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第一章 久闊の訪問者 1



「お待ちどうさま!」
 威勢良い声に一拍遅れ、酒でなみなみ満たされた高杯が眼前に現れる。
「ありがとよ」
 ダダンは簡単に謝辞を述べ、さっそく喉を潤しにかかった。一仕事終えた後の酒は、舌先に粕の残る安物であっても格別だ。どんな美酒にも勝る。添えられた料理にも文句はない。
 あえて不満を述べるならば、目の保養となるべき美しい給仕女(きゅうじめ)が見当たらないことぐらいだろうか。宿の一階に設えられた食堂は、昼飯時だというのに人少なく、ダダンと老いた女将の姿しか見当たらない。
「外で何かやってんのか……?」
 肴をつまみながらダダンは外を眺めた。玻璃の厚み斑な窓の向こうは騒がしく、人々の肩が互いに触れ合うほど込み合っている。
「女王陛下が姿をお見せになるんだよ」
 ダダンの自問に、女将が応じた。暇を持て余していたらしい。彼女はダダンの席まで引き返して足を止め、賑々しい通りに目を向ける。
「宰相さまがマーレンからお戻りになられるんだ。そのお出迎えだよ」
「お出迎え? 式典とかじゃなくてか? 仲がいいことだな」
「今回は特別さ。マーレンで賊に襲われて、ご領主さまのお屋敷が焼け落ちてしまったらしいからね。陛下も気が気でなかったんだろう。一刻も早くお顔を見たいんだろうさ。たった一人の肉親だもの」
 この時間帯にいつもなら給仕に就いている娘二人も、彼の顔を拝みに行っているのだという。
「それでなくとも宰相さまは、ずっとご病気でいらしたからねぇ……」
 女将の言葉を耳にしながら、ダダンは顎をゆっくりしゃくった。
 賢君としてその名を広めつつあるペルフィリア女王に対し、彼女の実兄たる宰相の噂はほとんど聞かない。彼は重篤な病に伏し、この数年は臥所から出られぬ状態であったらしい。
「まだ陛下たちのご尊顔を拝見できるかね?」
「さぁてねぇ」
 ダダンの問いに、女将は思案顔を作る。
「でも見に行った子たちが誰も帰ってきてないからね。旦那も見に行くかい?」
「そうだな……そうするか」
 本当は食事の後にごろ寝を決め込み、長い船旅の疲れを癒すつもりだった。しかし珍しい顔を拝む機会があるのなら、逃さない手はない。
「じゃぁ帰ってきたら、どんなだったか話を聞かせておくれよ」
 宰相さまは、陛下とよく似て、とてもお美しい方だそうだよ。女将はそんな風に言って、前掛けからしわくちゃの地図を引き出し、女王たちが通るだろう場所を示してみせた。


 ペルフィリアの首都は半円形を成して、海岸に張り付くようにして存在している。
 城壁に囲まれた街は整然とし、かつて暴徒によって焼き払われたとは信じがたい。青灰色の土で上塗りされた壁は真新しく、通りを明るい雰囲気に保っている。しかし街の造り自体は昔に訪れた頃と変わりない。足取りに迷いはなかった。
(ずいぶん立ち直ったよな)
 この国の土を新たに踏むものたちは皆、その在り様に驚いているだろう――五年前のこの国は、地図から姿を消す日も時間の問題とされていた。
 ダダン自身、この一帯には縁あって何度も足を運び、ペルフィリアの惨状も目にしてきた。だからこそその復興と躍進具合には敬服する。未だ祖国の現状芳しくない自分にとって、なおさら感慨深いものがある。
 だが絶望の縁にあった国の現状を短期間のうちに引き上げ、急き立てられるように隆盛させる。君主のその行為は、どこか常軌を逸している。一人の人間のなせる業なのだろうかと、ダダンはその才に薄ら寒さすら感じていた。
 女王セレネスティ・イェルニ・ペルフィリア。
 彼女が傑物と呼ばれる所以が、そこにある。
 目抜き通りに出ると、民衆が女王の行進を待っていた。
「あぁ、宰相様だわ」
 籠を提げた婦人たちの会話が、ダダンの耳に入り込む。
