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第一章 模索する調停者 4


「はっきりとおっしゃればよろしいのではありませんか」
 魔術具を通して届いた声は面白がる響きを宿している。実際、その通りなのだろう。内密に話をと要求したデルリゲイリアに、否やもなく応じたゼムナム宰相サイアリーズ・カレスティアは、マリアージュがどう出るのか、博打のように楽しんでいる。
 弾む声で彼女は続けた。
「ゼムナムに、ペルフィリアへ与する方へ手を挙げてほしいと」
 遠く、大陸の端より届けられたサイアリーズの声に応じて、魔術具の板上で跳ねる線もまた、彼女の機嫌の良さを表している。
 楽譜に記された旋律のようなその線の動きを、無感動な顔で見つめたまま、マリアージュが小首をかしげる。
「そう申し上げたら、ペルフィリアへ味方すると?」
「陛下とわたくしたちの間柄です。もちろん、と、申し上げたいところですが、実のところ、どのようにわたくしたちをご説得いただけるか、楽しみなのですよ」
 サイアリーズとはこういう女である。頂く地位こそ女王たるマリアージュの方が上だ。だが大陸南部の覇権を握る大国ゼムナムという権威を負って、サイアリーズは強者として振舞う。すべてを俯瞰し、面白がる。それが彼女なりに余裕を持つための姿勢だと知ってはいるが、揶揄される方はたまったものではない。
 マリアージュの傍らに控えていたダイはそっとため息を吐いた。目配せで主人に許可を得てから発言する。
「水を差すようで申し訳ございませんが、カレスティア宰相閣下。わたくしたちは別に、ペルフィリアへ与してほしいとは申しておりません。そうですね……ペルフィリアに味方するのではないかな、と、予想をして、お時間を頂戴しているわけですが」
「わたくしの早とちりだと?」
「わたくしたちは確かめたいだけですよ。ご要望通り、はっきり申し上げますね。ゼムナムは、クラン・ハイヴとペルフィリア、どちらを生かすおつもりですか? それとも――両方を?」
「……ゼムナムの立ち位置を知るためだけにわざわざ?」
「もちろん。ご存知でしょう? デルリゲイリアは北の端の、無補給船の湾港すら持たない小国ですから。大国の意向を事前に知ることは重要ですので、甘えさせていただきました――閣下とわたくしたちの、間柄ですもの」
 ね、と、声色を柔らかくしてダイは親しげに念押ししながら、まったく、と、内心、主人にも呆れていた。このような交渉事、自分にさせないでほしい。
 あんたがしゃべったほうが、サイアリーズの口も軽くなるわよ、と、なんだかよくわからない自信を持ってダイに面倒な口上を任せた女王は、先ほどまでの無感動な表情をどこかへやって、魔術具越しにゼムナムの宰相に問いかけている。
「それで、ゼムナムはペルフィリアの味方をする、という認識でよろしいのかしら」
「なぜそう思われます?」
「勘違いでしたら失礼を。カレスティア宰相のお話を聞いていると、わたくしたちの要請を受けたために、ペルフィリアの味方をするのだと、装いたいように聞こえたものですから」
 元々、ペルフィリアの肩を持つつもりだが、デルリゲイリアからの依頼という風にしてしまえば、貸しをひとつ作ることができる。
 そういうことではないのかしら、と、マリアージュはにっこりと笑った。一拍、魔術具の板は沈黙し、すぐに遠国からの密やかな笑いに揺れた。
「あぁ、もう、そういう受け取り方をするんですね。ふふふ。いいですよ。そういうことで」
「あれ、本当にペルフィリアの肩を持つおつもりですか」
「白々しいね、ダイ。うん、そう。わたしとしては、ペルフィリアの味方でありたいと思っているよ――教会の力を削ぎたいから」
 サイアリーズは口調を崩して言った。だがそれの意図するところはつまり、ゼムナムの意向は彼女のそれと異なる、ということだ。
「昔に教会――というか、大スカナジアから食らった横やりのせいで、ひどい目にあったんだ。恨み骨頂の人間は多いけれど、教会からすぐの脱却は難しい。法律も何もかもが教会法と癒着しているから。どうにか引きはがせないかと、これでも急がせてはいるけれど、まだわたしたちには時間がいる。前回の会議のときに、ペルフィリアの政教分離を指示できなかった理由のひとつだ。あなたがたも似たような状況にあるのではないのかな?」
「ご想像にお任せしましょう、カレスティア宰相。つまり、あなた方はクラン・ハイヴを採ると」
