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10.

「一つ聞かせてもらっていいかな?」
 最初に“始め”の合図を出した奴が、歌い終わった俺に笑いかけた。
「……ありきたりな質問だけど、君はなんでアイドルになりたいんだい?」
 別に、アイドルになりたいわけとはちゃう。
いろんな言い訳を俺は頭ん中で並べた。やけどどうもしっくりくるものが浮かばへん。しゃぁなかった。そんなん、考えてなかったし。
 でも、あえていうなら。
「認めてもらいたい、人がおって」
 金を借りるための、条件その一を満たすため。
「その人に認められる近道なんとちゃうかな、と思って」
「アイドルが?」
「……なかなか、なれるもんとはちゃうと思いますし。それと」
 一番の理由は、めっちゃ簡単。
 俺は真正面を見据えて、さらりと答えた。
「金、ほしかったんです」
 一瞬。
 会場が水を打ったかのように静まり返った。審査員らしき面々も、観客役のKidsらしき奴らも、みんなが揃いに揃って目を白黒させとる。そして次の瞬間、会場を満たしたんは、笑いの渦やった。
 ……いや別に俺、ウケねらってボケたんとちゃうで。ホンマ。
 爆笑はそれから一分間ほど、小さなリハーサルホールを揺るがした。俺はため息をついて、ただ審査員席を見つめる。別に笑われたってえぇ。笑いたい奴は笑っとけ。これが本当の理由なんやからしゃぁないやろが。
 笑いがようやく収まった頃、顔を少し引きつらせた審査員の一人が言ってきた。
「……お金、稼げるとは、限らないよ?」
「そうっすね。これ受かったってデビューできるとは限らへんみたいやし。やけど俺が、アイドルとして、そして俺個人として認められるぐらいになりたいいうことは、金稼げるぐらい仕事もらえるいうことでしょう」
 審査員たちの、目の色が変わった。
 今俺は、値踏みされとる。俺は悠然と構えて俺の価値の判定を待った。
 ほそぼそと交わされる審査員同士の会話。一言二言。面を上げた、審査員の一人が微笑んでいう。
「お疲れ様。これで審査は全て終了だ。出口はあちらだよ。待合室で待っててくれるかな」
 指し示された場所はさっき入ってきたほうと反対側や。俺は軽く頭を下げかけ、ふと会場の隅でひらひら手をふっとる男を見つけた。
 植村尚樹。そしてもう一人、たしか美波とかいう男。
 立ち止まって動きを止めとる俺に、審査員の一人が怪訝そうに声をかけてきよる。
「……増嶋君?」
 俺は我に返った。
「あ、はい……ありがとうございました」
 慌てて頭を上げて、俺は舞台から退室した。とりあえず、柳の容態どんな具合か聞くために、今日病院に来とるはずの先生に電話せなあかへん。
 外には葛西のねえちゃんが待っとって、俺に荷物を手渡しながら、にっこり笑ってこう告げてきよった。
「おめでとう、増嶋君」

「楽しそうな子だと思わない?」
「……お前が見つけてくるのはいつも一癖二癖ある奴ばかりだな」
 嬉々として声をかけると、美波はため息をついてそういった。皮肉は最大の賛辞として受け取っておく。
「合格かな?」
「聞くな。だがまぁ、面白い奴ではあるんじゃないか?」
 美波の、“彼”に対する評価はなかなか悪くはないようだった。彼の口元に浮かべられた、微笑をみるだけでわかる。
「……どうするんだ?お前は」
 上を目指すのか。
 それとも単なる駒で終わるのか。
 自分たちが駒でしかないことなど、当の昔に自覚している。この世界はそういう世界だ。
 植村は、にっこり笑う。
「僕は鈍臭いからね。適当に楽しむよ」
 もともと自分には、大してこの世界に執着はない。面白そうだから入った。その程度で。
 やめろといわれればすぐにでもやめるだろう。
美波は壁から背を離して、扉のほうへと歩き始める。その背中に、からかい半分で植村は声をかけた。
「君はどうするの?」
 美波は振り返って言った。
「未来などわかるか」

