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番外 DEAR MINE


 雪嵐の節の間、トキオ・リオ・キトに宿泊していた男が、元々身を寄せていた一団を見送って宿に残っている。
 その話を弟が口にしたのは節が終わって既に一月も経った後のことだった。
「あぁ? なんだそれは」
「モニカさんが目当てらしいですね」
 アレクが目を通した書類を指で繰っていきながら、リシュオは言う。
「婿入りして宿の旦那に収まるのではともっぱらの噂ですよ。兄上、ご存知なかったんですか?」
「知らん!」
「じゃぁ皆、恐れ多くて口に出来なかったか、兄上を気遣って口にしなかったかのどちらかですね」
 いい雰囲気らしいですよ、と弟は穏やかに微笑んだ。
「問題ありません。お疲れ様でした」
 弟による書類の確認が終わったことを合図とし、アレクは勢いよく立ち上がる。
「ちょっと街にいくぞ」
「えぇ、いってらっしゃいませ」


 兄を見送って、リシュオは嘆息した。
「まだ進展ないって、どうなんだろうね」
 ちなみにアレクが即位して、三年が経っている。最初は即位のごたごたで、と思ってはいたが、身辺穏やかな今となっては晩生もいいところだ。
 横で様子を見ていたハルマンが苦笑する。
「陛下は不器用であらせられますからなぁ」
「モニカもね……。困るんだよねぇ。兄上たちがきちんと納まってくれないと、僕が結婚できない」
 個人的にいえば、かなり深刻なのだ。
 再び深く息を吐くリシュオに、ハルマンは心底から同情している顔をした。
「お疲れ様です」



(おとこ、だと!?)
 腹を立てながらアレクは雪道を歩いていた。いくらひとつの国とはいえ、小さな街ほどの規模しかないガヤでは、王も普通に歩いて移動する。
 腹が立っている。無性に腹が立つ。十日ほどまえ、トキオ・リオ・キトに顔出しをした際に、彼女が何も言わなかったからだ。そうだ。それで腹が立っているのだ。
 今回あの宿に足を運ぶのは、モニカに傾倒しているという物好きな男を見物するために他ならない。そう。それだけだ。
(それだけだ。それだけだからな!)
 胸中で繰り返して、宿の玄関を乱暴に開ける。
 と、目の前の玄関広間の中心に、モニカの姿があった。
 箒とちりとりを手にしているところをみると、掃除中らしい。彼女は背を伸ばして、顔を綻ばせた。
「あらアレク。珍しいじゃない。こんな時間に」
 空はいつも通り太陽の影のかたちもないが、時間は昼時。言われてみればこのような時間帯にモニカの宿を訪れることはここのところご無沙汰だった。今日は暇なのか、モニカの対応にも余裕がある。機嫌よさそうににこにこと応対してくるモニカにずかずか歩み寄り――アレクは何を言うべきかまごついた。
「なぁに、どうしたの?」
「お、おまー」
「モニカさん、終わりましたよ」
 割り込んできた声に息を呑む。
 モニカと同じように箒とちりとりを持って現れたのは若い男だった。知らぬ顔だ。この小さな国では民人一人ひとりの顔も割れているから、よそ者はすぐわかる。
「あーありがとうございます」
 いつになく柔らかく微笑むモニカにたじろいでいたアレクは、さらに次の瞬間に勢いを削がれることになった。
「あぁ! あなたはもしや王陛下では!」
 箒とちりとりを放り出し、駆け寄ってきた青年は人懐っこい顔で笑いかけてくる。彼は軽くぱたぱたと身体の埃を叩いて背筋を正すと、丁寧に一礼した。
「お初にお目にかかります。グレリオです。このような場所で拝謁できて誠に光栄です、陛下」
「あ、あぁ……」
「こんなところで普通に会えてしまうっていうのがこの国の本当にいいところですよね! 光栄だなぁ!」
 偽りではなく心からのものとわかる、厭味なく響く言葉に当惑する。黙りこくっていると、モニカが苛立ったようにアレクの頭を叩いた。
「おま! おまえはどうしていっつもそうなんだ暴力女!」
「うっさいわね! ここは私の城って言ってるでしょ!? 礼儀のなってないものには遠慮しないわよ! 挨拶されたんだから挨拶しかえしなさい! 子供か! あんたは!」
「も、もにかさん、私は気にしてないですから」
 急に不機嫌に転じたモニカを、グレリオがなだめる。
 その光景に眉をひそめ、アレクは踵を返した。
「あ、アレク! ちょっとまちなさ」
 潜り抜けた扉を乱暴に閉じる。
 そのまま、森へと向かった。



