第七章 衝突する探究者 4
「ダイ」
遠くから呼びかけられてダイは振り返った。
「サイア。アクセリナ陛下も」
ユベールとランディ騎士ふたりの間から、距離を詰めるゼムナム女王と宰相が見える。
ダイは歩みを止めて彼女たちに礼をとった。
「もう体調はよろしいのですか? 陛下」
「うむ。……ダイにはめいわく、を、かけた」
「お元気そうなお顔を、拝見できてなによりです」
ヘラルドの死を受けて、アクセリナは寝込んだ。
王母もゼムナムの館に移されて、彼女たちとの接点は薄くなった。その後が聞こえず心配していたのだ。
「きちんとしたお礼には明日にでも伺わせていただくよ」
サイアリーズがダイに告げる。
「テディウス宰相も到着なさったのだろう? ご挨拶もさせて頂きたい。……これほど迷惑を掛けて、なかなか伺うことができず、失礼極まりなく思う……しかしどうしても先にすませたいことがあって」
「すませたいこと?」
ダイが鸚鵡返しに尋ねると、サイアリーズは首肯し、密談に最適な広間の角へ、移動するよう無言で促した。
それぞれ長椅子に腰掛け、《消音》の招力石を灯す。
配置に就いた騎士たちを認めて、サイアリーズがまず口を開いた。
「アルマルディ大公より認定を受けた。アクセリナ様が即位された旨を、本日付けで本国でも告知する。同時に、アクセリナ様はゼムナム女王として大陸会議にも出席なさる」
「それは……おめでとうございます」
とっさに祝辞が口を突いて出たものの、ダイは疑問を抱かずにいられなかった。
アルマルディは小スカナジアの現在の主だ。魔の公国の最後の国主、アッシュバーンの妹である。
「その……認定って?」
「あなたの国は……マリアージュ女王も教会から祝祷を受けただろう?」
「あぁ……あれですか」
女王となることが決まった日。マリアージュは大聖堂にて花冠と外衣を授かった。そして宰相に先導されて絨毯の上を歩いた。
騎士と道の両脇に控える娘たちが、野ばらの花弁を籠から撒いていた。
紺碧の空を舞い踊る白と紅の花弁を、ダイは――あの男とふたりで見た。
「アルマルディ大公にご挨拶に行かなければならないんですか? わざわざ?」
「ゼムナムの慣習のひとつだ。メイゼンブルの大公に拝謁して初めて、女王は真の国主として認められる」
サイアリーズの回答にすべての腑が落ちた。
アクセリナはアルマルディから認められていなかった。だから彼女は“王女”であると、ヘラルドは主張していたのだ。
ただ、意外だった、と、ダイは感想を告げた。
「国の自立を謳うあなたが、その慣習に従うなんて」
「言っただろう? 私とて教会の一教徒だよ。……従えば煩い外野を黙らせることができる。何もかも否定するにはまだ早いさ」
サイアリーズの本音は後半だろう。ヘラルドのような輩は国内にまだいるらしい。
「あぁ、あなたにも会えてよかったな、アルヴィナ」
サイアリーズがダイの傍らに控えるアルヴィナに目を留めた。
「……その節は助かった」
「王命ですもの」
アルヴィナはそれ以上を口にしなかった。
アルヴィナはヘラルドたちの遺体を跡形もなく焼いた。
サイアリーズたちはその依頼を通じて、デルリゲイリアに大きな貸しを作った。
ヘラルドは行方不明として処理される。
そういえば、と、ダイは疑問を述べる。
「アバスカル卿はどうしてあそこがわかったんでしょうね」
「花だよ」
「花?」
「アタラクシア様にと、陛下が摘まれていた花だ」
ヘラルドは花を摘んだ痕跡を調べ上げ、王母の静養場所に見当をつけたらしい。
その周辺でアクセリナを待ち伏せてから、彼女の侍従と魔術師の女は入れ換わった。
アルヴィナが察知した境界線の銀糸の異常も、ヘラルドたちが周辺を往来した結果のようだ。
「……花をかざれば母上がよろこぶと、ヘラルドが言ったのだ」
アクセリナが重い吐息と共に呟いた。
「……ヘラルドは、母上のことをたくさん話してくれた。わからぬことを、教えてくれた。朕には、やさしかったのだ」
「……助けられず、残念でしたか?」
「……わからん……」
女王が力なく頭を振る。
ダイは共感を抱いた。
