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Stage 01. 一時閉幕 〜NO MORE CRY 'COZ YOU CAN CRY〜 2


「でね。でね。今度カラオケ行く約束してきたのぉ」
「あーはいはいはいはい。判ったから。もうしゃべんなウザイから」
 脇息に頬杖をつきながら、真は琴子に手を振った。なによもう、と琴子が頬を膨らませる。この年齢でそのような子供じみた仕草、琴子でなければ許されない。
 遊のプチ家出(真はそう呼んでいる)が終わってから、琴子はずっとこの調子だ。どうやら遊との距離がかなり近づいたことが相当嬉しいらしく、彼女はのろけと取られても可笑しくはないようなことをひたすら口走っている。
 真は、琴子がずっと子供を欲しがっていたことを知っていた。流産とそれに伴う病がきっかけで、二度と子供を持てない身体になってしまったときの嘆きも知っている。お互いの出自については詳しくないが、琴子は真にとって、緑子に次いで長い付き合いだ。
 年齢を考えると、遊は確かに琴子にとって娘に近い。関係は年の離れた友人といった感じだろうが、何せ遊は彼女自身と関連の深い娘だ。自身がきっかけともとれる状況で失ってしまった友人や、生まれるはずだった子供の代わりに、してやりたいことも色々とあるのだろう。
 しかし、と真は思った。
 磯鷲遊。
 面白い少女だとは思った。歌を歌います、と馬鹿正直に言って、難しい歌を店で歌い上げた少女。
 普通の少女だったら、あの状況を鑑みると、泣いて謝罪するか、震えるかのどちらかだろう。
 確かに、面白い少女だとは思った。集が見出してきただけはあると。しかし、それがこんな風に様々なこと――妹尾の兄弟達の関係や、真砂や、琴子のことを、塗り替えるとは、さすがに想像していなかった。
 緑子が死んで、ぎくしゃくしていた妹尾家。真砂とあの家の兄弟達との関係。既にない母親や子供のことで、どこか哀しみを心の片隅に凝らせていた琴子。
 幸せそうに笑う友人ののろけは、真が制止した後もまだ続く。
 まぁいいか、と真は思った。こんなに、友人は幸せそうに笑い、妹尾の家もまた、平和にやっている。
 今日の夜は、緑子と自分が作った店に行って、歌を聴こう。本来の店を訪ねる目的とは、かなりかけ離れているかもしれないが。
 皆お気に入りの少女の歌を聴いて、男に囲まれているだけでは晴れないこともある己の胸中を、明るくしてみるのもきっと悪くない。


