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第四章 侵攻する聖女 3


 聖女を切実に欲するように人々を追い込み、彼らの祈りを力に換えて聖女を生み出すと、レイナ・ルグロワは述べた。
 なるほど。強い人の意志は確かに魔力に指向性を与える。だが、どうやって数多の人の願いを、レイナの元へ届けるのか。もっと言えば、聖女を生み出す魔術に反映させるのか。それについてレイナからもセイスからも言及はなく、明らかにされていない。
『探っておいた方がいいと思うのね』
 デルリゲイリアを出立する前、アルヴィナはダイに助言した。
『魔術装置を無力化しましょうって話になっているけれど、それが無力化できる類のものではなかったら? ……それを知っておけば、何かの助けになるかもでしょう?』
 ただ、レイナや聖女教会側がその情報を公開することはないだろう。
 だからダイはファビアンに提言した。
 ルグロワ市に入ったら、可能な限り、聖女を求める人たちの話を聞こう。彼らと教会をつなぐ何かが、見つかるかもしれないから、と。
 しかし、だ。
(考えが……甘かったなぁ)
 ルグロワ市に入るまでの道中、馬車の窓から外を見つめながら、ダイは内心で独りごちた。
 市の外壁の周囲に張られた数多の天幕。その下で蠢く、人、人、人――彼らは戦火に焼け出されて集まった流民だ。
(前は、こんな風じゃなかった)
 前回、ルグロワ市を訪ねたとき、流民の姿が皆無だったわけではない。しかしここまで――遙か彼方まで、天幕がはためいているということはなかった。
 これではまるで、街だ。
 ルグロワ市の周りに新たな街が生まれている。
 かといってそこを往来する人々に生気があるようでもない。彼らはダイたちの馬車を取り囲み、その行く手を阻みながら、繰り返し同じことを呻いている。
「恵みを」
「わしらを」
「たすけて」
「どうか」
「聖女さま」
「聖女さま聖女さま」
「聖女さま聖女さませいじょさま」
 ダイたちは聖女教会の一行ではない。
 なのに彼らは馬車のしっかりとした拵えに、教会の威光を透かし見て押し寄せてくる。
 まるで、蜜に群がる蟻のように。
 窓越しにすら見て取れる、その瞳の狂気的な色は、知れずダイの肌を粟立たせた。
 馬車に同乗していたアレッタが、堪えきれない様子で呻く。
「すごいですね……」
(ルグロワ市長は人々を虫に喩えた)
 それも致し方なく思えるような、ぞっとする光景。
 とてもではないが、会話が成立するとは思えなかった。
 外壁を抜けた先の街並みは美しかった。清浄さすら感じた。
 日干し煉瓦で作られた巨大な集合住宅。その整然と並ぶ窓の周囲に彫刻された花模様と、建物を取り囲む長い階段が宗教的な荘厳さを醸し出す。
 クラン・ハイヴ特有の風に舞う粉塵のせいで景色の輪郭が滲むのに、異様なほど光が鮮烈で影が濃い。
 その中を馬車はしずしず進んだ。ダイたちが招き入れられた場所は持ち送りの彫刻も見事な円天井で構成された玄関だった。
 先に到着していたファビアンたちが、下車するダイたちを待っている。
 彼らは厳しい顔をしていた。
「すみません、お待たせしました」
「ダイ、途中、大丈夫だった?」
 追い付いたダイの言葉に被せてファビアンが囁く。それが市中へ入るまでに目にした流民たちを示しての問いだとはすぐにわかった。
