第九章 終演する領主 4
「まずはこの三日間の調査報告を」
開会と同時にドンファンの女王が促し、宰相たちが順繰りに情報の公開と擦り合わせを始めた。
「王城の件、先導者はレジナルド・チェンバレン」
「元ペルフィリア貴族ですが亡命し、小スカナジア聖女教会本部に登録が。教会と貴族階級者の交渉役を担当」
「セレネスティ陛下が男子であると話を持ち込んだのも彼だと」
「王城の官吏に内通者を抱えていたようです」
「内通者は東からの移民」
「今回の襲撃はレジナルドを筆頭とする聖女急進派と、彼らに煽られた貧民層が最多ですが、彼らに火薬を供給したのはペルフィリアの東領の者たち」
「ペルフィリア東部はセレネスティ陛下の治世の初期に併合された国の領地で――現在は魔力を使わない技術を実験的に導入されており、その兼ね合いで火薬を入手、融通したと見られています」
「城に潜入した東部出身者は、ほぼペルフィリア官吏として雇用されており」
「その多くは母国で従軍経験があり、ペルフィリアでも正規兵として取り立てられていた記録を確認」
「イェルニ宰相を刺した者も東部出身で、先の侵略時に主人を失い復讐を実行したようです」
「宰相のご様子は?」
「依然、意識不明」
「ヘルムート将軍の遺体はひどく損傷した状態で地下水道に」
「セレネスティ陛下は見つかりましたか?」
「いいえ、見つかっておりません」
手元の報告書を流し読みしながら、報告を聞いていたマリアージュは視線を上げた。発言者たちを順繰りに一瞥する。
大会議室は公演会場のような造りで、二階と一階に入口のあるすり鉢状で、円卓を中心に同心円を描いて椅子が並んでいる。
その席を埋める人の数は決して少なくなかった。
参加は計七か国。座席は小スカナジアの折と同様に女王の在位順だ。奥から右回りに、ドンファン、クラン・ハイヴ、ファーリル、ドッペルガム、ゼクスト、デルリゲイリア、ゼムナムである。
女王と宰相が隣あって座り、背後に護衛の騎士と書記の文官が立つ。女王たちの判断で《国章持ち》を連れている国もある。ちなみにデルリゲイリアは連れてくることのできた人員が少ないため、机仕事の得意な騎士を書記役としてアッセから借りていた。
ドンファンの女王がため息を吐く。
「結局、セレネスティ陛下は見つからなかったのね……」
セレネスティはダイの発言と城内に残っていた足跡から、側近の梟と共に城の西の塔まで登り、王都の民に呼びかけたことがわかっている。そこで襲撃者たちと交戦した。襲撃者たちの遺体はあったが、セレネスティと梟の姿はそこになかった。露台に残っていた血痕と装飾品、衣装の一部から、崖側に追い詰められ、そのまま海へ落下したと見込まれている。
つまり、生死不明なのだ。
この三日、ダイは彼女――いや、彼について、知りたがっていた。それでも何も報せなかったのは、迷っていたからだ。
下手な希望をあの娘に与えてよいものか。
落下したのは、「崖側」だ。
そして遺体が出ていない。
ならば――……。
「……結局、ペルフィリアの玉座詐称の件は、政教分離を主張するセレネスティ様方を厭った、聖女急進派の世論誘導だったということかしら」
「クラン・ハイヴ側から侵略する口実にそういった工作をした可能性はあります」
ファーリルの女王と宰相が囁き合う。
ゼクストの宰相が報告書を読み上げて補足する。
「女王陛下の居住塔を確認させましたが、男性が暮らしていた形跡はございません」
「最後まで仕えていた者たちも保護していますが、口が堅い上、老齢です。それに虚弱で……手荒な真似は無辜の死を増やしかねません」
「西塔の露台に残されていた装飾品や衣服の端も女ものでした。男性であればこのようなときまで女物で過ごすでしょうか」
「最後のお声でも、自身を男性としてお認めになる発言はなさっておりません。セレネスティ様がおっしゃっていた罪とは、東部を併合したことでは?」
「イェルニ宰相がお目覚めになったら審問するにしても、肝心のセレネスティ様のお姿がないとなると……」
「自白系の薬は」
