BACK/TOP/NEXT

第八章 討議する執政者 6


 グラハムが眉をひそめた。
「流民どもの動きを把握するだけなら、それこそひとつの国に集中していれば、わかりよいのではないのか?」
「流民の動きを把握し、彼らが引き起こす問題を、最小限に抑える。それが目的です。ひとつの国に流民が流れ込み、その国が負担に耐えきれず、斃れるさまを傍観したいのであれば、共通の規範など無用とわたくしも思います」
 デルリゲイリアの提案は流民問題の負担を分散させて軽くする。ロディマスが示唆すると、グラハムは押し黙った。
 彼に続いてゼクストの宰相が問いを述べる。
「流民の保護はよろしいですが、その費用はどのように?」
「国境警備費のいくらかを流用することで賄えます。……流民相手とはいえ戦闘した場合、決して無傷では終わらない。死傷者への補償や遺族への見舞金、開戦跡地の復興費を考えれば、逆に安上がりな面もあるかと」
「国内に流民を招き入れたとして、その後はどうなりますかな? 流民と元の民。双方の衝突は避けられんでしょう。明らかな火種を国内に抱え込むことにはなりますまいか」
「おっしゃる通りです。が、彼らが入り込むに任せるより、保護してしまえば統制も可能です」
 資料を、と、ロディマスが手元の革を叩く。
 紙を繰る音が場内に響いた。
 ディトラウトが呟く。
「工房の職人たちと徒弟関係を?」
「実例のひとつです。各地の工房に補助金を支給し、流民たちを雇い入れさせる。工房側は国の金で新たな労働力を、流民は当面の職を得ることができます」
 元は城下の裏町でダイの養母たちが行っていた対策だ。狙いは流民の定着と監視である。
 流民は職の斡旋によって、衣、食、住を賄える。彼らを暴力に駆り立てるものは明日への不安だ。その点を解消してやれば、落ち着いて生活する者も多い。
 また、仕事による拘束は、不穏な集会への参加を制限する。彼らが不審な行動をとれば職場の者たちが気づくだろう。
 つまるところ、工房とその関係者を、流民の見張りに雇ったかたちだ。
 ロディマスはさらに説明を続けた。短期的利点。長期的利点。想定される問題点。解決策。
「よいのではないですか?」
 サイアリーズが賛同の意を表した。
「流民による穀倉地帯への被害は、我が国も頭を悩ませている点です。彼らの動きを統制し、負担の偏りを防いで、将来における国崩壊の危険性を下げうるというのなら。……そもそもわたくしどもは、大陸の混迷を防ぐべくこの地に集った。その目的に、テディウス宰相のおっしゃることは、適うのではないでしょうか」
「流民に対して共同で事に当たるというのは、わたくしも賛成いたします」
 ゼクストの女王がサイアリーズに続いて宣言した。
「デルリゲイリア同様、流民の問題は我が国においても無視できないものです。新たに斃れる国がないと言い切れない以上、今後に備えて協力体制を作り上げることは、悪いものではないでしょう」
 ファーリルやドンファンも、ゼムナムとゼクストに同調を示した。
(ここまでは、予定通り)
 マリアージュは息を吐いた。
 この件に関し、ゼムナムを筆頭とした四カ国からは、協調路線を採るという言質を取っている。会議中に交わした質疑応答も、他国の目を意識した上での、確認や念押しに過ぎない。
(残り、三カ国)
 流民保護の原則をこの会議で表明させれば成功。せめてその方向で協議に入るべき、と、発言だけでも、すべての国から引き出したい。
 しかしながら、ドッペルガムとクラン・ハイヴは消極的だった。
「流民が大陸の静穏を脅かしている点については、重々に存じております」
 フォルトゥーナは渋い顔で述べた。
「けれども彼らへといたずらに手を出すのは。もちろん、いずれは、との思いはございますけれど」
 ドッペルガムは森が壁となって流民の侵入を阻んでいる。彼らの保護は百害あって一利なしと感じられるのだろう。検討の余地を残した発言は対外的な面も考えてのことか。
