夏草(告解)


 ディスラの夏は短い。
 常緑樹と銀樹の森に囲まれた雪深い王都が、青々とした緑一色に染め上げられる季節。
 どこもかしこも土と草の香りが立ち込めている。とりわけ王都郊外の丘では、風に撫でられた草が、銀色の陽光に彩られながらさんざめく。
 そのただなかで四肢を広げ仰臥する男を、ファイナは頭上から呆れ顔で覗きこんだ。
「ラヴィ」
 男は瞼を上げない。
 ファイナは腰に手を当てて、男の肩をつま先で小突いた。
「ラヴィ。返事なさい」
「ファイナも寝そべれば? 気持ちがいいよ」
「仕事を放りだした副官を、どうして上官の私が呼びに来ているのか。そのことに対するお小言を聞く気はある?」
「放り出してないって。ちゃんとやってる」
 確かに男の周囲には書類と筆記具が散らばっている。
 戦術報告書と部下たちの評価、訓練指南案、等々。
「外でするつもりなら言いなさいよ。無断で出て行かない」
「だって外、気持ちよさそうだったしさぁ」
「反省が足りないようね?」
「ごめん」
「誠意が足りないわ」
「申し訳ございません、姫殿下」
「そこは将軍と呼ぶべきよ」
 ファイナは息を吐いて、男の隣に腰を下ろした。
 草の上に力なく落ちた男の手を見つめる。
「……何かあった?」
「いいや? なにも」
 嘘を吐け。
 この男は平時であれば王城を抜ける旨をきちんと言い置く。
 なのに今日に限って黙って姿を消したのだ。
「ラヴィ」
 ファイナが追求に呼びかければ、男は薄く瞼を上げて、今にも泣きだしそうな笑みを浮かべた。
「命令? それとも部下を思う義務感?」
「あなたを心配しているだけよ」
 男の前髪を指先で払い、ファイナはささやいた。
 男は安易にこちらの心に踏み込む。しかし自らの腹のうちにあるものを決して見せようとはしない。
 ごめん、と、男は言った。
「ひどい言い方だった」
「まったくだわ。ひどい曲解」
 ファイナは近くの草を手折った。力加減を誤ったらしい。葉の鋭い縁が指先を傷つける。
 傷みに顔をしかめていると、ふと、男の手が伸びてきた。
 その手がうやうやしくファイナの指先をとる。そこに男の乾いたくちびるが寄せられるさまを、ファイナは他人事のように見つめた。
 ときおり、男はこちらの手にくちづける。
 忠誠の証に。
 果たしてそれだかと疑いたくもなる。
 戦で荒れ果てた手への男の接吻は、掠めるようでいて、熱がこもっていた。
「夏草の、匂いがする。……傷、大丈夫?」
「えぇ」
「よかった」
 男は笑って、ファイナの手を握った。
 子どもが母に縋るかのように。
「夢を見たんだ。昔の……嫌なころの夢だ。目が覚めたとき、どっちが夢だかわかんなくなったよ」
「そう」
「あぁ、でもこっちが現実だな。こんなにはっきり、草の匂いがする」
「そうよ。こちらが現実」
 ファイナは微笑んだ。
「私もここで昼寝しようかしらね」
「そうしなよ。本当に気持ちいいんだって。空がぜんぶ俺のものみたいに思えてさ」
 男の子どもっぽい発言に笑いながら、ファイナは思わず男の髪を撫でた。
 男は驚いた顔を見せたが、心地よさそうに目を細め、さわやかな風を吸いこみ、そしてまた目を閉じてしまったのだった。