 病室は蜂の巣を突っついたかのような大騒ぎだった。
 あれから看護婦が他の看護婦と医師を呼び、さらに話を聞きつけたほかの患者たちが押し掛け、静かで閑散としていた病室は、突如にぎやかなものとなった。
 遠巻きにもみくちゃにされる女を眺めていた神崎は、顎をしゃくって後輩を見つめる。
「……お前が謝ったからか……?」
 同じく隣に並んで女を眺めていた後輩こと、基道が、呆然とした口調で応じた。
「……そんな阿呆な」

 そんな会話が交わされていたなんて、俺はちっとも知らず。
ただ合格したことを先生に告げようとしてナースステーションに電話をかけ。
『……流?』
 聞こえてきた柳の声に、腰を抜かしそうになった。


200X年 初春

「ねえちゃーん。ねえちゃんってばー。始まってしまうやんかー」
「わかっとるわちょっと待ちー」
 蛇口をきゅっと締めて、エプロンで急いで手を拭く。水切りのために皿は少し放置しておいて。後で、子供たちとで一斉に片付けてしまえばいい。
 居間のテレビの前は、子供たちで占領されてしまっている。そのうち何人かは高校中学の衣服に袖を通していた。かつてこの部屋には、子供全てが入りきってしまっていたものだが、今となってはそれは不可能で、何人かは他の部屋に設置されたテレビの前にしがみついている。毎週この時間帯は、必ずそうだ。この時間、家の大黒柱が液晶の向こうに映し出される。
 ふと、彼女は体育座りをして頬を高潮させている少女を見た。高校から帰宅後、洋服に着替えもせずテレビへ身を乗り出している少女。傍らに置かれた学生鞄には、ぬいぐるみのマスコット。
 少女がふと、彼女の方をむいて怪訝そうな顔をした。
「……どうかしたん?ねぇちゃん」
 首をかしげて訊いてくる少女に、彼女は小さく笑って首を横に振った。
「……なんでもない」
 そう。なんでもない。
 どこかでこの光景を見た。それだけのことだ。
 自分がまだ、この少女の年であったころ。
 こんなふうに、まだ自分が笑って生きていることを、思いもしなかった、あの頃に。