「それで妾のもとにきたのかぇ? こどもだの」
 円卓に頬杖を付くアマランスは心底呆れた眼差しを投げかけてくる。彼女だけではない。がらごろと茶器一式の載った台車を引いてきたメス狼もまた実に人間臭い仕草で呆れたと暗に告げてくる。長命種の女どころか狼にまで馬鹿にされ、アレクは怒鳴る気も失せて椅子にもたれかかった。
「おや、大人しい。めずらしいこと」
 面白がる様子で口元に手を当てるアマランスに、アレクは沈黙を返した。なんだか、疲れた。特に何をしているわけでもないのだが。
 沈黙し続けるアレクを、どうやら彼女は不憫に思い始めたらしい。
「……そう気を落とす出ない。あの娘があの男と添うと決まったわけではなかろうて」
「あの女が誰と添い遂げようが俺の知ったことか」
「ならば何故そのように気を落としておるのかぇ?」
「そんなことするか! 俺はただ……」
 ただどこまでも、自分が異質なのだと、知っただけだ。
 モニカは生まれたときから傍にいて、それよりも弟のリシュオよりも長く自分の味方だった。だからこそどこか怖くもある。自分の畸形の身体は正当なこの土地の管理者たる証だそうだし、このアマランスが表に出てきてから自分の姿にあれこれ口さがないことをいう輩は減ったものの、誰もが後ろ指を指さなくなったわけではない。氷の帝国に向かうべくこの国を通過する旅人たちが、獣の治める夜の国と、アレクを指してこの国を揶揄し、モニカがきりきり腹を立てていることも知っているのだ。
 グレリオに笑いかけるモニカを見てふと思ったのだ。
 自分では、あんなふうに憂いなく、穏やかに彼女を笑わせることなどできぬだろう。
 あの娘は勝気だが、繊細な部分も多くあり、虚勢を張っているということも知っている。自分たちは似たもの同士なのだ。
「所有するならさっさと主張しておくが得策じゃて」
 アマランスは茶を淹れながら言った。
「何の話だ?」
「所有権の話じゃ。例えばこの土地は妾ら長命種のものじゃ。それは短命種が主張するよりも前に妾の祖がこの土地の所有を主張し、主神に認められたから故のこと。若き王よ。何事もな、認められるか認められんかは別にしても、先手を打たねばならぬ。そうではないかぇ?」
「人と土地は違うだろう」
「同じことよ。ただ土地はここが妾の土地と神に主張する。人は相手に妾のものであると宣誓する。それだけの差であるよ」