 ダイは微笑んで彼に答えた。
「大丈夫ですよ」
 ここで強張った表情をしてはならない。
 正気を失った目で救いを求める、貧しく薄汚れた人々を目の当たりにした程度で狼狽してはならない。
 困惑も嫌悪も、顔に出せば教会側に付け込まれる。
 ダイの意図を悟ったらしい。ファビアンは瞬きながらダイを見返したあと、そうだね、と、笑みを返す。
 こつ、と、踵が高く石畳を叩く音がして、ダイとファビアンは揃って正面に向き直った。
 こつ、こつ、こつ。音律を刻むように、規則正しい靴音が玄関の奥より近づいてくる。
 玄関広間の両脇に整列する儀仗兵たちが栄誉礼をとり、花窓から射した光の中を潜って可憐さと妖艶さを同居させた娘が、儀式的な衣装のやわらかな布を裁きながら現れた。
(レイナ・ルグロワ)
「遠路はるばる、皆さま、ようこそおいでくださいました」
 謳うように高らかにレイナは言った。
「歓迎いたします――聖女を求める同胞として」


 かしゃ、と、金属の擦れる音が広間に響いた。ジュノの腕に重く冷たい手かせが嵌められたのだ。複数人の兵士と魔術師に囲まれて、彼が冷たい目でダイを振り返る。
「――裏切り者」
 腹の底が凍えるような声だった。
(……演技だって、わかっているのにな)
 大陸会議の決定として、ジュノをレイナに引き渡すこと。だがそれは決して彼とイネカを見捨てるものではないこと。ジュノへはこの二点のみ事前に説明している。魔術や薬で自白を強制されることもあるため知りたくないと、仔細は彼の方から断られた。
 ジュノはダイたちを信じると言った。
 だから、あの声は嘘だ。レイナをダイたちの思惑から少しでも遠ざけるための。
 放せ、クソ女、イネカは。そんなことを喚きながら遠ざかるジュノと入れ替わりに、レイナが歩み寄ってくる。
「ダイ、あれを運んでくだってありがとうございました! うるさかったでしょう? 大変ではありませんでした? デルリゲイリアへ逃げ込むなんて……とても迷惑されたのではなくて?」
「いえ。わたしはほとんど関わってないので。……リア=エル議長を、助けたいとばかり、言っていましたが」
 聖女を生みだす魔術関連についてダイは触れなかった。ジュノが自白を強いられればそこで明らかになることだ。ここで自分はジュノの価値を知っていると、あえてひけらかすこともないだろう。
 ジュノのことを問われたことはちょうどよかった。
 ダイはさりげなく気にかかっていたという風を装って尋ねた。
「あの、イネカ・リア=エル様は……レイナ様のところに、いらっしゃるんですか?」
「残念。レイナ、イネカがどこにいるかは知らないの」
 困ったと言わんばかりに眉尻を下げてレイナが答える。
「教会のオジサマたちなら誰かご存知かもしれないわ……。ダイ、腕を出してもらっていいかしら。利き手じゃないほうです」
「何かあるんですか?」
「歓迎の徴をお渡しいたします。もちろん、バルニエ様と、皆さまにも」
 会話を見守っていたファビアンに微笑を送り、レイナが後ろの従者を振り返る。シーラだ。先日デルリゲイリアでは顔を見なかった、レイナの近習。彼女はダイと目を合わせると静かに目礼を返した。
 その彼女がレイナと距離を詰めて蓋を開けた箱を差し出す。
 天鵞絨を敷き詰めた箱の中には銀の鎖が収まっていた。長さは手首から肘程度。鎖と同色をした野ばらの細工が繋がれている。
(……腕飾り?)
