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6.

 さぁ、ここまでは全部前置きだよ。
 準備はいいかい?
 ここからが本番。
 ありっこないできっこない無茶苦茶だと思いながら。
 どうにかなってしまった、僕のチキンハートを痛めつける日々の幕開けだ。


「れ、んげ?」
 呻いて硬直する僕を、胡散臭そうに眺めていた新人歌手の女の子は、突如僕を指差して声を上げた。
「あ! あんた押し売り!」
「違う!」
 即座に全力否定した僕に、MARIAのみんなからの視線がざくざく突き刺さる。
「おしうり?」
 鸚鵡返しに呟きながら首を捻った流に、僕は慌てて手を振った。
「ちがうちがう、えーっと」
 どうやって、説明すればいいんだこんな状況。
 というか、誰か僕に説明してくれ、この状況の示す意味を。
 とりあえず、頭の中を整理しよう。
 僕を指差して固まってる子は、聖上華南。僕と同じように、このテレビ番組に出演する新人歌手の一人みたいだ。そして発言から察するに、れんげの部屋を訪ねた僕を、玄関先でぴしゃりと跳ね除けてくれたのが彼女らしい。
 本当に、れんげそっくり。というか、顔かたちの造りは、れんげそのもの。
 膠着状態であった双方の間に横たわる気まずい沈黙を打ち破ったのは、ADの掛け声だった。
「スタンバイお願いします!」


 初めてのテレビ出演は、周囲のフォローのおかげで、どうにか無事幕を閉じた。身体に染み付くぐらい繰り返した練習のおかげで、演奏中に変な音を出さずに済んだし、軽快なロックは耳に新しく、オーディエンスにも受けたみたいだ。この上ない盛り上がりを目の当たりにして、僕を含むMARIAのメンバーはほっと胸を撫で下ろしていた。盛り上げて終わらせるっていうトリの勤めは果たした。どうやら美波さんも少しだけ顔を見せに来ていたらしくて、話をしたカサちゃんが、褒めてたよ! って言ってくれた。
 しかし安心するのはまだ早い。
 問題は、ここからなんだ。
 着替えも終わって、これから打ち上げしようかってみんなは盛り上がってたけど、僕は気もそぞろだった。僕の頭の中は、番組収録前に会ったあの少女のことで一杯だったんだ。
 聖上華南。
 彼女と顔を合わせてからの僅かな間に、僕は出来る限り彼女に関する情報を集めた。歌い始める前のMCのインタビューも、取りこぼしがないように真剣に耳を傾けたし、競演者にそれとなく世間話を持ちかけながら、話を引き出したりした。
 結果、判ったことは、彼女が新人の中でも実力派として注目されている女性シンガーであるということ。勢力を広げていきたいリーズンプロダクションの新しい旗印として売り出し中であること。
 僕らの前に出番だった彼女は、その伸びやかな声量で他を圧倒してみせた。幅広いオクターブ。ポップさで客を引き込み、情緒溢れる歌い方で心を揺さぶる。新人の癖に、とんでもない歌い手だ。
 その彼女が、どうしてれんげと同じ顔で、どうしてれんげのアパートにいたのか。
 薄々気づいてはいるけど、でも確認しておきたい。
「創! お前どこ行くんだよ?」
「トイレ!」
 飲み会に連行される前に、どうにか華南と話をつけなければ。意気込んで廊下に逃げ込んだはいいものの、女性歌手の合同控え室にはさすがに踏み込めなかった。こんなときにも、しっかり発揮される自分の意気地なしが情けない。
いや、意気地なしというか、こんなところで話題提供するのもほら、どうかと思うんだよ。女性控え室に踏み込んで、女性歌手を連れて逃走! 彼らの逃避行には何が! ……スポーツ誌の隅を飾るコネタぐらいにはなりそうだよね。
 うーん、やっぱり踏み込むのはよくない。
 でも、どうすればいいんだろう。
 腕を組んで廊下をうろうろ。あぁ、このままだとMARIAの仲間が僕を呼びに来てしまう。
 そう思ったときだった。
「うぐっ!?」
 襟首を背後から掴まれて、細い通路に引き込まれる。いや、違う。引き倒される、だ。
 明かりのついていない暗い通路のほうに後ろ向きに倒れた僕は、したたかにケツを打ち付けた。
「っ……いったたたたたもが」
 痛みに呻いていた僕の口を、柔らかい小さな手が覆う。ばちっという音がしたから、覆う、というよりも、叩かれてそのまま口を塞がれたっていう感じだ。
 目を白黒させて僕はその手の主を見つめ返す。
「あんた五月蝿い」
 僕の口を覆ったまま、腰に空いているほうの手を当てて呻く少女の名を、僕は胸中で呟いた。
(せいじょう、かなん……)
「そしてうろうろうろうろ、あやしいったらないのよ」
「わ、わるかったね」
 華南の手を押しのけながら、僕は呻く。
「ちょうどいい、僕は君に聞きたいことがあったんだ」
「奇遇ね。私も聞きたいことがあったわよ」
 華南は僕が押しのけた手を僕の襟首に引っ掛けた。ぐい、と力いっぱい僕の襟元を引っ張って、彼女は顔を近づけてくる。見れば見るほど、れんげにそっくり。だけど、浮かべる表情が違う。
 れんげはいつも、にこにこふわふわだ。だけど華南は、なんというか、手負いの猫みたいだった。
 毛を逆立てて、周囲を威嚇している猫。
「あんた、れんげの、何なの?」
 ギブギブ。首絞まっちゃうよ!
 叫ぶことすら出来ずに、僕は襟元の彼女の手を握り締めながら、息絶え絶えに答えた。
「と、ともだち……」
「ともだちぃ!? あの子に男友達がいるなんて、聞いたこともないわよ!」
「じゃ、君は」
 あの子の、何なんだ。
 全く同じ顔のつくりから、導かれる答えなんて、一つしかないけれど。
 案の定、彼女は渋面になりながら、こう答えた。
「私はあの子の、双子の姉よ」
 僕は目を閉じる。
 そして胸中で呟いていた。
 あぁ。
 やっぱりね。


