逃避の方法(女王の化粧師)


「死ぬほど好きな女がさー」
 ゼノが言った。
「絶望的なぐらい一緒になれないとか、嫌われてるとかいうふうな状況になったらさ。俺って別の女に逃げそうな気がするんだ」
「逃げてるんですか?」
 ディータは尋ねた。
「いや、今はそういうのないけど。女どころじゃないし。でもいつか命捧げられるぐらいの女が欲しいね。騎士の誉」
「しんどいだけだと思いますけどね」
「わかったようなことをいうね」
「何事もほどほどが一番ですよ」
 そういって、ディータは仕事を処理していく。
「仕事もほどほどがいいんと思うよ」
 ディータの仕事の没頭振りは、尋常ではない。
「ほどほどでどうにかなるような状況でもない」
「それはそうだけどさ」
 この男が密命を受けてこの城を去る前、この男は目に狂気を宿していた。それは女王の狂気に引きずられていたのだろう。見せ付けるために粛清を行い、血を被ることを厭わず、命を削るようにして仕事に打ち込む姿があった。
 密命が終わって戻ってきた後、男は決断の際、情と合理性の狭間で迷いを見せるようになった。判断自体には狂いはない。ただ、目に苦しみが宿っている。あぁ、正気なのだと思った。それは喜ばしいことなのか判らない。男は前にも増して、仕事に溺れている。
「ディータ」
「何」
「好きな女とかいる? ……いた? とかでもいいんだけど」
 ゼノの問いに、ディータは手を止めた。
「暇なんですか? 手伝わせましょうか?」
「俺が処理できるようなことなら」
 そういうと、一山書類を押し付けられた。
「……俺、お前の護衛なんだけど」
「外に出ては将、内にあっては宰を地でいく貴方が何を言うんだ」
「俺お前が来てくれて本当よかった。宰相、絶対性に合わない」
 はぁ、と溜息を零して、客用の卓に腰掛ける。書類を広げて、目を通していく。
「俺の質問に対する答えは?」
「何?」
「だから、好きな女」
「……あぁ」
 ディータは嘆息を零した。
「いない」
「ふぅん」
(嘘だろ)
 と、思った。
 昔だったら、そんな暇がどこにある、とでも、一言皮肉を付け加えてきただろうに。
 沈黙が、逆に雄弁に状況を物語る。
 密命を受ける前、虚ろだった目が、今は誰かを探していることを知っている。
 その目を、縛り付けるように書類に向けている男。
「お前は女じゃなくて、仕事に逃げるやつだよな」
 ゼノの言葉にディータから、はぁ? という不機嫌な声が返ってきた。