「お目覚めになる日にもよりますね。今日明日なら真実を詳らかにする努力を払ってもよいでしょうが。……宙に浮いた罪をあれこれ詮索するより、我々にはもっと、討議するべきことがあるのではないでしょうか」
最後に断言した宰相は女王たちを船で運んだ張本人。ゼムナムのサイアリーズだった。
彼女はペルフィリアの地図を文官に広げさせて続けた。
「問題のペルフィリア東部を、どう片付けるか、ということです」
ペルフィリアは大きくふたつの地域からなっている。
元々ペルフィリアだった中央から西部。そしてセレネスティが併呑したペルフィリアの東部――東の沿岸地域である。
セレネスティは両方の地域をよく治めていた。地域の特色に応じたものはともかく、傍目には政治に差別があったと言い難い。だがまったく何もなかったか、といえばそうでもない。先も報告が上がった通り、東は魔術を用いない技術の試験場となっていたというし、東部民を官吏に登用はしても、昇進などには慎重だったようだ。
マリアージュはダイからペルフィリアの内情を聞いている。双方に様々な事情があり、ペルフィリアは東部とその民の扱いが雑にならないよう、心を砕いていたらしい。しかし所詮、ペルフィリアは侵略者側。東部民は被侵略者側。あとでどれほどやさしくされたからといって、人死にが出たならば、その恨みは容易く昇華されるものではない。
ペルフィリアの南部でクラン・ハイヴと戦端が開かれ、セレネスティたちの指示で国民が疎開した際も、東の一部地域は受け入れを拒んだとダイから報告があった。
レジナルドと聖女教会を隠れ蓑に、セレネスティたちを誅殺しようとした点から見ても、東部民の多くは過去の侵略の恨みをいまだ忘れていないということだ。
これには頭を抱えざるを得ない。
セレネスティは最後、ペルフィリアの王都全体に、「ペルフィリアを救うために船は訪れたのだ」と、宣った。実際、そのお題目を掲げて、商工協会――《境なき国》と称される大陸を跨に掛けた一大組織の手を借りている。
つまり、ペルフィリア国内で、純ペルフィリア人と、旧東部人の間で内乱が起こったなら、その救済と裁定に、ここの女王たちは顔を突っ込まなければならない。
ただでさえペルフィリアとクラン・ハイヴは正式に終戦していないのだ。下手を打つと内乱が大陸中に波及し、聖女の生きた暗黒時代が、再び現実のものとなってしまう。
東部の民が――しかも、王宮に取り立てられていたほど、厚遇されていた移民が、女王の誅殺を計ったなど、純ペルフィリアの王都民からしてみれば怒りの種だ。セレネスティが交戦していたことは、拡声の魔術が拾っていたことからペルフィリアの正規軍にも知られている。
いまこの会議室にいる面々は、情報が拡散される前に、何としてでも内乱の勃発を防がなければならない――平和の使者という対面と、国益を確保するという目的、その双方を崩さないようにしながら、だ。
「実際、東部の民自身はどうありたいと考えているのでしょうか?」
ファーリルの宰相が疑問を口にする。
「今回の件、捕縛した襲撃犯から話を聞くかぎり、怨恨と復讐が主な動機で、玉座の簒奪のような目的はないように見受けられました」
「その通りなのだと思いますよ、ビアンキ宰相」
サイアリーズは冷笑して告げた。
「だから、厄介なのです。聖女教会も、それに煽動された暴徒も、東部民も、その頭の中に、未来がない」
チェンバレンの中でセレネスティは聖女信仰を阻む邪魔者で、玉座から引きずり下ろすことで、人々に聖女の祝福が――魔術素養が戻ると信じていた、らしい。
暴徒は困窮した生活への怒りをセレネスティに向けただけであり、東部民は単なる復讐。セレネスティを殺したあとのことを、考えているものはひとりもいなかった。ペルフィリアを治める算段をだれかひとりでもつけているのなら、それを後押ししてやればよかったのに、皆が破滅的なものだから、自分たち余所者がこの土地の未来に筋を付けてやらなければならない。
そしてそれは危ういことなのだ。
それが上手くいかなかったときに責任を糾弾されるということだから。