 最初に、れんげは言ってたじゃないか。
 姉が、いるんだって。


 数日後のオフ、僕はれんげのアパートを訪ねた。周囲を軽く窺って玄関の扉を叩く。チャイムは、壊れたままらしいから。
 赤茶けた鉄の扉ががんがんと派手な音を立ててまもなく、開いた扉からぬっと姿を現したのは、れんげ。
 ではなく。
「……はいりなさいよ」
 うん。このぶすっとした声と表情は、どう考えても華南だ。
 唇を引き結んで華南をまじまじ見つめ返す。すると彼女の白い手が、僕の襟首を引っつかんで、僕の身体を玄関の中に引き込んだ。
 勢いあまってすっころんだ僕を、扉を後ろ手で乱暴に閉めた華南は怒鳴りつける。
「いつまでぼさっとしてんのよさっさと入りなさいようっとおしい!」
「仕方ないだろ君が出てくるとか思ってなかったんだから!」
「私だってあんたが客だとか信じたくなかったわよ!」
 あぁもう、と頭に手をやる華南は、僕をまたいで台所と一続きの居間へと進んでいった。
「……れんげは?」
 部屋の中に、僕ら以外の気配はない。
「買い物。……聞いたわよ。晩御飯一緒に食べてるんですって?」
「ときどき、だけど」
「そ」
「君は今日なんでここに?」
 座布団の上に足を崩して座りながら、テーブルの上で開きっぱなしになっている本を読み始めた華南に、僕は尋ねた。
「姉がいたらおかしいわけ?」
「おかしくは、ないけど」
 れんげは、このアパートに一人暮らしなんだって聞いてるし。
「私も晩御飯を一緒に食べにくるの。……ときどき、ね」
 けんか腰の物言いに、むっとなる。
「大体、もうちょっとこっそり来なさいよ。なんでそんな普通のカッコしてくるのよ」
「一応帽子は被ってるし!」
 新人だからそんなにパパラッチとか少ないと思うし、これでも念入りに気配を探りながら来てるんだ。
「サングラスぐらいしてきなさいよ」
「変に顔を隠したら、余計に怪しいだろ!」
 それに、似合わないし。大体、君だってすごく普通の格好じゃないか――パーカートレーナーにジーンズといういでたちの少女に反論しようとした僕は、なんの前触れなく背後で開いた玄関の扉に、飛び上がりかけた。
「うっ、わ!」
「……創君?」
 ぱんぱんに膨らんだスーパーのビニール袋を提げ、玄関を開けたままの格好で、れんげがぱちぱちと大きな目を瞬かせている。僕はしりもちをついた格好のまま、やぁ、とぎこちなく笑みを返した。
「えっと、お邪魔してます」
「いらっしゃい。でも、どうしたの、そんなところに座り込んで……」
「間抜けだからすっころんだのよ」
 テーブルに頬杖をついて読書に励んでいた華南が、口を挟んでくる。そうなの? と無言でれんげは確認を取ってくる。いや、信じないでお願いだから。
 僕は立ち上がって、れんげに手を差し出した。
「片付けるんだよね、袋」
「え? うん」
 彼女からスーパーの袋を奪う。男の僕からしても、かなり重量のある代物だ。一体、何を買い込んだんだろう。
「ありがとう」
「いいけど……何をこんなに」
「今日はお鍋にしようと思って」
 台所の戸棚から、コンロを引き出しながら、れんげは笑った。
「創君と華南、そして私。三人でご飯を食べる、記念すべき一回目だもの」
 僕は思わず、れんげと華南を交互に見やる。読書の手を止めて、ぶすっとした顔でこちらを見ている華南と目が合った。
「知らなかった。華南と創君が、いつの間にか友達になってたなんて」
 友達?
 だれとだれがですか。
 僕の頭の中を、そんな質問がぐるぐるぐるぐる、回っていた。
「今日は、二人の話を聞かせてね」
 きらきらと目を輝かせて笑うれんげに、僕はどうやって彼女の姉と出会った経緯を説明すべきか、頭を抱えたくなった。

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