃れた国の周辺諸国における流民の扱い方を、この場で決めてはいかがでしょう?」
「流民の扱い、ですか?」
 ドッペルガムの席で沈黙を保っていたファビアンが反応を示した。
「たとえば?」
「勝手に越境した彼らが国内を荒らすまで待つのではなく、しかるべきところに受け入れ先を整えて誘導するのです。治水工事のようなものだとお考えください。方々で問題が起きぬよう、一カ所、ないし、数カ所に彼らを集める」
「集めたあとはどのように?」
「衣食住を補助します」
「正気かね? いったい何の得がある?」
 馬鹿馬鹿しいとグラハムが片手を振る。
 そうね、と、フォルトゥーナが消極的ながら同意を示す。
「テディウス宰相、自国民だけでも飢えさせないよう、各国は苦心しているはず。それはあなたのお国も例外ではないでしょう。ほかから流れてきた民を助けたい気持ちはとてもわかります。ですが、外の民を下手に手厚く保護すべきではありません。第一に守るべきは国内の民だわ」
「下手に保護したくないからこそ、こうしてこの場にてロディマスに提案させております」
 フォルトゥーナへ冷ややかに抗弁し、マリアージュはロディマスに命じた。
「続けなさい」
「……順を追って説明申し上げます」
 ロディマスは一同を見渡した。
「ザーリハ崩壊から急激に増加した流民への対策に、我々はこの一年、尽力して参りました。先に申し上げました通り、派兵も行っておりますが、同時に入り込んでしまった民がどうにか定着し、問題を起こさぬようにならないものかと、試行錯誤を繰り返して参りました。……その折に、流民たちを観測して気づいた点がございます。彼らは無駄に攻撃的である、という点です」
「……明日の生活が定かではないのです。攻撃的であって当然でしょう」
 ディトラウトの発言にロディマスは大仰に頷いた。
「逆に言えば、明日の生活を保証する、と、宣言することで、彼らの戦意を削ぐことができます。ただで、とはいいません。兵役などの条件を提示した上で保護をすれば、単につゆ払いするよりも効果的に流民の問題を解消しやすくなる」
 もちろん、そう簡単にすべては丸く収まらない。元の国民と流民の融和については別に考えなければならない。が、いまはそれに触れるときではない。
 グザヴィエが顎をしゃくりながら問う。
「理屈はわかりますが、それをこの場で討議する意味は何ですかな? 流民の保護については各国が規範を決めればよいのでは」
「流民の保護を行わない国より行う国に流民は流れます。保護をするにしても、保護しすぎない、という点も重要になる」
 ロディマスが厳かに告げた。
「彼らの一極集中を防いで、その動きの見通しを立てやすくするには、共通の規範が必要です」


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