「セレネスティ陛下がおられない以上、誰かがこの土地を治めてやらなければなりませんが、ペルフィリアには……」
「女王候補がおりませんね。純ペルフィリア人の貴族の女子がいないはずです。東部ものそのはず。メイゼンブルから逃れてきた公家筋の女子と元の女王候補が共倒れになって……それでペルフィリアが侵攻したのではありませんでした?」
「東部の民に治めさせる?」
「それこそ、今度は王都から西の民が、東に攻め入りますよ。セレネスティ陛下の仇討ちに」
「――……分割するのが、適当、でしょうね」
マリアージュの呟きに衆目が集まる。
マリアージュは隣を一瞥して続きの発言をロディマスに譲った。
「ドッペルガムとの共同報告書に記載いたしましたが、ペルフィリア中央からの疎開を東部領地が拒んだという証言が取れています」
「領主は旧王族の分家です。かつてペルフィリアの侵攻を手引きし、セレネスティ陛下からそのまま土地に封じられたようですな。女王承認の下、商工協会から土地開拓用の火薬を回されていた記録が取れています」
ロディマスに続いて、ドッペルガムの宰相が発言し、ドンファンの女王が渋面になる。
「……蝙蝠の巣をきちんと作ってあげたほうがよさそうね。病を、まき散らす前に」
蝙蝠は状況次第で立場を変える暗喩に使われる動物だ。マリアージュは見たことがないが、触れたものによく病を植え付けるらしい。放置すれば内戦の火種を巻く姿はまさしく。
「蝙蝠の巣をつくるのは結構。ただ、統治はどうするんだ?」
これまで黙っていたジュノが口出しした。
イネカ・リア=エルと共にクラン・ハイヴの代表として臨席する彼にしてみれば、隣国の統治者がどうなるかは大きな問題だ。クラン・ハイヴはペルフィリア東部とも国境を接している。
「自治にするなら、女王がふたり、必要だろ。どこから調達するんだよ?」
女王の資格を持つ女子は各国、そう多くない。《光の柱》で貴族階級に打撃を受けた直後ならなおさらだ。平和な国へ養子にでも出すならともかく、火の海になりかねない土地を御しに行かせられる女子はそういない。下手すると女王になってすぐさま暗殺される。
沈黙する一同へジュノが追及する。
「それとも自治じゃなくて、あんたたちの誰かが統治するのか?」
「――男性領主を、統治者として据えるのは、いかがでしょうか」
これまで沈黙していたゼクストの宰相が口を開いた。
「もしも聖女教会が主張していた、セレネスティ女王の性別詐称が本当なら、ペルフィリアは七年ほど、男性が統治していたということになります。つまりその間、呪われなかった、ということです」
「セレネスティ女王の詐称は急進派の世論操作の可能性が高いと話しませんでしたか?」
「えぇ。えぇ。確かに……ですが、聖女の血筋が先細り、そのために平らかにならない土地も、多いのです。何も我々の即位条件に手を付ける、という話ではありません。《西の獣》の北部が空白になるのを避けるための処置として、現地の領主から仮の王を選定してもよいのではないかと」
「どちらにしろ、統治者不在では、土地は荒れる一方です」
ゼクストの女王が苦々しく呟く。
「それにわたくしどもが遠方から統治しろというのも――なかなか、骨が折れる話ではありませんか?」
その口ぶりから、閃くものがマリアージュにはあった。ロディマスも何か言いたげに視線を寄越している。彼もまたゼクストの狙いを理解したのだろう。
ゼクストはデルリゲイリアからみて西南の海岸線沿いにある国である。二国の間には二年前に斃れ、内乱が続くザーリハがある。ザーリハ内部の激戦区――元王都はゼクスト寄りにあり、その分、デルリゲイリアよりも治安の悪化に頭を悩ませていた。
セレネスティが男だった場合(実際そうなのだが)、その統治実績は政教分離を後押しする実証になる。おそらくゼクストはそれをもって、男の統治者をザーリハに擁立する承認を得るため、この会議に出席したのだ。
「わたくしはロヴィーサ女王のご意見を指示します」
マリアージュはすかさずゼクストを後押しした。
