第八章 墜落する競争者 5
ミズウィーリ家に到着したダイを、マリアージュがいかめしさ全開の面持ちで出迎えた。街に下りる自分たちを見送ったときと、寸分違わぬ位置である。まるで、あの時から動いていないかのように。
「マリアージュ様、まさか」
「ずっとここで待ってたのか、なんてボケたこというと張り倒すわよ」
予想通りのことを口にしようとしていましたとは、馬鹿正直に白状出来ない。ダイは視線を泳がせながら、唇を引き結んだ。
腕を組んだマリアージュが鼻を鳴らして視線を動かす。その胡桃色の双眸が捉えたものは、ダイの斜め後方に控えている男の姿だった。
「……こいつ誰? ヒースは?」
これ以上誰も降りてくる気配のない馬車を一瞥した彼女は、眉間に深く皺を刻む。
一方、初対面で正面から指差され、ダダンも気分を害したらしい。ダイの背後で彼は不快そうに唸った。
「躾のなってねぇお嬢さんだ。こいつ誰、はこっちの台詞だ。訊くにしたって、のっけから指差すこたぁねぇだろ」
「ダイ、なんなの? このむさい男」
「ダイ、まさかこいつがミズウィーリ家のお姫様だとかいわねぇだろうな」
「えーっと」
間に挟まれたダイは、主神に助けを求めて天を仰いだ。
マリアージュはダダンの身奇麗とはいえぬ様相に嫌悪感を隠さない。露骨に倦厭を突きつけられた割にダダンは平然とした態度をとっているものの、不愉快そうな表情を隠そうとはしなかった。
出会って早々穏やかざる雰囲気を漂わせる二人に、背中を伝う冷たいものを感じながら、ダイはひとまず互いを紹介する。
「マリアージュ様、こっちはダダンです。護衛で付いてきてもらいました。詳しくは後で説明いたします。ダダン、こっちはマリアージュ様、ミズウィーリ家のご当主で、女王候補のお一人です」
しかしダイのその声は、ミズウィーリ家の広い玄関先でむなしく木霊するのみだった。
「……で、ヒースはどこなの?」
マリアージュは紹介を無視し、ダイと共に出かけた男を捜して辺りを見回した。
ダダンを視界から排そうとするマリアージュの様子に、ダイは肩を落とす。
「リヴォート様はアリシュエル様を探しに行かれました」
「それはあんたも一緒でしょうが。何一人でのこのこ帰って来てんのよ」
「それは――……」
「アリシュエルの姫さんのいそうな場所の見当が付いたからその報告だ」
ダイに先んじてダダンが答える。ぎょっとなって振り返った先では、ダダンが嘲笑を浮かべていた。
「阿呆な姫さんだなぁ。ダイの話、最後まで話聞けよ」
「あ、ほ、ですって……?」
これはまずい兆候だ。
「あぁあぁ、あの、マリアージュ様……」
「ダイ!!!!」
「はいぃいいっ!!!」
憤怒の色に顔を染めていくマリアージュにダイは直立して応じた。再度ダダンをびしりと指差した主人は、地団駄を踏んで叫ぶ。
「この男を追い出しなさい!!!!」
「いいい、いえ、でも、ですね、マリアージュ様」
「でもじゃない!! 今すぐ!!!」
「ダダンっ!」
ダイは内心悲鳴を上げて彼の上腕を掴み、彼の身体を引き寄せた。声を潜めて懇願する。
「今すぐマリアージュ様に謝ってくださいよ!」
「いや気にくわねぇんだったら最後まで俺を無視しときゃいい話だろ。別に俺今から帰ってもいいし」
「そういうわけにもいかないでしょう!! 困ります!」
ヒースがダダンを自分に付けたのはもちろん護衛としてだ。しかしそれだけではなく、報告の補助としての役割を見込んでのことだろう。ダイもまた彼なしに、状況を上手く説明できる気がしなかった。ダダンがいてくれなければ困る。
「ダイ! なにこそこそ話してるのよ!!」
「うっさい姫さんだなぁ」
ダイの腕を振り払いながら身体を起こしたダダンは、呆れた眼差しをマリアージュに向けた。痒い、と呻きながら耳に指を突っ込む。
「もう少しおしとやかにしてりゃ礼儀ってもんを見せるのによ」
