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番外 ゆめであえたら


 これが夢だとわかったのは、見かけない顔の少女がマリアージュとお茶をし、まだ懐妊していない人が子供を抱えて笑っており、いるべき人がおらず、いるはずのない人がいて、真冬の季節に薔薇が咲き乱れているというなんとも奇妙な庭園に立っていたからだった。
「……どういう夢なんですかこれは……?」
 ダイは頭痛を覚えてこめかみを押さえた。ミズウィーリ家の人々の願望を叶えているらしい奇妙な夢。この庭にいる同僚の中には姫君として恭しく傅かれているものもいて、薔薇の庭の隅において彼女らが中心となった舞踏会が開かれている。奇妙、というか、混沌が過ぎる。
「ダイ! お茶ついで!」
「あ、はい」
 呆然と立ち竦んでいたダイを、マリアージュが呼びつける。
「お茶つぐだけよ! いじらないのよ!」
「……夢の中でも私のお茶って不味いんですか……?」
 方々から茶が不味い料理が不味いと指摘される昨今、少しは上達してほしいと思い始めている。だが皆の願望に従ったこの夢の中においても、ダイの茶は不味いままらしい。
 マリアージュは笑みを浮かべて、蜜色の髪をした少女と朗らかに談笑している。彼女だけ見かけない顔だ。もしかしたらダイも知らぬ貴族の娘なのかもしれない。楽しげな笑い声を上げる二人から、ダイは新たな用事を言い付かる前に遠ざかった。
「ダイ! 丁度よかった!」
 そういって声を掛けてきたのはアルヴィナだ。彼女は手の盆に焼き菓子を載せている。できたてほやほや。色とりどりの果物で飾り付けられたそれらが、美味なことは身をもって知っている。
「みてみて! これね! 前どうしても思い出せなかったの作り方! ようやっと思い出せたのー!」
「はぁ」
「食べてみてみて!!」
 アルヴィナは菓子を匙ですくってダイに差し出してくる。狐色の外見に反し、どうも焼き菓子とは違うようだった。中は白く、ふわふわ柔らかい。疑問符を浮かべつつ、ダイはとりあえず曖昧に笑い返し、匙に手を伸ばした。
「じゃぁいただきまっ……!?」
 ばさっ
「わ!」
 ダイは突如宙を過ぎった大きな影に匙を取り落とし悲鳴を上げた。とっさに頭を庇いながら影の動きを目で追う。
「た、鷹?」
 それは、大きな猛禽の鳥――鷹だった。
「え、なんでこんなとこにたかっわっ!!」
 鷹はダイの頭上をぐるぐる回り、時折威嚇するように傍で羽ばたく。しばらくその場に屈んで鷹が飛び去るのを待っても、一向にその気配はない。とうとう耐えかねたダイはほうほうの体でその場から逃げ出した。
 走り出したダイを、鷹は追いかけてくる。
「な、なんで私だけこんな扱いなんですか!?!?」
 周囲の人々は皆楽しそうなのに、なんだか自分だけ踏んだり蹴ったりではないだろうか。息を切らしながら庭を走る。時折振り返る。やはり鷹は追いかけてくる。
 庭はミズウィーリ邸のそれのように思えたし、見たことのない場所にも思えた。濃い緑の縁を赤、白、黄、薄紅、紫、とりどりの薔薇が飾っている。足元はとりたてて整備されていなかった。むき出しの土を木の根が迫り出して覆っている。
 その縁に、縺れた足を引っ掛けた。
「う、わっ!!」
 べしゃり、という音を立てて、見事にすっころぶ。土に横顔をつけたまま、本当に酷い夢だと嘆息したダイは、ふと差し出された男の手に目を見張った。
 その手から腕へと視線を伝わせる。
 ダイの傍に片膝を突いた男は、困惑の表情で首を傾げていた。
「何をしているんですかあなたは……?」
「ひ、ひーす」
 慌ててダイは手を地面に突き、上半身を起こした。男は僅かに眉をひそめ、こちらの空いた両脇に手を差し入れて身体を抱き起こす。
 その手の温度に当惑した――夢とは、こんなに現実味溢れるものなのだろうか。
「あの、たか、は」
 頬についた土を手の甲ですり落としながら、ダイは空を仰いだ。ヒースも倣って空を見上げるが、あれだけしつこく自分を追い回していた鳥の姿はどこにも見つからなかった。
「とりあえずここに座り込んでるわけにもいかないでしょう。あっちに休憩用の東屋がありましたから……」
「ヒース、ここ、どこなんですか?」
 ダイの問いに、薄い青の上着を羽織った男はどこか哀しそうに微笑み、夢ですよ、と言った。
 彼はダイの土を払い落とすと、件の東屋に導いた。あぁ、ここは見たことがある。ミズウィーリ家の庭の東屋とそっくりだ。訳のわからぬ夢だが、基本はダイの経験を元に構成されているらしい。
 長椅子にダイを座らせたヒースは隣に腰を下ろした。ダイの手をとり、そこにこびりついた土を払う。その彼の動きをじっと見つめながら、ダイはふと目線が近いことに気がついた。以前はもっと――彼のほうが高かった。
 自分の手を見つめる。記憶にあるものよりも少し大きい。腕、脚、腰周り、胸周り、首、肩、そして、ヒースの眼に映る自分の顔。
「あれ、わたし、せいちょうしてる?」
 しかも妙に走り難いと思ったら、着慣れぬ女物の制服姿だった。脚が縺れて木の根に躓いたのは、この服だったからだろう。
「は?」
 訝りに呻くヒースに、ダイは首を横にふって見せた。なんでもない。なんでもないのだ。だが、納得した。
 そうか、これが自分の願望か。
 あのときから、はやくおとなになりたいとおもっていた。
 ではこの目の前にいるヒースもまた、ダイの願望に従っているのだろうか。
 ぺた、とヒースの頬に触れる。男は驚いたような目をしたが、じっと微動だにせず、ダイの動きを待っていた。
 ぺたぺたぺたと、彼の顔の輪郭を確かめていく。その指を喉に滑らせ、つと、胸に当てる。
 鼓動するそこに、額を押し当てた。
「どうしました?」
 彼がダイの身体を抱く。その指先が躊躇いをみせながら自分の肩を包む様を、ダイは視界の端で捉えた。ほっとする。まったくひどい夢だと思ったものだけれど、自分にはこういう瞬間が用意されていたのかと思うと、とても幸福に思えた。
「ディアナ」
 柔らかな声が自分を呼ぶ。ディアナ。ディアナ。ディアナ。優しく、労わるように。大好きな声だ。あぁ、自分はこの声と、この声が紡ぐ音律が好きで、その音律で自分の名を紡いでくれる彼のことがとても好きなのだ。そんなことを今更のように思った。
 なんだかおかしくなって、ダイは笑った。この場を笑い転げたい衝動を堪えて、笑いを喉の奥でかみ殺す。男から困惑の気配が漂う。見上げた彼の顔にはありありと、訝りの色があった。
 その頬に触れて、ダイは笑う。
「だいすきですよ、ひーす」
 夢なら、これぐらい言っても構わないだろう。
 いうだけぐらい、かまわないだろう。
「だいすきですよ……」
 男は呆然とした様子でこちらの顔を見下ろしていたが、ふいに彼の頬に触れていたダイの手をとり、額に口付けた。
 その唇が、瞼と頬を滑る。最後に唇に掠めるように触れて、髪に顎先を埋めた。
 ダイの肩を包む手に、力が篭る。
「えぇ、私も好きですよ」
 彼は言って、ダイの手と指先を絡めた。こちらの身体を男は強く引き寄せる。そして彼は繰り返した。
「好きですよ、ずっと」
 だからずっと一緒だと囁く男に、ダイは笑い返した。
 泣いてしまいそうなほどに、幸福な夢だと。
 夢だとわかっていることが哀しいほどに、幸福な夢だと。
 終わらないでほしい。醒めないでほしいと、祈るように思った。