怒ればいいのか、悲しめばいいのか――アクセリナが抱いているであろう困惑に。
でも、と、アクセリナが口を開く。
「次は……たすけるとおもう」
「……そうですか」
頷いたダイを真っ直ぐ見て、アクセリナが言葉を続ける。
「ダイ、朕はな、わかったのだ。サイアが、つくるといった国。それは、ヘラルドを、助けられる国だ。それで、あとでゆっくり、ヘラルドと話せる国だ。そうだろう?」
きっと、そうだ、と、アクセリナは己に言い聞かせる。
「朕は、今日、ちゃんと女王になった。……朕は、たくさんの命をたすけられる国を、サイアとめざそうと思う。……そうしたら母上も、起きてもしあわせになれるな?」
「はい」
首肯したダイにアクセリナは笑った。
おさない顔。けれども決してあどけないばかりではないと、ダイは思う。
「頑張ってくださいね」
「うん」
「サイアも」
「うん?」
ダイから話を振られたサイアリーズが首をかしげる。
ダイは案じる声音でささやいた。
「身体を労って、末永く陛下を支えてあげてください」
「あぁ……そういうことか。わたしの身体なら心配いらないよ。かなり丈夫なようだから」
サイアリーズが表情を緩めて言った。
ただその右手は左手の甲を撫で擦っている。
ダイは躊躇いながら問うた。
「……その腕も、《朱の海嘯》のときに?」
「うん。逃げるときにね」
あっけらかんとサイアリーズは答える。
「止血の仕方がよくなかった。途中で腐ってしまってね。落とすことになってしまった」
それでも生きていられた点は、運がよかったからに尽きると、サイアリーズは明るく言った。
術式を組み込んだ義手は、ある程度までなら自在に動くという。
けれども細かい動きは不得手のようだし、接続部の疼痛とは一生の付き合いとなる。
ダイは己の腕を掴んだ。無意識だった。
この手を失うなど、考えたくもない。
きっと、発狂してしまう。
化粧をできぬことと同義だから。
ダイは感心して呟いた。
「本当に……よく、挫けませんでしたね」
「いや、最初の半年ぐらいは涙が止まらなかった」
「……くやしくて?」
ダイはそっと尋ねた。
揶揄ではない。かなしいより適切だと、反射的に思ったのだ。
サイアリーズはきょとんとダイを見て、笑った。
「そう、くやしくて。くやしくて、くやしくてね。絶対に生き延びて、うちの国をめちゃくちゃにした、メイゼンブルの寄生虫どもを一掃してやろうと奔走した」
「はぁ。それでどうして宰相になろうと思ったんですか?」
「それはアタラクシアが……」
「アタラクシア様? 会話できたんですか?」
サイアリーズが己の口を塞ぐ。
その渋い表情から察するところ、彼女はダイに話し過ぎたようだ。
ダイは追求を控えたが、サイアリーズは苦笑し、そのまま説明を続けた。
「襲撃を受けてすぐのころに、再会した。私を逃がしたのは彼女だった。まだ、正気だった。……彼女がね、ふがいない王家で申し訳ないと、しきりに謝っていたものだから。絶対にそんなことなかった。あなたが私を助けたから、この国を寄生虫から取り戻せた、いままで以上の豊かな国になったと。……彼女が正気に返ったら、言ってみたくて」
子どもじみているだろう、と、サイアリーズがダイに言った。
「宰相は願いを叶えるのに、最も適した地位だと思うし、私が国章を背負うのは、アタラクシア様と自分への誓いの証だ。……身体を不用意に痛めつける真似はしない。けれども、私には、成したいことがあるからね」
必要なら酷使も厭わぬと、サイアリーズは仄めかす。
そしてその目が笑ってダイを見る。
あなたもそうだろう、と、問いかけるように。
サイアリーズが立ち上がる。会話の終了を告げる合図だ。
彼女はダイを見下ろして、不思議そうな声を上げた。
「それにしても……ダイにはいろいろと、話しすぎてしまうね」
「そうですか?」
「うん。つい、本音を言いたくなるよ」
彼女のそういった台詞は、胡散臭いことこの上ない。
ダイは思わず半眼になった。
「はぁ、さようですか」
「おや、信じていないね?」
「仮に真実だとして……。おそらくそれは、私が化粧師だからでしょう」