「ああぁあんたね! 耳ほじらない! 汚らわしい!」
「悪かったな」
引き抜いた小指にふっと息を吹きかけて、ダダンは笑った。
「俺は育ちがなってないんでなぁ。けどまぁ、初対面の人間に突然誰こいつなんてほざく姫君も、育ちが知れるよな」
「うっさい馬鹿黙れ!」
「もう、マリアージュ様もダダンも、いい加減にしてくださいよ!!」
頂点に達した苛立ちに突き動かされ、ダイは足を踏み鳴らして腹の底から二人に叫んだ。
大体二人とも、現状を把握しているのだろうか。事は急ぐのに玄関先で言い合いなど、いつまでも続けていて欲しくはない。隅に控える侍女たちが目を丸めているではないか。一刻も早く報告を済ませ、ヒースたちに応援を遣りたいというのに。
「マリアージュ様、ダダンに言いたいこと色々あるかとは思いますけど一刻を争うんです。どのお部屋でご報告させていただいたらよろしいですか!?」
語調を強めてまくし立てる。マリアージュは気圧されたのか上半身を僅かに引いて、そうねと呻いた。
「お、応接間へ」
「わかりました」
「ダイ……あんたその男も連れて行く気?」
「当然です」
ダイは断言した。
「私もご報告しますけど、私、しゃべるの下手なのできちんとできる気がしないです」
ダダンがいないと、要点を上手く纏められそうにない。
マリアージュが気疲れした様子で肩を落とした。
「……あんた、それ胸張って自慢するようなことじゃないわよ」
「自慢してないです。事実を言っただけです。……ってもう、どうだっていいじゃないですかそんなこと!」
「がはははははははっ!!」
一体何がおかしかったのか、突如腹を抱えて笑い始めたダダンを、ダイはじろりと睨み付ける。
「ダダン」
彼も彼だ。もう少し、場の空気というものを読んでほしい。
顔を引き攣らせて動きを止めた男に満足し、ダイはマリアージュに向き直った。
「それじゃぁ参りましょう、マリアージュ様。色々、急がなくちゃいけないんですから」
水の音が、聞こえる。
大地を這う、水の音。
男の心音を感じる穏やかなひと時が好きだった。男の腕の中で眠るとき、清冽な水の香りがしていた。水の音は、それを思い起こさせる。
青い花弁が揺れる場所で。
彼女は眠りについていた。
応接間ではガートルード家当主夫人が長椅子に腰掛けて待っていた。まだいたのか。驚きから立ち竦むダイを、マリアージュが紹介する。
「ルディア夫人、こちらは私の化粧師……と、今回の関係者です。……二人とも、こちらはルディア・ガートルード様。粗相の無いように」
マリアージュに頷き返し、ダイはルディアに礼をとった。
「初めまして、ダイと申します」
「ダダンです」
椅子から腰を上げたルディアは、ダダンの風貌に嫌悪を示すわけでもなく、ゆったりと微笑んで丁寧に一礼する。余裕あるルディアの態度に、彼はいたく感心した様子だった。マリアージュもダダンの存在を受け入れたルディアに驚いたらしい。瞠目している。そんな彼女に、ダダンがこれが正しい応対だとまた噛み付いていきそうな様子を見せた。
牽制の意味を込めて、ダイはダダンの足を思いっきり踏み抜く。
「……お前って、思ったより過激なことするやつだよな」
低い呻きを、ダイは右から左へ聞き流した。
挨拶もそこそこに席に着いて早速、ダイはロウエンとアリシュエルに関った経緯を、掻い摘んで話した。ロウエンに恋人がいたこと。アリシュエルに化粧をしたとき、そのロウエンの恋人が彼女であると偶然知ってしまったということ。以後、彼らがどうなったのかずっと知らなかったということ。
手紙のことは、ヒースの忠告に従って話さなかった。
続けて現在の状況を説明する。ロウエンがアリシュエルの居場所に心当たりがあったこと。彼とヒースが、一足先にそちらへ向かったこと。
焦燥からしどろもどろになりがちなダイを、ダダンが補足し導いて、報告を終えた。時間は、四半刻もなかっただろう。