「必然的にそうなってしまいますね、陛下。ただわたくしとしては……そう、クランを潰したいかな」
「……ずいぶん、率直なお言葉ね」
 マリアージュの指摘に間が空く。サイアリーズは笑ったようだった。
「あなたがたとの友誼を大事にしたいのですと、これでおわかりいただけましたか。冒頭の発言のお遊びが過ぎたことはお詫び申し上げます。さて、話を戻しますが、ペルフィリアとクラン、どちらに付くのか、と問われましたら、もちろん、両方平穏がよろしいという点は前提にあれど、クラン・ハイヴに付く、と、言わざるを得ません。ただ同時に、潰したいのもクランです。ペルフィリアがつぶれては困ります。大陸の玄関口を一国で担うのはさすがに荷が勝ちすぎる」
 無補給船の湾港を掌握しておくことは、国としての優位性を保つことになる一方で、それを支えるだけの国力を求められる。特にいまは荒れる一方の大陸から脱出を図る人々が多い時代だ。ペルフィリアの崩壊はゼムナムの担う重責が増すことを意味する。
「立場としては教会を表立って非難することはならない。……難しいことね」
「おわかりいただけてなによりです、陛下」
「ところで疑問なのだけれど、カレスティア宰相」
 マリアージュが顎に手を添え、何気なく疑問を呈する。
「クラン・ハイヴの後ろ盾らしい聖女教会は、本当に聖女教会なのかしら」
「……本当に、ですか?」
 鸚鵡返しにサイアリーズが尋ねる。マリアージュは頷いて問いを重ねる。
「小スカナジアの聖女教会は、クラン・ハイヴを擁護しているの?」
「……さて、わたくしは確認しておりませんね」
「わたくしも。遺憾ながら、デルリゲイリアは小スカナジアとのつながりは弱いので。ねぇ、会議が再開される前にお伺いしたいのだけれど、小スカナジアの聖女教会に、クラン・ハイヴになぜ付いたのか、確認いただけるかたに心当たりはあって?」
「――ファリーヌ女王陛下でしょう」
 大陸会議参加国の女王で最も長い在位を誇るドンファンの女王。その側近も含め、在りし日の魔の公国(メイゼンブル)を知り、その伝手もあって小スカナジアとの関係性も深い。そこに本部を置く聖女教会にもまたしかり。
 ふふ、と、サイアリーズが忍び笑う。
「あぁ、そう。そういうことですか。あなたがたがわたくしにさせたかったことが、ようやっとわかりました」
 よろしいですよ、と、機嫌よく彼女は請け負った。
「なんなら、ドンファン、ゼクスト、ファーリル、そして我がゼムナム連名で糾弾、非難いたしましょう。……相手は旧体制にしがみつくしかない日和見主義者たちです。火種を切り落とさせてみせましょう?」
 ロディマスたちと打ち合わせた通り、ドンファンもゼムナムもだれもかれも、表立って聖女教会の非難はできない。
 だが、クラン・ハイヴの背後にて暗躍する聖女教会の一派が、正統な者たちではないと、聖女教会本部に認めさせることができれば話は変わってくる。戦争を引き起こした異端の聖女教会を共通の敵として認識し、ペルフィリアを被害者側として擁護できる。
「マリアージュ女王陛下」
 会談の終わり、愉悦交じりの声でサイアリーズが呼ぶ。
「あなたは聖女の血統を継ぐお覚悟をされた。そういう認識でよろしいでしょうか」
 メイゼンブルに代わって会議を回すつもりなのか。
 ダイはマリアージュと視線を交わした。そんなつもりないわよ。ねぇ。そんな声が聞こえてきそうなほど、面倒くさそうな顔を主人はしている。
 席を立ちながらマリアージュは答える。
「ペルフィリアに倒れてほしくないの。だってわたくしの隣国だもの。これ以上――周囲に振り回されるのはご免だわ」


「――そういうことであれば、わたくしたちが小スカナジアに声明を提出いたしましょう」
 事前の会談を経たゼムナムの要請をドンファンは呑んだ。
 ファリーヌが厳かに告げる。
「もちろん、事情を確認して。西の大陸の混乱を煽ることは聖女の本位ではないはずですから。教会の立ち位置を明確化させることをお約束いたします」
「それだけでは足りません」
 フォルトゥーナが辛辣な声音で指摘した。
「聖女の旗を掲げる傭兵を支援していないか確認し、兵たちの教会施設への立ち入りを禁止させてください。先に確認した通り、この戦争と教会が固く結びついているのなら、教会系難民収容施設(アサイラム)にいる難民に飛び火します。軍隊と難民を切り離さなければならない」
「その切り離しは慎重にするのがよろしいかと」
 ゼクストのロヴィーサが口を挟む。
