煙草(白錫と黒曜)


 俺の彼女は煙草というものを毛嫌いしている女が多い。
 俺が極度のヘヴィースモーカーであるにも関わらず。俺のかわいい女たちは、俺が煙草を吸い始めた瞬間に俺に対して顔をしかめる。俺は笑いながら煙草をくわえる。
 今回の彼女も、その、煙草が原因で別れた。どうして嫌だっていうのに吸うのよ。そういう女たちは、煙草を吸わない男を見つけられただろうか。
 努めている会社の屋上にでて、俺は俺に不幸しかもたらさない煙草を吸う。煙を吐いて、しとしとと飽きることなく降り続ける小雨を眺めて、俺はいつも、白い指の、幻影を見るのだ。
 俺の煙草を奪おうとする、白い指の幻影を。



「吸っていいか?」
 高校の屋上で、その女は俺の煙草に手を伸ばしてきた。時期は梅雨。毎日小雨ばかりが降り続け、どこもかしこも灰色に濡れていた。俺は少し目を瞠って、いいよと頷いた。その、俺の加えた煙草を口元へ運ぶ、ほっそりとした手に見惚れていた。
 その女は俺の彼女ではなかった。俺の彼女はもっと女子高校然とした他校の明るい少女。無論、煙草は吸わない。
 俺の煙草を加えて、慣れた仕草で紫煙を吐き出すその女は、学年、いや学校でも飛びぬけた美少女だった。白い肌に淡い茶の髪。それは決して染めているのではない。祖母が北欧の人間だという。彫像のような美しさと、周囲をぞっとさせるような聡明さを持ち合わせ、周囲とは一線を画して女は在った。
 滅多にしゃべることはなかった。たとえ彼女が、クラスメイトと呼ばれる存在であったとしても。人付き合いが悪いわけではなかったが、彼女の領域に、誰も踏み込むことができなかった。彼女は、薄く微笑んで黙っている。俺は、いつもぞっとするようなその薄笑いに恐れをなしながらも、どこか心惹かれていた。
 女が、屋上にいたのは偶然だった。俺が、煙草を吸っていたのも偶然だった。女が煙草を求めたのも戯れだった。
 煙草の臭いを消すために、女はいつも雨の日を選ぶ。俺は雨の日嬉々として、屋上に足を運ぶようになった。
 彼女は煙草の見返りとして俺にほんの少しの会話を許す。
 雨が、しとしとと街を濡らす音に耳を傾けながら、紡がれる、言葉たち。
 俺はそのことで有頂天になるような男でもなかった。ただ、彼女との会話は、雨の日の気だるさと、物悲しさと、傷を指で撫でる優しさでもって俺をいつも包んだ。それは俺に程よい心地よさを与え、俺は、次第に彼女に傾倒していった。俺は恋人との別れを決めた。
 それが、判ったのだろう。
 女は俺に煙草を求めなくなった。煙草を求めないということは、彼女との会話も、なくなっていくというわけで。
 梅雨に始まった関係は密やかに終わった。緩やかに、俺の恋は息の根を止められた。
 

 俺の恋人は俺が高校を卒業するまで、俺の恋人であり続けた。
 別れた理由は、圧倒的に数を増やした、俺の煙草。
 雨の日、決まったようにありえないほどの煙草を吸う俺に、俺の恋人たちはいつも顔をしかめていた。雨の日は屋内にいることが多いから、余計にその本数が目立っていたのだろう。けれど俺はどれだけ忠告されても、その数を減らすことができなかった。
 煙草を吸えば、その横から、白い手が、伸びてくる気がして。
 あの、羊水に浸っていたかのような、どうしようもない安堵と気だるさを、もう一度手に入れたくて。
 煙草を吸いながら、俺は雨と紫煙に霞む視界に対して、瞬きを繰り返す。
 頬を、伝ったのは、雨か。
 ……それとも。