愛の理由(金環蝕)


 ラヴィを含め、傍観者――不老不死者は四人いる。この世で最初に呪いを受けた〈傍観者〉、シオンは四人の中でただひとり、自分の住まいから動くことができなかった。彼女には、肉体がないのだ。厳密には不老不死ではないのかもしれない。しかし狂うこともできず、消滅もできず、そこに在ることを求め続けられるという点においては、ラヴィたち三人と変わらなかった。
 いや、もっとひどい。
 シオンは、自分たちの誰よりも長く生きている。東大陸の根城で占師をしながら。
 かつてシオンは彼女自身が作りだした網という存在を窓代わりに世界中を覗き見して退屈を紛らわせていた。ここ近年は彼女の〈庭園〉を中心に生まれた国と歴代の王を遊び相手として楽しく暮らしているらしい。
 日々を楽しんでいるからといって、シオンは同胞たちのことを忘れてはいない。弟妹を案ずるようにラヴィたちのことを常に気にかけ、たまには訪ねて欲しいとそれぞれの根城に遣いを寄越す。今回もラヴィがひと仕事を終えて国に戻ると、紫苑色の小鳥が籠に収まっていた――シオンの遣い魔だ。
 酒と肴を持参して根城を訪ねたラヴィをシオンは十の童女の姿で出迎えた。年齢を自在に変えられるのは、肉体がないシオンだけの特権だ。仕事の都合上、たまに羨ましくなる。自分たちは姿の〈上塗り〉は出来ても、身体の大きさまではどうにもならない。
「ご無沙汰しておりますわ、ラヴィ」
「敬語はやめてくれっていったろ。俺はシオンよりも無茶苦茶年下なんだぞ? それからそんなに久しぶりってほどでもないよ。多分、十年も経ってない」
「あら、そうだったでしょうか?」
「ユファ、だったっけ。女王陛下だって代替わりしてないじゃないか」
「そうでしたわ。うっかりしておりました」
 綿のたっぷり詰まった座布団に脚を折りたたんでちょこんと座るシオンはおっとりと笑った。その老成した微笑だけが彼女の年齢を表していた。
「それにしても……なんか今日はやけに甘いもんばっかり並んでるなぁ」
 ラヴィは部屋の中央に敷かれた絨毯の上に並ぶ銀盆を眺めた。どの盆の上にも白の陶器に盛りつけられたこの地域独特の菓子が載っている。焼き菓子から蒸し菓子から、餡のたっぷり詰まった饅頭まで。
「誰が食べるんだ?」
「ラヴィがおひとりでお出でになるのがいけないのです。いやだわ。お土産に持って帰ってくださいね」
「うん? もしかして、これ、ヤヨイ用なのか?」
「いつもご一緒なのだと伺ったのですもの。今日も来られると思いましたのに」
 シオンは頬に手を当てて、こまった、とばかりに眉尻を下げる。ラヴィーは神話の織られた見事な柄の絨毯の上に両足を投げ出して天井を仰いだ。
「誰だよ、そんなこと言った奴……。どうせ、グレルだろうけどさ」
「とってもかわいらしいお嬢さまだって、伺いましたのよ?」
「連れてきて欲しいんだったらちゃんとそう言ってくれよ。ヤヨイもあれで忙しいんだよ」
 シオンがヤヨイ目当てで自分を呼んだことは薄々感づいてはいたが、明言されていなかったので連れてこなかった。ヤヨイは見世物ではない。
「そう。残念。……でも、あなたがお元気そうでなによりですわ、ラヴィ」
「そりゃどうも」
 ユファがラヴィの方へと腕を延ばす。彼女が手のひらを天に向けると漆塗りの杯が現れた。中を満たすのは琥珀色の液体。ただし、全て幻。
 ラヴィに合わせてそのようなものを生み出すシオンは律儀だと思う。彼女はラヴィたちの食事に付き合うことで、自分も飲食している気分になれるのだと言って笑うのだけれど。



「ヤヨイさまの何が気に入られましたの?」
「なんで様付け」
「私たちの生に付き合ってくださる方はどなたであっても敬うに値しますから」
 それで、お嬢さまの何が気に入られましたの?
