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Why Didn't We Realize It? Because We Were So Nervous !


 お盆の駅は予想通りだったけれど、これ以上ないほど混雑していた。私は傍らの隻さんとはぐれないように必死だった。人ごみは、かなり苦手だ。米国のメトロの混雑さも相当だけど、狭い空間にひしめく人は日本特有の光景だと思う。
 私は、駅に隻さんと一緒に彼の妹分の女の子を迎えにきていた。
 ユトちゃん、と、隻さんと棗先輩が呼ぶ少女について、私はかなり詳しくなっていた。彼らだけではなくて、隻さんのご兄弟や、私行きつけの猫招館の店長さんたち皆が、遊さんの帰省にあわせて、彼女のことを口に上らせていたからだ。私の知るたくさんの人たちが、愛情を込めて名前を呼ぶ女の子に、私は今日初体面する。
 実をいって、かなり緊張していた。
「大丈夫?」
 隣に並ぶ隻さんに、顔を覗き込まれたぐらいだ。
「だ、いじょうぶ」
「人ごみに酔った?」
「……そういうわけでもないんだけど」
 混雑さには閉口したけれど、まだ人酔いするほど具合が悪いわけではないとおもう。存在感を増してくるこのお腹の痛みも、多分わけのわからない緊張のせい。
 ……私、本当になんでこんなに緊張しているのかな。
「……御免。少しお手洗いにいってくる」
 少し気分を落ち着けるために、私はこの場を離れることが必要だった。
「一度外に出る?空気でも吸おうか」
「お手洗いいってくるだけだから、隻さんはここにいてね?この人ごみじゃ、もう一回ここまで戻ってくるのも疲れちゃうよ。遊さんと入れ違いになっても、こまるでしょう?」
 大丈夫、と私は微笑んでみせた。隻さんはかなり心配そうな顔をしていたけれども、私はそのまま手を振って、一度隻さんと別れた。
 お手洗いにいって、冷たい水に手を浸して、それから戻り際にキオスクでお茶でも買おうと、こころに決めて。


