よい日和(裏切りの帝国)


「いらっしゃい」
「お邪魔いたします」
 私服姿で丁寧に礼を取る女官長を迎え入れて、ヒノトは微笑んだ。並んで廊下を歩く。柔らかな日差しが、木目美しい床板を輝かせている。
「イルバさんは?」
「居間でエイと盤遊び中」
「あら? 仕事の相談でこちらによっていると伺いましたけれど?」
「まぁ、仕事もかねておるらしいがの。見ればわかるよ」
 風通しをよくするために開け放たれた扉を叩いて、客人の来訪をヒノトは家の主人に知らせた。
「エイ、イルバ、シノが来たぞ」
「いらっしゃいませ、シノ様」
「おーっす。遅かったな」
 エイは一度籐の椅子から立ち上がってシノを迎え、卓を挟んだ席に腰を下ろすイルバは、思案顔で卓上の盤を睨みつけたまま片手をひらりとこちらに振って見せた。
「何をなさっているのですか?」
「人事の相談です」
 シノの問いにエイが微笑して答える。その回答と彼らの行動は、あまりにも食い違っていて、女官長は眉間に皺を寄せた。
「一体これのどこが?」
「あぁくっそ! 打つ手がねぇ!」
 わしわし赤毛をかきながら、イルバがわめく。そして彼は傍らの書類を一枚、エイに手渡した。
「ほらよ。こいつはお前な」
「ありがとうございます。あぁ、彼ぐらいこちらに引き抜かないと。さっきはとられてしましたから」
「んなこといってもう二連続お前勝ち上げてるだろうが」
「その前は三連敗でしたよ」
「あれはお前様子見だったろ、絶対!」
「そんなことないですよ。それでは、次はこちらの方ですね」
「さって、そろそろ勝たねぇとなぁ」
 ざらざらと盤の上の駒を乱している男二人を眺めていたシノに、ヒノトは呼びかけた。
「シノ。茶が入ったぞ」
 首を捻りながら歩み寄ってきたシノが、低く呻く。
「あれは、何をなさっているのかしら」
「あー。なんか、今度の人事でほしい人材が何人か被ったらしくての」
 宮廷に上がった文官は試用期間ともいえる雑用を数ヶ月経て、それぞれの部署に振り分けられる。将来有望そうな者が二十人ほどいるらしい。それぞれの部署に引き抜きたがって、現在彼らをかけて、男達二人は盤遊びに興じているのだ。
 どちらかが十人揃えた時点で、つまり、十勝した時点で、この遊戯は終了となる。
「そんな方法で決めていいの……?」
「ラルトとジンの決め方のほうがもっとひどいらしいぞ」
 ず、と茶をすすりながら、ヒノトは笑った。視線の先であーだこーだと駒を動かす男達は、楽しそうだ。
「しばらくかかりそうですわね」
「そうじゃな。適当なところで切り上げさせる。こんないい天気の日に、いつまでも部屋の中で燻っておく道理はないじゃろう」
「そうね」
 何せシノが今日、この屋敷を訪ねてきたのも、庭先の花が満開になったと知らせたからだ。いつかあの花の下で昼餉をとろうと、ヒノトは彼女と約束していた。
 光溢れる外を見つめながら、眩しそうに目元を緩めて、シノはヒノトに同意を示す。
「こんなに素敵な、お花見日和ですから」