「わかりました」
ルディアは衣服の裾を引いて立ち上がり、マリアージュに向き直った。
「長居をしてしまい大変申し訳ありませんでした。私は屋敷に戻ろうと思います」
「……どうなさるの?」
「どちらが早く娘を保護できるか、夫と競わなければなりませんね。リヴォート氏の安全も確保したいところです」
マリアージュの問いに答えたルディアは、ダイを振り返って微笑む。
「貴方のご友人も、安全に保護しなくては」
「ガートルード家って分裂してるんですか?」
唐突に、ダダンが挙手して口を挟んだ。
「聞いたところじゃあなたはご当主の言いなりだって話だった。奥方、あなた個人で動かせる人間がいると?」
彼の不躾な問いに、マリアージュは青筋を立て、ダイは肌を粟立てる。一方、質問を受けた当のルディアの表情は、涼しげだった。
「大勢屋敷に勤めているのです。中には私の味方をしてくれるものもいるのですよ」
謙遜していうが、ルディアの笑みは力強い。それは彼女の指示で動く決して少なくない数の人間が、確実に存在することの証左だ。
ところがルディアは一転して、僅かに表情を曇らせる。
「私にはいても、娘には。……アリシュエルが外の世界に焦がれたのは、そういう子たちが誰も屋敷にいなかったからでしょうね」
母親として、娘を労わる言葉。
息を呑む一同に向けてにこりと微笑んだルディアは、マリアージュに向き直った。
「見送りは結構です」
「え、で、ですが」
「結構です。……ありがとうございました、マリアージュ様。どうぞ二人を労ってあげてくださいませ」
ごきげんよう、と挨拶を述べる婦人に、マリアージュが一礼する。
「……たいした持て成しも出来ずに申し訳ありませんでした。ごきげんよう、ルディア夫人」
ルディアはマリアージュに頷くと衣装の裾を絡げ、部屋の片隅に控えていた従僕を伴い退室していった。
「メイベル、見送りを」
マリアージュが部屋に控えていた侍女に指示を出す。無言で承諾したメイベルは、ルディアたちの後を素早く追って姿を消した。
「うちも何人か人を出すわ」
扉が閉まり急に静けさを増した部屋で、まず口を開いたのはマリアージュだった。
「ガートルード家みたいに何人も人手を割くことできないけど」
「おまえそれルディア夫人に言っておいたほうがいいんじゃないか?」
長椅子の上で体勢を崩してダダンが口を挟む。マリアージュがむっと口先を尖らせた。
「言われなくても言うわよ。回す人数とどこに向かわせるか決めてから!」
「一緒に決めりゃぁよかったんだよ。効率悪い」
「煩いわね!」
「もう、喧嘩はよしてくださいよ!」
いい加減にしてくれと、ダイはげっそりしながら肩を落とした。喧嘩の仲裁に無駄な労力を使ってしまいたくない。
「と、に、か、く、よ!」
すっくと立ち上がったマリアージュは、腰に手を当ててこちらを見下ろしながら宣言した。
「門のあっちも何人かに見回らせるとして……ヒースたちが向かったほうへ、私もいくわよ」
ダイはぎょっと目を剥いた。席から立って反論する。
「マリアージュ様、危ないですよ!」
「うっさいわね! 私はね、アリシュエルを一発叩き倒さないと気がすまないのよ! あの子が最後に私のところに来ていろいろ言うから、私まで巻き込まれちゃったんじゃない!」
「だったら見つかるまでここで待っていればいいじゃないですか!」
「私は今すぐ、即刻に、あの子を叩き倒したいの! だいたいねぇ」
だん、と足を踏み鳴らしてマリアージュは呻く。
「あんなふうに心配してくれる母親だっているのに、何周囲に迷惑掛けまくってるのよあの子は!」
はた、と、ダイは我に返った。
下唇を噛み締める、悔しそうなマリアージュの顔。
あぁそうだ。
マリアージュは母親というものに飢えている節があるのだ。病弱だったという彼女の母親は、彼女に構うことなく遁世したらしいから。
