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クライベイビィクライ 1


 月に一度、学級委員だけが集められる。
 あらかたイベントも終わってしまったので、会議の内容は薄いものだった。受験シーズンということもあって、勉強する雰囲気を作るように心がけること。冬になって、風邪もはやるので、うがい手洗いなどの健康管理には気をつけること。そういった日常生活に根ざしたもろもろの注意を、今度のホームルームで通達するようにとのことのみで終わってしまった
 いつもと一つ違っていたのは、委員会が終わり、誰もいない教室に戻った後のことだろうか。
「あのさー、委員長」
 荷物を纏めていたみちるに声をかけてきたのは、みちると共に委員会に出ていた芝崎だった。すでに帰り支度も終わったらしい。学生鞄を小脇にかかえ、補助鞄としてのスポーツバッグを逆の肩にかけている。首元にいつだったか見たマフラーをぐるぐる巻いて、少し頬を紅潮させていた。
「……何か?」
「あのさ。えーっと」
 歯切れの悪い芝崎の様子に、みちるは首を傾げる。そういえば、今日の芝崎はずっとこのような感じで、会話もどこか上の空だったような気がする。
 みちるは彼の言葉の続きを待ちながら、もしかして、と思った。
(叶とのこと、きかれるのかな)
 あの、夜に。
 コンビニエンスストアの前で、黙って叶に手を取られる自分を、彼は見ている。
 けれどいまさら彼とのことを尋ねられても、今のみちるは答えを持たない。
「……今度、映画、いっしょにいかね?」
 少し緊張した面持ちで彼の言葉の続きを待っていたみちるは、思いもよらぬ提案に、目を瞬かせた。
「……はい?」

 姉から映画のチケットをもらったのだが、あまりにもべたなラブストーリー。前評判は非常にいいので、個人的には興味があるが、内容が内容だけに男友達を誘うわけにもいかない。
 そこで、みちるに白羽の矢を立てたのだといった。みちるが、知り合いの女子の中で一番、親しいからと。
 その映画はみちるも知っている。先日、朔と原作について話をしたばかりだったから。
 女の子を誘うのは初めてなのだろうな、と、ろれつのうまく回っていない芝崎を眺めながら思う。自分の周囲にいる男たちは叶含め、妹尾家の人間を筆頭に、やけに女慣れしている人々ばかりだから、顔を真っ赤にして色々言い訳を並べ立てる彼がひどく可愛かった。
「……っていうわけだからその! いや、もし委員長が忙しいとか嫌とかなら、俺は全然かまわねぇし!」
「いいよ」
 学生鞄の留め金をぱちりと止めて、みちるは答えた。
「……え? いいの?」
 拍子抜けしたような芝崎の顔が可笑しく、みちるは笑いながら首を傾げる。
「嫌だって、いってほしかったの?」
「そそそそ、そんなはずがねぇじゃんだったら誘ったりしないって!」
「だよね」
「う、うん」
 鞄を手に、みちるは芝崎に向き直った。
「私でいいなら、付き合うよ。ちょうど、その映画私も見たかったの」


「はぁ? なんだそりゃ!?」
 昼休み、弁当を食しながら、奈々子はすっとんきょうな声を上げた。
「何でそんなことするんだ!?」
「……だって、その映画、見たかったんだもの」
 箸を休めてみちるは呻く。それがどうかしたかといわんばかりだ。
 言葉を失う奈々子を放って、彼女は昼食を再開する。奈々子は愕然としながら、混乱する頭の整理に努めた。
(ちょ、まて。なんでアタシのしらん間にそんなことになってるんだ?)
 最近みちるの様子が変だった。みちるではなく叶も変だった。いつの間にか叶は新しい彼女を得たときくし、みちるはみちるで今度の日曜日、男とデートをするという。叶はともかく、みちるが別の男と二人で遊びに出かけるなど、今までにない展開だ。
 本当に、近頃の二人は、おかしい。
 自分たちは同じクラスだ。いくら叶に彼女ができたからといっても、今までならクラスメイトとしての挨拶は普通に交わしていた。みちると叶は特に、目でよく合図を出し合う。人の目を盗んでほんの一瞬、彼らはまるで共犯者のように視線を合わせて、二人だけの間で通じる言語で会話をするのだ。
 それがここ最近は一切ない。みちるも叶の名前を一言もださない。喧嘩をしたのかと尋ねようにも、彼らが普通の人ならばまず絶交の域とも呼べるような派手な喧嘩を何回もしていて、別段驚くようなことでもない。はぐらかされるのは目に見えている。
 喧嘩、を、したのだろう。多分。今までのものと性質の違う喧嘩。
 本当に、お互いからお互いを切り離してしまうような。
 みちるはここ最近、ずっと青ざめている。
 しかし青ざめれば青ざめるほど、加速度的に彼女は美しくなっていくように見えた。冗談ではない。本当に、みちるは、今までが嘘のように綺麗になっていった。いくら彼女がかわいらしい少女だからとはいっても、叶のものとは質が違い、所詮凡人の枠内に納まる。その上、学校に現れる彼女は所詮勉強する場所だからと己の身に頓着がなく、人づきあいが苦手な部分が前面に出ていて、陰鬱と呼ばれるほどだった。
 しかし今のみちるは誰もを振り返らせる憂いと、それに根ざした透明な美しさに満ちている。皆、はっと息を呑む。この娘は、このように美しい娘だっただろうか、と。
 みちるの存在が、人の口に上り始める。それを耳にしている叶は、明らかに苛立っているように見えるのに、けれど彼は決してみちるの傍に近寄ろうとしない。
 そんな彼も、今までになく、どこか触れてはならない孤高の獣のようで、さらに人の心をかき乱している。
(男と、デートだって?)
 みちるにその自覚があるのかどうかはしらないが、相手は確かにそう見ているだろう。あの芝崎が、好意もなく女を遊びに誘うようなやつだとは思えない。
(……そんなんで、いいのかよ)
 よくはないだろう。
 自分は、叶とみちるを知っている。
 あの二人が積み上げてきた歴史全てを知るわけではない。けれどその歴史が作り出した二人の姿を知っている。子供時代を置き去りにして、大人にならなければならなかった二人が、共にいるときだけ、子供の顔をして笑うこと。誰かに悲しみを訴えるすべを持たない彼らが、お互いにだけ痛みも苦しみも吐き出すこと。似た顔で怒り、似た顔で泣き、似た顔で笑う。感情全てをぶつけて、二人が創り上げた二人だけの世界。二人だけの絆。
 傍から、見ているだけで、泣きたくなるほどの、繊細な。

 ――その絆が切れたら、アタシが悲しい……。

「奈々子?」
 みちるの声に、我に返る。彼女は、怪訝そうな顔をしている。
「ごはん、たべないの?」
「た、食べる食べる! ちょっとさ、喉に痰が絡まったような気がしたんだ!」
「……風邪?」
「いや、大丈夫!」
 大丈夫だから気にするな、と、奈々子は大声を張り上げた。みちるは釈然としない様子ながらも、身を引いて、弁当の残りに箸を付ける。
 奈々子は嘆息しながら、さっさと事態が丸く収まればいいのにと、らしくもなく神に祈った。
 そうでなければ、痛々しくて、見ていられなかったのだ。


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