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第三章 夢想する後援者 1 


 塔の脱出方法は死刑執行の前々日にようやく決まった。
 その調整に方々を走り回っていたアルマティンが、にまっと笑って計画の概要を述べる。
「死刑の執行場所まで移動する。それを狙うわ。拓けた場所にさしかかった頃合いで、賊に扮した仲間がマリアージュ様を誘拐するから」
「賊って……あんたたち芸妓じゃない! 似合わない真似はやめときなさいよ。無駄死にするわ」
「マリアージュ様ったらオヤサシイ。でも安心して。あたしたちじゃないわ。別口の協力者」
 マリアージュが不在となってから、城の雰囲気も大きく変わった。来年度に向けて告知された新しい制度は、貴族や聖女教会の影響を強めるもので、平民や下級貴族出身の官たちが戦々恐々としているらしい。
 才能はあれども金や後ろ盾のない者たちの受け皿としてデルリゲイリア王城はこれまで機能していた。ところが血筋に重きが置かれるとなれば、これまでのようにはいかなくなる。
 近頃はカースン家からの横槍に、政務官も頭を抱えているようだ。
「次の女王がメリアちゃんじゃないって話が広がっていてね。でも女王候補を抱える家がどこも何も言わないものだから、中級下級の家々が騒ぎ始めている。マリアージュ様の始末を急いでいるのもそれみたい」
「すぐ殺されなかったのは何でかしら」
「宰相さんのお計らいみたいよ。マリアージュ様に不当な死がもたらされるようなら、女王候補の再考も視野に入れるって宣言したのですって」
 メリアの妹のように、この二年で女王候補の規定年齢に達した娘はいる。女王候補を入れ替えることは可能だ。先代女王の息子であるロディマスならそれを押し通せる。
「誘拐されて……そのままベツレイムに行くの?」
「その予定よ」
 マリアージュが相手だと知らせず、ベツレイム家の当主とは、密会の約束を取り付けたという。アルマティンたちの実行力に恐れ入る。
「もしも……上手くいかなかったら?」
「死ぬだけね」
 身も蓋もない。
 だがその通りである。
 給される食事は前日の昼食までだった。胃を空にしておくためだ。品数は少なかった。シオンの持ち込んだ焼き菓子が救いである。アルマティンの女中が作った菓子は素朴だが舌によく馴染む。ミズウィーリ家の味をマリアージュに思い起こさせた。
 残りの時間は紅茶を飲みながら、アルマティンが仕入れた情報を整理し、ベツレイム家と話す内容を検討して過ごす。
 夜は緊張からか空腹を覚えなかった。
 母や父のこと。ヒースのこと。ダイのこと。これまでのことを考えているうちに眠っていた。
 そしていよいよ、ロディマスが最後と述べた安息日。
 番兵に付き添われ現れた侍女に、マリアージュは開いた口が塞がらなかった。
 番兵が去ったのち、人目を忍ぶ頭巾の下から現れた顔に、マリアージュは低く呻いた。
「……ティティアンナ」
「はい、マリアージュ様」
「あんた、何でここにいるのよ?」
「マリアージュ様のお支度の手伝いに参りました」
 ミズウィーリ家の侍女はにこりと笑って答えた。
 何を暢気に、と、歯がみして、マリアージュは叫ぶ。
「支度って何!?」
「二年の実績ある女王として崩御されるマリアージュ様に、女王らしい装いを、と、命じられております」
「だからって何であんたが!? いったいだれよ!? あんたをここに寄越したのは!」
「テディウス宰相閣下です」
「ロディマス!!」
 あの男は何をやらかしてくれたのか。
 いや。それとも逆か。
 崩御する、と、ティティアンナは言った。マリアージュがこの後に殺される予定であると、この侍女は知っているのだ。
 マリアージュはため息を吐いた。
「何、あんた、そんなに私を殺したかったの?」
「逆です! 助けに来たに決まっているではありませんか!」
 ティティアンナは即座に否定した。憤慨した様子で外套を脱ぎ、運び込んだ衣装と装飾品を広げていく。
 マリアージュはアルマティンを振り返った。
「……協力者って、ロディマスのことだったわけ?」