「ご無事で何よりだったわねぇ」
「セレネスティ様も嬉しそうで」
「マーレン、ひどかったんでしょう?」
 なかなか道を空けようとしない人の群れを強引に掻き分け、ダダンはようやっと最前列に出た。
「ご領主様たちもお亡くなりになったって」
「ご無事でよかったわよねぇ……」
 陽光が幕のように揺らめく中、護衛の騎士たちに先導された馬車が、通りをゆっくりと行進していく。
 手を振る民衆。
 彼らに応じて、微笑む女王。
 その傍らに、男が佇んでいた。
「……あれは……だれだ?」
 思わず漏れた問いに、隣に立っていた女が答える。
「あれが宰相さまだよぉ。女王陛下とご兄妹って聞いていたけど、お綺麗な方だねぇ」
「本当。並ぶと絵になるねぇ」
 ご婦人方の話題の的は、もっぱら女王の横で微笑する男であるようだ。
 黄金の髪、蒼の瞳、象牙色の肌。
 整った、その容貌――……。
 目前をゆっくり通過する男の横顔を凝視してダダンは愕然と呟いた。
「嘘だろ……」




「んー……」
 卓上に広げられた生地を眺めながら、ダイは唸った。
「この色だったら、あっちの透かし編みのものと合わせたほうがよくないですか?」
「あら、そうですわね」
 ぱん、と柏手を打って女官のひとりが同意する。
「では黒絹と紺の紗を編みこんで、腰を絞っていく型にいたしましょう」
「被り物はどうします?」
「この生地に合わせて、あっちの色を基調とした薄絹を使うのはどうです?」
「素敵だわ。なら髪飾りは久遠花を銀細工と組み合わせて」
「いいですね。お願いします。あ、髪結いの助手をさせてはいただけませんか? 型を勉強したいので」
「もちろん、結構ですわ」
 女たちの明るい声が、日差し温かな部屋の中で反響している。
 女王の衣装を新しく仕立てるとき、針子たちは並々ならぬ熱心さを見せる。彼女らは先代が崩御して以来、門閉ざされた城の中で粛々と研鑽に励むしかなかった。ただ腕を磨くばかりではなく、誰かのために衣装を作り上げることに、この上ない喜びを感じているのだろう。
 仕事とはいえ、女官たちと共に職人を交えて、マリアージュをどのように美しくしていくかを語るひと時はとても楽しい。賑やかな同僚は、花街の女たちを思い起こさせる。
「ダイ」
 ぼんやりと窓を眺めながら、久方ぶりに花街へ顔を出しに行こうかと算段していたダイは、背後から響いた呼び声に振り返った。
「ユマ? 何か御用ですか?」
 よく知った女王付きの女官が、半開きの扉から顔を覗かせている。
 年は十代後半。年が近いために一番気安い。
 ユマはそばかすの散った頬を安堵らしきものに緩め、ダイの方へと歩み寄ってきた。
「あのね、ダイに面会を申し入れている人がいるの。伝えなくてもいいって、係の人は言ってたけど、ダイに会いたいってくるいつもの人たちと違う感じがしたから……一応って思って」
「面会? ミズウィーリ家からの遣いの人ですか?」
「ううん違う。あの格好は門の向こうの人ね」
「珍しいですね……」
 生まれ育ちが花街であるダイにとって、その手の知り合いは山といる。しかし城で働いていることを知る人間は限られていた。彼らのうち誰かがダイを訪ねるにしても、前もって連絡を寄越すはずである。
「名前は聞きました?」
 城外から来た場合、階位のない文官たちの客人ですら調書をとられる。
 女王の側近として扱われるダイを訪ねるのなら、審問はことさら厳しいはずだ。
「えーっと、ダダン、だったと思うんだけど」
「ダダン!?」
ダイは久しい知人の名を耳にして驚嘆の声を上げた。
「待合室に入るところを見かけたわ。……こんな感じの、ちょっと目つきの悪い人。……ダイの知り合いなの?」
己の目尻を指先で吊り上げるユマに、ダイは苦笑しながら頷いた。
「すみませんが託を頼んでも? 話し合いが終わったら面会に行きますと」
