勇者と魔王(もしくは魔王)


 桜もそろそろ散るかというころだ。
 ご近所づきあいに呼ばれて最後の花見に参加した帰りだった。土産はツマミを少々と、瓢箪の中に極上の酒。
 ほろ酔いで気分もよく、下駄をからころいわせながらの帰り道。
 綺麗な満月をふと仰ぎ見ると、月光に影がさした。
「ん?」
「魔王かくごおおおおおおおおおぉ!!!!」
 実に、近所迷惑な掛け声であった。



 ふぎゅる、と襲撃者を踏みつけて、マオは首を傾げた。着地を頭からおこなって、脳震盪で伸びている阿呆な襲撃者は、どうみても少女である。首都風の衣服――黒のタートルネックに剣を下げるための革ベルト、スカートにブーツという、この町においては実に奇抜な格好をしている。長い髪をポニーテールにした、愛らしい少女だった。間抜けではあったが。
 どうみても、見覚えはない。
 ふむ、とマオは少女を踏みつけながら呟いた。
「……魔王っていったか?こいつ」



 よいか。よいか。よいか。イサナ。
 一族の恥であるお前に、皇帝が直々に命を下された。心して聞くがよい。
 魔王を殺すのだ。
 勇者として産まれついた、お前だけが、魔王を殺し、世界を平和に保つことができる。
 ――はい、おじいさま。
 よいか。いさな。
 必ず。
 必ず殺すのだぞ。



「気がついたか」
「気がつきました」
「ここがどこだか判るか」
「東辺境も辺境の町です」
「の、どこだか判るか」
 イサナは考えた。牢屋とは考えられない。周囲にあるのは畳と壁だ。手を伸ばすと、愛剣もそこにある。
 壁際に腰を下ろしてさかづきを傾けている男がいる。作務衣を来た黒髪の黒目の男の輪郭を、提灯が浮かび上がらせている。
 その柄を握って、イサナは唇を引き結んだ。
「……まおぅのいぇ……」
「あん?」
「ちぇぇすととおおぉおぉ!!!!」
 どたぁ―――ん!!!!!
「……」
「……なぁ」
「……はい」
「とりあえず、元気なのがわかっていいことだな」
「……ありがとうございます」
 イサナは壁に張り付いたまま男に言った。自分から飛び込んだとはいえ、ぶつけた頬がものすごくひりひりする。男は横でごく普通に、杯を傾けていた。
「俺は襲撃される理由が見つからないんだが」
「嘘つき」
「だって俺お前と初対面だし」
「それはそうですけど」
「親戚とかでもなさそうだし」
「親戚でもないですけど」
「じゃぁお前のいう俺が襲撃される理由っていうのは?」
 ぐっと、イサナは口元を引き結んだ。
 提灯の明かりの中で薄く笑う男は、確かに自分が殺そうとした男だ。
 間違いない。
 イサナは威勢よく立つとびしっと男を指差した。
「それは貴方が魔王だからです!」
 と、叫んだ瞬間立ちくらみで倒れた。



「お前、勇者か」
 やれやれそういうことか、と少女の額に水に浸し、固く絞った手ぬぐいをおいてやって、マオは嘆息した。
「わひゃひは……いさな……」
「……勇魚?」
「魔王め。勇者の名の下に、成敗します……」
 もにょもにょ、と口を動かして、頭に大きなたんこぶを作った少女は、また眠りに入った。



 世界に、必ず対で生まれる存在がある。
 勇者と魔王。
 勇者は世界に光をもたらし、魔王は世界に闇をもたらす。
 勇者は希望と友愛を司り、魔王は絶望と裏切りを司る。
 勇者は守護を、魔王は殺戮を。
 世界が泥から生み落とされたその日に生まれた一対。
 飽きなく戦い続け、また生まれ、殺しあうが互いの運命(さだめ)。