「宰相様も含まれているかな。積極的には関わってこなかったけれど、あたしたちがすることに目をつむってくれていた感じ。……でも、えーっと、ティティアンナさん? 助けに来たってどういうこと?」
 ティティアンナの登場は想定外だったようだ。アルマティンは当惑している。
 彼女の疑問にティティアンナは一同を見回して答えた。
「死刑の方法が変わりました。こちらで毒杯を煽ることになると、ロディマス様は仰せです」
 当初はマリアージュが『療養する』離れ、つまり、格子の類のない通常の部屋に移ってからの予定だった。
 逃走の計画がどこからか漏れたのかもしれない。新女王派は警戒を強めることにしたのだろう。
 厳しい表情のティティアンナがマリアージュに促す。
「支度を始めましょう。まずはお服を換えますよ」
「それは――わかったけれど、どうしてあんたが服を脱ぐのよ?」
「こちらをマリアージュ様に着ていただくためです」
 ティティアンナは下着姿となり、次にマリアージュの夜着を剥ぐ。マリアージュは慌てて制止した。
「ちょっ、ティティ、待ちなさいよ。それって、あんたが身代わりになるってことじゃないの?」
「えぇ」
 あっさり肯定する侍女にマリアージュは絶句する。
「ばっか! 着替えたぐらいで入れ替われるはずないでしょう!」
 この塔への出入りは厳重に管理されている。服を交換して頭巾を被ったところで、番兵から外すように命じられ、顔を検められるだろう。
 ティティアンナは笑った。
「大丈夫ですよ、マリアージュ様」
「死にたいの!?」
 ティティアンナは頭を振り、マリアージュの前に跪いた。マリアージュは目を剥いた。幼少のころからの付き合いであるこの侍女は、公にはともかく不本意には謙(へりくだ)らない、不遜なところがあった。その彼女が自ら腰を落として頭を垂れ、臣下としての礼をとったのだ。驚かざるを得ない。
 マリアージュさま、と、ティティアンナが呼びかける。
「この二年、わたくしたちは、思い知らされました。わたくしたちは、マリアージュ様のことを、何も存知あげなかった、と」
 ティティアンナがマリアージュの手を恭しくとる。
 それもまたこれまでの記憶にないことだった。
「わたくしたち、もっと、マリアージュ様がお戻りになるって思っていたんです。女王としてお城に上がられるのですもの。作法も細かいですし、行事ごとがたくさんあります。ミズウィーリには王城では許されない我儘を言いに、頻繁に帰ってこられる。そう、思っておりました」
 そう思われても無理はない。マリアージュは些細なことで数え切れないほど癇癪を起こした。いまも短気な気質は変わらないと断言できる。
 マリアージュを仰いで、侍女はふっと笑った。
「マリアージュ様は戻られなかった。先だってお帰りになったとき、わたくしたちは理解いたしました。マリアージュ様は選ばれるべくして女王となられたのだって。……お国のために、こんなに懸命になれるお方だったんだって、わたくしたちは知りませんでした」
「ティティ」
「わたくしたちは、恥じました。マリアージュ様が何をなさっているのか、わからないなって思いながら、お国が騒がしくなっていくのを、暢気に見ているだけだったんですもの。……不穏な世をどうにかなさろうと、たくさん勉強なさって、他のお国に協力を求めて尽力なさったと、ロディマス様から伺いました。お隣や、小スカナジアまでの道のりも、長く険しいものだったけれども、マリアージュ様は何ひとつ、文句をおっしゃらなかったって、アッセ様も」
 マリアージュは遠い目になった。何を要らぬことを勝手に話しているのだ。
 ティティアンナがマリアージュに微笑みかける。
「マリアージュ様は、とても頑張られました。……これからは、マリアージュ様がなさることに、わたくしたちも協力させてください」
「でも……あんたは母親でしょう」
 マリアージュが即位したあと、ティティアンナは同僚のひとりと結婚した。いまは一児の母だ。
 ロディマスに何と唆されたのか。守るべき子を置いて死地にのこのこ来るとは。この侍女には呆れしかない。
 ティティアンナが瞳を哀しそうに細める。
「そうですね。だから、わかったんです」
「何が?」
「奥様から遠ざけられて、お辛かったですね、マリアージュ様」