「都合の良い夢を見すぎたからっていう理由で朝からそんなに機嫌悪そうなの? おまえって実は馬鹿なの?」
「どういう意味ですかそれは?」
 迎えに来た男に、ヒースは呻き返した。だってさぁ、と男は笑う。
「いいじゃないか現実はいつも酷いんだから、夢ぐらい都合よくたってさ。誰も夢なんて覗かない。もちろん怖い我らが主人も」
「でもあまりに都合がよすぎてですね」
「おまえ生真面目すぎだよ。はげるよ」
「はげっ……」
 思わず絶句したこちらに、男はけらけらと笑った。
「で、実際どんな夢みたの。大陸制覇な夢? 嫌な案件がぜーんぶ片付いてたっていう夢? それとも惚れた女とねんごろ決め込む夢?」
 揶揄する口調の男に、ヒースは嘆息して答えた。
「当たらずとも遠からじ」
「何番目?」
「三番目」
「え!? うそ!?」
「冗談に決まってるでしょう。馬鹿なことを言ってると今日の仕事手伝わせますよ」
 『仕事を手伝っている』己を想像したのか露骨に顔をしかめる男を置いて、ヒースは歩を速める。
 だか結局ヒースは、あとで根掘り葉掘り夢の内容について尋ねてくる男に閉口し、余計なことを口にした過去の自分を土に埋めたい気分に駆られたのだった。


「ひっじょうに、つごうのよいゆめを、みました」
 新年早々、見た夢について友人の魔術師に尋ねられ、ダイは答えた。
「都合のよい夢ぇ?」
「つごうのよいゆめです。じこけんおにしにたくなるぐらい」
 土に埋まりたくなるぐらい。
「なにそれ、どんな夢を見たっていうのよ?」
 給仕から茶を受け取りながら、マリアージュが首を傾げる。夢の内容を思い返し、ダイは紅潮していく頬を自覚して、言うんじゃなかったと内心毒づいた。
 沈黙するこちらに、アルヴィナが労わるように笑う。
「うん。かわいいなぁダイは」
「……ごめんなさい」
「……あんたがどんな夢をみようとしったことじゃないわよ。夢は夢でしょ」
 そ知らぬ顔で紅茶を飲みながらマリアージュは言う。たまらなくなって、ダイは叫んだ。
「わたし、マリアージュ様のこと好きですよ!」
「なんの話よ黙んなさいよ馬鹿!」
 紅茶を噴出しかけたらしい主人は顔を真っ赤にして振り返る。その様子を見たアルヴィナが、心底おかしそうに腹を抱えて笑い出した。
 その笑いの中、部屋に二人の男が入ってくる。彼らは顔を見合わせて、ただ首をかしげていたのだった。


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