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2 喜ばしきことかな

 右僕射の副官が懐妊した。
 だというのに、彼女の夫たるウルは実にいつも通りだった。



「おめでとう?」
「何がですか? カンウ様」
 エイの祝福に、副官は間髪入れずに真顔で問い返す。
 エイは自らの発言に自信を失った。
「えぇっと……キリコ、妊娠したんじゃないの?」
「えぇそうですよ」
 ウルはそれがどうしたと言わんばかりだ。
 念の為、確認する。
「……君の子だよね?」
「はい。第一子になります」
「おめでとう?」
「……あ、これ、祝われるものなんですか。ありがとうございます」
 そう尋ねられると何とも言えない。妊娠が常に喜ばしいものであるとは、エイも思ってはいない。当人たちの事情にもよるだろう。
 だがウルやキリコは、子を望まないのなら、避妊する手立てを双方たやすく手に入れられる。懐妊は子を求める意思表示ととってもいいはずだ。
 ただ、キリコの生家たるミラー家は名家であるので、継嗣を求める圧力が周囲からあったのかもしれない。
 悶々と考えていたエイに、ウルは慌てたように言った。
「あぁ、いえ、私としては喜ばしいことだと思っていますよ。別に子供が疎ましいとかいうものでもありません」
「え? あぁ、そうなの」
 ならば普通に子供ができたということか。
 仲がいいのか悪いのかわからない夫婦である。
「よかったね」
 と再度祝福するエイに、はい、とウルは微笑んだ。
「最近、つわりで大人しいですからね。まったくもって喜ばしいですよ」
「……うん?」
 何か、喜ぶ点がずれていないだろうか。
 首を傾げるエイに、部下は拳を作って力説する。
「本当にアレは口から生まれてきたんじゃないですかと思うぐらいにうるさいですしやかましいですしもう少し静かにできないものかと常々思ってたんですが最近妊娠したせいでつわりがひどくて口を噤んでくださるのでまっこと助かってますさっさと腹が出っ張って動けなくなって一日中寝台の上に横になってればいいのに。
  一息に捲し立てる副官に、エイは曖昧に頷いた。
「……はぁ」
「ウル!」
 乱入する甲高い声に、エイはぎょっとなった。いつの間にか扉の全開した部屋の入口に、件のキリコが立っている。資料を小脇に抱えた彼女は戸口で一礼し、ずかずかと部屋に踏み込んできた。
「失礼いたしますカンウ様……ちょっとウル! アンタ何変なことカンウ様に吹き込んでんの!?」
「用がないなら立ち去ってはいかがですか? ミラー嬢」
「用事はキチンとありましてよ、マキート殿? だからアンタちょっと邪魔!」
「要件は私がまず伺いましょうか? つまらない用事だったら叩きだしますよ?」
「つまらなくても用事は用事なんですー!」
 そのまま二人は、ぎゃぁぎゃぁとつまらぬ口論を続けていく。
 エイは机に両肘を突き、組んだ手に額を押し当ててげんなり呻いた。
「……ふたりとも、仲がいいのはわかるけど、夫婦喧嘩ならどこかよそでやって……」
 ちなみにその痴話喧嘩は、右僕射が戻りの遅い副官を迎えに来るまで続いた。