 グラハムとジュノがそれぞれ意見する。
「あれらを保護すべきと思うなら、それぞれですればよいだろう」
「そりゃ、保護したいとはイネカも思ってる。でも、できればほかの国のやつらが寄ってこない方策、考えてほしいんだよなぁ」
 大陸会議を提言した国とは思えぬほど消極的な意見である。
 マリアージュが訝しく思っていると、ジュノが席から身を乗り出し尋ねた。
「ペルフィリアは、どうお考えだい?」
「流民について各国共通の規範を決めるべき、という点には頷けるものがあります」
 ジュノに、というよりも、他の国々に向けて、ディトラウトが口を開く。
「しかしその前に議論すべきことはありませんでしょうか」
「その前に?」
「はい。なにゆえ滅びた国の跡に、民の受け皿となる新たな国府が生まれないのか、という点です」
 ぴり、と。
 会議場内に走った緊張を、マリアージュは気取った。
 だが皆が男の発言のどこに気を張ったのか、マリアージュにはわからなかった。
 先も感じた、疎外感。
 ディトラウトが言葉を続ける。
「ザーリハが滅びて一年が経過しようとしておりますが、それでもかの地は無法地帯。とりまとめる仮王すら立たない。何がかの地を無国府たらしめ、飢えた民を垂れ流し続けるか。皆様もご存知でしょう」
「何をおっしゃりたいの?」
「未来(さき)へ進まんとするこの西の獣を、縛り付ける鎖をいまこそ解くべきでは。という、お話ですよ、ロヴィーサ女王」
 怯えるように尋ねるファーリルの女王に、セレネスティは優しげに微笑みかけた。
「そもそも現在の混乱の多くは、玉座に在るは聖女の末であるべし、とする、古くからの慣習によるものです。それは、我が国を深く傷つけた」
 先代の女王が崩御した折、ペルフィリアでは次期女王になりうる子女の虐殺が起こった。
 それを踏まえての発言だろう。
「メイゼンブルの崩壊直後は、致し方ないとしましょう。けれどもまだ、そのしがらみが、我々の手足を縛っている。メイゼンブル大公の認めなくば、女王として立つことままならず、聖女に近しい血なきものには、どれほど王の資質が在っても、国を興すことすら許されない」
「それは当然だわ、セレネスティ女王。西の獣は主神からの預かり物。荒れた土地を鎮めた聖女と彼女の系譜にのみ、主神は獣の管理を許すのですよ」
「本当に?」
 セレネスティから質されて、ファーリルの女王が鼻白む。
「……本当に、って……」
「リュミエラ女王。今の大陸の混乱は、聖女の直系たる者によって始まった。聖女の血族は平穏であった国になだれ込み、メイゼンブル公家に近しい血の者が王となる、その縛りを大義名分に、各地の後継者争いに横やりを入れて、おびただしいまでの無辜の血を流させた。その一方で聖女の血族を失った国は祝福なき土地として見放し、かといって新たな王を認めもしない……。これらはすべて、聖女の系譜によるもの。ここまでの傍若無人ぶりを、まぼろばの地におわす主神と聖女は、今後もお許しになると、あなたはおっしゃる?」
 沈黙が、落ちた。
「ペルフィリアは提言いたします」
 セレネスティに代わって、ディトラウトが宣言する。
「各国の治世を煩わせる根本を切り離す……。政教分離の原則を、採択することを」
 一石を投じられた水面のように。
 場内は徐々にざわめいていった。
 無反応な者。薄ら笑いを浮かべる者。理解できないと頭を振る者。自国の者たち同士で相談し合う者。
 マリアージュはロディマスに顔を寄せた。
「ロディ、あのふたりはいったい、何を言っていたの?」
「え? 何って……だから、これまでの慣習をすべて切って捨てろってことで」
「それはわかるわ」
 マリアージュは苛立ちごと声量を押し殺した。
 ペルフィリアと各国のやりとりを聞きながら抱いた、いくつかの疑問点が脳裏で渦を巻く。
「私が訊きたいのは……どの国も即位にメイゼンブル大公の承認が、まだ必要なのかってこと」
 ダイから聞いた。
