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21 あと少しだけ

  かたたんこととん。
 フランスへの留学が決まり、いよいよ出立の今日。国際空港行きの特急が、規則正しいリズムを刻んで、自分と叶のふたりを運んでいる。みちるは肩口に寄りかかる叶の体温と重みを感じながら、窓の外を見ていた。線路沿いの桜並木、煙るような薄紅色を、澄んだ空の青が引き立てている。
「フランスって、桜、あるのかな」
「あるらしいよ」
 みちるの口から思わず零れた疑問に、叶が答える。視線を彼の方へ移すと、瞼を閉じたままの、格別きれいな顔がある。
「パリの植物園にさ、桜の名所があるんだってさ」
「よく知ってるね」
「そりゃ調べたからね」
 みちるがこれから行く国のことは。
 叶は、それは熱心にフランスについて調べた。みちるがこれから暮らす小さな町のことや、通う学校や修行する店のこと。生活のささいなことから、治安に法律に。語学の詰め込みと菓子作りの基礎の勉強で頭が爆発しそうだったみちるの代わりに。これだけは読みなよ、と、目の下に隈を作った叶から手渡されたレポート用紙の束は、奈々子も交えて笑いながら読んだ。彼女いわく、「これまでで一番必死に勉強したんじゃないか、叶の奴」だそうな。
 ヴヴ、と、携帯電話が震えて、メールの受信を告げる。みちるの出立の見送りに、車で移動している店長たちからだった。
「店長たち、到着したって」
「空港に? 早」
「まぁ、わたしたちより早く出てたしね……」
 みちるを育ててくれたパン屋の店長たちふたり。妹尾家の面々。猫招館のカップルたち。あと奈々子。彼らは人数が多いからと言って、みちると叶のふたりに特急のチケットを握らせて、車で空港に向かったのである。
 きっと、気を利かせてくれたのだ。
 これからしばらく、わたしたち、少し離れて生きるから。
「叶」
「なに」
「フランスに来てくれる?」
「いつでも」
「いつでもとかじゃなくていいけど」
「いいのかよ」
「パリの桜、ふたりで見たい」
 叶が瞼を上げて、車窓の外を見て、薄紅色の並木に目を眇める。
 彼は笑って、握っていたみちるの手を固く繋ぎなおし、いいよ、と、言った。
「行こう。みちるの作ったお弁当を持ってさ」