滅びの魔女(裏切りの帝国)


 娼婦というふれこみだったが、お前も見てご覧。すばらしい魔力だ。
 兄はそう言って私にそれを見せた。窓の下には部屋がある。そこに収められているのは傾国の姫君、などと仇名の付く曰くつきの娼婦。招力石の粉を入れて焼いた玻璃に四方を囲まれた部屋で、私とそう年の変わらぬ少女は茫洋とした眼差しを私に向けた。
 背筋が凍りつくような美貌に、私は思わず後ずさる。本来ならばあどけなさばかりが目立つはずの年頃。しかし既に数え切れぬほどの男の情欲に塗れてきただろう少女はどこか淫靡ですらある。そして彼女を取り巻く底の見えぬ魔力。一体何をどうしたらそのように生まれてくるのか。鳥肌を立てて私は少女から目を背けた。
 兄は私にとって最も親しい肉親だったし、私達は一緒に育ち、学び、時に叱られ、庇いあい、秘密をたくさん作ってきた。互いに理解できぬものなどないのだと私はずっと思っていた。
 けれどこの時ばかりは、兄が理解できないと思った。
 いえ、これが兄が私の知る兄からかけ離れていく始まりだった。



 膨大な魔力をその身に宿す少女。兄は足しげく彼女の下に通った。時に少女の魔力を測定し、時にその魔力を使って何かできないかと試行錯誤し、彼女の魔術の基礎を教えようと試み――……しかし少女は無感動な眼差しを兄に投げるだけで、何も答えない。はい、いいえ。その程度。手足を繋がれ、魔力の陣に閉じ込められて無力感にさいなまれているのか。そんなはずは無い。彼女の魔力を以ってすればどの術も容易く打ち破れるだろう。
 少女は大人しかった。時折歌を歌った。か細い歌。兄はそれを壁の傍で盗み聞いては、うっとりと目を閉じていた。


 少女が興味を示さぬのは、自分が単なる学者で、無力なものだからだ。兄はそのように思うようになっていた。兄は少女の眼に写るために躍起になったが、少女は黙って籠に囚われているだけだった。


 この大陸の呪いを打開したい。そのように穏やかにそのように言って、学術以外に興味を示してこなかったあの優しい兄は、やがて権力を求めるようになっていった。元々才覚があったのだ。兄は私よりも聡明で、視野が広く、政治にも長けていた。私の補佐に、と望む声も多くあったのを、権力闘争の渦中にあることを嫌って退いていたはずの兄は、自ら望んでその道に身を投じるようになっていった。
 兄は、菓子を携え、私を訪ねることをしなくなった。
 代わりに、少女の下へと通い詰めた。けれど少女は兄を見なかった。一度たりとも。


 我が可愛い妹よ。
 兄は言った。私を映さぬ目で私を見据えて。
 玉座を私にくれないか。


 母が崩御した日、兄は言った。母が病で急逝したのも、この兄が、と思うようになっていた。私達の国は長らく女王の国だった。男を国主に据えてはならぬという謂れがあった。けれど私は、兄に言った。いいよ兄様。玉座をあげる。
 それで兄が満足するのなら。
 私はこの国を離れようと思っていた。あんな兄を見たくない。どこか静かな土地で暮らしたいと思っていた。
 けれどそれは叶わない。
 兄は玉座に。私はしばらくを離宮で出立の準備をしながら過ごし、いよいよ出発の段になって、兄への挨拶に向かった。
 そのとき。
 魔が、揺らいだ。
 大きく。


 ごぅ、という銀の奔流が人々を飲み込む。悲鳴が聞こえた。暴れ狂った魔に、ある者は気が狂い、ある者は内在魔力ごと肉を引き裂かれ、ある者は畸形となった隣人に食い殺されていった。耐性のないものは次々と血を吐き倒れていく。雷が大地を穿ち、突風が吹き荒れ、紅に染まる私達の国を、魔力は食いつぶし跳ね飛ばしていく。
 まるで、熟れた果実を踏み潰すように。
 圧倒的な魔力は私達の国を叩き壊した。


 炎が舐める城を私は駆けた。曲がりなりにも聖女の血筋。耐性が多少あったのだろう。私はどうにか動くことができた。私の侍女は皆倒れ、魔力の低かったものは真っ先に魔を注がれて畸形となった。悲鳴、怒号、人ならざるものの咆哮。私は兄を探した。この国の王を。


 玻璃の部屋。その中に兄は倒れていた。真っ赤な血が部屋を満たしている。内部から破裂したかのような頭。魔が直撃したのだろう。
 血に汚れた、少女が佇んでいた。
 理解しがたい量の魔をまとって。
 魔女。
 そんな言葉を思い出す。そう、魔女だ。この女は、魔女だったのだ。
 ごう、と炎が吹き上げる。玻璃が割れる。魔女が私を見上げる。彼女は微笑んだ。とけるような柔らかい微笑。
「この魔女め!!」
 私は叫んだ。階下の魔女に向かって。
 魔女は言った。
「えぇ、私は滅びを呼ぶ、魔女なのです」
 忠告はいたしました。
 滅びを招きますが、それでも貴方はよろしいのですか?
 呪いは必ず解ける。そう信じて疑わなかった兄は魔女の忠告を聞き流した。私も聞き流した。それがいけなかったのだ。
 魔女はまた表情を消し、ふらりと裸足の足を動かした。魔女め魔女め魔女め。
「呪われろ!! 永遠に!!」
 私の絶叫に魔女は振り返る。
 そして哀しげに、もう呪われていると、彼女は自嘲の笑みを零したのだった。