「切り離せ、と命じられて、すぐに対応できるものではないでしょう。下手を打てば、それこそ難民が人質にとられ、さらなる混乱に陥ることとなります。……そうして次に混乱に呑まれるのは我々です」
「探しておく人物がいます」
 組んだ手の上に唇を寄せてマリアージュは述べた。彼女が目配せし、隣に控えていたロディマスが説明する。
「聖女教会のレジナルド・チェンバレン。旧ペルフィリアの反政教分離派の貴族です。レジナルド・エイブルチェイマーと名を変えて、小スカナジアへ亡命し、その後、我が国にも潜り込み、聖女復活を唱えて暗躍いたしました」
 その他、容姿や国内にいたときの状況、また、ダイがペルフィリアで得た情報も含め、わかりうるすべてを公開する。
「我が国で姿を晦ましたのちは不明ですが、状況から見て、クラン・ハイヴに潜り込んでいる可能性が」
「その点もドンファンが小スカナジアに照会いたします」
 ファリーヌが、自身の役割を定義し終える。
 その頃合いを見のがさず、すかさずマリアージュは宣言した。
「ではデルリゲイリアはペルフィリアの状況を確認いたします」
 デルリゲイリアはペルフィリアの隣国だ。潜入の人員を投入するにも地理的に近いほうが負担は少ない。
 理由をつらつらと口上したマリアージュは、だれかから否が来る前にゼクストとファーリル、それぞれにつながる魔術具へ告げた。
「逆にわたくしたちから点在するアサイラムは離れすぎています。難民と兵の状況のご確認を、ゼクストとファーリルの皆さまにお願いしたいのですけれど」
「ではドッペルガムはクラン・ハイヴの議会の確認を担いましょう」
 ゼクストとファーリルが承諾する前にフォルトゥーナが宣う。
「議会に使節を派遣いたします。速やかに調査することが叶うでしょう。また、アサイラムの状況においても、ゼクストとファーリルの皆さまとも連携がとれれば」
「では、最後にゼムナムはそれら全般の費用の援助を」
 アクセリナに代わってサイアリーズが発言した。
「心苦しいですが今回の件に対して実働するにはいささか距離がありすぎます。経済面、それからファリーヌ女王と共に小スカナジアへの対処を担当とさせてください」
「――異議はございませんか、皆さま」
 議長たるファリーヌが声を張る。
 半ば強制的に役割を振られた国々も、否なら何の役割がこなせるかと考えた末、肯定の沈黙を選んだようだった。ややおいて、異論なしと判断したファリーヌが声高に宣言する。
「それでは閉会いたします。これより疾く動いて参りましょう……この西の獣の、静穏のために」


 月の光すら地平のかなたに沈んだ深夜。慌ただしい一日が終わり、僅かな灯を点したマリアージュの私室から、着替えの手伝いを終えた女官たちがさやさやと衣擦れの音を立てて退室していく。
 ぱたん、と、扉の閉じる軽い音が響くと同時、長椅子に腰かけていたマリアージュが、身投げの勢いでそのままぼふりと横になった。
「もーーーーーー無理」
 傍の小卓に置いた盥に湯を注いでいたダイは、苦笑してマリアージュに労わりの声を掛けた。
「お疲れ様です。が、はしたないですよ」
「うるさいわね。寝台に倒れこまないだけましだと思って。あー、もー、疲れた。頭がいたい。やってらんないわ一日中、腹の探り合いとか」
「はいはい。がんばりましたね、マリアージュ様」
「あんたぐらいよそんな棒読みの適当な褒め方で許されるのは」
「あれ、許されるんですか」
「ひよこ口の刑がいいならいくらでもするわよ」
「謹んで遠慮したいですね。……どうぞ、目を休めてください」
「ん」
 ダイが差し出した湯に浸して絞った手ぬぐいを、マリアージュは勝手知った顔で自身の目元に載せた。本来であれば彼女の目元を丁寧に布で覆ってやるまでがダイの仕事だ。けれどもふたりきりのときに限って、マリアージュはちょっとしたことなら自分でこなす。それはデルリゲイリアに戻ったダイが目の当たりにした、マリアージュのささやかな変化だった。他の女官の目があれば最後までダイに仕事をさせるから、マリアージュがしたいことなのだと理解して、ダイもこれ幸いにほかの作業を手早く進めることにしている。
「本当に、今日はお勤めに励まれたなって、思っているんですよ」
 化粧の落とし粉、ばら水、乳液、香油の入った小瓶を小卓の上に整列させ、使用する綿布を数えながら、ダイはマリアージュに囁いた。
「よく、会議を掌握しきりました」