「聖女に帰依する証なのです。せっかくお越しくださったので用意させました。使節の皆さまに人数分。ファビアン様にはダイの次にレイナがお渡しいたしますね。……あら?」
 ファビアンへ語り掛けたレイナは、不思議そうにダイの左手を持ち上げた。その拍子に手首に絡まる細い鎖と野ばらの細工が露わになる。シーラの持つ箱の中に納まる細工とよく似ているが別物だ。ダイのものはアルヴィナが作った護身具である。
 招力石の元ともなる特殊な樹木――銀樹の繊維を縒って糸にし、編んで作成した鎖の部分と、銀樹を削り出した野ばらの細工はほのかに虹を孕んだ銀色で、一見しただけではほとんど箱のものと見分けが付かない。
 それをまじまじ見つめたあと、レイナがばっとダイに抱き着いた。
「うわっ!」
「ダイったらー!! レイナたちのことを、本当に支持してくれたのね。うれしい!」
「ちょ、レイナさまっ、落ち着いてくださ!」
「あ、ごめんなさい。苦しかったですね」
 ぱっとダイから離れたレイナは、シーラの箱から腕飾りを取り上げた。ダイの左手首にそれを慣れた様子でくるりと巻き付ける。
「重ねていただいてかまいません。ここではこれを必ず身に着けてくださいね。それにダイのものは……」
 掲げられたレイナの右手首で銀の野ばらが揺れた。
「ほら、レイナとお揃い!」
 野ばらの中心に埋め込まれた小粒の宝石は、確かにダイのものと同じ色をしていた。白みを帯びた柔らかな金。クラン・ハイヴの日差しの色。
 続いてレイナは肉厚の葉の色の宝石がはまった飾りを取り上げた。
「お待たせいたしました、バルニエ様。ご都合のよい手をお出しいただけます?」
「ありがとうございます。……ルグロワ市長。我々もこれを必ず身に着けた方がよいのでしょうか?」
「えぇ。先もお伝えした通り、こちらは聖女に帰依する証。……聖女を求める気持ちがなくとも、形だけでも取り繕ってほしいのです――過激なオジサマたちが何をなさるかわかりませんもの」
 聖女信仰を示さないものには、何らかの危険が及ぶかもしれないと、レイナは暗に示している。
 彼女の薄ら笑みに対し、ファビアンも微笑を浮かべた。
「お気遣い、感謝いたします」
「とんでもございません。遠路はるばるのお客様に失礼があってはなりませんでしょう?」
 かち、と、銀の留め金をかけて、レイナがファビアンから離れる。
「さぁ、まずは皆さまにお泊り戴く場所へご案内を。その後は晩餐会にお招きいたしますね。それから今後のご予定をお伝えさせていただきます」


 レイナの言に従って宿となる棟へ移動し身を整える。
 その後、招かれた歓迎の宴は見事なものだった。
 打楽器が主体の音楽にのせて、色彩の鮮やかな衣装を身に着けた踊り子たちが蹈鞴を踏み、鈴を鳴らす。暑気を払う香辛料の利いた料理と酒。何よりレイナから提供される様々な、それでいて聖女関連にはまったく触れない話題は、ダイやファビアンに随行してきた官たちの緊張を充分に解した。
 初めて出会ったときもそうだった。レイナの社交の手腕は高い。些細な話を盛り上げて、相手を心地よくさせる技に長けている。従える官たちからは娘のようにかわいがられてもいた。彼女の人の話を聞きながら、ころころと笑う様を見る限り、とてもではないが、ペルフィリアを弾劾し、血をもって聖女を復活させんとしているようには見えない。
 銀の野ばらを配った理由だけを聞けば、レイナは特使としてやってきたダイたちを慮る、オジサマたち――聖女教会急進派の上層部たちに利用されるだけの娘としか思えなかった。
 けれどそうではない。
 デルリゲイリアの謁見の間で目にした、爛々と目を輝かせて凄絶に笑うレイナを思い出す。
 デルリゲイリアへわざわざ足を運び、聖女になると宣言し、ペルフィリアの嘘を暴いた彼女こそ、聖女の誕生を望んだ女であるはずだ。
「……こわいひとだな」
「どなたがでしょう?」
「ルグロワ市長ですよ」
 独り言を拾い上げたヤヨイにダイは苦笑しつつ答えた。
 晩餐会を終え、すでに自室である。いくつも連なった部屋のうち、盗聴防止処置を施した居室で、ダイは茶を啜っていた。同じ卓では対面に座ったヤヨイが、レイナから進呈された銀細工を弄っている。
「これをセトラ様にお渡しした方ですね」
「えぇ。……それで、着けていて大丈夫そうでしょうか?」