 ティティアンナが立ち上がる。彼女の鳶色の瞳がマリアージュの顔を覗き込む。細い腕がマリアージュの身体をそっと抱いた。唐突なことに、身体が硬直する。
 礼を失していると突き放すべきだったが、マリアージュにはできなかった。半ば呆然としながら、侍女の纏う石鹸の匂いに包まれていた。
「昔、ダイに言ったことがあります。ひとりで放置されて、おかわいそうだって思うけれど、我儘がすぎるって。そんなことありませんでした。わたくしの娘の方がうんと泣いてばかりです。……お辛かったですね。それがわからなかった、未熟なわたくしをお許しください」
「……わたしが、子どもだって言いたいの?」
「マリアージュ様の苦しいときに、おひとりにはいたしませんと、申しております」
 マリアージュは眉間に皺を寄せて、ティティアンナの身体を押し退けた。侍女から顔を逸らして、ため息交じりに呟く。
「……余計なお世話よ。あんたはここに来るべきじゃなかったわ」
「来てしまいましたからね。諦めてください」
 困った風に笑って言ったのち、侍女は改めて表情を引き締めた。
「長話してしまいました。わたくしが着たもので申し訳ないですが、こちらに」
 ティティアンナが侍女服を広げる。マリアージュは袖を通した。不安はあってもお膳立てした者たちの指示に従うしかないのだ。
 前身頃の釦を留めながらティティアンナが説明する。
「わたくしは毒杯まで立ち会いません。着付けの手伝いのみがわたくしの仕事で、すぐに部屋を出ることになっています。わたくしが着替え終わりましたら、マリアージュ様は塔の外へ。お迎えが来るそうです」
 ティティアンナの服は異様にマリアージュにぴったりだった。身長こそ大差ないが、体つきは異なるはず。外套で不格好さを隠しながら、マリアージュの身体に合わせた服で、侍女はここまで来たようだった。
 次にマリアージュは椅子で待たされ、ティティアンナの着付けが始まった。こちらも彼女の身体に合わせ直しているらしい。身体の線におかしな点はなかったが、壮麗な衣装は侍女にまったく似合っていない。
「あんたは侍女服の方がよくみえるわ」
「マリアージュ様もお仕着せは似合いませんね。こういったものは、マリアージュ様にこそお似合いです」
 アルマティンに髪を結われながら、首飾りの鎖を摘まんで嘆息すると、ティティアンナは微笑んだ。
「だから早く女王に戻られてください」
 そうね、と、軽く請け合えばよかったのかもしれない。
 しかし出来なかった。
 代わりに問いが口を突いた。
「ティティアンナは……どうして私が失墜したか、ロディマスには聞いたの?」
「聞きましたよ。リヴォート様のことですよね」
 マリアージュが女王として立った日を境に消えたヒース・リヴォート。彼がペルフィリアからの間者で、マリアージュは彼を通じて国を売ろうとしている。
 その噂をティティアンナは一笑した。
「馬鹿馬鹿しい。リヴォート様は、色んなことを気に掛けていらっしゃった。家の財政のこと、領地のこと。ミズウィーリのお屋敷の保全のことも。本当に余所の国のひとなら、あそこまできっちりお仕事される必要がどこにあったんです? そう、宰相閣下にもお伝えしましたよ、私」
 デルリゲイリアの宰相はどう思っただろう。
 何も知らない侍女のあの男に対する評価を。
 そろそろ時間だわ、と、アルマティンが言った。
「あたしたちのことは心配しないでちょうだいな」
「何とかなります」
 アルマティンとティティアンナがひらひら手を振る。脳天気すぎるとマリアージュは半眼になった。
 シオンがマリアージュを扉まで見送る。
 彼女もまたいつものように、にこにこと笑っていた。
「兵には口を利かず、堂々として歩いてね」
 いってらっしゃい、と、三人に押し出される。
 勢い余って躓きかけたマリアージュの背後で扉が閉じた。
 番兵がマリアージュを見下ろした。
「終わったか?」
 至近距離で顔を見られて、マリアージュは引き攣った。だが番兵はマリアージュを引っ立てることもなく、歩哨に立つ別の兵に留守を頼んで歩き出した。
 マリアージュは混乱した頭に頭巾を被った。
(わたしだって、気づかなかった?)