「それにしても、一体どういう知り合いなの? まさか強請られているとかじゃないわよね?」
「違いますって」
 ダイが花街生まれであることを知らぬユマからしてみれば、お世辞にも門のこちら側と接点があるようには見えぬダダンと、どのような間柄であるのか気になるのだろう。
 仕事の資料の角を机で揃えながら、ダイは苦笑した。
「昔、大事な人の護衛を頼んだことがあるんですよ」


 女王が入城を果たして息を吹き返した城の内部は、雑多な類の人々でごった返している。
 その間を縫うようにして、ダイは足早に歩いていた。
 知人と面会するための部屋は城の中でも門近くに位置し、ダイの仕事場からは距離がある。移動するだけでも一苦労だ。
巡回する兵に案内を頼み、ようやっとたどり着いた面会室では、見知った男がひとり、長椅子で暇を持て余していた。
「ダダン」
 慌てて居住まいを正した彼は、ダイの姿を認めるなり元のように脱力する。
「ダイ」
「お久しぶりです! お元気でしたか?」
「おうよ。お前も元気そうでなによりだなぁ」
 破顔した男が駆け寄るダイの頭に手を伸ばし、その短く整えられた黒髪を、遠慮なく掻きまわす。約半年ぶりに顔を見る知己を、ダイは懐かしい思いでいっぱいになりながら見上げた。
 名をダダン。年は二十後半と聞いている。砂色の髪に灰色の目。陽によく焼けた赤褐色の肌を持つ、大柄な体躯の男である。マリアージュが女王として選出されるきっかけにもなった、とある事件で知り合った情報屋だった。
 彼はその関係者を東大陸まで送り届ける役を負い、この国を離れていたはずである。
「いつ戻ってきたんですか?」
「街に着いたのは昨日の夜だな」
 くったくただよ、とダダンは笑った。
「お疲れ様です。お茶菓子か何か出してもらいましょうか?」
「いや、かまってくれるな。要件すんだらすぐに出る」
「わかりました」
 背後を振り向き、ダイは軽く手を振った。何かあったら呼ぶようにと言い置いて、衛兵が一礼し扉を閉める。彼の丁重な応対に感心したのか、腕を組んでダダンが唸った。
「お前、本当に偉くなったんだなぁ」
「私じゃなくて、マリアージュ様が偉いんですよ」
 ダイは上着を脱いで椅子の座面に丸め置き、その隣に腰を下ろした。
「何せ、女王ですからね」
 長椅子の背に腕を回し、ダダンはけらけら笑い声を立てる。
「あのじゃじゃ馬が本当に女王になるたぁ、世も末だな」
「ひどい言いぐさですね」
 彼と知り合ったばかりの頃、マリアージュが女王となる可能性はとても低かった。しかし今、彼女は押しも押されもせぬデルリゲイリアの国主である。
「でもお前もかなりの地位なんだろ? 女王に謁見求めるのもどうかと思ったからよ。駄目もとでお前に面会申し込んだんだが……」
「んー、まぁ、側近の一人っていう感じですかね」
 ダイは傍らの上着を一瞥した。デルリゲイリア王城の官服だ。遠目には漆黒にしか見えない、黒に限りなく近い赤を基調とし、同色の絹糸で薔薇を象った国章を裾に刺繍した衣装である。
 それを纏うことは女王による身分の保証だ。側近にしか許されない。
「でも特にしんどい仕事してるわけでもないんですよ。マリアージュ様の肌の様子見て、お手入れして、お顔にお化粧してって感じです。化粧師って特別職なんですよ。マリアージュ様の伝手で城に勤めているだけの立場だから、本当はみんなにぺこぺこしてもらいたくないんですよね……」
「その点は諦めておけ。しゃぁない」
 ダダンは半笑いのままぞんざいな慰めを吐いた。
「マリアージュの方はどうだ? ちゃんと女王様できてんのか?」
「呼び捨てにすると怒られますよ……。わからないことが多いなりに、責務にはきちんと取り組まれていらっしゃいます」
 そのマリアージュの辛抱強さは、ミズウィーリ家の使用人一同を驚かせるほどだ。
「でもいらいらするたびに私の頬こねまわすの、心底やめてほしいんですよね」
「……気持ちいいのか?」
