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大人になる方法 6


 どうしたら大人になれるか考えてた。
 早く大人になりたかった。
 けれどきっとすぐにはなれない。
 だって、大人になるって痛いもの。
 人と向き合うことも、自分の無力さを、痛感することも。
 こんな痛み、きっと一気には、抱えきれない。
 だから、大人にすぐにはなれない。
 それでも。


 あの中庭にある東屋にも、雪が積もっていた。
 日曜日の夜は結局急に吹雪いて、この街の初雪は穏やかなものではなかった。
 すべてを清めてくれるみたいに。
 すべてを新しくしてくれるみたいに。
 雪は降って、全部を白く塗り替えてくれた。
 私はそこに一人で立っていた。屋上が、よく見える。今思ったら、先輩は、ここから屋上を見つめていたのだな、と思った。
 さくっ……
 ふと、雪を踏み分ける音が聞こえて、私はそちらのほうに視線を向けた。そして驚いた。
「せんぱ」
 そこには、先輩が立っていたからだ。
「どうして?」
 私の問いに、先輩はバツの悪そうに苦笑を浮かべた。
「いや、この間置き去りにしてっちゃったから。みちるも謝って来いってうるさいし」
「……みちるさん?」
「この間の、彼女」
「……あぁ」
 あの、人の名前か。
 先輩のクラスの、女のほうの委員長。
「……幼馴染なんだ」
 先輩は私の隣に並んで、屋上のほうを見つめると、ぽつりとそう漏らした。
「幼馴染?」
「うん。彼女がこの街にきた――九歳ぐらいのころからの、腐れ縁。毎日毎日、喧嘩ばかりしてたのに……いつの間に、あんなに大事になったのかなぁ」
「……私にきかないでくださいよ。のろけですか?」
 私はぎろりと先輩を睨みつけて呻いた。先輩が、苦笑する。
「まぁ、そんなわけだから」
 先輩は私に向き直る。
「君とは付き合えないんだ。ごめんね」
 これが、答えだ、と、先輩は言った。
 付き合って、と、私は言った。先輩を、呼び出して、請うたのだ。
 全ての、始まりの日に。
 それに対する、きちんとした、答えだった。
「気にしないでくださいよ!」
 私は明るく努めて声を張り上げた。
「知ってるでしょう? 先輩。私、先輩のこと、好きじゃなかった。ただ、利用するために、先輩に付き合ってって、いったんです」
 すきです。
 すきですせんぱい。
 そのぶきようなやさしさのぜんぶがすきです。
「私、本当に先輩に感謝してます。聞いてください。先輩のおかげで、親の離婚、なくなりそうなんです。話し合って、そうなったんです。もういちど、がんばろうって」
 ありがとうありがとう。せんぱいのやさしさにすくわれました。
 ほんとうは、せんぱいのかなしさ、わたしがだきしめたかった。
「人と向き合ったら、どうにかなるんだってこと、教えてくれたの、先輩です。本当に、感謝してます」
 ほんとうはわたしがだきしめたかった。
 でもむりでした。
 わたしはそこまでおとなじゃなかった。
「それだけで充分――ありがとう、ございました」
 深く、面を下げて、面を上げる。
 先輩に、向き直る。
 がんばって、私。
 泣かないで、泣かないで。
 泣きたくない。私、先輩には胸を張って向き合いたい。
 なのに。
 あぁどうして。
 視界が霞んでしまう。
 手が。
 触れた。
 私の頭を、そっと撫でた。
「うん。こちらこそ、ありがとう」
 そういって、先輩は、歩き始めた。
 さくさくさく。雪を踏みしめる音が遠くなる。
 小さくなった先輩の背中に、私は大きく手を振った。
「さようなら!」
 私の声が届いたのか、先輩が後ろ手に手を振ってくれる。
 これから学校ですれ違うことも、あるかもしれない。
 けれど私はもう先輩に付き纏わない。知り合いとして接することもないかもしれない。
 そういう意味での、さようなら。
 先輩の姿が完全に見えなくなり、私は屋上に向き直った。
 二人、女の人が見える。
 一人はみちるさんという人だ。一度そうだと認識してしまえば、遠目でもよくわかる。もう一人は、多分みちるさんのお友達だろう。
 みちるさんを置いて、お友達のほうが天文部の部室のほうへ消えていく。今日は寒いから、そちらでお弁当を食べるのかもしれない。
 みちるさんは、なかなか天文部のほうへ入ろうとしない。フェンスに近寄って、街のほうを眺めている。
 どれぐらい、私、立ってその人を見つめていたんだろう。
 一人の男の人が、屋上に姿を現した。
(先輩)
 妹尾先輩だった。
 先輩とみちるさんは、何かを言い合う。ふざけているのか、じゃれあうように互いを叩いたりしながら、そして最後には、手をつないで、天文部の部室のほうへと消えていく。
 私は、微笑んだ。
 そちらのほうに背を向ける。
 そしてゆっくりと、校舎のほうへと続く階段を下り始めた。
 かすかな痛みを、胸に抱いたまま。
 呟いた。
「さようなら」


 それでも。
 ただ泣き叫び、自分に嘘をついていた時代はもう終わる。
 子供であることに胡坐をかいて、蹲っていた時代はもう終わる。
 人と向き合うときの痛みを一つ一つ大事に抱えて、大人へとゆっくり歩いていこう。
 さようなら、無邪気で愚かしく。
 そして愛しい、私の子供時代。

Good-bye dear my childhood


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