 ゼムナムには、その慣習がある。
 ゆえにヘラルド・アバスカルは大公アルマルディと面識のないアクセリナを、真の女王として認めていなかった。
 ロディマスが頭を振って答える。
「いくつかの国ではそうだと聞いているけれど、すべてかどうかまでは」
「メイゼンブルはもう滅びた国なのよ。どうしてやめないのよ?」
「簡単にはやめられないよ」
「もう十八年よ?」
「じゃあ君は女王選の条件を変えることができるかい?」
 マリアージュも経た、女王選出の儀。
 候補者の条件はメイゼンブル公家と縁戚であることだ。マリアージュも例に漏れない。
 だからこそ、皆、納得した。
 癇癪持ちの無能な娘が、女王選出の儀に参加したことを。
 王冠を戴いたことを。
 かの家の存在を政治から切り離すことは、自分たちが玉座に在る正当性をゆるがすことにも通ずる。
「イェルニ宰相は、何をおっしゃっているかおわかりなのかな?」
「もちろんですよ、カレスティア宰相。我が国の提言が、われわれ執政者自身に弓引くものであることは承知です。しかし現行の慣習には限界がある」
「呪われるぞ」
 ファーリルの宰相がぽつりと呟いた。
 ディトラウトが嫣然と微笑み断言する。
「呪われません――御身に捧げられる信仰心が、国を荒らすとお知りになれば、それこそ聖女はお嘆きになるでしょうね」
 女王や宰相たちの顔から色が失われる。
 マリアージュもまた、吐き気を覚えていた。
 イェルニ兄妹の畏れを知らない発言におののいているからではない。
 ほかの女王たちと自分の信仰心の厚さに、あまりの差があることに対してである。
 マリアージュはディトラウトの意見に賛同できてしまう。
 メイゼンブルの――聖女の血は、この場に集う女王たちが執政することの正しさを、確かに保証する。
 しかしそれはもはや永続的なものではない。
 続けてはならない。
 すでに弊害が出ているというのなら。
 マリアージュはディトラウトに問うた。
「イェルニ宰相。あなたは、西岸北部に無国府状態が続くのは、メイゼンブル公家の血を継ぐ者がいないから、と、言われたわね」
「申し上げました」
「その血がなければ、王の資質があっても、国を興せない点が問題だとも言った……」
 ディトラウトの発言を整理し、マリアージュは言葉を紡いだ。
「もしかして、だれかいるの? メイゼンブルの血を継いではいないけれど、女王にふさわしいと思われる人物が」
 皆が一斉に顔を起こす。
 ディトラウトは薄く笑って肯んじた。
「ひとりは先王の寵臣です。非常に聡いことで有名だったと。しかしながら平民上がり。メイゼンブルの血は一滴たりとも流れていない」
「ひとりは?」
 複数人いるのか、と、マリアージュは尋ねた。
「……もうひとりは、先王の外戚です。メイゼンブルとも血縁がある」
「どうして彼女が即位しない?」
「その方は、男です」
 ディトラウトがゼクストの宰相に回答する。
 彼女は不快そうに眉をひそめた。
「男に王位はあり得ない」
「資質があっても?」
「国が滅びる」
「何を根拠に」
「呪いが」
「その考え方が、政治的な正しい判断を阻害していると、申し上げているのですよ」
 ディトラウトは嘲るように言い放った。
「ふたりのいずれか一方を、われわれ全員が後押しすれば、西岸北部は落ち着きを見せ始めることでしょう」
「イェルニ宰相は、神を、畏れておられないの?」
「畏れておりますよ。陛下も、わたくしも」
 躊躇いがちに問うドンファンの女王にディトラウトは即答した。
「ただ、呪いを信じていないだけです」
 聖女の血がなかろうと、男として生まれていようと、国を善く治めんとする者の頭上に、主神と聖女が神罰を下すはずはない。
 ディトラウトは言い切った。
「どうにかしてザーリハの件をやりすごしても、同様の状況は今後、必ず現れる。根本を見直さなければ、この西の獣に安寧はない。……根治療法に取り組んだ上で、えぇ、取りこぼされる問題につきましては、ペルフィリアは喜んで協力いたしますよ。……もちろん、流民に関しても」