サイアリーズが首を捻る。
ダイも席から立って、冗談めかしに続けた。
「素顔を知らずして化粧はできません。相手の本音を探るのが化粧師の習い。……だれも仮面を被ってはいられないんですよ。化粧師(わたくし)たちの前では」
当人の望む仮面を作り上げる。
それこそ化粧師の本分なのだから。
唖然とした表情を浮かべたサイアリーズは、一拍のち、腹を抱えてけたたましく笑った。
「あははははははっ! なるほどね……ダイは私たち為政者の、天敵というわけか!」
ひどい言われようだ。
(なんですか天敵って……)
己れの発言をサイアリーズはいたく気に入ったらしい。
ダイの肩をばしばし叩いて、彼女は天敵だと繰り返した。イスウィルや、めずらしくアクセリナまでも、笑いの止まらぬ宰相を、あわてて諌めるほどだった。
改めてマリアージュを訪うと約束し、彼女たちは次の予定へと向かった。
サイアリーズたちと別れてから、ダイは戻りの指示を皆に出した。
昼はマリアージュたちと館で取る予定だ。ロディマスと情報交換を行う目的もある。彼が不在の折のあれこれに対し、釈明をしなければならないので、ダイの足取りは心なし重かった。
緩慢な歩みに伴って、こつこつ靴音が鳴る。
ひとの出入り激しい広間を離れれば、小スカナジア宮はとても閑静だった。
木肌色の色彩が温かな石灰石の床。薔薇石英の柱。白塗りの壁。厚みのまだらな窓が館内に招く陽は柔らかい。
「――ディータ」
吹き抜けに面した手すりを伝い、二階の廊下を歩いていたダイは、聞き覚えのある声に足を止めた。
階下を見下ろす。小スカナジア宮に到着したばかりと思しき集団が歩いている。
青を基調とする衣装が、彼らの所属を知らせる――デルリゲイリアの隣国、ペルフィリアの者たち。
そのなかに声の主はいた。
赤みの強い栗色の髪をした騎士。
(ゼノ・ファランクス)
マーレンで世話になったペルフィリアの騎士だ。
彼は後ろをゆったり歩く男に何かを物申している。
ふたりは親しいのかもしれない。
男はややうんざりした顔をゼノに向けていた。
金糸の髪と蒼い目を持つ、白皙のペルフィリア宰相。
「……ディトラウト……」
ディトラウト・イェルニ。
思わず零れた名を男が聞きつけたのかはわからない。
騎士の小言から逃れるために、天を仰いだだけかもしれない。
ただ男はふいに顔を上げて、真っ直ぐにダイを見返した。
ほんのひととき。
視線が交錯する。
ほぼ一年ぶりに男の姿を目にした。
均整のとれた体躯や端麗な顔は相変わらず。
真っ直ぐな立ち姿は研いだ鋼を思わせる。まとう空気は触れれば斬れそうなほどに鋭い。
危うい色香すら漂う目元の翳。
その上の蒼の双眸もまた暗い光を宿している。
厳しい目をしている、と、思った。
二階の廊下から自分を見下ろす化粧師は、記憶にあるよりずいぶんと大人びていた。
伸びた髪をひと括りにしている以外は、少年のような出で立ちに変わりはない。
ただ、あどけなさの抜けた顔には、玻璃のごとき硬質さが覗いている。
肌は青褪めて見えるほど、処女雪を思わせて白い。
彼女の月色の瞳に浮かぶ冷厳さが、この一年を表しているようだった。
「ダイ?」
立ち止まったダイを訝しんだか。
傍らのユマが首をかしげた。
「いえ……」
ダイは階下から視線を外して歩き出した。
自然を装って、ゆったりと。
ユマが不審を抱かぬように。
ユマはすぐに付いてきた。
騎士たちもだれも、ダイの視線の先を、追った様子はない。
そのことに安堵を覚えつつ、ダイは強く足を踏み出した。
男の気配を振り切るために。
「ディータ?」
ディトラウトの意識が逸れたことを悟ったらしい。
ゼノが訝しげに眉をひそめる。
「何かあったか?」
「なにも」
ディトラウトは歩みを再開した。文官たちもまた歩調を揃える。
ディトラウトが二階に誰を見出したか。気付いたものはおそらくいない。
瞬く間だったはずだ。
「兄上」
道の先に待っていた王にディトラウトは微笑む。
ここが帰る場所だと、己に知らしめながら。
その日、八か国および十一団体の代表が、すべて小スカナジアに揃った。
――大陸会議の幕開けである。