 皆で、緑子の墓を参る。
 本来なら盆に行われるはずだったことだが、諸処の事情でかなり日程がずれ込んでしまった。
 一足先に墓についていた真砂の手によって、掃除は終えられていて、自分達は線香を上げ、花を添えるだけでよかった。
「ありがとうございます遊さん」
「……え?」
 遊は横で静かに手を合わせ瞑目している真砂を見た。隻と棗に集、そして叶は、落ち葉捨てと借りていた掃除道具を返しに行っている。音羽は、遊の傍らで黙ったままだ。謝礼は、確かに真砂の唇から滑り出ていた。彼女は面を上げると、遊と視線を合わせ微笑んだ。
「何に?」
 遊は首をかしげながら訊き返した。真砂が黙ったまま視線を墓に落とす。正確には、線香から立ち上って揺らめく、霞のような煙に。
「こんな風に、緑子さんのお墓に参ることができたのは、きっとあなたのおかげだから」
「そんなこと――」
「あるんですよ」
 遊の抗弁を遮って、真砂が断言する。
「あなたが居なければ、きっと私は、まだ緑子さんのお墓を参ることもなくて、あの日のことを毎晩のように夢見て、妹尾の家にも、帰ることができなくて……」
 苦笑のようなものを口元に滲ませて、とつとつと語る真砂を、遊は黙って見つめた。
 真砂は天を仰ぎ、晴れやかな笑顔を見せた。まるで、緑子に微笑みかけるように。
「けど今は、こうやって、前へ歩き出せている。貴方のおかげだと、私は、そう思っています」
 そんなこと、ないと思うんだけど。
 遊は複雑な心境を誤魔化すために、真砂から緑子の墓へと視線を移動させた。
 添えた花が、涼風に吹かれて揺れている。
「……それじゃぁ、私、一足先に帰りますので」
「え?」
 真砂の言葉に声をあげたのは、遊ではなく、今まで沈黙を守っていた音羽だった。
「帰るのか?」
「ちょっと他に約束があって。皆には下で挨拶するわ。またメール頂戴音羽君」
 ぽん、と音羽の肩を叩いて真砂は笑い、遊に一礼して石畳の階段を下りていった。
 憑き物が落ちたような、そしてどことなく浮き足立った様相の彼女の背中を見送って、遊はぽつりと呟いた。
「あれはデートかなぁ……」
 びく、と
 音羽の身体が小さく震えた。
 遊は驚きにぱちくり目を瞬かせ、音羽を見上げた。彼も彼で、自分自身の反応に対してか、顔をしかめている。
 遊は笑った。
「気になるなら、ついていってみれば?」
「阿呆。そんなことができるか」
 渋面になりながら、彼は付け加える。
「そこまで気になることじゃない」
「そか」
 憎まれ口しか叩かぬ次男様であるが、それなりに可愛いところもあるではないかと、最近遊は思うようになっていた。彼の反応に思わず笑みを零す。音羽が笑うな、と呻き、口元を引き結んだ。
 風のせいで、いつの間にか倒れそうになっていた花を起こすために、遊は腰を落とした。
「音羽さ」
 花を直しながら、何気なく呼びかける。
「何だ?」
 返答は気だるそうだったが、無視されるよりはましかと満足して、遊は言葉を続けた。
「私のこと迎えに来てくれたじゃん」
「まぁな」
「……でもさぁ……最初はあんだけ私が家に入るの、嫌がってたのに。本当は、その」
 まだ、実は嫌がっているのではないか、と。
 兄弟の意向に引きずられる形で、彼は来たのではないかと。
 遊は少し思っていた。
「お前もしつこいな」
 音羽の、呆れが目一杯込められた眼差しが遊に突き刺さった。
「嫌な奴の為になんで俺が徹夜しなきゃならないんだ」
 音羽は憤然と腕を組み、遊を見下ろしていた。遊は笑った。
「それもそうだね」
 立ち上がると、少し伸びた髪を風が揺らした。まだまだ夏だと思っていた。ついさっきもそう思った。だが、こうやって涼を含んだ風を感じると、秋が近いのだ、ということを実感できないこともない。
「そういえば、何で音羽は意見を翻したの?最初は私が家にいるの、アレだけ嫌だっていってたのにさ」
 棗たちには色々な形で係わった気がするが、音羽とは直接的に何かあったわけではない。初対面の最悪な印象は、互いに最悪だった。あのときの心底嫌そうな音羽の表情を、遊はまだ覚えている。
 音羽は、明らかに困惑と見て取れる表情を浮かべた。眉根に皺を刻み、天を仰いだり、視線を彷徨わせたり、青くなったり赤くなったりしている。
 何か、変なことを訊いただろうか。
 確かに、答えにくいことは訊いただろうが。
「仕方ないだろう」
 音羽は、諦めたように嘆息して、言った。
「お前を好きになってしまったんだからな」
 ざ、と。
 風が吹いた。
「……へ?」
 今のは。
 空耳か?
 目を丸め、絶句する遊を置き去りにして、音羽が踵を返す。
「俺も一足先に帰るぞ」
「え、ちょ、ま。ちょ、音羽!!!!」
 頭の中は大混乱だ。大混乱妖精が大根振り回して飛んでいる。いやどういう想像力なんだそんな妖精が脳裏をちらつくって。遊は己に突っ込みをいれながら、すたすたすたと半ば駆け足で石畳を下りていく音羽を、慌てて追いかけた。途中で集達とすれ違い、棗が、あらあんたたちどこ行くのよ、と声をかけてきたが、それに応じる余裕もなかった。
 音羽は振り返らない。
 その背中に、遊は力いっぱい叫んだ。
「ちょっとそれどういう意味ぃぃ――っっ!?!?!?」


 墓地から出て追いかけっこをしている男女を、車の中から見やりながら、男は嘆息した。
(なんか、知らないうちにまとまっちゃってますねぇ)
 自分があそこの家の長女に取引の経緯をうっかり漏らしたがために、ちょっとしたトラブルにはなっていたようだが、あの様子をみると大丈夫そうである。
「さて、仕事仕事」
 あの家の観察は終わりだ。どうにも気になる少女だった。縁があれば、また会うこともあるだろう。どうせあの家の家主とは、時折仕事で付き合いがある。
 男は車を発進させた。
 アスファルトの上に、エンジンの熱による陽炎が揺らめいた。


 秋の夜長とは本当だ。七時を過ぎてもまだ仄明るい。みちるは昌穂の店へ届けるためのバゲットパンを抱えながら、商店街を駆けていた。
 大型ショッピングモールが幅を利かせる昨今の情勢に反し、この商店街はまだまだ元気だ。夜の店と昼の店が仲良く肩を並べている奇妙な商店街だが、犯罪も下りているシャッターの数も少ない。だからこそ、小学生がこの時間うろついていても、心安らかであれるのだ。
 みちるは、本日閉店の札を掲げた宝石店と入れ替わりのように、明かりの灯った階段をふと一瞥した。宝石店傍らの、地下へ下りる階段。クラシックな橙の灯りが、その一段一段を照らし出し、出てきたスーツ姿の若い店員が水打ちをしている。
 昌穂の店から帰った後、この店に出来たてのラスクを届けることが決まっている。女の人の夢が詰まった店。小学生のみちるにすら、丁寧に接してくれる店員達を、みちるはとても気に入っていたし、ここでは年の離れた友人が働いていた。
(妹尾君も、ここでアルバイトして、私に対する接し方とか、学んでくれればいいのに)
 ちらりと嫌みな――しかしなんとなくどの同級生よりも距離の近くなってしまった少年のことを思いながら、みちるはバゲットの入った紙袋を抱えなおした。彼の実家がこの店を経営しているはずなのだが、件の少年は、どうも女の子に対する対応が小憎たらしすぎる。
 いや、訂正しよう。他の女の子には恐ろしく紳士だ。
 みちるに対する態度だけ小憎たらしすぎる。
 水打ちをしていた店員が、みちるに気がついて手を振ってくれた。彼に手を振りかえし、みちるは再び商店街を駆け出した。
 背後では、看板に明かりが灯った頃だろう。

 CLUB HOST FAMILY と。



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