 ヤヨイにしてもらっている作業は、銀細工に魔術的な仕掛けが施されていないか。もしそうならどのようなものかの確認だった。銀は魔力を伝えやすい性質で、よく魔術の媒介に用いられる。
「おそらく、大丈夫ではないでしょうか」
「おそらく、ですか」
「確かに魔術が施されていますが、害を成すものではない気がいたします。……どちらかというと、結界を張る類のもので」
「結界?」
「はい」
 鸚鵡返しに尋ねたダイにヤヨイは頷いた。彼女は野ばらの中央にはめられた小粒の石を白い指先でとんと突く。刹那、宙にぱっと魔術の陣が広がった。
 いつかのアルヴィナのように、とんとんと陣を突いては広げを繰り返し、ヤヨイが説明を続ける。
「外からの魔術的干渉を弾く術式です。そこそこ強力なものではないでしょうか。アルヴィナ様のものと相互干渉はしないと思います」
「無力化しなくても問題ありませんか?」
「ないでしょう。何かあってもアルヴィナ様のものの方が強力です。そちらがセトラ様をお守りします。無力化しますか?」
「……いいえ、そのままにしておいてください」
 無害なら下手に弄りたくはない。先方の魔術師に気づかれる危険性がある。
 わかりました、と、承諾したヤヨイは、魔術の陣を手際よくたたんだ。元通りとなった銀細工をダイの手首に巻き付ける。
 その様を眺めていたランディが腕を組んで唸る。
「ってことはさぁ、ルグロワ市長、ダイのお守りをわざわざ作ったってことだよな。何でだろ?」
「わかりません……。皆に配られたものはどうだったんですか?」
「そちらは単なる飾りでした。素材も純銀ではなくて鍍金されたものみたいです」
「ますます謎。……バルニエ外務官のものは?」
「あちらまではさすがに……」
 ランディからの問いにヤヨイが言いよどむ。
「近くで拝見できれば、わかるのですけれど」
「見るだけで大丈夫ですか? なら、んー……明日の朝にでも何か理由を付けて、こちらに来てもらいますかねぇ……」
 ヤヨイは女官なので、不用意に連れて歩けない。ドッペルガム側の宿舎を訪れる折にヤヨイを伴えば不審にみられるだろう。
 ファビアンにどう言い訳するべきか。手首に絡む二本の鎖を撫でつつ考えていたダイに、扉番をしていたユベールから笑顔で声が掛かった。
「ダイ、どうやらその理由を考えなくてもよさそうですよ」
「ん、どうしてですか?」
「噂の、バルニエ外務官がお越しです」


「――ダイに報告をしておきたくて」
 ダイの対面に着席したファビアンが、ヤヨイから茶を受け取りながらダイに告げる。
 ダイは首をかしげた。
「報告?」
「ジュノ氏の件」
 あぁ、と、ダイは軽く目を瞠った。
「明日の朝の予定では……。何か問題が起こりましたか?」
「ううん。追跡はきちんとできている。現状、市庁舎の地下にいるみたいだ。……やはり、早いうちに、先方の目がないところで話した方がいいと思ったんだよ」
 ファビアンの傍で《消音》の招力石が灯っている。それを横目で一瞥し、ダイは彼に微笑んだ。
「ありがとうございます。……で、他に何か、確認したいことがありますか?」
 ジュノの追跡結果を伝えるだけなら、招力石を点す必要はない。目の前で紙に書いて、それを燃やせばいいのにそれをしないということは、長々と話したい何かがあるということだ。
「……デルリゲイリアはどれぐらい長く、ジュノ氏を確保していたのか、教えてもらうことはできる?」
 ダイの追及にファビアンが躊躇いがちに口を開いた。
「今回のクラン・ハイヴへの旅をダイたちが提案してきたとき、ジュノ氏の存在をすぐ明らかにしたね。あれはジュノ氏を確保したばかり、と、いうよりも、いつ所在を公開するか、時機を図っていた感じだったって、うちの宰相が言っていたんだ」
 聖女教会は表立ってジュノの行方を追っていたわけではない。だが、彼の話からその身柄の引き渡しに先方が食いつくのはわかっていた。だから、どうやって特使の派遣を教会側に呑ませるか、となった折に、デルリゲイリア側から大陸会議に提案した。ジュノを交渉材料として使おうと。
 いつ、どのようにジュノを囲っていたか。会議の時間が足りていないことをいいことに、追及させなかったが、疑問に思われて当然だった。
「……それを確認して、ファビアン・バルニエ筆頭外務官としてどのように判断されるおつもりでしょう?」