 アマランスの森からの帰途。昼を示す街灯が煌々と街並みを照らしている。商店街を抜けるこちらに挨拶を向けてくるが、不機嫌極まりなかったため、返事をする余裕はなかった。
 何故自分は、あの長命種の元へ足を運んだりなどしたのだ――余計に、苛立ちが募っている。さっさと帰って昼寝を決め込めばよかったというのに。
 何故苛立つのかは判らない。だが得体の知れぬ感情は、前方を肩を並べて歩いていたモニカとグレリオを見た瞬間、頂点に達した。
 雪を踏み分けずんずんと歩いて、モニカの肩を強く引く。
 ぎょっとした胡桃色の瞳と目があった。
「ど、どうしたのアレク!?」
 自分をそうやって名前で呼ぶのは、この娘だけだ――昔から。異形と蔑まず、殿下と距離を置くわけでもなく、一個人として傍にあったのは、この娘だけだった。
 この娘だけが、自分に許された心休まる領域だった。
「いいか?」
 息を吸い、彼女の肩をつかむ手に力を込めてアレクは言った。
「お前は俺のものだ! 判ったな!?」
 とりあえず、それだけ主張しておけば、満足である。
 そうだこの女は、というかこの女だけに限らず領民全てだが、自分のものなのだ。自分のあずかり知らぬところでその領域が荒らされるのは、我慢ならない。だから、苛立っていたのだ。
 そうか、と妙に納得する。すっきりした気分だった。
 城に帰るか、と彼女の横をすり抜けると、背後から頭を力いっぱい。
 ぐーで殴られた。
「いっ……! 何するんだこの暴力女!」
「何するはこっちの台詞でしょなんなのあんた突然そんなことこんな街中で叫んでびっくりするじゃない!」
 握りこぶしを作って顔を真っ赤にした娘が肩をいからせて叫ぶ。
「大体私は私のものよ! あんたこの国の領民全てが自分のものだとかって勘違いしてんじゃないの!?」
 図星を指されて、言葉に詰まった。心が読めるのか。この女は。
「だからあんたそんな突拍子もなくて人に気を遣うこともできなくていつまでたっても馬鹿王子のまんまなのよ!」
「俺は王だ!」
「じゃぁ馬鹿王!」
 遠慮も減ったくれもあったものではない。
 往来していた人々は、この喧嘩にまたか、と呆れ顔であったし、グレリオは食料の入った包みを抱えておろおろ立ち竦んでいる。
「もう一度言うわよ!」
 息を切らして、モニカは言った。
「私は私のものよ! あんたのものなんかじゃないんだからね!」
「あぁそうか! それは失礼したな!」
 だん、と足を踏み鳴らして踵を返す。
「待ちなさいよ!」
 勢い込んで城に戻ろうとした自分の腕を、モニカがつかんだ。
「まだなんかあるのか!?」
「あんたこそ好き勝手一方的に言ってさっさとどっかいくんじゃないわよ!」
「一方的にまくし立ててるのはお前のほうだろうが!」
 それに関しては、周囲もうんうんと頷いて同意を示している。
「それで、なんだ!?」
 アレクの追求にモニカはもともと紅潮していた頬をさらに赤くする。
「おいモニカ……」
「私は私のものだけど……」
 こちらの腕を握り締める手に、爪が食い込むほどの力が入っていた。
 泣き出しそうな顔で、モニカは言った。
「あんたがいるっていうなら、半分ぐらいなら、あげてもいいわ。あんたのものに、なってあげてもいい」
 周囲が、沈黙する。
 いるの、いらないの、と尋ねて来る女に、いる、とアレクは答えた。
「俺の、俺だけのものになれ」
 命令に、モニカは苦笑した。
「あんたね、そこは手をとって口付けして、なってくださいってお願いするの。だからいつまでたっても馬鹿のままなのよ」
 ジンを見習え、と遠い国で生きる友人の名を出され、出来るか! とアレクは叫び返す。
 その叫びは、周囲の歓声にかき消された。



 赤ん坊を見下ろし、アレクは渋面になった。
 生まれたての赤ん坊。
 グレリオ、と、その奥方の。
「いやぁ陛下から洗礼をうけるなんて、この子は絶対幸せになりますよ」
 実に嬉しそうに、朗らかに、グレリオは言った。その傍らで若い娘がにこにこと微笑んでいる。彼の妻である。
「……リシュオ」
「はい」
「どういうことだ?」
「はい。どういうこと、とは何ですか? 兄上」
「お前、はめたのか!?」
 モニカとグレリオが、と弟は述べたのではなかったか。だから得たいの知れぬ苛立ちに襲われて街へ降りたというのに――蓋を開けてみれば、真相はなんのことはない。グレリオの妻が出産間近になって、雪嵐の節を終えても外へでることができなくなっただけの話なのだ。
 長逗留する対価として、グレリオはモニカの宿を手伝っていただけ。
「兄上、もうちょっと声を低めないと、赤子が起きてしまいますよ?」
「おーまーえーはーめーたーんーだーなー?」
 その襟元をぎりぎりと締めながら低く呻くと、弟はしれっと言った。
「ジン様が、こうでもしないと兄上は絶対素直にならないとおっしゃって」
 手紙のやり取りは交わしている。祖国に戻って落ち着いた男と弟は、自分達以上にこまめにやりとりしていることも。
「あいつか! あいつなのか! 全ての元凶はあいつなのか!?」
 胡散臭いへらっとした顔を思い出し、拳を振り回してアレクは叫んだ。
「ちょっとアレク! 叫ばない! 赤ん坊おきちゃうでしょ!」
 すぱーんとアレクの頭を叩いて、モニカがいう。だが今は彼女にその痛みを訴える気は起きなかった。水の帝国で妻とよろしくやっているだろう男に向かって叫ぶ。
「お前覚えてろ! いつか殴る!! こっちにきて殴られろ!!!」
「うるさいっていってんでしょ!」
 モニカが再びアレクの頭を殴り倒し、赤子は火の付いたように泣き出し始めた。



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