 シオンの問いにラヴィは黙考した。ヤヨイを傍に置くようになってからというもの彼女にラヴィの何がいいのかと問いかける輩は後を絶たないのだが、ラヴィにヤヨイを選んだ理由を尋ねた者はシオンが初めてだった。
 あの、娘の、何が。
 すべて、と言ってしまえばそれまでだ。そう答えてもシオンは納得するだろう。彼女はラヴィの回答に意味を見出さない。ラヴィとの言葉のやり取りを好んでいるだけなのだ。
「……そうだなぁ……まずは、性格かな。生真面目でけっこう潔癖のきらいがある。完璧主義者……に、近いところがあるかな。一度始めたらとことんって感じで……度を越せば猪突猛進か」
「あら、あなたの好みそのままなのですね」
「は? そうか?」
「あなたは自分と真逆の方がお好きでしょう? いじめがいがあるとおっしゃって」
「……否定はしない」
 ちなみに自分は不真面目でいい加減で適当が好きで移り気で飽き性である。自覚はある。
「ですが、そういう方は少なくありませんのに、どうしてヤヨイさまだったのですか? ……ファイナに似ている?」
「似てないよ」
 ラヴィは即座に否定した。
「……血縁でもラーナから数えてもう二十は代を重ねてるんだぞ。……それに俺が気に入ったのは外見どうこうじゃない」
「やはり性格なのですか?」
「うん。それも含めて……どこまでも俺について来てくれそうなところとかかな」
 首をひねるシオンにラヴィは説明してやった。
「俺はきれいな男じゃない。血なまぐさいことをずっとしてきた。これからもするだろう。別に楽しんで人殺しするわけじゃないけど、女子供を手に欠けることだって何とも思わない。仕事なら国を陥れることだってするさ」
 国をひっかきまわしたことならある。必要だったから。手に負えなくなった内乱をさっさと終わらせるために、主要な人物を暗殺してやったこともある。それも必要だったから。
「ヤヨイは人を傷つけたりだましたりが苦手なんだ。根が素直だし。正直で、純粋だ。俺にひっかかりさえしなければ里の中で研究をしながら幼馴染みの男なり、引き合わされた男なりに愛されて、穏やかで幸せな一生を手に入れただろう」
「でもお嬢さまをそっとしてあげることができなかったのですね」
 それほどまでにこころひかれたの、と微笑むシオンにラヴィは首を横に振った。
「皆、勘違いするよな。俺が口説き落とされたんだよ、ヤヨイに」
 ラヴィは空にした杯に手酌で酒を注いだ。昔から弱くはなかったけれど飲めばそれなりに酩酊した。今はよほど強い火酒でないと酔ってしまうことはない。もはや水や茶代わりだ。
「あれは、彼女が十かそこらのときだった……。この国にくる一回か、二回前ぐらいの仕事だ。仕事に子どもが必要だったから、ヤヨイを連れていった。長い内戦でどろどろになっている国へだ。トビア……ヤヨイの後見してる子な。にはえらい怒られたし、反対されたよ。でもそういうところに連れて行けば、ヤヨイも夢見るのをやめるだろうって思った」
「ゆめ……」
「そう。ヤヨイはどこへいくにも俺に付いてきたがる雛みたいなものだった。卵が割れて生まれたときに最初に見た動くものが俺だった。そんな感じで俺の旅に同行したがった。立派な魔術師になったら、俺と一緒に旅をして、俺の仕事の手伝いをする。呪いを解く手伝いをする。それが小さい頃の彼女の口癖だった。本当に努力して、俺も驚くぐらいの術者になっていたから、一、二回は褒美に簡単な仕事に同行させた。三回目は……さっき言った、内戦の仕事だ。俺は彼女に身を守ることだけを厳命した。そこで彼女は男に付きまとわれて、強姦か、売りとばされるか、しかけた」
「助けてあげられましたの?」
「助けるには一歩届かなかった……彼女は自分でその男を殺した」
 ヤヨイは既にそれだけのことができる術者だった。人並み外れて高い魔力と彼女自身の研鑽がそれを可能にしていた。
 けれど彼女が殺人に耐えうるかはまた別の話だ。努力どうこうではない。初めて人を殺して駄目になる者もいるし、それを繰り返して野菜を切るように何も感じなくなる者もいる。ラヴィ自身は後者である。
 ヤヨイはそれにまだ年端もいかない子どもだった。どちらにせよ、後々の彼女の成長に影響があるだろうことは明らかだった。