「どうもしないよ。僕はあなたたちを責めたいわけじゃないんだ。……そう、尋ね方が悪かったな。……デルリゲイリアは僕らドッペルガムが、ジュノ氏を殺すと思っている?」
 ダイは黙り込んだ。
 そう、ファビアンの懸念通り、自分たちは彼の国がジュノの抹殺を図ることを懸念した。ドッペルガム側の魔術師がジュノと面会する際に立ち会いを希望した訳も、彼が害されることを防ぐためだ。
 ジュノが聖女教会に求められる理由も、聖女復活に関わるからであると、各国へ伝達済みだ。デルリゲイリアがジュノの所在の公開時期を図りかねていたのも、彼の重要性に対して諸国がどのように動くかわからなかったためだった。
 ダイの沈黙を肯定ととったのだろう。ファビアンが話を続ける。
「信じてもらえるかわからないんだけれど……。僕らはジュノ氏を殺すつもりはない」
「なぜ?」
「陛下が嫌がる」
 意外だ、と、思ったのが、顔に出てしまっていたらしい。
 ファビアンはダイを見て微苦笑を浮かべた。
「陛下の……いや、ルゥナの話をさせてほしい。彼女はクラン・ハイヴで君の陛下に、とても感情的な、失礼な態度を取った。こと、ルゥナは生粋の貴族相手に感情的になりやすいし――それが、君たちからした僕らへの評価を、多少、辛くしているよね」
「えぇ……そうですね」
 ダイは瞑目して肯定した。
『虐げられたこともない、ぬくぬく育ってきたから、自分をきれいにするためだけのお化粧する人に、国章を与えることができるんだわ』
 ――甘ったれないで。
 いまでも忘れられない。
 ダイがマリアージュの傍にいる意義を鋭く糾弾したルゥナのことは。
「君たちが僕らのことを信用しきれずにいるのは仕方がないと思っている。ただ、僕個人として、君たちに、特に僕と共に敵地(ここ)にいる君には、知っておいてもらいたいんだ。ルゥナのこと。彼女が――誰ひとりとして、死んでもらいたくなくて、国を興した人だってことを」
 ルゥナ。フォルトゥーナ・トルシュ・ドッペルガムは、かの国の初代女王である。
 そして彼女は元々、メイゼンブルの属領で暮らす、一介の農民の娘だった。
 何の力もない、無力きわまりない小娘だったのだ。
「虐げられて、大事な人たちを殺されて。それでも、陰で貴族に文句を言うだけで何もできなかった人たちばかりの中で、彼女が、彼女だけが、誰も傷つかない国を夢見た。ひとり立ち上がって、走り回った。……家族を殺した貴族を憎みながら、それでも、メイゼンブルの崩壊後、行き場を失くしていた彼らを救って取り込んだ。……ジュノ氏の話が会議で出たあと、彼を殺せばいいという話もあった。その意見を最初に却下したのはルゥナなんだ。苦労が染み付いている分、色んなことに辛辣で。苦労したから許して欲しいなんてことはないんだけれど。でも、末端の官、見知らぬ誰かまで、隣人のように思い、その声に耳を傾け、いつだって心を砕いている。そういう陛下の意志の下、僕は派遣されてきた。……それを、知ってほしくて」
 ごめんね、突然、夜分に訪ねて、と、ファビアンが謝罪する。
 ダイは息を吐いた。
「……フォルトゥーナ陛下とファビアンさんにジュノ氏を守る意志があるのはわかりました。けれど国は一丸ではいられないでしょう?」
 いざとなればジュノを暗殺せよと、密命を受けたものがいるかもしれない。
 ダイの言葉が示唆する意味に、今度はファビアンが黙り込む。
 そんな彼にダイは微笑みかけた。
「ただ、それは、うちの国も同じです」
「ダイ……」
「お話してくださってありがとうございます。あなたと、あなたの王が救おうとするものの中に、ジュノさんが入っている。それがわかって、よかったと思います」
 ファビアンは安堵したらしい。
 ありがとう、と、目を細めて彼は笑った。
 話が終わったと見て、ファビアンに同行していたクレアが、そろそろ、と、彼に耳打ちする。
 彼女に軽く頷き返し、ファビアンは席から立った。
 扉口まで歩きながら、彼は見送りに出るダイに問う。
「僕は明日、街の視察と、教会の司祭たちと会食なんだけれど、ダイは?」
「わたしも市庁舎の上役の方々と会食です。それから、大事なことがもうひとつ」
 今日、さっそく依頼を受けた。
 廊下の前で足を止めてダイは告げた。
「レイナ様の、肌の手入れをすることになっています」


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