「消えるならこんな大騒ぎにならないようにすればよかったのよ。歌劇の王道よろしく、幸せになりますって書置き一つでもしときなさいよ! 恋人ととっととどっかにいけばよかったんだわ。ばっかじゃない!」
そう言って、マリアージュは拳を振り回す。
彼女の言葉には同意できる。こんなことになるのなら、ロウエンもアリシュエルをさっさと攫っていってしまえばよかったのだ。
しかしマリアージュの意見に賛同できるからといって、はいそうですかと素直に彼女を行かせるわけにもいかぬだろう。
「マリアージュ様。すぐに叩きたいって言ったって、大体、ひ……リヴォート様たちが向かったところに、アリシュエル様が本当にいるかどうかなんてわからないんですよ!?」
「いるわよ。あの子そういう子だもの」
やけに自信たっぷりに断言するマリアージュに、ダイは唖然となった。根拠もへったくれもあったものではない。
こうなれば、彼女は何が何でも行ってしまうに違いない。
そしてミズウィーリ家の誰も、それを止められない。
拳を握って、ダイも宣言した。
「だったら、私も付いていきます」
「おいおいちょっとまてっ!」
だらだらと長椅子に体重を預けていたダダンが、驚いた様子で跳ね起きた。
「お前、あいつからここで大人しくしてろって言われてんだろうが!」
「マリアージュ様が動くのに、なんで私が危険だからってじっとしてる必要があるんですか!」
主人が危険を顧ず出て行くというのに、どうして自分だけがぬくぬく安全な場所で隠れていられるだろう。
「そうよ来るんじゃないわよあんた化粧以外役立たずなんだから!」
その言葉に、かちんと来る。
誰も彼も人を平然と役立たずと宣って。その通りかもしれないが、明言しなくともよいではないか。
怒りに任せてダイは反論した。
「マリアージュ様だって足手まといじゃないですか!」
のこのこと出かけていって、一体彼女が何を手伝えるというのだ。
「あんたねぇ!」
マリアージュが怒りに拳を震わせ、ダイに掴み掛かってくる。
「いい加減にその減らず口どうにかしなさい怒るわよ!」
「ぶぎゃっ! ふぐー! ふぐー!」
マリアージュに両頬を力いっぱい押しつぶされ、ダイは手足をばたばた動かしながら苦痛を訴えた。しかし彼女がダイの要請に応じ、力を緩める気配はない。毎回思うのだが、この細腕のどこにそんな力があるのだろう。顔の骨が歪んでしまいそうだった。
ダイの顔を両手で挟んだまま、マリアージュが唸る。
「あんただって私がこの騒動に巻き込まれた原因のひとつなんだから! どうしてアリシュエルの恋人と友人だったりするのよ! わかってんの!? そこんとこ!」
「ふぐぐぐぐっ!」
そんなことを言われても、仕方がないではないか。自分こそロウエンに叫びたい。何故アリシュエルと恋仲になったりしたのだ。
暴れに暴れてようやくマリアージュの手から解放される。
ダイは頬を撫で擦り、涙目で主張した。
「とにかく、マリアージュ様が行かれるなら私も付いていきますよ! 絶対!」
アリシュエル捜索の手助けにはならないが、マリアージュの暴走は食い止められるはずだ。
「あーくそ。わかったよ」
傍観を決め込んでいたダダンが眉間に手を当て、突如唸った。
「俺がお前ら護衛してやるよ」
「……本当ですか、ダダン?」
ダイの問いに、彼は、あぁ、と頷く。
「ここでお前ら放置したらロウエンに恨まれそうだしな。……で、お姫さんよ」
肩をすくめたダダンは、不満そうに口を噤むマリアージュに向き直った。
「俺の手、借りたくないなんて我侭いうなよ。お前が付いていくって言い出したせいで、人手が足りなくなるんじゃねぇの?」
「……勝手にしなさい」
嘆息して、マリアージュは付け加える。
「賃金は出さないわよ」
「わぁってるよ!」
マリアージュに悪態をついて、ダダンは呻いた。
「タダ働きもいいところだぜ。なんつー貧乏籤だ! くそっ!」