手紙と花束(女王の化粧師)


 書類をひたすら睨むことにとんと飽きを見せず、見事な手早さで案件を処理していく男が、めずらしくのろのろと筆記具を動かし、誠に面倒くさそうに、嫌々ながらしている空気をかもし出していた。
 訊けば晩餐午餐で世話になった子女たちに礼状を書いているのだという。その怜悧な美貌から、華やかな少女達に囲まれることを常とする男にとって、彼女達への手紙こそ最も忌避すべきものらしい。投げやりに置かれた手紙と思しきものを失敬して眺めた彼女は、呆れに思わず吐息を零した。
「駄目ですよこんな文章! 嫌々かいてますっていうのがばればれですよ!」
 筆記具を引ったくり、文章を添削して突き返す。校正された手紙を読み返した男は、瞠目して彼女を見返した。
「どこで身につけたんですかこんな技」
「技っていうほどでもないですよ」
 彼女は肩をすくめる。
「芸妓の子たちに送られてくる手紙を一緒に眺めることがあっただけです」
 殿方の手紙比べは芸妓たちにとって遊戯の一つ。この文は女と遊んでいる、この手紙は拙いがとても真摯だ、この手紙は云々。女心を擽りつつも深入りさせぬ駆け引き満ちる場所で生まれ育ったが故の杵柄だ。
「顔は綺麗だから女の人に好かれても、あとで絶対振られちゃう人ですよね。女心がわかってないです。いいですか? ほんの少しの面倒をこなすだけで女の人は心強い味方になってくれるんですから手間隙惜しんではいけないです。つれない殿方は好かれますが、投げやりな殿方は敵と見做されますからね」
 手紙の内容を考えながらひとしきり忠告した後、男は疲れたように尋ねてくる。
「…初めて出逢った時にあなたを口説いていた芸妓たちのどれぐらいが貴女のことをわかっていたんですか?」
「え? 若い子たちはわかってないですよ?」
「…つまり半分以上はあなたを異性として好いていたんですね…」
 男の示唆する処に疑問符を浮かべつつ、彼女は手紙には花を添えてやるように、といい置いて、仕事に戻った。



 さてさて。かくして子女達は大層男からの礼状を気に入り、彼女の愛しき主の屋敷にて午餐を催した際には、娘ごたちは女王候補への賞賛と、無論男への幾許の色目を忘れなかった。少女たちと談笑する男を誇らしげに思いつつ―― 一方でもやっとなにやら鉛色の煙が胃の腑に立ち込める。
 色直しの際には主人から、眉間の皺は何なのかと突っ込まれる始末。さて、彼女自身もこの鉛を呑んだような不快感が一体何を示すのか、皆目見当も付かぬ。そうこうするうちに午餐は終わり、片付けに追われ、夜半、恒例となっている報告の為に、男の下を訪れる時分になった。
 報告は自分が最後らしい。接待に疲れた男はどこか乱れた危うい雰囲気があって、あぁこの空気に女子はころりとやられてしまうのやもと男を眺めてふと思う。報告を終えてでは帰ろうという段で、男が彼女を引き止めた。訝りつつも呼びかけに振り返り、そして彼女は目を瞠る。
 ふんわりと鼻先に香る花と、甘い――糖の芳香。男は差し出した花束を、早く受け取れと眼前で揺らした。
「この間、手伝っていただいた御礼ですよ」
 赤、白、木、薄紅と、鮮やかな花の中には、どこで手に入れてきたのやら、花を模した糖菓子も混じっている。
 花を差し出す男は軟らかく笑って――あぁ、うすぺらな微笑を知りえても、男のこのいとけき笑顔は何人たりとも私以外に知るまいて――彼女は、花を受け取り噴出した。
「ぬけめないのかぬけてるのかわからないひと」
 男はおや、と片眉を上げる。
「その言葉、そのままあなたに返しますよ」



「どこで手に入れたんですか? これ」
「いまはやりの菓子だそうですよ」
「一つ食べます? 疲れ取れますよ」
「……じゃぁ、ひとつだけ失礼を」
 並び歩く廊下に密やかに反響するささやきを知るは、夜の静寂と男が捧げた薔薇の花のみ。