 が、その事件に感化されたのは、むしろラヴィのほうだった。
「血まみれの手を見下ろして、すごく震えてて、顔色は紙よりも白かった……だいたいはそうなるよな。……けど俺を見て、ヤヨイ、第一声がさ……ヤヨイは平気ですっていうんだよ」
 あの少女は血まみれの手を握りしめて、ラヴィに訴えた。
 自分は平気だ。自分の身は自分で守れる。人を殺すことも平気だ。だから――……。
「頭から血を被って、初めての人殺しに震えて、今にも泣き出しそうなのに、ぜんぶ平気だって言って、まだ俺に付いていきたいと、彼女は言った。……ぞくぞくしたね」
 あれから彼女に幾度か殺しの伴う仕事もさせた。殺しまでいかずとも、血なまぐさい仕事はいくらでもあった。それでも彼女はラヴィの命とあれば、ラヴィのためとあれば、蒼白になりながらも淡々とこなす。そしてラヴィを見上げる。わたしは、お役に立てましたか。お傍に置いていただくに足りますか。
 あの純真で潔癖で生真面目な娘が血の河を渡るラヴィに付いてくる。けがれを厭わずに付いてくる。恐れながらも確かな足取りでラヴィの領域に踏み込んでくる。
 それはラヴィに背徳感ある至高の愉悦をもたらした。
「何をさせても、彼女は俺に付いてきたがった。あれほど興奮することはなかった。だから俺は彼女を使い続けた」
 けれど最後に彼女はラヴィの元から退こうとした――落胆した。
 失望、と言ってもいいかもしれない。得体のしれない苛立ちがラヴィを占めて彼女を苛め抜きたくなった。実際、そうした。彼女の身体まで凌辱した。一度だけではなく、二度、三度と。凌辱を繰り返した。彼女が使えといったから。使った。苛立ちをぶつけることに使った。使い潰そうと思った。痛かっただろうけれど、あの娘は一度も泣きごとを言わなかった。それどころかつかの間の快楽にラヴィが身を捩るとあの娘は微笑んだ。それは決して薄暗い嗤いではなく――ラヴィの心が休まる一瞬に本当に嬉しそうに笑うのだ。
 完敗だと思った。
 もういい。望みは全て叶えよう。離れたいなら。それでいい。幸せになるといい。
「もともと、不幸になってほしいわけじゃなかった。それなりに甘やかしもしてきたんだ。これだけ俺に尽くしてきた彼女が俺から離れたいと思うならもういいって思ったよ。本当だったら彼女はもっと早くにそう思うべきだったんだろうし。俺だって彼女を手放すべきだった」
 そう思って最後に見た彼女の目が。
 誰かの男のものになるための衣装を身に着けた彼女の目が。
 あの、初めてひとを殺して、ラヴィに、自分は大丈夫だと言ったときと、全く同じだった。
 ヤヨイは大丈夫。あなたのお役に立てる。これで。だから幸せ。だから。
「それで連れて帰った。他の誰かにくれてなどやるものか。彼女はこれからも俺が使い潰す。彼女が望んだ通りだ。……な? 俺が口説かれた側だろ?」
「何でしょうこのとても崩壊している理屈を使って全力で惚気られた感……」
「えー」
「……そうですね。あなたが口説き落とされたというか根負けしたというかそういう感じで今はお嬢さまを絶対手放したくないという部分は私にも伝わって参りました。あぁんもうなんだか恥ずかしいです……」
「なんでシオンが照れるんだよ」
「これは中てられたと申しますのよ。やはり今度ヤヨイさまをお連れになってくださいね。是非お会いしたい……」
「ヤヨイがいいっていったらな?」
「ちゃんと私がヤヨイさまをお誘いしたことを、ラヴィが忘れずに伝えてくださらないと、私はほかの方々にヤヨイさまを誘ってくださるよう伝えますから」
「やめろよそうやって外堀埋めようとすんの!」
「連れて来てくださいね」
「だからヤヨイは見世物じゃないのにやだよなんで見せなきゃなんねぇんだよヤヨイが減る」
「ラヴィ、ひとは見られたぐらいでは減らないのですよ……?」
 シオンは子どもらしいふくよかな頬を栗鼠のように膨らませて不満をあらわにした。つれてきてくださいー。
 ラヴィはため息をついた。何故皆そのように彼女に会いたがるのか。ラヴィがぼやくと、シオンは笑った。
「決まっております。……この目で見たいからですわ」
 おそらく不老不死者たちにとっては瞬くほどに短く、けれど尊い、幸福に満たされた時間を。