「聖女の血が流れていない有能なものか、それとも聖女の血を継ぐ貴族の男子からでも、統治者を出すのか。いずれかを選ばなければならないときが来ているのではありませんか?」
マリアージュはゼクストの女王に微笑んだ。かの主従が安堵したように笑い返す。このやりとりでおそらくどの国も理解したはずだ。
ゼクストの狙いはペルフィリアの情勢を利用した、ザーリハの安定化。
そしてこうも思ったはずだ。
デルリゲイリアの狙いも同様だと。
実際は少々ことなる。もちろん、ザーリハが落ち着いてくれることに越したことはない。
だが今回の会議の参加理由は、あくまでペルフィリアだ。この国で男子が玉座に着くことができればいいと、マリアージュは思っている。
仮にそれが承認されたなら、ペルフィリアはディトラウトの教育を受けた者を王に据えられる。仮にセレネスティが生きていても、罪を軽くすることができる。
けれどもその思惑を他国に悟られてはいけない。
デルリゲイリアはあくまで、ペルフィリアほどの大きな隣国が斃れられては迷惑だから行動していると、思われていなければならない。ペルフィリアに私的感情があると気取られてしまえば、目標の達成に差し障る。
ゼクストの後援は目くらましになるはずだ。
「……わたくしは反対です」
ドッペルガムのフォルトゥーナが抗った。
彼女は貴族の血を引いているとはいえ、元平民の身分で国を興した人物だ。女王の条件を固辞する派に回るとは意外だった。
「……《光の柱》の件で痛感したはずです。聖女はわたくしたちに深く、深く根差しているのだと。わたくしが申し上げるのもどうかとは思いますが……安易に王位の条件を変えて、民の意識が付いてくるものかどうか」
「わたしも、ドッペルガムに、賛同する」
と、クラン・ハイヴのイネカが表明した。
「……聖女教会、信者多い。……変化、混乱を呼ぶ」
「あー、ペルフィリアのことを思い出してほしいんだけどさ」
イネカの隣でジュノが補足する。
ペルフィリアの女王が男かもしれない。それだけで民の大勢が混乱に陥った。統治者の不在を問題視して、この場で男の王を認めてしまえば、それこそペルフィリア東部の民は自身を蔑ろにされたと、逆に憤るかもしれない。
聖女の血を継ぐ女王が国を治めている。それは女王を聖女の形代と見做すことで、聖女が自分たちを導いてくれている、という形を作り、民を安心させている部分もあるのだ。統治者の都合でそこを容易く捻じ曲げると、後々に悪い影響が出かねない。それがフォルトゥーナとイネカの意見だった。
「……それぞれの統治者については三年ほど、空席にしておくというのはいかがでしょうか」
ドンファンの女王が躊躇いがちに述べた。
フォルトゥーナたちが意見を述べる間、彼女と小声で囁き合っていた宰相が女王の言葉を継ぐ。
「各国から官吏を派遣し、相応しい国主を選出するのです。時間があれば、わたくしたちも政教分離について細かく詰めていくことができますし、必要であれば女子を女王として教育することも」
「ドンファンにはその余裕があるとおっしゃるのですね?」
サイアリーズが感心した顔で尋ねる。
「恐れながら、ゼムナムにはございません」
話し合い、と、一口に言っても、簡単ではない。
一か所に集まるにも時間と金がいる。商工協会の助けを得て遠隔地同士で会話したときも、城を建てられそうなほどの招力石をつぎ込んだ。そのようなことを長く続けられるわけがない。
「何より、時間がございません」
サイアリーズは言った。
「そういう話ではありませんでしたか? ペルフィリアが分裂するよりも前に、わたくしたちがこの土地を分割し、蝙蝠の巣に管理者を付け、火の手が及ぶ前に撤退しなければならない。管理者はすぐに必要ですし、男子であってはなりません。さもなくば蝙蝠たちは大騒ぎするでしょう。自分たちは軽んじられた、と」
セレネスティは東部をきちんと治めていた。併合されていなければ、女王不在の国土は、荒れていたはずだ。
主権を取り戻したいと動いたならまだしも、その王を復讐心で誅殺しようとするのだ。
頭が軽く、盲目な輩たちだと、サイアリーズは嗤った。