「知りませんよ。顔の形変わりそうで嫌なんです。けっこう力強いんですよ、あの人」
 個人的にはかなり深刻だが、周囲は全く取り合わない。話を聞いたダダンもまた、おかしそうに腹を抱えるばかりである。
 優美な装飾施された部屋でかしこまっていた彼も、緊張が解けたらしい。笑いを収めた彼は、懐から巻き煙草を取り出した。
「吸ってもいいか?」
「どうぞ」
 差し出された灰皿を満足げに見つめ、ダダンが燐寸に火を点ける。
「まぁ、それが重要なんだろ」
「……何の話ですか?」
「さっきの続きだよ。国主だの当主だのとかいう奴は、孤独が過ぎて気狂いになる奴が結構いるからな。お前とそうやってじゃれ合っていられる間は、マリアージュは大丈夫だろうよ」
「はぁ……」
「逆を言やぁ、マリアージュが義務を放り投げないようにする見張り番がお前ってことだ。お前は他人に頭下げられるのに気が引けてるみたいだが、そうされるだけの役目を負ってるんだよ。胸張っとけ」
「そうですか……」
「そういうことだ」
 いつの間にか、慰められていたらしい。
 常に疑問視していた自分の立場を保証され、再会早々、友人に心配を掛けていたことに、ダイは苦笑いするしかなかった。
「そういや、マリアージュに政務なんかできんのか? 実家でもあいつ、家のこと見てなかったろ?」
「細かい判断はまだ出来る状態じゃないですが、それでも一応書類には目を通していらっしゃいます。国政自体は、ロディが見てます」
「ロディ?」
「あー……宰相です。機会があればご紹介します」
 とはいえ、ダダンと宰相が顔を合わせることなどないだろう。今回の面会ですらユマの配慮とダイ自身の許可がなければ叶わなかったに違いない。女王付きの化粧師に群がる輩は多く、大抵の者たちは門前払いされてしまう。
「まぁぼちぼち上手い具合にやってるみたいだな」
 ダダンは美味そうに煙草をふかしながら、歯を見せて笑った。
「カイトたちも聞きゃ喜ぶだろうよ」
 親しげに紡がれた名に、ダイは喉を詰まらせた。
 ダダンが東大陸まで送り届けた二人の片割れがカイトだ。彼らと知り合うきっかけとなった事件にて、命を落としたダイの友人、ロウエンの弟である。
「彼はお元気ですか?」
「あぁ。無事、実家に戻ったよ。この年内には婚約者と式を挙げる」
「式? 結婚するんですか?」
「ロウエンに国に戻ってほしかった理由の一つだ。俺も後で知ったがな」
「……そうですか」
 兄の死に落胆しながらも、気丈に振る舞っていた青年の姿を思い起こす。
 その傍らで、同じように微笑んでいた、娘の姿も。
「……あの、アリシュエル様、は?」
 扉は閉じられている。誰に聞き咎められるということもない。
 しかし声は知れずと低められた。
 デルリゲイリアの上級貴族の中でも最も勢力あるガートルード家の長子にして、最有力女王候補。
 現在マリアージュが温めている座に、もっとも近いとされていた娘がアリシュエルだった。
 しかし何の因果かロウエンと恋仲になった彼女は、彼が殺されたことをきっかけに、カイトと共に東大陸へと渡ったのだ。
「……あんまり、よくねぇな」
 ダダンは煙草を燻らせ、紫煙をゆっくり吐き出した。
「カイトたちの祖父の家に世話になってるんだが、今にもロウエンを後追いしそうな気配でな。カイトとその婚約者が、張り付いてる」
 アリシュエルがロウエンを心から愛していたことを知っている。
 彼を失った事件の後、互いに笑顔で別れた。しかしその表情の裏に隠された彼女の悲哀を、ダイとて気取らなかったわけではない。
「でも手紙を書く気力ぐらいはあるようだぜ。あいつは本気、マリアージュとお前のことを気に掛けてたよ。こいつを届けてくれ、と頼まれた」
 ダダンは明るく言って、懐から取り出した封書を軽く振った。
「それでこっちまで来てくれたんですか?」
 ダイは感嘆に目を見開いた。