 番兵はまともに顔を見た。ティティアンナの造作と明らかに違うとわかったはずだ。
(番兵も味方? いえ……)
 兵には口を利くなと忠告された。声から気づかれる可能性があるということだ。
(ちょっとまって……)
 そもそもマリアージュに忠告した声は。
 だれのものだったか。
 番兵が錠を落として重厚な扉を開ける。その先は本宮に続く渡り廊下だった。その中央で男が立っている。
 ロディマスだ。上衣を風にはためかせて、彼はマリアージュを待っていた。
 マリアージュをロディマスに引き渡し、番兵が塔に引き返す。
 内側から下りる錠の音をマリアージュは聞いた。
 外套の前を握り併せて、ロディマスの元に歩み寄る。
 目の前で立ち止まったマリアージュを、ロディマスは不思議なもののように眺めた。
「ティティアンナ?」
「違うわ」
 マリアージュが否定を返すと、ロディマスは驚きに目を丸めた。腕を組んで黙考し、なるほどね、と、彼は呟く。
「これは騙されるね。まぁ、いい。急ごう」
 マリアージュの返事を待たず、ロディマスが身をひるがえす。マリアージュはてのひらを見下ろした。
(……そういうことなのね)
 ようやく納得した。
 ティティアンナたちの奇妙な自信について。
 ひらり、と、てのひらに白い粒が落ちる。
 道理で吐く息が滲むはずだ。雪が降っているらしい。
 マリアージュはてのひらの雪を握りしめる。
 そしてロディマスを追って歩き出した。


 毒杯を煽った元女王が、もがきながら卓に伏す。
 政務官に意を唱えるのみの無能な女王だった。彼女が内政を疎かに、他国へ物見遊山するばかりだったから、世間は世知辛くなる一方だったのだ。
(うらむなよ)
 卓の上で動かない娘の白い頸を睨みながら、彼は胸中で呟く。
(おまえがわるかったんだ……)
 暴君は粛正されて、新しい女王が立つ。
 これで世も平らかになる。
 だがその前に処分しなければならない人間がいた。
 女王だった娘を世話していたふたりだ。
 ひとりは艶やかな女。もうひとりは幼さすら感じる東洋人。ここで殺すことはもったいなくとも、性急な女王交代の裏舞台について、知る者は少なくなければならない。
「おまえたち、ご苦労だった」
 彼の労いにふたりの女は跪いて頭を垂れる。
 毒を塗った短剣に手を掛けて、彼は女ふたりにゆっくりと近づいた。
「いまからおまえたちを解放しよう」
 まぼろばの地へ赴くがいい。
 彼は短剣を抜いた。女たちの白い頸をひと撫でするつもりだった。
 ふいに身体が強く引かれる。彼は煩わしさに眉をひそめた。女の手が彼の革帯を鷲掴みしている。死んだはずの、マリアージュの手だ。
「なっ!?」
「おい、どうした?」
 扉の前を守っていた相方が訝りの声を上げる。
 だがその彼は糸の切れた人形のように急に倒れた。何事かを問う前に彼自身の意識もまた急速に遠のき始める。
 立っていられず、よろめきながら、卓の縁に手を掛けた。
 服毒したはずの娘が彼の傍らで立ち上がる。苦かった、と、呟く娘の声は、元女王のものではない。確かめようにも、身体に力が入らない。
 絨毯の上でもがく彼に、聞き覚えのない声が掛かった。
「あらあら、がんばるねぇ」
 おっとりとした響きの女の声。
 横倒しになった彼の目に、女物の靴のつま先が映る。
 淡く明滅する燐光が雪のように落ちてくる。
 その足を辿った先。見知らぬ顔の女は彼を見下ろし、ゆるく編んだ赤毛を肩から払って嗤っていた。


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