 場内は紛糾した。
 とりわけメイゼンブルの正統な流れを汲む、西岸南部の三カ国は強い拒絶を表した。
 サイアリーズは冷静だが、苦い表情を隠さなかった。
「クランは、ペルフィリアに、同意する」
 イネカが口を開いた。
 ペルフィリアとクラン・ハイヴは敵対関係にあると見なされている。それがこうもすんなりと、同調するとは意外だった。
「ドッペルガムも、ペルフィリアがおっしゃる方向へ、動くことはやぶさかではないわ」
 イネカに続いてフォルトゥーナが述べる。
「後ろ盾のない身で国を興すのは、多くの辛苦を伴う。わたくしたちの考え方ひとつで、それが変わるなら」
「イェルニ宰相のおっしゃることには、一理あるやもしれない」
 サイアリーズが婉曲的に否定の意を示した。
「でも時期尚早と、私は感じる。一朝一夕にできることでもない」
「難しいことは承知しておりますし、各国にこれまでの政治のあり方をにわかに変えろとも、申し上げてはいない」
「他国の玉座に新しい者が就くことを、まずは認めてはどうか。ペルフィリアはそう提案しているだけだよ」
 聞き分けのない子どもに諭すように、セレネスティが柔らかな声で言った。
「……デルリゲイリアは、どうお考えかしら?」
 ドンファンの女王が平静さを装った声音で問う。
「わたくしは――……」
 マリアージュは言い止した。
 正直なところ、困惑している。
 ペルフィリアの提案を、マリアージュはある意味、正しいと感じている。
(だいたい、各国の女王がメイゼンブルの血統なのは、呪いなんかじゃなくて)
 かの国との関係を強固にする、政略的な目的ではなかったか。
 ならば新たに立つ女王がメイゼンブルの血統から外れていたとしてもかまわないだろう。
 一方で、安易に肯定すべきものではないとも感じる。
 ドンファン、ゼクスト、ファーリルの皆々は、畏れとも怒りともつかぬ感情に、血の気を失っている。ペルフィリアの発言を冒涜的だと叫び出してもおかしくない顔色だ。
 理性的な彼女たちですら、そうなのだ。
 ペルフィリアの提案に取り組んだとしよう。
 大陸西岸の混乱は収束を見るかもしれない。
 けれども大陸全土に更なる騒乱を呼びはしまいか。
「マリアージュ女王陛下」
 サイアリーズの呼びかけに、マリアージュは我に返った。
 彼女を見つめ返して思い出す。
 サイアリーズの伯父たるヘラルドは、彼の信ずる正統な血筋を玉座に据えるためならば、アクセリナを弑さんとすらした。サイアリーズは魔の公国の影響を、厭わしいもののように論じていた。それを排除せず重んじる姿勢すら見せるからには、それなりの理由があるのだ。
 何よりもゼムナムは約束通り、デルリゲイリアの提案を推挙した。
 デルリゲイリアは報いなければならない。
「この件に関しては、いますぐ決断できることではない、と、わたくしは思います」
 マリアージュは素直に心情を吐露した。
「聖女との絆の深さは各国によって異なるようです。その古き絆が真に大陸を荒らすならば、その在りようを議論することは必要でしょう。けれど、人の信仰とは……繊細な問題だわ。それこそ、流民に対する規範よりも」
 マリアージュはフォルトゥーナとイネカの席に視線を巡らせた。
 フォルトゥーナはやや不快そうに身じろぎした。イネカは相変わらず仮面のごとき無表情だ。
「マリアージュ女王のおっしゃる通りです。人の心と、その国の歴史にもかかわるのです。そう簡単に切り離せるものではありません」
 マリアージュの意見から追い風を得たとばかりにファーリルの女王が反論する。続いて、ゼクストも女王と宰相が攻勢に出る。ドンファンもやんわりとではあるが、ペルフィリアへの批難を隠さなかった。
 場内がにわかに騒々しくなって、マリアージュは呆気にとられた。
(なんだか……急に元気になったわね)
 唯一、サイアリーズだけが沈黙を保っている。