 
 だったのだが。


「平和主義?」
 早朝。
 春の晴天の下、長屋の井戸端でしゃこしゃこ歯磨きをしながら、第五千九百六十代目の勇者、勇魚(イサナ)が言った。
「そうだ」
 同じくしゃこしゃこ歯を磨きつつ、同じく第五千九百六十代目にあたる当代の魔王、マオは頷いた。
「そんな魔王があってたまるもんですかっ!」
「五月蝿い!唾と泡飛ばすな!」
「はぅぅすみませんっ!」
 慌てて口元を拭いながらぺこぺこ謝る勇者。腰の低い勇者もいたものである。
「倒しに行くなら北の国で俺の代理やってる奴にしろよ。あいつは魔王の代名詞の如く殺戮裏切り血肉悲鳴が大好物の奴だからな。普通魔王討伐つったら大人しくあっちいくだろ有名なんだから」
「……私もそう思ったんですけどぅ……」
 北の魔王といえば、ここ数年魔の軍団をつれて君臨し続ける有名どころ。魔王と聞けば、皆が連想するのはまず彼の魔王である。
「だけど、魔王魔王って思いながら旅してたら、この町についちゃったんですよ」
「真の勇者だけは魔王がわかるからな。俺は勇者が誰だかわからんっつうのに、不公平だ」
「私が勇者だって信じるんですか?」
「お前が平和主義者な魔王を嘘だと一蹴したように、俺もこんなドジな勇者あってたまるかとも思ったが、俺が魔王だってわかった時点でお前は勇者確定だ。しゃーない」
 しゃこしゃこしゃこ……
 ちゅんちゅんぴちちち……
 長屋は変わらず平和である。
「……はっ。なんか私空気に飲まれてる!? っていうか、誰がドジなんですか!」
「自分から頭打ち付けるし、自分から壁に突っ込むし。これをドジとしていわずなんていうんだ?勇者っていうものは文武両道を最先端でいくもんだと思ってたけど」
「うっ……どうせ一族最悪のおちこぼれって言われてますよ……」
「そうか、一族最悪のおちこぼれなのか」
「……」
「……」
「わ、笑いたければ笑えばいいじゃないですかぁぁぁぁぁぁあ!」
「何にも言ってないだろうが。ほら。さっさと顔も洗え。飯にするぞ」
 井戸からくんだ水で早々顔を洗った魔王は、淡々と洗面用具を纏めてその場を引き上げる。
 ご飯だって。
 きゅう、とおなかが鳴った。
 昨日だって、手当てしてくれたし。
 平和主義者なのかどうかはともかくとして、結構いい人なのかも、とイサナは思った。



 朝食が終わったらお茶も入れてくれた。
 毒は入っていなかった。
 美味しいご飯とお茶だった。



 というわけで。
 イサナはマオが本当に平和主義者な魔王なのか、観察してみることにした。


 ぱっちん
「何やってるんですか?」
 ぱっちん
「盆栽の剪定」
 ぱっちん
「……盆栽って何ですか?」
 ぱちん
「ここに並んでるちっさい植木共」
 ぱちん
「……楽しいですか?」
 ぱちこ
「趣味だからな」
 事実、男は楽しそうだった。



 昼食の前に、マオは言った。
「お前何時まで居座るつもりだ?」
 イサナは胸を張った。
「マオを倒すまでです!」
 倒すまで実家に戻れない。じーじに戻るなといわれた。
「帰れ」
「嫌です」
「そうか」
 マオは大きく嘆息した。それ以上帰れとは言わなかったが、働かざるもの食うべからずだからな、とは言及していた。



「なんですかこの格好」
「働け」
 間髪入れずにマオは言った。エプロンをせっかく貸し出してやったというのに、娘は文句が多い。
 爺が押し付けていったふりふりレースのエプロンだからかもしれないが。
「私お客さんじゃないんですか?!」
「誰が客だ誰が。言っただろう。働かざるもの食うべからずだ。朝食と昼食代はまけておいてやるから、皿洗いと掃除ぐらいしろ」
「えぇ……でも、どうやって洗うんですか?」
「したこと無いのか?」
「ありません」
「……勇者一門っていうのは、よっぽどブルジョワジーな生活をしてるんだな」
 と、思ったが。
 単に彼女に誰もさせたがらないだけだということを、後にマオは思い知った。
 昼食を陶器の皿ではなく木製の椀に盛り付けた過去の自分を思わず褒めたくなった。
 掃除もさせないようにしようと、新しい障子用の紙と糊を用意し、掃けを握り締めながらマオは強く心に誓った。



 それが勇者と魔王の共同生活の始まりだった。