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月帰葬

 蒼月瞬。字を傑王。
 玉座に登るは御年十五。右も左も判らぬままにその身位に就くも、生まれながらの聡明さにより数々の改革を短期間に為し得た傑物であった。
 その最たる改革は身分差別の廃止である。
 かつて、この蒼国には百八の民族があった。
 王の一族青氏を筆頭に、赤氏、黄氏、緑氏、そして宮司の一族白氏が続く。これを一王氏四貴侯と呼ぶ。
 それ以下の民族は順当に差別され、そして就ける職も制限されていた。それらを解放し、才のある者を重用した蒼国初の王こそ、傑王その人である。

 傑王は瞬楽二十一年の神無月十四の夜に没した。享年三十六という、あまりに早すぎる死であった。
 病没とは記録されてはいるものの、その死は不可解なものであったという。
 その病の名が、明確にされることがなかったのだというのだ。事実、後世に伝わるどの記録にも、傑王の病の名は残されていない。

 傑王の死の謎。それが数年前の王墓の発見により、明らかになった。

 率直に言おう。傑王は、自害であった。

 王墓は蒼国の都、藍簾から東に八里。乾いた平野の片隅に存在した。王墓の発見は、この土地の灌漑事業に付随するものである。蒼国の中でも最も乾いた寂しき土地に、王の墓は存在したのだ。
 調査団は王の墓を暴き、棺に横たわる王の木乃伊を見つけた。王は王と正妃しか身につけることの許されぬ紫の衣を纏ってはいたが、装飾品は一切見られなかった。ただ、胸に剣を抱き、右の手を赤い布で縛っていた。紗の赤い布は棺の下に垂らされ、土の下に埋められていた。

 傑王の木乃伊を調べると共に、王に病の跡は見られなかった。王は服毒をしたということが判った。剣以外の装飾を身につけぬ王の木乃伊は、自害の証だと、歴学博士斗根はいう。

 では何故、万人に愛された王が、自害をしなければならなかったのか。

 傑王は死の間際、一人の男を除き誰一人として寄せ付けることはなかったという。聡明な王は、孤独な王であった。万民が信頼と崇拝を寄せようとも、何一つ、とりわけ晩年の王の心には届かなかったと、国立図書館に保管されし学士白墨民の日誌にある。

 孤独が王の自害の理由か。答えは、否である。

 秘密は王の最後の近習と呼ばれた紫竜が残したといわれる日誌「没日録」の中にある。紫竜は百八の中でも最下層の民、不美の民の出である。没日録は王の棺の上に、どの王の棺か示す貴札と共に納められていた。

 没日録によれば、紫竜には姉がいたという。名を竜胆。同じく不美の民の出であり、王の閨の後始末をする奴婢の一人であった。
 竜胆は黒檀の如き艶やかな黒を宿す長き髪、真珠の如き淡く色づく白き肌、そして紫水晶の如きぬばたまの瞳を持っていた、不美という民の名とは対極の、美しい娘であったという。娘が奴婢として宮城に召し上げられたのは傑王が齢十八の御時。

 傑王は、娘を愛したのだ。

 傑王が身分解放に心血を注いだ理由も、まさしくこの竜胆という娘にあったと思われる。竜胆は奴婢である。触れば穢れと言われ、閨に上がらせることはおろか、傍に置いておくことすら、傑王には出来なかった。
 娘、つまり姉は聡明であったと、紫竜は記す。
 王は竜胆を不憫に思い、特別にその身分を恩赦することも考えたという。
 だがそれを止めたのが、他でもない竜胆であった。ただ一人の民でも、王によって恩赦されれば、それは暴動に繋がると諫言したのだ。竜胆を傍にあげれば、四貴の侯が黙ってはおかぬ。彼らを蔑ろにし、因習を故意に捻じ曲げれば、それは王の命を奪い、敷いては貧困と差別に喘ぐ民全てを弑することになろうと。
 竜胆もまた、孤独で聡明な王を愛していた。王が誅殺されることを、決してよしとはしなかった。

 王は、竜胆を愛するが故に、暴動が起きぬよう細心の注意を払いながら、身分の垣根を取り払っていた。

 その間、二十年。
 王は、竜胆を愛しながら、その年月に百七の妻を迎えた。
 繰り返すようだが、竜胆は閨の始末を命ぜられた奴婢である。王の傍に侍ることすら許されぬ身の上。王と竜胆が密かに言葉を交わし、愛をはぐくむことを許されるは、王が誰かを閨に上げた直後のひと時のみであった。
 王は竜胆を抱くことを許されず、愛しもせぬ女を抱く。
 竜胆は王に抱かれることを許されず、王が他の女を抱き終わるのを、傍で息を潜めて見守らなければならぬ。
 その二人の悲哀のほどは、いかほどであったのか。
 王は一つの民族の垣根を取り払う都度、その民族の女を妻として迎えた。
 百八番目の妻は、竜胆その人となるように。

 瞬楽二十年、神無月十四の夜。全ての民族の解放と、それに伴う身分改革、職業改革が行われた。古い因習はその直後こそ残れども、いずれ民の心から忘れられるべきものとなった。その時の喜びを、時の文人貴仁が文集「喜春」に残している。

 身分解放の布が出されたその日のことである、と没日録は記す。
 竜胆が、謀殺されたというのだ。

 竜胆を弑したのは、王の百七の妻であった。竜胆による王への忠言によって、生きながらえ解放された民人であった。彼女らは、四貴侯の諫言もあり、竜胆が正妃となり、自分達を虐げることを恐れたのである。
 そのようなことは、あるはずがないというのに。

 王は心血注いで、虐げられてきた民を救った。それは竜胆を救うことに通ずるに他ならないからであった。
 しかしその結末は。

 傑王が竜胆の弟、つまり紫竜を近習として取り上げたのは、紫竜に竜胆の面影を少しでも求めたからであろう。

 傑王が崩御した瞬楽二十一年は、竜胆が死して一年後のことであった。一年の間、悲嘆と絶望が傑王を蝕み、自害へと導いた。

 これらが、王墓、没日録や他の記録を検証した結果、白日の下にさらされた傑王崩御の真相である。


***


 以下は蛇足である。

 さて、竜胆の亡骸はどうなったのか。
 竜胆の亡骸は不美の土地とされた東の荒地に埋葬されたという。そう、王墓の発見された土地である。
 王と正妃にしか許されぬ紫の衣に包まれ、埋葬されたと紫竜は記す。その左手には紅の布を括りつけて。

 思い出していただこう。我ら現代の民にも通じる婚儀の慣わしを。
 夫となるものは右手に、妻となるものは左手に、紅の布の両端を結びつけ、花の路を歩く。

 王と竜胆は、埋葬された時と方法こそ別なれど、その手には赤き布を。王の布の端は、竜胆が眠る大地に埋められていた。
 彼らは死して、夫婦となったのである。

 近年まれにみる大規模な灌漑の整備を終えた不美の土地は、地下深くに豊かな水脈が発見されたこともあり、現在は竜胆の咲き誇る美しい土地として、民を呼び集めている。


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