 マリアージュはゼムナムの席を見た。
 辛抱強く会議の進行を追うアクセリナに、サイアリーズは労いの言葉を囁いている。
 マリアージュからの視線を感じたか。ゼムナムの宰相が振り返る。
 満足そうな微笑。
 マリアージュは直感した。
(……この女)
 ペルフィリアが政教分離を持ち出すと、サイアリーズは知っていたのだ。
 マリアージュはディトラウトに視線を移した。
 ペルフィリアの宰相もまた微笑んでいる。
 ただしゼムナム宰相とは異なる。
 その胸中を悟らせない、昏く冷たい、微笑だった。



 ――結局。
 会議は予定の時間を大幅に超過して終了した。
 次の晩餐会まで間もない。女王たちが騎士を伴って退室していく。
 皆の姿が扉の向こうに消えたあとも、マリアージュは席から動かずにいた。
「陛下。……マリアージュ。そろそろ行かないと」
 ロディマスが焦れた様子で囁く。その隣でアッセが案じる声を上げた。
「浮かない顔をしておいでです。……会議の成果にご不満が?」
「そういうんじゃないわよ」
 結果だけをみれば、デルリゲイリアはある程度の収穫を得た。
 全員が議論に疲れ果てたあと、流民に対する共通の規範作りに合意がなされ、今後は外務官たちを通じて作業が行われると決定した。ほかにもいくつかの協定を結ぶに至った。デルリゲイリアに利益のあるものばかりだ。
 けれども。
(なんなのかしら……この、気持ち悪さ)
 幾度も疎外感を感じた。
 価値観からのものだろうか。
 マリアージュは自国でメイゼンブルの影響をさほど感じたことはない。しかし他国でかの国は、正確には、聖女の血は、神格化されすぎている。
「お腹が空いて苛立っている? 疲れたね、陛下」
「空腹……そうね。疲れたわ」
 だから、苛立っているのか。
 それとも、サイアリーズに利用されたからか。
 サイアリーズはマリアージュに、政教分離の原則へ、賛同して欲しくなかったのだ。
 デルリゲイリアの意向にサイアリーズが限りなく便宜を図ったのもそのため。
 彼女はかの国に対抗する布石として、餌を以てデルリゲイリアを動かしたにすぎない。
(ただ……気になるわね)
 味方につけるならそれこそ、クラン・ハイヴでもよかったはず。
 なぜ、デルリゲイリアを選んだのか。
 また、この問いだ。
(……私が細かいだけ?)
 あの男が、雷雨の夜に去ったその日から。
 永遠の命題のように思っている。
「陛下!」
 先に廊下に立つロディマスがマリアージュを呼ぶ。
 マリアージュは卓に手を突いて立ち上がった。
 絹の敷布の滑らかさ、刺繍された国章のかたちを、手のひらに感じる。
 薔薇の紋。花びらは野薔薇のもの。ダイの上着に刺繍されている正式な国章だ。身分を装う輩が現れることを防ぐため、正式な国章は《国章持ち》の上着や、いくつかの式典にしか用いられず、細部がわかりにくいように生地と同色の糸で織られるものと決まっている。
 何げなく絹を撫で――唐突に、ひらめいた。
 抱いていた、疎外感の正体。
 永遠の命題への答えが。
 なぜ、あの男はデルリゲイリアを欲したのか。
 なぜ、デルリゲイリアだったのか。
 なぜ。
 もしかして。
(これが、答えなんじゃ、ないかしら)
 マリアージュは己の腕を抱きながら戦慄した。
 推測が正しいならば、答えはずっと、マリアージュの傍らに、差し出されていたことになる。
 マリアージュは七カ国分の席を見た。
 正しくは、敷布に刻まれた国章を。
 たとえばペルフィリアは、剣と鷲。
 ドッペルガムは剣と樹木。クラン・ハイヴは剣と宝玉と蛇。ゼムナムは剣と蜥蜴。
 残り三カ国も剣と動植物を組み合わせた意匠だ。
 剣は、聖女と共に大陸を平定した騎士アーノルドを表す。
 デルリゲイリアの国章に、剣はない。
 薔薇は、聖女を暗喩する。
 しかしながらその花を、国章の一部とした国は、デルリゲイリアをおいて他に、ただの一カ国もなかったのだ。


BACK/TOP/NEXT