「……へぇ。棗さんとは上手くいってるんか」
「まぁいろいろぎこちないこともあるけどそれなりには」
 週一の、レギュラー番組の出番待ち。今日は世間一般様の新しい一年がスタートすることに倣って、ちょっとしたイベント仕立てのために生放送や。セットの裏、壁に背をあずけ水で喉を潤しながら、智紀が控えめに答える。MARIAのヴォーカールであるコイツは、去年の暮れ、突然ほぼ七年弱付き合うとった彼女と別れて、昔の彼女とよりを戻したらしい。くわしいことはまだよう知らへんけど。でもそれ以来大分とっつきやすくなりおった。
 智紀の隣で同じく水を飲んどった創が、そういえば、と口を開く。
「流は奥さん元気?」
「あ?あぁ元気あり余っとるわ。もうちょっとおちつけいいうに。いつまでたってもなんかガキ臭いというかなんというか……」
 病気から回復して、定期的に検診へと行かなくてはならんものの、柳は元気そのものや。資格をとって、今は料理研究家んところでアシスタントの仕事をしとる。家では逆らえるものは誰もおらん孤児たちの母。かつて生死の境をさまよったとはまったく思えへん。いつまでたっても子供っぽさがぬけん。よくいえば、いつまでたっても若い、いうことなんやろうけど。
 ふと俺は、周囲が沈黙しとることに気が付いた。創以外の三人――樹と智紀、そして匡、が目を点にしてあごが外れんばかりに口を開けとる。
「……なんやお前ら。口んなかに拳入るんとちゃうんか?」
「……………け」
「……け?」
 一拍おいて、三人が声を揃えた。
『結婚してたのかよ!!!!!!!』
 ……なんやこいつら。長い付き合いのくせに知らへんかったんかいな。
「こ、声でかいって!」
 創が慌てて三人の口を順番に塞ぐ。このことはそういや一般にはまったく公開されてへんからな。ばれるといろいろやばいこともある。
 空の紙コップを取り落としそうになっていた匡と樹、智紀の三人は顔を見合わせ、声を潜めて交互に質問攻めしてきよった。
「いいいいいい、いつから?」
「は?あーMARIA結成前に籍はいれとった。なんや智紀。でもお前俺に女おるんしっとったやろ」
「しし、知ってはいたけどそりゃ電話してるところ聞いてるから。だけど結婚してるなんて知らなかった!」
「お、奥さん東京に住んでないよね?会ったことないし」
「奈良で孤児の面倒みとるよ。世話しとった先生――神父のおっさんなんやけど、いきなり家出つっか姿けしてもうたから、他に面倒みるやつがおらんてなぁ。奈良に残るしかなかってん」
「え、じゃぁもしかして週一で奈良に帰ってるのって実家に帰ってるわけじゃなく」
「俺親とは縁切れとるもん。大体なんでそんなに頻繁に親に会いにいかなあかへんねんもし縁切れてのうても」
「………きぃてないいいいいいい!」
「……聞かれへんかったしな。そういや」
 ちなみに俺はきちんと四人分の状況把握しとるで。リーダーやし。
いかに他の奴らが自分のことでいっぱいいっぱいなんかが、良う判るわな。俺も自分のことで手一杯意なことは確かやけれど、それでも大分、周囲を見回す余裕はでてきた。
 ……とかいうと自分が年取ったことをなんかしみじみと感じるわ。
 まだ三十代やけど。
 目くじら立てた匡が、創に詰め寄る。
「なんで創は知ってるんだ!」
「え?あぁちょっと昔いろいろ奥さんに世話になって……」
「スタンバイお願いしまーす!」
「ほらお前ら始まるで」
 俺はこめかみを押さえながら、四人に声をかけた。なんか俺同じことばかりやっとらへんか?年食っても人間的に成長できてるんか危ういところやで。
 あの、蓮子さんに認められる、いうんはなかなか難しいことで、結局どうなったんかまだ判らへんままで。
 とりあえず金は全て払い終えたんやけど、まだ年に二度、報告だけにはくるように、とのお達しや。きっとまだまだ認める域には達してない、いうこっちゃろう。あの人の要求してくるハードル高いねんもん。
 でもたぶんきっと。
「ということで今日の夜、飲み会な?」
「オイ俺明日早朝からロケはいっとるんやけど」
「リーダー。俺たちに大事なこと黙ってたバツっすよー。ていうわけでオゴリだから流」
「おっし暴露大会暴露大会」
「……新曲歌うのにミスるなよー樹」
 まぁそこそこマシな人間になっとるんちゃうかな、とは思う。
もう、毎日をつまらん思うことは、なくなったから。
 テレビカメラの回るステージに上ることがたとえこの先のうなったとしても、俺という存在は澱むことがない。

 水に河の流れを指し示す、しなやかに揺れる枝葉のように。

「おぉー。始まったー」
「ねぇ今日新曲やるんやろー。CD送ってくれへんかなー」
「送ってもらったらちゃんと兄ちゃんに礼いえや。お前いっつも貰ったら貰いっぱなしで」
「なんなんよー。あんたやっていっつも」
「しっ……お前らうるさいで!」
 横で口論する少年少女たちに苦笑しながら、彼女はテレビの画面に視線を送る。音楽とともに五人の男が手を振って現れる。本当は愛想良くすることは、得意でないことは知っている。それでも彼が今日も笑うのは、この子供たちと、自分を守るためであるということも判っている。
 その、流れる水のような懐の広さ。
 彼女は微笑んで画面を通して語りかける。
「……あぁ、今日も元気そうでなによりやわ。流」

 河のほとりで、絶えずその流れを見守る木のように。

 目を閉じる。開く。スタジオに、今日も人々があふれている。
 その熱気。その歓喜。その興奮。
「こんにちわーこんばんわー。今日もこないにみんな来てくれてありがとさん!」
 つまらないはずが、あるものか。

 今日も傍に、彼女がいるのだから。



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