 お手洗いはこの暑さで崩れやすくなっているメイクを直している女の人でごった返していた。男性用のお手洗いはがらがらなのに。同じスペースではなくて、やっぱり女性用お手洗いをもっと広く作るべきだと私は思う。
 手を洗おうとおもったけれど、順番待ちの列が長かったので、私は諦めた。代わりに化粧台として並ぶ鏡の前に立った。そこここで必死に鏡と睨めっこしながら、ファンデーションを塗りなおしている人たちがいる。私はその狭間に立って、鏡を見つめた。自分の身なりを確認した。
 今日の服装はシフォン風のリボンをあしらったプラムグレイのシャツと白いスカート、それに黄緑、茶色、黒、三色のストラップのサンダル。服装の乱れはなし。
 ファンデーションは、崩れてない。
 鞄の中から、リップとグロスだけを取り出しかけて、お茶を買って飲んでから直すべきか、悩んだ。化粧ポーチを手に、鏡を睨み付けて動かない私は、傍目からみればかなり変な人だ。背後から、何もしないなら早く立ち去れという視線がざくざく突き刺さる。
『はぁ……』
 ため息をついた私は、隣の女の子とそのタイミングを被らせた。
『え?』
 顔を上げるタイミングも、全く同じだった。
 お互いに顔を見合わせ、ぷ、と噴出す。
「す、すみませ」
「いえいえ。大丈夫ですか?」
 私は自分のことを棚に上げて、隣の少女を労った。旅行用の小さなスーツケースと、東京バナナの紙袋をいくつか提げた女の子。年は、大学生ぐらい。髪はいまどきこの子の年では珍しい、綺麗な黒。少し長めのそれを、黄色のシュシュで纏めてある。明るいシャンパンオレンジ色の薄手のワンピースが、よく似合っていて、その下にタイトなブルージーンズを重ね着していた。
 特別美人ではないけれど、かわいい子だ。私の好みっていったら、おかしいかもしれないけれど、こういう清潔感溢れる感じが、私は好きだった。
「ちょっと、お腹痛くて……」
 女の子は言った。
「急に?お薬は?」
 私はポーチの中を探りながら尋ねた。生理痛の為の痛み止めなら、今も持っている。
「あ、いええっと……大丈夫です。病気とかじゃなくて、多分、緊張からなんだろうなぁって」
 女の子は慌てて私の手元を制して、微笑んだ。
「緊張」
「今日、私のお兄さんみた……お兄さんの、彼女さんに会うんですけど。こう、私多分自分でもいうのなんですけどお兄ちゃんっこで」
 女の子は手元の化粧ポーチの中に、化粧台に広げていたメイク道具を順々に片付けながら言った。
「あの人の選んだ人だから凄く綺麗で、凄くいい人なんだろうなって。私、ちゃんと彼女さんに気に入られるかな、とか。色々心配で」
 ポーチに全て道具を入れた女の子は、あ!と声を上げて私のほうを見た。
「ごごごご、ごめんなさいなんか初対面なのに聞きたくもない話を!」
 私は首を横に振った。思わず、笑みがこぼれる。
「おんなじね。私もね、今日お付き合いしているひとの妹みた」
 妹みたいっていうと、説明がややこしいよね?
 私は訂正した。
「妹に、会うの」
 うん。多分この表現で間違っていない。だって私の心境、隻さんのご家族に初めてご挨拶にいくような、そんな感じなんだもの。
「でね、彼だけじゃなくて、彼の周囲の人たちみんな、凄くいい子なんだー!っていうものだから。こう、少し嫉妬しちゃったりもして。ちゃんと、好きになれるかな、とか。彼が大事にしている妹さんに、認められるかな、とか。緊張してるの」
 私は口にしながら、あぁ、そういうことだったのねと自分で納得していた。
 そういう理由で、私は緊張していたのだ。
「へぇ、そうなんですかぁ」
「うん、そうなのよねぇ」
 顔を見合わせて、私達はへらりと笑い合った。
「きっと、いい人ですよね」
 女の子は言った。
「あの人が、選んだひとだから。にーさんは、本当にがんばったんです。色々と。この数年、本当にがんばってた。私、それを見てたんです。そのにーさんが選んだひとだから。……私を、気に入ってくれるかどうかは、別として、にーさんを、大事にしてくれる人だと、いいなぁ」
「大丈夫よ」
 私は女の子を励ますつもりで、そう請け負った。
「お兄さんが本当に好きなのねぇ」
 女の子の口調からは、愛情が滲み出ている。私は少し羨ましくなった。私には弟が一人いるが、いまだに疎遠だ。
 女の子は満面の笑顔で頷いた。
「はい。大好きです」
 そしてややおいて、女の子は付け加える。
「ちょっとガキ臭いところとか阿呆なところとか、なさけないところとか、人の話きかないところとか強引なところとか、駄目なところは、いぃーっぱいあるんですけどね」
 私は思わず噴出した。でも、と女の子は続ける。
「私の、大切な家族です」
「そう」
 いい子だ。
 とても。
 こんな風に、見ず知らずの人に、家族への愛を語れる子なんてなかなかいないもの。
「にーさんの彼女さんが、お姉さんみたいな人だったらいいのになぁ」
「……えぇ?」
 私達はお手洗いから出るべく、それぞれ鞄を持って歩き始めていた。外では、お手洗いの順番待ちの列が出来上がっている。人の流れの邪魔にならないところに立ったところで、女の子が唐突にそういった。
「だって、見ず知らずの私のつまんない話を、にこにこ笑って聞いてくださってるんですもん。すっごくいい人ですよね!お陰で、気分がすっとしました。ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げる女の子に、私は手を振った。
「いいのいいの。私のほうこそ……なんか、気分が軽くなった」
「お姉さんが会う人も、いい人だといいですね」
「そうね。私がこれから会う子も、貴方みたいな子だといいな」
 私も微笑んでいった。
「あの人を、とても好いてくれている人が、あの人の妹だといいな」
 ともすれば孤独になりがちなあの美しい人を、好いてくれる人が、この子のような家族思いの子ならいい。
 私達は笑いあって、じゃぁ、と手を振って分かれた。女の子は駅の出口のほうへ。私は、少し奥にあるキオスクのほうへ。


 レジに立っている最中に、隻さんから無事遊さんと合流したというメールが入った。私は急いで会計を済ませて、駅の出口付近の時計台へと走った。
「朔!」
 隻さんが、手を振っている。ジーンズに黒いシャツという、決して派手ではない服装をしているのに。こんな人ごみにあってさえ、彼はとてもよく目だった。それは彼の纏う空気のせいか、それとも彼が私の特別だからか。
私は息を切らし駆け寄って。
『あれ?』
 小さなスーツケースを隣に置き、東京バナナの紙袋を提げた女の子と、再び声を重ねた。


――お互いの間抜け具合に、私達は笑い合う。
Why didn't we realize it ? Because we were sooooooo nervous !!!!!


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