魔除け(歯車にて夜明けよ)


 魔除けとして、その少女は捕らえられていた。
「トリエステ」
 自分を案内した牢番が少女を呼ぶ。その声に反応を示した少女は、けだるげな眼差しをこちらに寄越した。光全てを吸収する闇色の髪と、白い肌。そして、銀混じる、色移り変わる摩訶不思議な瞳。
「今日からの世話係はこいつだ」
 以前の世話係であった女は、この少女の傍にあるうちに、発狂してしまったのだという。精神の壊れた女の代わりに役目を得たのが、自分だった。
「はじめまして。テオです」
 握手を求めて手を差し出す。年は近いはずだ。できることなら仲良くありたい。
 しかし少女は応じなかった。彼女は再び目を伏せ、部屋の隅で膝を抱える。
「無駄だ」
 牢番は言った。
「お前はこの魔女の世話さえしてりゃいい。……発狂すんなよ」
「しないよ」
 魔術師ではない自分が、彼女の魔に当てられて、発狂するなどありえない。
「それもそうか」
 牢番は納得したように頷いた。こちらが何故、少女の世話係として選出されたのか、思い出したからだろう。



 無魔のトリエステ。
 彼女はそう呼ばれていた。彼女に魔力がないからではない。その逆だ。神に通じる圧倒的な魔力で、周囲の魔、全てを無効化してしまう。魔術師ならば例外なく、気が狂う。使えるはずの魔術が使えないだけでなく、彼女から何かしら干渉を受けていることがわかるのだという。牢番は言った。少女の前に立つだけで、まるで、蟲に常に這われているようだ、と。
 そんな物騒な少女が何故囚われているかといえば、魔除のためだった。城の中枢に据え置き、城の心臓部にて魔術が行使されないようにする。王を、守るためだ。魔術の暗殺は一番防ぎにくいから。
「トリエステ、入るよ?」
 盆を片手に掲げもち、空いたもう片方の手で扉を軽く叩いた。牢、とはいっても、城の内部にある部屋に過ぎない。鍵を開け、部屋の中に身体を滑り込ませる。トリエステはいつも通り、部屋の隅で綿のつめられた敷物に埋もれていた。
 テオは部屋の中央にある、卓の上に、食事の載った盆をおいた。衣服は丁寧に畳みなおして、寝台の上に置く。
「トリエステ。着替えはここに置いておくから。食事は冷めないうちに食べて」
 少女は答えない。ただ緩慢に、顔を動かした。美しい造作。無表情さが、その美貌を鋭利に見せる。
「……あ、もしかして。湯浴み終わってるの?」
 彼女の白い頬に張り付いた黒髪を見て、テオは尋ねた。少女はこくりと頷いた。初めて彼女が見せた、反応らしい反応に、テオは嬉しくなって思わず手招きする。
「おいで。髪の毛、拭いてあげるよ」
 少女は一瞬、当惑の色を見せたが、結局は手招きに応じて身体を起こし、おずおずと歩み寄ってきた。近くで見れば見るほど、美しい少女だ。人の美醜に疎いとからかわれる自分ですら、そう思う。
 テオは戸棚から大きめの手ぬぐいを取り出した。厚みのある布地でできたそれは、よく水を吸う。そして部屋の絨毯の上にぺたりと腰を下ろした少女の頭に、それをそっとかぶせた。
「かゆいところとか、引っ掛けていたかったりとかしたら、教えてね?」
 そう声を掛けたが、少女は無言だった。大人しく、されるがままになっている。テオは嘆息して、頭皮を揉み解すように、丁寧に髪を拭いてやった。
 これぐらいでよいだろうと思った、そのときだった。
 きんこんきんこんきんこん
「あ」
 テオの懐から、突如音が漏れた。金属を叩いたような軽快な音だ。魔除の、風鈴の音にも似ている。
 少女が反応を示す。
「……なんのおと?」
 その声は、まさしく、鈴を転がしたような声だった。
 初めて耳にする声にどきまぎしながら、テオは慌てて懐から音源を取り出す。
「こ、これだよ」
 手のひらに載せて少女に見せてやったのは、金属でできた厚みのある円盤だった。つまみを捻って蓋を開けてやる。中には玻璃のはめ込まれた奥で、細長い針がゆっくりと円を描くように動いていた。
「なぁに? これ」
「時計」
「と、けい?」
「うん。……時間を計るんだ。僕、魔術師じゃないから、時間がわからない」
 魔の徒は世界を循環する魔の粒子から大まかな刻限を読み取るが、テオはそれをすることができない。
 この国において生まれる人間はすべて魔術師だ。魔術師であるはずだった。が、残念ながらテオは魔術の才を持たない。魔力がないわけではないらしいが、それも人としての生命を保持するぎりぎりの量で、微々たるものだという。魔術師の中でも、名門、と呼ばれる一家に生まれながら。
「おとはなんでなったの?」
「一刻ごとに音がなるようにしてあるんだ」
「こんなもの、はじめてみた」
 少女は感嘆したように言った。少女から発せられる声が、初めて感情を帯びた。
「だれがつくったの?」
「僕」
 今度こそ、少女は驚いた眼差しをテオに向け、そして再び時計に視線を移してまじまじとそれを眺め始めた。
「気に入った?」
 テオの問いに、少女は頷いた。
「なら、また持ってきてあげる。もっといろいろ面白いのあるよ。……君が面白いと思うかどうかは別だけど」
 何せテオが作り出すものは、人々にとって奇異としか映らないらしいのだ。魔術の代用品を創るために試行錯誤するテオを、人は畏怖と侮蔑の目で見つめる。侮られることにも、虐げられることにも慣れている。この大陸で、魔術の才がないなどと。フレイヤの家に生まれていなかったなら、食べていくことも難しかっただろう。
 少女は、テオに向けて笑顔らしいものを見せた。その笑顔は、本当に微かなものであった。けれども、テオの気分を高揚させるに十分だった。
 このからくりを見て、そんなふうに笑ってくれた人は、少女が初めてだったのだ。