「……時間がないのをいいことに、強引に押し切ったって感じよね」
「合意が取れればいいんですよ。あとは担当官が調整を間違えなければいいんです」
「その言い方、あいつみたい」
「うえ。そうですか?」
 そうよ、と、マリアージュが肯定する。「あいつ」の響きには皮肉が込められていたが、悲壮さはなく、どちらかというと、言動が移ってしまったダイを、彼女は含み笑っているようだった。
 細く息を吐いて脱力し、マリアージュは言った。
「――あんたも、場慣れしたわね」
「〈国章持ち〉ですから。これも仕事です」
 ダイは化粧師だ。それは変わらない。
 だが同時に女王に無二だと指された、側近でもある。
 ふたつは反しないのだと、いまはわかっている。
 ダイの心境の変化をマリアージュは簡素に喜んだ。
「割り切れるようになっていて、なによりだわ」
「……マリアージュ様も、色んな視点を得られましたね。驚きました。地図に書き込もうっておっしゃられたときは」
「あぁ、あれね。なんだか、そういう風にしていたの」
 クリステルたちを探していたときに、と、マリアージュが言い添える。だれが視覚的に物事を判断せしめる手法をマリアージュに教えたのか、ここであえて指摘することはない。
 いっときの別離を経て、またこのように傍に在るようになって、お互い、変わったな、と感じている。
 以前は不足を補い合わなければ立っていられない気がしていた。ふたりでひとりのような脆さが自分たちにはあった。
 いまはふたりで、選んだ今を踏みしめている。
 今日はそれを実感する一日だった。
 夜の手入れの支度を終え、ダイはマリアージュの傍らに膝を突いた。失礼、と、ひと声かけて、彼女の目許を覆う布を取り去る。血が廻ったせいか、その肌は上記していて、思いのほか真っ直ぐ宙を見ている。
「マリアージュ様?」
 ダイが訝りに声をかけると、彼女は瞼をゆっくり落とした。
「よかったわ。ペルフィリア(となり)を潰そうって話に、ならなくて」
「……はい」
 上下する腹部に落ちた主人の手をダイはうやうやしく取り上げた。
「ありがとうございました」
「礼はあいつに言わせて。……死んでないわよね」
「死んではいませんよ」
 ダイはマリアージュの手を包み込み、その指先に自らの額を当てた。
 祈るように、囁く。
「生きています」


 かつかつかつかつ、と、鋭い靴音が回廊に響き渡る。
 セレネスティは自身が持てる最大の速度で歩いていた。長年の生活で慣れたと思っていた女物の衣裳の裾がやけに足に絡まって、苛立ちが募る。あぁ、元の自分だったなら、衣装の崩れなど気にせずに駆け出すことができるのに。いっそ、この衣服を脱いでしまえたら。頭を振ってその考えを追いやり、目的の部屋までたどり着く。よく見知った騎士が扉を開く時機に合わせて、セレネスティは室内に勢いよく踏み入った。
「兄上!」
「……セレネスティ」
 ディトラウトが長椅子から立ち上がった。その五体満足な姿を見て、安堵からその場に崩れ落ちる。
「陛下!」
「大丈夫……気が抜けただけ」
 駆け寄って間一髪で腕を支える兄をセレネスティは見上げた。魔術の爆発に巻き込まれたと聞いた時点でしていた覚悟を裏切って、兄は健やかだった。ただ国内を潜伏しながら移動していたためか、ぬぐえない疲労だけが彼の目の下にこびりついている。
「わたしは大丈夫ですよ、陛下」
 と、やさしくディトラウトは言った。そのままセレネスティを立ち上がらせて長椅子まで誘導する。
 長椅子に腰を下ろしたセレネスティは、対面に佇立する影を認めた。泣き出したいのを堪えて微笑む。
「お前もよく生きていた、ヘルムート」
「ご心配おかけいたしました、陛下」
 ヘルムート・サガンにもまた、目立った負傷は見られない。うん、と、頷き、セレネスティは周囲を見回した。タルターザへと送り出した、最後のひとりがいない。セレネスティの視線の意図を汲んだディトラウトが囁く。
「梟はいません」
「……戻ってきているのか?」
「はい。ただ、無理をさせました。彼女には休息が必要です」
「それは」
「陛下」
 口を開きかけたセレネスティを制してヘルムートが鋭く呼ばわう。
 彼は温和な要望を珍しく厳しくしかめて早口で述べた。
「梟の件よりも先にご報告したいことがございます。……イネカ・リア=エルの半身を、我々は、早急に探し出さねばなりません」


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