 大陸間で手紙をやり取りする際には、もっぱら郵便を用いる。時間は掛かるが、確実に届くと評判の制度だ。
 ダダンはそれを使わず、わざわざこちらに足を運んでくれたらしい。
「女王が誰に決まったのか俺も気になってたからな。元々、西大陸はまだ見て回るつもりだったし」
「そうなんですか?」
 とつとつと灰を皿の上に落とし、ダダンは頷いた。
「お前はあんまりぴんとこないかもしれんが、メイゼンブルが滅びてから、西大陸の情報はあまり他の大陸に出回ってないんだ。西大陸との交流が回復しだしたのはここ数年。ゼムナムとペルフィリアにそれぞれ無補給船の停泊を受け入れられる体制が整ったからだしな。見て回るだけの価値がある」
「なるほど……」
 マリアージュが女王になり、花街で筆を動かしていたころよりも、国外のことをより頻繁に耳にするようになった。
 大陸の覇者であった魔の公国が滅びて十六年。西大陸の大半は、戦乱の最中にあったという。その爪痕がどのように残されているのか、情報屋たるダダンにとって興味惹かれるものなのだろう。
「なにはともあれ、またお会いできて嬉しいです、ダダン」
 ダイは受け取った手紙を押し抱いて微笑んだ。どんな理由があるにせよ、ダダンが時間を割いて会いに来てくれたことには変わりない。
 彼もまた、嬉しそうに口角を引き上げた。
「俺もだ。会えるとは思ってなかったからな」
「え? そうなんですか?」
「さっきも言ったろ? 駄目もとだって。一応身ぎれいにはしたが、多分会えねぇだろうなとは思ってたよ」
 ダダンが自身のつるりとした顎を一撫でする。無精髭は剃られ、服も正装からはほど遠いものの、きちんと整えられている。それでも女王に面会を求めて許されるような身分には到底見えない。ダダンの言はもっともだった。
「こっちはまさかマリアージュが女王として選出されてるなんざ思ってもいねぇからな。その手紙、どうしようかって悩んだぜ。ミゲルに頼めばなんとかなるか、とは思ったけどよ」
 共通の知人の名を、ダイは久々に耳にした。雑貨屋を営んでいた彼のもとには、皮細工の工房で別れた後、頓とご無沙汰だった。
「ダダンはしばらくこの街に?」
「裏町の宿を押さえてる。次の安息日を過ぎたら出る予定だ」
「わかりました」
 それなら近々、街に降りて食事を共にできる。丁度しばらく遠ざかっていた花街にも、顔を出したいと思っていたところだ。
「女王か……」
 椅子の背に重心を預け、ダダンが誰ともなく呟く。
「信じられねぇな」
「ですね。私も時々信じられなくなります」
 住まいを人少ななミズウィーリ家から賑々しい王城に移し、冠戴くマリアージュに側近として侍り仕える。
 この日々全てを。
 時々、まだ、夢なのではと思うことがある。
「ここにくる道すがら、ペルフィリアでも女王を見たよ」
「ペルフィリアの?」
 鸚鵡返しの問いに、ダダンはあぁと頷いた。
 デルリゲイリアの東に位置する隣国の女王は、賢君として名を馳せている。文官たちが政務おぼつかぬマリアージュの比較対象として挙げるので、ダイも名を覚えてしまった。
 セレネスティ・イェルニ・ペルフィリア。
「女王の行進にぶち当たってな。今回は珍しいことに宰相を連れていた」
「確か、女王と宰相はご兄妹なんでしたよね」
 女王選出の儀の際、この国を訪れたかの女王は、糖蜜色の髪が美しい少女だったという。
「あぁ、よく似た兄妹だった」
 では彼女の兄たる宰相も、さぞや眉目秀麗なのだろう。
「そして俺の知る男にも、よく似ていた」
 情報屋の男は、煙草を揉み消して面を上げた。その顔から人懐こい笑みが消え、潰れた煙草を握る指先には力が込められている。
「ダダン……?」
「ダイ」
 ダダンが、神妙に尋ねる。
「ヒースは今、どこにいる?」


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