賑やかな部屋(裏切りの帝国)


 熱で朦朧としながら枕の下を探る。ただ布の感触ばかりがある。ジンは青褪めた。何物かがひたひたと裸足を鳴らしているというのに。
 ラルトもレイヤーナもシノも、信頼できるものが誰も傍にいない。ここで死んだらごめん。不在の幼馴染にジンは脂汗を浮かべながら謝罪した。それにしても、どうして彼はここにいないのか。フィリオルを伴って視察へ出向いたのだったか。ジンは舌打ちした。こんな時に体調を崩すなんて。
 身体が重い。節々が痛んで、動かない。ちくしょう、と毒づく。足音はもう傍に近づいてきている。けれど指一本上手く動かせない。
 あぁ、人の影が、すぐ。
 そこに。



「とうさま!」
 どすっ、と鈍い衝撃を腹部に感じて、ジンは低く呻いた。苦悶に喘ぎながら瞼を押し上げる。ぼやけていた視界は瞬きを繰り返すうちに明瞭になった。
 幼い息子が布団の上から圧し掛かり、不思議そうな顔でジンを覗き込んでいる。
「とーさま、ねー、いつになったら元気になる?」
「……う、え?」
「こら!」
 怒声と共に息子の身体がジンの上から取り払われた。彼の首根っこを掴んだシファカが叱咤に声を荒げる。
「父さまは寝てるんだから、上に載っちゃだめって言ったでしょ! 父さまはたっぷり寝ないと、元気にならないんだよ!」
「ごめんなさい……」
「わかればよろしい。……母さまのために椅子を持ってきてくれる?」
 ぼてっと床に落とされた息子は、はぁい、と返事しながら背もたれのある椅子をずるずる引きずってくる。それに腰を下ろしたシファカは息子を膝の上に乗せて、枕元にある小円卓の盥に手を付けた。水音がする。固く絞った手ぬぐいが、ジンの瞼に押し当てられる。
「気分はどう?」
「……なかなかびっくりな目覚めだった」
「なかなか起きないから心配してるんだ。……まったく、だからちゃんと休めって言ったのに。寝ないから変な流感拾って来たりするんだよ」
「ごめん」
「まー、かかりっきりだったやつも終わったんでしょ。しばらくゆっくりしてたらいいって、ラルトさんが」
 話を途中で切ったシファカが面を上げ、噂をすれば、と微笑んだ。
「あぁ、目が覚めたのか? ジン」
 入ってきた男はジンの幼馴染。乳兄弟。親友。主君。さまざまな呼称のある男だ。
「起こされたって言った方が正しい感じがするよー」
「ま、そろそろ起こした方がいいかって話してたところなんだ。なぁ、ティー」
「はい」
 ラルトの後ろから彼の妻が顔を出した。
「だってもうかなりお眠りになっていらっしゃるのですもの。……お腹空きませんか? ジン様」
「粥とお薬を持って参りますわ」
 シノの声と足音がする。それは途中でふいに停まり、入れ違いにどたどたとかしましい足音が近づいてきた。
「おー、目が覚めたんだと? どうだぁ気分は」
 イルバだ。ジンの部下、ということになるが、年は最年長である。
「年とってからの流感はキツイよなぁ。ま、しっかり養生しろ」
「執務室で流感がはやってはかなわんからの」
 毒舌を吐いたのはヒノト。彼女はイルバの後ろからエイと並んで部屋に入ってきた。エイは恋人の容赦ない発言に溜息を吐いている。
「ヒノト……そんな身も蓋もない」
「お前もラルトもイルバも、きちんと休まねばこうなるぞ? いいか? や す め よ?」
「肝に銘じます……」
「あー耳がいてぇなぁ。なぁラルト」
「そうだな」
 男たちの会話に、女たちが笑いさざめく。ジンもつい、笑ってしまった。
「ごめん、シファカ。シノちゃんが来たら起こして」
「やっぱり眠い?」
「うん」
 ジンは目元に手を当てて、喉の奥を鳴らした。身体の節々は痛むわ悪寒はするわ喉は痛いわ、まったく、イルバも言っていたが、年をとってからの体調不良はたまったものではない。
 だが。
 ジンは深く息を吐いて脱力した。とろとろと瞼を閉じる。押し当てられる妻の手がひんやりとして。
「いい、気分なんだ……」
 皆は再び笑い、おやすみ、おやすみ、と歌うように言った。